第79話 許可
問題の朝がきた。
とはいうものの、昨日の今日で決定されるものなのだろうか。できるだけ早めに決めてほしいものだが……それを言える立場にはない。
「朝食の時間よ〜」
料理長のカイツールは今日も上機嫌だ。
今日も今日とてトカゲの肉だが、ここではポピュラーな食材らしい。味はいいこともあって特に気にならない。
朝食を摂っていると、金属を打ち合う音が聞こえてきた。
窓から外を覗いてみる。どうやらエーイーリーとアクゼリュスが剣の打ち合いを行っているようだ。
「朝から熱心だね」
「騎士と言っていましたし……やはり日々の訓練があるのでしょうね」
エーイーリーとアクゼリュスの服を見比べると、エーイーリーの方が少し装飾が多い。エーイーリーの方が上の立場にあるのだろう。
一定の間隔で響いていた金属音は、次第にその間隔が狭くなっていく。動きもそれに合わせて速くなり、段々と目で追えなくなる。
「……すごい」
「そう、ですね。凄まじい勢いで……」
昨日の夜、突然訪ねてきたアクゼリュス。やはり彼はあの怒りの中でも理性を保ち続けていたらしい。
そうでなければ、今頃私は死んでいただろう。ぞわりと皮膚の下を這うような恐怖に包まれる。
「昨日、アクゼリュスに突撃されたんですって? 大変だったわね」
カイツールは頬に手を当て、ため息をついた。
「彼、よく分からないのよ。なんだって人間の女なんかに現を抜かすのかしら」
「……」
これはどう返すのが正解なのだろう。分からないのでスープを飲んで場を濁しておく。うん、これも美味しい。
「今日も美味しかったです」
「良かったわ。腕によりをかけた甲斐があったってものね」
食事を終えると、カイツールは笑顔で食器を片付けた。
悪魔の城に泊まることになった時は、どうなるものかとも思ったが……意外と居心地は悪くない。食事は美味しく、寝床も十二分過ぎるほどだ。
快適な部屋でくつろいで待っていると、扉がノックされた。
やってきたのは執事のケムダーだ。
「お待たせしました、ご客人方。バチカル様がお呼びです」
微笑みを湛えた彼は優雅な仕草で部屋の外へ出るよう促す。昨日バチカルと会った部屋まで案内されるのだろう。また彼と会わなければならないと考えると、少し気が重くなる。彼の威圧感に慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
ケムダーの後ろについて歩きながら、これからのことを考える。
問題は許可を得られるかどうかだ。もし許可を得られなかったら……どうにもならなければ、密かに忍び込んででも神官に会わなければ。ここまで来て諦めるなんてことはできない。
部屋に入ると、バチカルは笑みを浮かべてこちらを見据えていた。相変わらず威圧感がある。やはり悪魔の長というだけはあるようだ。
隣に初めてみる悪魔がいる。アクゼリュスと同じ黒い隊服だ。違う点を揚げるとすれば、首元に緑の布を巻いていることと灰色の手袋をつけていること……そして何より、白い蛇を腕に巻きつけていることか。
薄緑の髪をもつ眼鏡の男は、こちらを見て口角を僅かに上げた。
バチカルは頬杖をつき、脚を組む。随分と様になっていた。機嫌は良さそうだが、許可の方は出してもらえるのだろうか?
