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もしも一つ願うなら【本編完結】  作者: 庭村ヤヒロ
地底の牢獄 アンディス
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第80話 宝物庫

 シェリダーから差し出された鞍をアディシェスが受け取る。あまりにも大きいせいで、一瞬何なのか分からなかったくらいだ。


「それは……鞍で合ってます?」

「ええ、そうです。私の可愛いロトに貴方がたが乗るための物ですよ」


 ロト。馬の名だろうか? 鞍から察するにかなりの巨体のようだが……あんな巨大なトカゲがいるくらいだ、相当大きな馬がいてもおかしくはないか。


「ちなみにこの子はアスターといいます。可愛いでしょう?」


 アディシェスはそう言って腕に巻きつけている白蛇の顎をくすぐった。白蛇はこちらに顔を向けると、しゅるしゅると舌を出す。赤い目がキラリと光った気がした。


「ああ、ちなみに毒を持っていますから機嫌を損ねないことです」

「……忠告ありがとうございます」

「アディシェスのペットは気難しいのよ。その気になればアンタ達人間なんてあっという間に……っていうか、どうして人間が外にいるのよ? そっちのは何? 新入り?」


 キムラヌートが私を指差して眉を顰める。アディシェスは少し喉を鳴らすように笑って私達を見た。


「彼らは皆人間で客人ですよ。食用じゃありません。これから死の丘に向かうところです」

「死の丘、ですか……」


 シェリダーは帳簿に何やら書き込みながら呟く。


「その……差し出がましいとは分かっていますが、くれぐれも樹に傷をつけないように……」

「ええ、分かっていますとも。あの樹は何よりも重要ですからね」

「シェリダーは心配性なのよ。アディシェスはそんな失態を犯さないわ」

「……そう、ですね」


 シェリダーは黙ってペンを走らせ続ける。それ以上何かを口にすることはなかった。

 死の丘は余程重要らしい。あの樹が彼らにとって一体何なのかは分からないが、うっかり傷をつけないように私達も気をつけなくては。

 鞍を一通り確認したアディシェスは満足そうに頷く。どうやら気に召したらしい。


「流石はシェリダー、良い仕事をしてくれますね。では私達は出発しますので」

「待って!」


 扉へ向かおうとしたアディシェスをキムラヌートが呼び止めた。


「私も行くわ! 面白そうだもの!」

「キムラヌート様、これは遠足ではないのですよ」

「し、知ってるわよ。だから……そう、これも見学よ、見学!」


 アディシェスは肩をすくめ、やれやれと首を振る。少し楽しげに見えるのは気のせいだろうか?


「仕方ありませんね。シェリダー、バチカル様への報告は貴方に任せましたよ」

「えっ」


 ガタリと椅子を鳴らしたシェリダーは、慌てた様子でペン先をさまよわせた。


「ぼ、僕が? そんな……バチカル様は怒らせると怖いのに……キ、キムラヌート様、バチカル様が心配なさりますよ……絶対……」

「でも私、気になるわ。大丈夫、お兄様なら許してくれるわよ。騎士の仕事の見学か、それも大事なことだ……って!」


 バチカルの真似のつもりか、声色を変えて喋るキムラヌートをシェリダーは恨みがましく見つめていた。目の下のクマが一層悲壮感を演出している。


「バチカル様が甘いのはキムラヌート様にだけなのに……」

「そ・れ・と! 私のことはクィートって呼んでって先程も言ったはずよ? 次はちゃんと呼んでね」


 人差し指を立てたキムラヌートを見て、シェリダーは深く肩を落とした。どうやら諦めたらしい。酷く荷が重いといった様子でペンをぎゅっと握った。


「……お気をつけて」

「ええ、大丈夫よ。アディシェスが一緒だもの!」

「では向かいましょうか」


 思わぬ同行人が増えたが、アディシェスは想定通りと言わんばかりに気にせず宝物庫を出た。扉を閉める瞬間、中から重たいため息が聞こえたが……やはり小さな少年には荷が重いのではないだろうか。

