第72話 走馬灯
ミスキーから少し離れた小さな家で、俺はばあちゃんと暮らしていた。
俺は捨て子だったのだと聞いたのは十三歳の誕生日だった。
魔物に襲われて放棄された、壊れかけの馬車の中で泣いていたところを見つけたらしい。
「おばあちゃんはね、分かるのよ。貴方と同じように、妖精と人の間に生まれた子だからね」
そう言ったばあちゃんの耳は、俺と同じて尖っていた。
妖精は滅多に人前に姿を現さないらしい。
そんな中、人に恋をする妖精がいるのだとばあちゃんは言った。
寝ている間に子供をつくらせ、けれども姿を見せはしない。
生まれた子供は気味悪がられ、捨てられることが多いのだとばあちゃんは言った。
「でもね、捨てる人もいれば拾う人もいるの。それを知ってほしかった」
「なんで俺に教えたの?」
「おばあちゃんはそろそろお迎えがきそうなの。もう指先もあまり動かなくてね」
ベッドに横たわるばあちゃんは、どこもかしこもしわくちゃで。俺よりもずっと大きいはずの体が、小さく見えた。
しわくちゃの手を両手で握る。
「……俺が世話するよ。ほら、料理だって出来るようになったし。薪だって割れるようになったよ」
「そうね……貴方も、もう立派になったものね……」
「そうだよ。だから……ばあちゃん? ねえ、ばあちゃん?」
小さな両手から落ちた、しわくちゃの手。
何度も俺を撫でてくれた手が、ぽとりとベッドに落ちた。
俺はその家で暮らし続けた。
町に移り住む気はしなかった。俺を捨てた母親は妖精の怒りを受けて、もう死んでる可能性が高いと聞いたから。
もし生きていたとしても、会ってどうしたいと思うこともない。
ばあちゃんが残したこの家でのんびりと暮らせたらいい。そう思っていた。
変わり映えのない生活を送り続けて、暫く経って……俺に同居人が増えた。
しかけた罠を見に夏の森に入った時、転倒した馬車の中で泣いているところを見つけたのが始まりだった。
俺よりも小さな見た目の子供。一人では生きていけそうにない子供。
雑多な荷物と一緒に縄で縛られていた理由がわからないわけではなかった。
『捨てる人もいれば拾う人もいるの』
きっとこの子供は売られたんだろう。運ばれる道中で魔物に襲われて、捨てられたのだろう。
昔の俺と同じように。
だから俺は拾って育てた。
名前も持たない子供に、一晩中悩んで名前をつけて。
「アウロラ」
「なあに、お兄ちゃん」
俺よりも小さかった体は、あっという間に俺を追い越した。
妖精との間に生まれた子は、体の成長が遅くなる。俺に似た緑の髪なのに耳が丸いアウロラは、正真正銘純粋な人間だった。
そして、純粋に育った。
俺が教えたことを素直に聞き、どんどん吸収していく。
体が小さい俺の分まで頑張るんだなんて生意気なことを言って。
ある日、アウロラが見知らぬ男と話しているところを見た。
アウロラに聞くと、どうやら流れの商人らしい。
買いたいものがあるからと小遣いをねだられるようになって。
手伝いを頑張っていたから、数枚の銅貨を渡すことにした。
けれども、これじゃ足りないからと頬を膨らます。珍しくワガママを言うものだ。
それからアウロラはより手伝いを頑張るようになった。
仕方がないからと小遣いを増やすと、嬉しそうに笑う。
何をそんなに買いたいのだか。
ある日、森に仕掛けた罠を見にいった、その帰り。
家の前で話す二人の男を見つけた。片方はどこかで見たような風貌だったが、赤い液体を身体中に浴びたその男達があまりに異質で、俺は隠れて男達が去るのを待っていた。
あの日、風が運んできた言葉を忘れることはないだろう。
『ハズレだったな。尖り耳のガキなんていなかったじゃねえか』
