第73話 決着
ギリギリと金属同士が擦れ合う音も聞き慣れた。
全体重をかけて全力で押し込んでいるというのに、重なり合った刃は一進一退を続けるばかりで一向に進展しない。
「どっちもやられたか」
ぽつりと呟かれた声で、ようやくあちらの戦況が変わったことに気付いた。こっちは貴方の相手で精一杯だというのに余裕綽々な様が鼻につく。
だが、セキヤ達が勝ったことは嬉しい知らせだ。被害状況が気になるが……ヴィルトがいれば、どうにか立ち直せるだろう。
「余所見をしている場合ですか」
「おっと、悪いな。そう嫉妬しないでくれ」
突然反発する力が消えて前のめりになる。
ぐらりと傾いた体にソランの膝がめりこんだ。
「ぐっ……」
ごぽりと胃の中身がせぐり上げる。
腹を押さえ咳き込む私を見て、ソランは舌なめずりをして恍惚の表情を浮かべた。
「ああ……苦痛に歪む顔も綺麗だな、ゼロ」
「っけほ……悪趣味ですね……」
口元を拭い、ナイフを構える。
ここで止まるわけにはいかない。何か……何か手を打たなければ。
ふと、ソランの足元が視界に入る。
……いけるかもしれない。
ダンッと床を蹴り、大振りな動きでナイフを突き出す。
にやけ面のソランは、軽々と私の攻撃を避けた。
「なんだ、随分と雑な動きだな。もう疲れたのか?」
「ハッ……まさか」
振り返ると、ソランは肩に剣をかけて首を傾けた。
「そろそろ終わりにしようか。お前とのダンスは楽しかったが……そろそろ観客が痺れを切らしそうだ。お前以外に殺されるつもりはないからな」
一歩ずつ、ゆっくりと近づく。ソランは体勢を変えることなく悠長に構えていた。
あと十メートル。
「なら、私を殺した後はどうするんです? 私がいないまま生き続けるつもりですか」
「お前の体を持ち帰って愛でるのも悪くないが……それは俺の好みじゃない。だからお前に握らせたナイフでこの首を掻っ切るさ」
あと五メートル。
ソランは横目でセキヤ達を見る。あと数歩のところまで近づいても尚、そうやって余所見をする。大方、私が動いてからでも対応できると思っているのだろう。こうして目を離している間でも、私の息遣いを、そして気配を読み取っているのだ。
その余裕が貴方を殺すとも知らずに。
「勿論、お前のオトモダチも殺した後でな」
「それはそれは、随分と自信満々ですね」
「そういうお前も余裕ぶってるが……オトモダチに手伝ってもらうための時間稼ぎでもしようとしているのか?」
あと一メートル。立ち止まる。
深く息を吸って、吐き出す。
「だとしたら? 随分と余裕たっぷりですが、三体一で勝てるとお思いで?」
「勝てる、と言ったら?」
勝ち誇った笑みを浮かべる彼と見つめ合う。
数秒の無言の後、小さく笑った。ソランは怪訝そうにこちらを見ている。
「……生憎ですが、それはできませんよ」
「へえ、それはどういう……?」
ソランが目を見開く。ゆらゆらと泳ぐ目を見て、私の中の何かが満たされていくのを感じた。
あと一メートルも隙間がない、私達の足元。
日の光を受けてくっきりと浮かび上がった影……その頭を、私の足がしっかりと踏み抜いていた。
「部屋の中で遊んだこともありましたよね」
「体が、動かな……っ」
「『影踏み』は楽しかったですよ。懐かしさを覚える程度には」
ゆっくりと、二歩進む。
片足ずつ、魔力を陰に縫い付けながら。
決して解かぬように。逃さぬように。
一針ずつ丁寧に、魔力の糸で縫い留める。
「は、はは……これが狙いだったのか」
「私がこれで疲弊すると思いました? 貴方の体力が有り余っている、それが答えでしょう。これでも貴方の弟なんですよ……不本意ながらね」
首筋に刃を当てる。こくりと唾を飲み込む動作が、はっきりと見えた。
「ああ……良い目だ」
この状況になっても尚、彼は笑みを絶やさなかった。
貼り付けたものではない、心からの笑顔でもって、私の刃を受け入れようとしている。
「ゼロ。お兄ちゃんはお前を愛しているよ」
返事は口にしなかった。
口を引き結んで、刃を引く。傷口から血潮を噴き出しながらも、その目はまっすぐに私を見つめていた。
