第78話 愉快な悪魔達
案内された部屋はとても豪華な客室だった。
特にベッドは今までに見たどれよりも上質だ。相当良い寝心地になることだろう……ここが悪魔の本拠地であるということを除けば。
天上人もそうだが、悪魔も悪魔だ。どうしてこうも敵いそうにない相手ばかりなのだろうか。
今まで私は私のことを相当強いと思っていた。現に、オーバルに行くまでの間はほとんど負けなしだったのだ。
……全てのキッカケでもある、私が呪われた元凶。メイニーを相手に失態を犯した時のことは忘れてしまいたいが。
それがどうだ、オーバルに、そしてこのアンディスに来てからというもの、勝てる見込みのある相手が見当たらない。
人間がどれだけ矮小な存在か。それを知らしめられているようだ。
「ゼロ、大丈夫?」
「ええ……貴方こそ大丈夫ですか、セキヤ」
「俺はまあ……少し疲れたくらいだよ。俺よりヴィルトの方が心配かな」
ここまでの道のりで疲れきってしまったのだろう。ヴィルトは一足先にベッドで眠っていた。起こすのも悪いと思い、そのままにしている。
許可を得られるか、得られないか。どちらにせよ明日まで結果は分からない。今のうちにゆっくり休んで体力回復に努めるべきだろう。
トントンとドアがノックされる。そういえば食事を用意させるとエーイーリーが言っていた。もうそんな時間か。
「どうぞ」
「食事を持ってきたわよ〜」
大きな銀のトレイを片手に入ってきたのは捻れた二本の黒い角と顎髭を生やした金髪の男だ。小麦色の肌が明かりに照らされて艶々と輝いているように見えた。
上機嫌に牛のような尾を揺らしていた彼は、私を見るなり青い目を見開いた。
「あらヤダ! 男だけって聞いたのに女がいるじゃないのよ!」
「……男です」
「あら? あらら、ホントだわ。アタシったら早とちりしちゃったみたいね」
コホンと咳払いした男は、胸に手を当てて快活そうな笑顔を浮かべた。
「改めまして、アタシはカイツール。ここの料理長よ。ヨロシクね、人間さん達」
「ええ、よろしくお願いします」
「よろしく……ヴィルト、起きて」
セキヤに肩を揺さぶられたヴィルトが眠たそうに目元を擦りながら体を起こす。ぽやぽやとしていた彼だったが、カイツールを見るなりビクリと体を強張らせて目をぱちりと開いた。
「彼はカイツールさん、ここの料理長だって」
「よ、よろしく……」
「ええ、ヨロシクね」
牛の尾を揺らしながら、カイツールはテーブルにトレイを置いた。クロッシュを取ると、赤黒いソースがかかった大ぶりのトカゲが現れた。添えられているのは石植物だろうか。
「エーイーリー様におもてなしするよう言われたから、腕によりをかけて張り切っちゃったわ。遠慮せず食べてちょうだいね〜」
カイツールはニコニコと笑っている。石植物はまだしも、トカゲは普通に食べられそうだ。
ナイフで一口サイズに切り分けて口へ運ぶ。
……美味しい。筋肉質ながら弾力ある肉はじっくりと煮込まれているのか柔らかく、鳥にも似た風味がある。赤黒いソースはワインを元に作っているのだろうか? 肉との相性がバッチリだ。
「美味しいです」
「良かったわ〜! 人間さんのおもてなし用って初めて作ったから、口に合うかどうか少し不安だったのよ。一番良いお肉をと言っても、共食いさせるわけにもいかないでしょ?」
……共食い?
私が食べる様子を見て口に運ぼうとしていたヴィルトが固まる。
共食いということは、つまり彼らにとって『一番良い肉』というのは人肉ということで……そういえば、悪魔による誘拐事件なんてものを耳にしたことがあるが、あれはあながち間違っていなかったかもしれないのか?
カイツールは時計を見るとひらひらと手を振った。
「さて、アタシはそろそろ仕込みに戻らないと。ゆっくりくつろいでちょうだいね」
バタンと扉が閉じられる。やはり彼も悪魔ということか……少し接しやすいかと思っていたが、そんなことはないようだ。
好意的……? であることはありがたいが、よくもまあ普段自分が捌いている相手と同じ種族に朗らかな対応ができるものだ。
付け合わせの石植物の方も口に入れてみる。揚げているのか、ほのかに油の香りがした。硬くはあるが簡単に噛み切れる程度で、パキパキとした食感が良い。
料理の腕は確からしいな。流石は料理長と言うべきか。
ヴィルトは少し食欲を失ったようだが、なんだかんだで完食していた。
食事も終え、そろそろ寝ようかという頃。
トントンとノックの音が響いた。
「はい」
返事をすると、ゆっくりと扉が開く。
扉の向こうからは青髪の男が顔を覗かせていた。青白い肌と右目を覆う黒い眼帯、頭から生えた大きな白い角が目を惹く。
エーイーリーが着ていたものとほぼ同じ服を着た彼は黒曜石のような三白眼でこちらをじっと見つめていた。目の下には濃いクマがある。悪魔にも睡眠不足はあるのだろうか。
「……見つけたぞ」
無表情のまま暫く私を見つめていた男は、ギリッと歯を食いしばると突然私の胸ぐらを掴んだ。
あまりに早い動きに、逃げることも出来なかった。そのまま持ち上げられ、足が宙に浮く。
「貴様が……! 貴様が、彼女を!!」
「何のことですか……ッ」
手を離させようとしてもビクリともしない。
視界の端で、セキヤが銃を抜く。ヴィルトも槍を持ち出して、震えながらも構えていた。
「とぼけるな……忘れたとは言わせない。貴様が彼女を……メイニーを殺したことは知っている」
メイニー? 忘れもしない、私が呪われた原因となった黒髪の女だ。
だが、なぜこの男が……この悪魔が、あの女のことを知っている? そしてなぜ、私に怒りを向けている?
