第75話 灼熱
へイェが生み出したぐにゃりと歪んだ空間……ワープゲートと呼ぶことにしよう。
とにかく、ワープゲートを潜った私達は黒いゴツゴツとした岩の上に放り出されてしまった。
ジリジリと焼け付くような暑さを感じる。辺りを見渡してみると、どろりとした赤い液体が川のように流れている。溶岩か。
全体的に薄暗く、見上げた空も一切の光がない。時間は昼の筈だが、まさかオーバルとアンディスでは時の流れが違うのだろうか……?
日の光どころか星の光さえ見えないが、流れる溶岩が照明代わりになっているようだ。高低差が激しくて崖を上り下りするにはかなりの労力を必要とするだろう。
辺りを一通り見回したところで、ヴィルトが口元を覆うマフラーを緩めた。
「……少し暑い」
「それを着てても感じるレベルなんだね。それに、闇の魔力が濃いよ」
ふー、と深く息を吐いたセキヤが口を押さえる。
私にとって魔力濃度の方は平気だが、セキヤには厳しい環境のようだ。ヴィルトも長時間いると影響があるかもしれない。あまり長居させるわけにはいかないだろう。
「……ここからどうしましょう?」
目立つものといえば……ここよりも高い層に黒い大樹が生えているが、あそこまで行くのは苦労しそうだ。
私が樹を見ていることに気づいたヴィルトが首を傾げて大樹を指差す。
「あの樹を目指す?」
「あれだけの高さを登るのはかなりキツいと思うけど……」
「……そうですね。ですが、他に目印になりそうな所はありませんし」
多少無理をしてでもあの樹を目指すべきだろうか。私には翼があることだし、慣れさえすれば二人同時は無理でも一人ずつ運ぶことができるかもしれない。
「おや? どうしてキミ達が……」
近くから聞き覚えのある声が聞こえ、バッと振り返る。
赤紫色の裂け目が広がった空間の前に、赤毛の女が立っていた。
「カメリア? どうしてここに」
「それはこちらのセリフさ。悪魔の本拠地にどうしてキミ達人間がいるんだい?」
彼女が腕を振ると空間の裂け目が閉じていく。
「旅の目的地だからですよ。私達は各地の神官を尋ねているんです」
「ほう、なるほど。それでここに来たわけか……いやはや、生きた人間が目的を持ってこの地に自ら踏み入るだなんていつぶりだろう」
「それで、貴方は?」
悪魔の本拠地と言っていたが、ここに彼女の家でもあるのだろうか?
カメリアはしゃがみ込むと、バキリと黒い何かを折った。
「これを取りにね」
それは植物のような形をした石だ。いや、まさか植物なのか? どう見ても石にしか見えないが。
よく見てみれば、ところどころに同じような石植物が生えている。
「なるほど、素材集めのために」
「そういうこと。死の丘周りは恰好の収集ポイントってワケだね。数日は滞在するつもりさ」
「死の丘……?」
「あそこに黒い樹が見えるだろう? あの高台をそう呼んでいる」
カメリアが指差す先には、行こうかどうか悩んでいた樹がある。
「俺達、あの樹の所に行こうかって話をしていたんだ」
「死の丘に? ……キミ、その翼は使えるのかい?」
「ええ、多少は。慣れれば一人ずつであれば運べそうなので、これで行こうかと」
「なるほど、それなら辿り着けるだろうねえ。神官を探しているのなら尚の事近道になるだろうが……やめておいた方がいい」
首を振るカメリアに、内心首を傾げる。
その言い方、まるでそこに神官がいるみたいだ。なら、なぜ止めるのだろうか。
「なぜって顔をしているね。確かに死の丘には神官がいるが……キミ達はまずバチカル様を訪ねた方がいい」
「バチカル様?」
「この地を統べる者さ。悪魔のトップと言っていい」
つまり権力者に挨拶にいけと。
少し面倒だが……それが顔に出ていたのだろうか。カメリアは肩をすくめて笑った。
「面倒だと思おうが行っておいた方がいい。この私が言っているんだ、素直に受け入れるべきだと思わないか? 後から裁かれても私は助けてやらないぞ?」
「裁かれる? どういうこと?」