 外までの道を進みながら、ふとアディシェスが口を開いた。


「そういえば……貴方がたはここに来るまでにツァーカブの助けを借りたようですね」

「はい、そうですが……」

「なぜ知っているのかという顔ですね」


 アディシェスはくつくつと笑い、紫の目で私達を見つめる。

 どこか勝ち誇ったような……自分に自信を持つ者の表情だ。


「私は過去を見通すことができますから。それで、どうでしたか? 彼の様子は」


 過去を見通す……? たしか執事のケムダーは未来を見通せると言っていた。彼らが合わされば過去も未来も見放題じゃないか。

 それにしても……ツァーカブか。彼には世話になった。


「とても良くしてもらいましたよ。あまり近づくと睨まれましたが」

「それはそうでしょうね。どうやらアィアツブスの魔道具は機能しているようですが……それでも完全に抑え込むには足りないようだ」


 ヴィルトが疑問の声を上げる。


「魔道具?」

「黒い首輪をつけていたでしょう?」

「ああ、つけてたね。少し鎖が繋がってる首輪」


 思い返せば、たしかにつけていた。ああいう装飾なのかと思っていたが……どうやら違うようだ。


「彼は……なんというか、抗えないほどの欲を抱えているんですよ。問題を起こさないようにと、あの首輪をつけているんです」

「あのケダモノ、我慢できずにアィアツブスを襲ったことがあるのよ。返り討ちにされてたけどね。それであの首輪を渡されたってワケ」


 ……なるほど。アィアツブス……カメリアの魔道具か。彼女が作る魔道具の質はヴィルトの発声具が証明している。

 にしても、襲われて返り討ちにしたとは。彼女の方がツァーカブより強いとは意外だ。


「彼が欲を向けるのは男女問わずですから、大方うっかり襲ってしまわぬようにと自制していたのでしょう。距離を取ろうとしたのもその一環かと」


 そういえば度々視線を感じていた。なるほど、どうやら私の美しさは悪魔にも通じるらしい……という冗談はここまでにしよう。彼らの対応を見るに、ツァーカブが特殊なだけらしいから。


「アタシからすれば、あのケダモノと一緒にいるなんて無理よ」


 キムラヌートは腕を組んで顔を背ける。随分と嫌っているようだ。

 なんだか、彼が城に近づこうとしない理由が分かった気がした。


 城の外に出た私達は、岩木が生えていない一角へと向かった。

 ロトという馬はここにいるのだろうか。見回してもそれらしい影すら見えない。


 アディシェスは指笛を高らかに吹き鳴らした。あれで呼んでいるのだろうか。

 少しして、バサバサと大きな音が近づいてくる。


「あれは……!」


 巨大な翼、黒い体躯、鋭いクチバシ。

 私達の前に現れたのは、あの怪鳥だった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 城の執務室にて。

 キムラヌートがアディシェス率いる人間達に同行することになった。そんな報告を受けたバチカルは、報告者であるシェリダーが出て行った扉を見つめていた。

 再び執務に戻るのかと思えば、突然立ち上がりウロウロと歩き回る。


「クィート……クィートが人間共と死の丘へ? いや、アディシェスが着いている。問題は……いやしかし……」


 その心配を隠そうともしない姿を、ケムダーは書類を整えながらやや軽蔑の目を向ける。

 やはり自分こそがその座に相応しい。そんな野心を滲ませた目だ。

 バチカルは部下からの目を気にしている余裕さえないのか、ソワソワし続けている。妹であるキムラヌートはバチカルにとって何よりも優先すべき宝であった。


「ケムダー、クィートは無事に戻ってくるか?」

「……そうですね。戻ってくると思いますよ」

「そうか、そうか……」


 ようやく席に戻ったバチカルは机上の書類に手をつける。しかし、やはりその速度は報告を受ける前よりも遥かに遅かった。




 一方、報告を終えたシェリダーはホッと安堵の息を吐いて宝物庫へと戻ろうとしているところだった。

 角を曲がったところで、シェリダーはビクリと体を強張らせる。曲がってすぐのところに、膝を抱えて座り込むアクゼリュスの姿があったからだ。

 膝を抱えて俯いているせいで、シェリダーからは青い髪しか見えない。


「あの……アクゼリュス……?」

「……シェリダーか」

「どうしたの……こんなところで」


 上げられたアクゼリュスの顔はいつにも増して青白く見える。随分と落ち込んだ様子のアクゼリュスを放って置けず、シェリダーは隣に座り込んだ。


「己の未熟さを恥じていたところだ……」

「……伴侶にするって言っていた人間のこと?」

「そうだ……死した彼女の仇を見つけたというのに……俺は何もできずにいる」


 アクゼリュスは強く拳を握りしめる。


「あの人間が客人でなければ……エーイーリーの言いつけがなければ、この手で葬ってやったものを……」

(アディシェスが連れていた、あの人間達の誰かかな……)


 当たりをつけたシェリダーは、アクゼリュスの肩にそっと手を置いた。


「それは……つらかったね……」

「……分かってくれるか?」

「うん……苦しいことなんだろうなと、思う……」


 シェリダーにとって、上司でもなく基本的に物静かなアクゼリュスは接しやすい相手であった。

 三人いる上司の内、エーイーリーとアディシェスの二人が騎士ということもあってか、アクゼリュスはシェリダーに気をかけてくれることも多い。


「……お前は? 宝物庫の外にいるなんて珍しい」

「僕は……キムラヌート様が外出することを、バチカル様に報告してきたところ……」

「それは……大変だっただろう」

「うん……でも、お怒りにはならなかったからまだ大丈夫……」

「そうか……」


 二人はぴったりと壁に背をつけて、暫しの間静かに語り合った。

 語らいを終えた頃には、二人とも幾分かスッキリした顔をしていたという。

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