あの女は悪魔と関わりを持っていたが、それはあくまで異世界の悪魔だとされている。それに話に聞いた悪魔と目の前の悪魔は似ても似つかない。
「俺の……俺の伴侶を誑かしたばかりか、殺めるなど……ッ」
「伴侶? 貴方、彼女の夫なんですか……」
彼女は独り身だったように思う。それとも相手がいながら私に手を出したということか……?
とにかく、そろそろ離してほしい。少し息苦しくなってきた。
「そうだ。だというのに、どいつもこいつも彼女を誑かす……俺が守っていなければ、彼女は悪い虫共に食い散らかされていただろう」
胸ぐらを掴む手にますます力が入る。目を見開いた男は、私に憎悪を込めて口を大きく開いた。
「俺が! 俺がずっと守っていたというのに!! それを貴様は……ッ!」
「何をしている!!」
突然、男の頭がブレた。
手が離れ、ようやく解放される。何が起きたのかと見てみれば、背後に立っていたエーイーリーが男の頭を叩いていた。
「人間とはいえ客人だ。傷つけるなと言いつけておいたはずだが、申し開きはあるか? アクゼリュス」
低く地を這うような声だ。これは相当お怒りの様子。
アクゼリュスと呼ばれた青髪の男は、納得いかないようでエーイーリーに噛みついた。
「だが、この人間は俺の伴侶を……!」
「伴侶も何も、そもそも顔さえ合わせていないだろうが。お前が執心していたその女も、まさか自分に惚れた悪魔がいるなど夢にも思っていなかっただろう」
「それは……しかし……俺が姿を表せば、怖がらせてしまうかもしれないからと……」
アクゼリュスは言葉尻を窄め、俯いた。
エーイーリーは深くため息をつき、頭を押さえる。
「その結果がこれだろう。だから俺は早いうちに連れてきておけと言ったのだ。これはお前の落ち度だぞ、アクゼリュス」
納得はいっていないようだが黙り込んだアクゼリュスにもう一度ため息をついたエーイーリーは、私達に向き直ると軽く頭を下げた。
「すまなかったな、人間。ウチの騎士が迷惑をかけた」
「……いえ、怪我もしていないので構いませんよ」
それよりも早くその男を連れ帰ってほしい。今も恨みがましくこちらを睨みつけているのだ。また掴み掛かられてはたまったものではない。
「よく躾けておく」
「ええ。お願いします」
無理矢理押さえつけてアクゼリュスの頭を下げさせたエーイーリーは、彼の首根っこを掴んで引きずっていった。
とにかくこれで一件落着ということでいいのだろうか。
しかし、まさかあの女に惚れた悪魔がいたとは。
……待てよ? もしあの悪魔がメイニーの手綱を握っておいてくれれば、私が呪われることもなかったのではないだろうか。
つまり間接的とはいえ、あのアクゼリュスという悪魔も私が呪われた要因の一つということで。
そこまで考えて、それ以上思考するのをやめた。そうだったとして、どうにもならないからだ。
あの一瞬だけでも、あの悪魔が相当の強者であることは分かった。胸ぐらを掴まれるのに反応することさえできなかったのだ。
相手がその気であれば、あの一瞬で殺されていたかもしれない――そう思うと、ぶるりと体が震えた。
異界に来てからというもの、恐怖を覚えてばかりだ。今までの価値観が全て崩されていくような気がする。
「……もう寝ましょうか」
「そうだね……」
明日は早いかもしれない。いつでも起きられるように、早めに寝ておいた方がいいだろう。
起きていてもやることもないのだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「メイニー……すまない、俺はお前の仇を取ることもできない……」
「いつまで悔やんでいるんだ、アクゼリュス」
「お前には分からないだろうな、エーイーリー……この、胸を抉るような喪失感。味わったこともないのだろう」
恨みがましく睨みつけてくるアクゼリュスは、未だ伴侶と呼んでいる女を諦められずにいるらしい。
カイツールが理解できないと憤るのも納得がいく。アィアツブスといいアクゼリュスといい、なぜそうも人間に執着するのか。
「明日、俺が直々に稽古をつけてやろう」
「なんだ、いきなり……」
「お前のその弛んだ考えを叩き直してやると言っているんだ」
「彼女が殺されてまだ間もないんだぞ、もう少し労わってくれてもいいと思わないか……?」
こいつの言うことも一理あるが、それとこれとは別だ。
それに、このまま放っておいても何十年何百年と引きずっているに違いない。
「思わないな。今日は謹慎室に入っておけ」
アクゼリュスは無言で立ち去った。不機嫌そうではあるが、言いつけは守るつもりらしい。
まったく、彼には困ったものだ。能力はあるのに変なところで引っ込み思案なところもそうだが……一度惚れた相手に執心するあまり、他の全てをおざなりにしてしまうところが問題だ。
これでも昔よりは改善した方だが……あの様子ではもう暫くは使い物にならないだろうな。
ああ、アディシェス。早く帰ってきてくれ。
俺一人では手が回りそうにない。




