第77話 城
私達の前に立ちはだかった巨大トカゲは、再び耳障りな鳴き声をあげた。こちらを見下ろす目には明らかな敵意が見える。
構える私達の隣で、ツァーカブは落ち着いた様子で口を開く。
「いつの間にかこの辺りに住み着いていたようだ」
「呑気に言っている場合じゃないと思うのですが」
「何をそんなに警戒する必要がある。……まさか人間はただのトカゲにも負けるようなか弱い生き物なのか?」
ツァーカブは信じられないと言いたげな顔で私達を見る。
だからこれをただのトカゲというのがおかしいのであって。通常のトカゲは道中何度か見てきた小さなサイズのものじゃないのか?
「一応私達でも対処できるとは思いますが……」
「時間をかけられても面倒だ。俺がやる」
パキパキと拳を鳴らしたツァーカブは、強く地面を蹴って巨大トカゲに急接近した。
そして次の瞬間。トカゲは宙を舞い、ズシンと地を鳴らしながら落下する。
あまりに速すぎる動きは、なんとかギリギリ捉えることができた。ツァーカブが天高く突き上げた拳がトカゲの顎を打ち抜いたように見えたが……なんという速さだ。
構えたままぽかんとしているヴィルトの肩をぽんと叩く。ハッとしたヴィルトは、パチパチと手を叩いた。
「すごい」
「流石悪魔というべきか……強いんですね」
「……ふん」
ちらりとこちらを見て顔を背けた褐色の頬がほのかに色を濃くしている。まさか照れているのだろうか。
思いの外人間らしいところがあるらしい。
「行くぞ」
巨大トカゲを蹴り落としたツァーカブは、そのまま歩き始めた。あの巨体を軽々と落とせるとは。
改めて彼と敵対しなくて良かったと思う。もし敵として対峙していたら……果たして私達は勝てただろうか。
逃げられるかさえ怪しいかもしれない。
ツァーカブの後ろについて歩き続けていると、ふと彼が足を止めた。
今度は何だ? 見てみると立派な城がある。あそこが目的地か。
しかしその手前は崖だ。向こう岸までそう遠くはないが、その間はかなりの高さがある。しかも下には溶岩が通っている始末だ。
「ここを越える」
「……ここをですか」
振り返るとツァーカブは涼しい顔で頷いた。
「お前にはその翼があるだろう」
「確かにそうですが」
「そこの二人を連れて飛んでいた。これくらい容易いものだろう?」
「……あれはそうせざるを得なかったからであって。私はまだこの翼の扱いに慣れていないんですよ」
ツァーカブは何を言っているんだと言わんばかりに眉をひそめた。まさか後天的に生えたとは思わないだろう。
「だが、他の道となるとまた遠回りになるぞ」
「それはそうでしょうけど」
「どうするんだ。行くのか、行かないのか」
ジャンプで行けるかと言われれば不可能だが、距離はそこまで遠くない。
……行けるか?
「仕方ありません。セキヤ、ヴィルト、掴まってください」
翼を広げて空に飛び立つ。手を差し伸べると、二人はそれぞれぶら下がった。
少し負荷がかかっているが、あれくらいの距離であれば問題はなさそうだ。高度を上げ、慎重に進む。
「なんだ、出来るじゃないか」
ツァーカブが向こう岸から声をかけてくる。随分と軽々しく言ってくれるものだ。
地面に降り立つと、ツァーカブはあくびをして軽く手をあげた。
「案内はここまでだ。後は自分で行け」
「ありがとうございました」
彼は鼻を鳴らし、背を向けた。
「……気をつけろよ」
そう言い残して歩き出す。その背を見送り、城へと振り返った。
あそこにアンディスの支配者……悪魔の長、バチカルがいる。果たして許可を出してくれるだろうか?
「さて……行きましょうか」
「うん。会いに行こう」
そもそも会えるのかも分からないが、カメリアの本名を出せば話くらいは聞いてくれるらしい。ツァーカブも彼女の名前を聞いて案内を申し出てくれたあたり、彼女の影響力は大きいようだ。それとも悪魔同士、意外と仲が良かったりするのだろうか?