男達が去った後、俺は家に入った。
むせかえる鉄の臭い。いつもはすぐに聞こえてくるはずの「おかえり」が聞こえてこない。
床に横たわった、俺よりも大きくなった体からはとめどなく赤い液体が溢れ出ていて。
「……アウロラ?」
おそるおそる、その肩に触れた。ぐらりと仰向けになった彼女の目は深い闇を湛えていた。
握った手から温度が消えていく。あの日のしわくちゃの手と同じように。
ハズレだったな。
尖り耳のガキなんていなかったじゃねえか。
声が頭の中で繰り返される。
赤く濡れた手で触れた自分の耳は、尖っていて。
「俺のせい……?」
ぽたりと涙がこぼれ落ちる。
何度もぽたぽたと、とめどなく。
アウロラの側には、赤く濡れた紙切れが落ちていた。
そこには、買い物リストと書かれていた。普段は買わない品々が並んでいる。
……アウロラの誕生日にだけ買っていた、パイを作るための材料だ。
どうして、こんなものが。そう考えて、ふと気づく。
そろそろ俺がアウロラを拾った日が近いこと。
そして……家の前にいた見覚えのある風貌の男が、以前アウロラと話していた流れの商人だったこと。
『アンタが言ったんだぞ。ここに半妖のガキがいるって』
あの男が、アウロラのことを売ったんだ。
きっと……俺と間違えて。
そうだ。あの男は見たことがある。
前に町へ買い物をしに行った時。声をかけてきたんだ、あの男は。
『君、魔法が使えたりしない?』
気をつけるように言われていた。
俺みたいな成長した半妖は珍しいから……誰かに都合のいい話を聞かされても、簡単に頷いちゃいけないと。だから俺は話を聞かずに走って逃げた。
でも、それだけじゃ足りなかったんだ。
俺はアウロラの亡骸を丁寧に埋めた。ばあちゃんの墓の隣だ。
きっとばあちゃんなら、アウロラのこともちゃんと見ていてくれるから。
そして俺は包丁を手に取って……耳に当てた。
この耳さえ、尖った耳さえ、丸くしてしまえば。
そうすれば俺はただの子供として扱われるはずだ。
俺は許さない。アウロラを殺した、あの男達を。
あの商人と名乗った男を、許さない。
その為に俺は探し回った。全てはあの男を見つけ出すために。
いくらミスキーの町を探しても、男は見つからなかった。
だから俺は他の町を目指して……その途中で、ソラン達と出会った。
初めはあの商人を探すためだけだった。それがいつしか、奴らとの旅を悪くないと思い始めて。
ああ、そうだ。楽しいと思っていたんだ。認めよう。
いつしか、一心にソランに尽くすサバカのことが放って置けなくなって。
……ああ、そうか。俺は……そうだったのか。
なあ。俺、まだ何も出来てねえんだよ。
商人のことだって見つけられてねえし、この感情だって自覚したばかりなんだ。
いくつも穴が空いた体は、もう終わりしか待っていないのだと突きつける。
それでも俺は、残りの力を振り絞ってサバカの元まで這った。
サバカ。
名を呼ぼうとして、声の代わりに血が溢れ出す。
澱んだ目は、最後までソランの野郎を映していて。
なんでオマエは、最後まであんな奴のことばかり気にかけるんだ。
最後まで報われねえことくらい、オマエでも分かってただろ。
なら……それなら俺でも良かったじゃねえか。
ああ、今更だ。何もかも今更なんだ。
震える手で、サバカの視界を遮る。瞼を閉じさせた手で、褐色の大きな手を握った。
ああ、指先に力が入らねえ。視界がぼやけてきやがった。
結局俺は、こんなバカみてえな感情さえ伝えることができねえまま。
これじゃあ……何のために、ここまで生きてきたっていうんだ。
(マジでバカじゃねえの、俺)
冷えきった雫が、ぽたりと落ちた。