「死の丘は特に重要な場所でね。バチカル様の許可なく立ち入ることは禁じられている」
「……なるほど。まずは許可を得るところからですか」
遠回りになるが、無事に旅を終えるためだ。仕方がない。
しかし、悪魔の長だなんて……易々と許可を貰えるものだろうか。
「どこに行けば会える?」
「お、私があげた発声具を使いこなしているようじゃないか。実に結構。バチカル様の城は……あの崖の向こうだ」
カメリアが指差した先には、広い溶岩の海が広がっていた。その向こうに高い崖があり、視界を塞いでいる。
……一歩間違えれば溶岩に落ちる。そんな状況で、使い慣れていない翼を使う気にはなれない。
「歩いていける道は……」
「さあ? 私は滅多に城に行かないからなあ。行くにしてもゲートで行く。ここまで教えたのだから道は自分で探すことだ、人間」
「……そうですか」
カメリアは既に石植物の採取に取り掛かっている。これ以上食い下がっても成果は得られないだろう。それどころか機嫌を損ねてしまいそうだ。
「ありがとうございました」
「ああ、聞き分けのいい人間は嫌いじゃない。頑張るといい、旅の成功を祈ってあげよう」
カメリアは採取の手を止めないまま続けた。
これ以上ここに居続ける必要はないだろう。遠回りになるが、ぐるりと迂回してどうにか地続きの道を歩くことにしよう。
「あのあたりが比較的緩やかな坂になっています。あそこから登って迂回しましょう」
「分かった」
進もうとした時、背後から声が投げかけられる。
「もし難儀しそうだったら、アィアツブスの知人だと言えばいい。話くらいは聞いてくれることだろう」
「……それが貴方の本名ですか」
「さあ早く行くといい。キミの友人が疲弊してしまうぞ?」
「ええ、そうさせていただきます」
ゴツゴツとした地面の上を進む。所々に生えている石植物を避けながら。
「ヴィルト、うっかり足を引っ掛けないようにしてくださいね」
「あ、ああ。気をつける……」
左手側には高い岩壁、右手側には溶岩の海。道幅はそれなりにあるが、足を踏み外そうものなら大変だ。
できるだけ壁側を歩いて進む。比較的なだらかとはいえ、比較対象は崖と呼ぶに相応しい急斜面。
これまでの旅で体力はついてきただろうが、それでもヴィルトは進むにつれて少し息を荒げ始めた。
「ヴィルト、大丈夫ですか?」
「大丈夫……」
明らかに声色が疲弊している。
それにしても……この声はあくまでもカメリアが作った魔道具が発している声なわけだが、ここまで使用者の状態を反映させるなんてどこまで凝っているのか。
あまりに自然すぎて魔道具であることを忘れてしまいそうだ。
「折り返しまで来ました。……どうします? 少し休憩しますか?」
「大丈夫だ」
首を横に振ったヴィルトは、一歩ずつ踏み締めるように歩き続ける。心配だが足取りはしっかりしているから本人が言う通りまだ大丈夫なのだろう。登り切ったら休憩した方がいいかもしれないが。
時折小さなトカゲのような生物が壁に入った亀裂から這い出してくる。こんな灼熱の中でも小動物は生きていけているようだ。
それにしても……岩壁からパラパラと小さな石がこぼれ落ちてくるのが気になる。崩落するなんてことはないだろうな?
そう思ってしまったからだろうか。
「な、なんだ……!?」
ぐらりと地面が揺れ動く。たたらを踏んだ私達は、壁に手をつきしゃがみ込んだ。
数秒続いた揺れは、次第に収まっていく。
「ふー……壁際に寄ってて良かったね」
「怖かった……」
胸に手を置いて深く息を吐いたヴィルトが、不安そうに辺りを見渡す。
そのまま崖上を見つめたヴィルトが、カチコチに固まった。
「……静かに」
先程の揺れと共に、大きな気配が現れたことには気づいていた。
ちらりと崖上を見て……身を低くしたまま少しずつ進む。
私達の頭上、高い崖の上には人の身長を遥かに超える大きな翼を持った黒い鳥のような魔物が降り立っていた。