フッと笑ったバチカルは、形の良い唇を開いた。
「喜べ。貴様らに死の丘への立入許可を出す」
ほっと息を吐く。良かった。これで堂々と神官に会うことができる。
となると、次の問題はどうやってあの丘まで向かうかだ。直線距離でいえばそこまででもないが、私達が通れる道を選ぶとなればこの城からはそれなりに距離がある。
「だが、貴様ら人間は実に軟弱だ。貴様らだけで死の丘へ向かうのは困難だろう」
……彼の言葉は事実だ。現に、私達はここまで来るにもツァーカブの力を借りている。彼がいなければ私達は今ここにはいない。
バチカルはより笑みを深め、目を細める。
「そこで騎士の一人を貴様らに同行させることにした」
バチカルが顎で指すと、隣に立っていた騎士らしき悪魔が胸に手を当てて一歩前に出る。
「私はアディシェスといいます。この度、貴方達人間を死の丘まで連れていく任務を請け負いました。道中、私の言うことに従うように」
アディシェスと名乗った悪魔は、一瞬こちらを見下すような目を向けた。この男が同行するのかと思うと少し嫌だが……他の騎士二人があれだけの腕の持ち主なのだから、彼も相応に強いのだろう……少なくとも私達が敵わないくらいには。
「アディシェスは騎士の中でも特異でな。充分貴様らの役に立つことだろう」
「それではバチカル様、私は早速彼らを連れて死の丘へ向かうことにします」
私達の意見など聞きもしないまま話が進む。バチカルに一礼したアディシェスは、扉を開けてこちらを振り向いた。
「さあ、ついてきなさい」
拒否権はないと言わんばかりだ。扉の外にはケムダーが立っており、部屋に置いてきていたはずのリュックを持っている。
「お荷物はこちらに」
「……ありがとう」
ヴィルトがリュックを受け取る。気が利くといえばそれまでだが、少し気味が悪い。そう感じるのは彼らが悪魔だからなのだろうか?
同行するというアディシェスもそうだ。それにしてもこの二人、髪色といい目の色といい似ているが……兄弟なのだろうか?
アディシェスは外へ向かうでもなく、城の奥深くへと歩いていく。
「どこへ向かうのですか?」
「宝物庫です。そこに私の……いえ、私達の部下がいましてね。一つ頼み事をしていたのです」
「私達?」
「私とバチカル様、そしてエーイーリー様。三人の下についている者です。少し特殊な立ち位置なのですよ、彼は」
やがてその宝物庫とやらについたらしい。アディシェスが扉を開けると、中では二人の子供が何やら話し合っていた。
厳重な扉が奥に見える。あの奥こそ本当に宝物庫なのだろう。管理室と呼ぶに相応しいお堅い雰囲気の小ぢんまりとした部屋には似つかわしくない賑やかさだ。
「僕は今仕事中なんです。話し相手になれと言われても困ります、キムラヌート様」
「だからクィートって呼んでって言ってるじゃない。この私の言うことが聞けないの?」
青髪に紫の肌の小さな少年と、黒い角と紫の翼を生やした紫髪に白い肌の少女だ。ドレスを着たツインテールの少女は、どこかバチカルに似ている。妹か……?
青いケープを着た少年は、悪魔らしい尻尾を下げてビクビクと怯えた様子だ。ペンを持つ手は帳簿の上で止まっている。
「そう言って……どうせ後から不敬だって言うじゃないですか……」
「だ〜か〜ら〜! シェリダーは特別なの! 私を愛称で呼べること、光栄に思いなさい!」
ダンッと音を立てて少女が机に両手をついた。少年はビクリと体を強張らせている。
言い合いをしていた二人は、私達が入ってきたことに気づくと小さく咳払いをして姿勢を正した。
「あら、アディシェスじゃない。こんなところに何の用?」
「キムラヌート様こそ、またシェリダーを困らせているようですが……今は勉学の時間だったはずでは?」
ギクリと固まった彼女は、目をあちらこちらへと泳がせる。
彼女も例に漏れず強いのだろうが、見た目相応の子供らしさが残っているようだ。
「あ〜、その〜……け、見学よ、見学! 宝物庫の管理を見学していたの。ねっ、シェリダー?」
腰に両手を当てて胸を張ったキムラヌートはシェリダーに視線を投げかけるが、当のシェリダーはえっと表情を歪めるばかりだった。
「ねっ、そうでしょ?」
「は、はい……そうです。多分……」
無理矢理頷かせるキムラヌートを見て、アディシェスはため息をついて額に手を当てた。その様子を見るに、これがいつもの流れなのだろう。
「それで? 結局何の用なの?」
「シェリダーに頼んでいたものがあるのですよ。用意は出来ていますか」
「は、はい。急ぎとのことでしたので……こちらに……」
シェリダーが取り出したのは、黒い革で作られた鞍だった。
……いや、これは鞍なのだろうか?