笑顔のまま、愛おしそうに柔く細めて。
影に縫い付けていた魔力を解く。
ぐらりと傾いた体は、どさりと崩れ落ちた。
随分と呆気ない最期だ。これだけ私の人生に影を落としておきながら、朗らかな笑顔で逝ったこの男。
私の唯一の肉親だった男。
最期まで、私を愛していると宣った男。
これで私の人生に一区切りがついた。離れていて尚、私を縛っていた兄との決着がついたのだ。
だというのに……なぜだろう。
なぜ、こんなにも空虚なのだろう。
人を殺めた、その高揚感は確かに感じているのに。
ついに終わったと、笑うくらいでいいだろうに。
ぽっかりと胸に空いたこの穴は、どうして――
パチ、パチ、パチ。
ゆったりとした拍手の音に、目を向ける。
へイェがゆったりとした動きで、こちらへ歩いてきていた。
「実に素晴らしいショーでしたよ、人間達。約束通り私の魔力を分け与えましょう。さあ、ペンダントを出しなさい」
へイェが動き出すと同時に、天上人達が飛び立つ。
何をしようというのか、その動きを目で追おうとした時……隣に立ったセキヤが、腕を上げた。
「その前に魂の回収を止めさせてほしい」
「……なぜ?」
へイェはキョトンとして首を傾げる。
セキヤは腕を横に振り、ソランの死体を指差した。
「彼らは……いわば俺達が狩った獲物。それを横取りしようというのは、如何なものかと思うのだけど?」
へイェは暫し黙り込む。
そして、静かに片手を上げた。
「一理ある」
辺りを飛び回っていた天上人達が一斉に元いた場所へと降り立つ。
セキヤがほっと息を吐いたのが、やたらと印象的だった。
「では改めて……ペンダントを出しなさい」
「……ええ。分かりました」
服の下からペンダントを取り出すと、へイェは胸元の黄色い魔宝石に触れた。細く青い指先が表面を撫でると、ぶわりと光の魔力が湧き出す。
黄色い光の粒子が私達に降り注ぐ。それらはやがてペンダントへと吸い込まれ、暗い色だった黄色い石が鮮やかに染まった。
残るは紫の石……闇の魔力だけだ。
「ありがとうございます」
「礼はいりません。私はただ有言実行しただけに過ぎない」
へイェは背を向け、翼を広げた。肩越しに振り返った彼が私を見る。
「アンディスへの道は明日開くことにしましょう。今日は休みなさい、人間。その体が遥かに脆いことは私も知っていますので」
「……そうですね。そうさせていただきます」
へイェが飛び立つと、残りの天上人達も飛び上がった。
バサバサといくつも重なった羽ばたきの音を響かせながら、天上人達は各々の籠へと戻っていった。
その様子を眺めていたが、ふと二人のことが気になって視線を下ろす。
「セキヤ、ヴィルト。怪我は大丈夫ですか」
「ゼロこそ。ヴィルトに治療してもらった方がいいんじゃない?」
「治す?」
放っておいても治りはするだろうが……明日はアンディスへ向かうことになる。
治療しておいてもらった方がいいだろう。
「ええ、お願いします」
「分かった」
ヴィルトが手をかざすと、青い光が広がる。
私が治療を受けている間に、セキヤはクリシスの目を閉じさせてやっていた。
ソランの目も閉じさせてやるのかと思ったが、放置したままこちらへと歩いてくる。
「……」
「治療、終わった」
「……ええ。ありがとうございます」
「それじゃあ戻ろうか、ゼロ。……ゼロ?」
ソランの死体に近づき、片膝をつく。
そっと手を伸ばし……開いたままの目を、閉じさせた。
今までのことを許したわけではない。その愛とやらを受け入れてやるわけでもない。
それでも……遠いあの日、私の記憶さえも定かでないあの日に、摘まれようとしていた私の命を掬い上げてくれたことには感謝している。
おかげで私はこうして、彼らと出会うことができたのだから。
そして……貴方のその執着を、愛と認めてやってもいい。
私は数秒目を閉じて、立ち上がる。
「さあ、戻りましょう」
私は振り返ることなく、大樹の根本へと歩き出す。
セキヤとヴィルトは黙ったまま私の後をついてきていた。