城の近くには岩でできたような木が何本も生えている。木の枝には何羽もの黒い鳥がとまり、こちらをじっと見つめていた。まるで監視されているようだ。
まとわりつく熱と視線の中、岩の林を抜ける。
ようやく辿り着いた城の前には薄緑の髪の男が立っていた。
少し可愛らしい顔立ちをしている。
「ようこそ、お待ちしていましたよ」
にっこりと微笑んだ男は黒いスーツを身にまとっている。
私達を待っていた? 一体どうやって。私達は今日この地にやってきたばかりだ。
それとも偶然見ていたのだろうか? いや、それなら待っていたとは言わないだろう。
「……貴方は?」
「私はケムダー。この城の管理を任されている者です」
扉を開いたケムダーは流れるような所作でお辞儀をした。耳元で緑色のピアスがきらめく。
「さあ、こちらへ。案内いたしますよ」
セキヤ達と顔を見合わせる。
案内してくれるというのなら素直に従うべきだろう。ケムダーに続いて城の中に入ると、重厚な扉が静かに閉まった。
城の中は今までに見たどの屋敷よりも豪奢で、城の主の品格を示している。
先を進むケムダーに、先程浮かんだ疑問を投げかけた。
「どうして私達が来ることを?」
「私には未来が見えますから。皆様が来ることも予見できていました」
未来。未来ときたか。
ケムダーは足音も立てずに先を歩く。カメリアのような角もツァーカブのような獣耳も見当たらないが、耳が尖っているあたり彼も悪魔なのだろう。
悪魔というのは、やはり人智を超えた存在なのだろうか。
「こちらでバチカル様がお待ちです。失礼のないように」
大きな扉を開けたケムダーは、部屋に入った私達の後ろからついてくる。
「バチカル様、客人をお連れいたしました」
重苦しい空気が体にまとわりつく。
いくつもの燭台が並ぶ奥、赤い椅子に腰掛けるのはグラデーションがかかった紫の長髪をもつ男だ。
黒い角と紫色のコウモリのような翼をもち、切れ長の赤い目がこちらを静かに見下ろしている。
その姿を見た瞬間、悟った。
この男に……逆らってはいけない。
「貴様らがこの城に来ることは知っていた。この場での自由な発言を許そう。……何の用でここまで来た?」
低い声が室内に響き渡る。その声で意識が引き戻された。
「死の丘にいるという神官に会うため、立ち入りの許可をいただきたいのです」
重苦しい空気は依然として室内を満たしている。声は震えていなかっただろうか。
バチカルは値踏みするような視線を投げかけてくる。まるで自分がちっぽけな虫であるかのように感じた。
「死の丘か……神官に会う目的は?」
「神官が持つ特別な魔力を分けていただくためです。私は呪いにかけられており、その呪いを解くために必要なのです」
「ふむ……」
足を組んだバチカルはケムダーへと視線を向けた。頷いたケムダーは入り口の扉を開ける。
「死の丘は世界にとって重要な地。今この場で決めるわけにはいかぬ」
バチカルは扉の向こうへ目を向ける。
やはりすぐに許可を得ることはできないか。
カメリアの名を出しておくべきだっただろうか? しかし、今から言い出すにはタイミングが悪い。
「今晩はこの城に泊まるといい……エーイーリー」
「はっ」
いつの間にそこにいたのか、オレンジ髪の大男が部屋に入ってきた。
黒地に金の差し色が入った、カッチリとした服を着ている。頭に生えた角は黒く大きい。
「我はケムダーと話がある。その間、人間をもてなしてやれ」
「仰せのままに」
「傷つけてやるなよ。人間は酷く脆い」
彼もまたバチカルの部下なのだろうか。
振り返ったエーイーリーは赤い目で見下ろした。吊り上がった眉のせいか、機嫌が悪そうに見えるのは気のせいだろうか。
「ついてこい、人間。部屋に案内しよう」
素直に従うべきだろう。エーイーリーの後ろについて部屋を出る。キッチリと洗練された歩き方だ。武人なのだろうか。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
人間達が出ていった扉を閉める。
バチカル様の元へ寄れば、彼は深いため息をついた。
「三人の人間だと聞いていたが……アレは何だ? 獣人でもなければ悪魔でもない」
「混血なのでしょう。少し前までは我々悪魔も人間と子を成すことがありましたから」
「そうか……まあ良い。重要なのはそこではない」
そう、重要なのはあの人間達ではない。
死の丘について……そして、神官についてだ。
「人間達は嘘をついていなかった。単に神官を尋ねにきたのであって、他意はないのだろう」
「そして人間に死の丘が我々にとって重要な地であることを教えた者がいるのでしょう。いくら悪魔の血を引いているからといって、そこまで詳しいとは思えませんので」
「……ツァーカブかアィアツブスあたりだろうな」
「恐らくは」
ツァーカブは滅多に姿を現さないが、なにかと世話を焼く一面がある。アィアツブスは気分屋なところがある。どちらも人間にこの地のことを教える可能性は高い。
「して……どうだ?」
頬杖をついたバチカル様は、目を細めてこちらを見下ろした。
聞きたいことは分かっている。未来視の結果を知りたいのだろう。
「私の見立てによれば、許可なさった方がよろしいかと」
「その理由は」
「あの人間達と会った神官は過ちを犯す。そう出ております」
「……そうか」
バチカル様は愉快そうにククッと笑いを漏らした。
こちらとしても悪い話ではない。これを機にバチカル様の地位をより盤石なものにしていただかなければ。
「人間達は無事に死の丘まで迎えると思うか」
「彼らだけでは難しいかと」
「だろうな……」
「しかし、心配はいりませんよ」
それから少しの時を経て、無事に話し合いは終わった。謁見の間を出て日常業務に戻る。
あの人間達には精々頑張ってもらわなければ。
此度のことが上手くいけば、この立場もまた揺るがし難いものになるだろう。バチカル様に重用されるというのは、それだけの意味がある。
そしてゆくゆくは……いや、まだだ。この野心を悟らせてはいけない。
ふと、見慣れた顔が歩いてくるのを見つけた。足取り軽く彼の近くに寄れば、軽く手を上げて迎え入れられる。
「戻ってきていたんですね、義兄さん」
「ああ。私がいない間、仕事は順調だったか? ケムダー」
「勿論。僕を誰だと思ってるんです? 貴方の義弟ですよ」
義兄は笑みを深める。彼から伝えられていた通りの帰還時刻だ。彼がいれば計画もより盤石なものになる。
さあ、今日も仕事だ。まだやる事は多く残っている。
全ては僕の未来のために。




