第69話 天上の日常
あれからアドナとカイの襲来を無事に(主にセキヤが)いなしてからは、ヴィルトの訓練を終えて軽く体を拭くことにした。
アドナとカイが興味深そうに覗いてきたり、二人の声を聞いて通りかかったロハが悲鳴を上げたりとハプニングはあったが、無事に夜を迎えることができた……と言えるだろう。おそらくは。
夜になればツァーバも自分の部屋に帰り、大樹根本の広間はようやく静かになった。ツァーバは静かな方だがやはり気になってしまい居心地が悪いので、帰ってくれるのはありがたい。
その日の夜も、不思議な夢を見た気がする。
赤毛の少女に手を引かれる夢だった。夢の中の私は、子供だとしても高すぎる声をしていた。どうやら夢の中の私は女になっているようだ。
やがて成長した私は、赤毛の少女に殺されるのだが……こんな夢を見るなんて、昨日のアロマが残っていたのだろうか。誰かの記憶とやらを感じ取っていたのかもしれない。
「おはよう、ゼロ」
「おはようございます、セキヤ。ヴィルト」
「うん……おはよう」
眠たそうに目元を拭うヴィルトは、椅子にだらんともたれかかっている。そのまま寝てしまいそうだったので、簡単に朝食を済ませてヴィルトはもう少し眠らせておくことにした。
きっと昨日の訓練で疲れているのだろう。
食後のお茶を飲みながらセキヤと談笑していると、ふと外が騒がしくなった。
がやがやと何人かの声が聞こえる。
「何でしょうか」
「さあ……行ってみる?」
気になる。気にはなるが、眠ったままのヴィルトを置いていくわけにもいかない。
「セキヤはヴィルトの側にいてあげてください。私が少し見てきます」
「大丈夫?」
セキヤは心配そうな顔で言う。
一応、この場所の……おそらくトップである神官のへイェが私達を殺さないようにと言った以上、私達の安全はそれなりに確保されていると思っていいだろう。
ギボールのような暴走した者がその場の勢いで、という可能性もなくはないだろうが……彼と二人きりにでもならない限り、それはおそらく心配ないと思う。おそらく。
「大丈夫です、少し様子を見てくるだけですので」
「そう……? 気をつけてね」
こくりと頷いて、外に出る。
眩しい陽の光が差し込んで目を細めた。声は頭上から聞こえる。
見上げてみると……ぐるぐる巻きにされて吊り下げられた、アドナとカイがいた。
「……何やってるんです?」
「おー、人間」
「あのね〜、昨日人間を覗き見たのがロヒムにバレちゃって〜」
「ロハの奴が告げ口したらしいんだよな。俺達はただ人間の体がどうなってるかケンキューしてただけだってのに」
ぶらぶらと揺れながらカイが愚痴をこぼす。
話を聞いてみると、どうやら昨日私達が体を拭いているところを覗き見た二人を見つけたロハが、昨晩の内にロヒムに報告したらしい。
そして今朝、二人を捕まえたロヒムがこうして吊り下げた……と。
昨日のギボールといい、こうして天上人が吊り下げられるのは日常茶飯事なのだろうか。
それにしてもロヒムは優しそうな雰囲気を醸し出しておきながら、怒らせると恐ろしいらしい。
「人間もロヒムは怒らせない方がいいぜ、俺達が言うんだから間違いない」
「そうそう〜」
二人はゆらゆらと揺れながら談笑し始めた。あれは仕置きとして成り立っているのだろうか……? そんな疑問も浮かんだが、私は広間へ戻ることにした。
少し緊張したのが馬鹿らしい。
「おかえり、ゼロ。どうだった?」
「アドナとカイがぶら下がってました」
「……昨日のギボールみたいに?」
「ええ」
「……そっか」
セキヤはなんとも言えない顔で呟いた。
心配したのが少し馬鹿らしいという顔だ。私もそう思う。
それにしても、昨日と一昨日で多くの天上人と知り合ったものだ。
ここで少しまとめておこうと思う。
最初に出会ったのが赤いシャツに白衣を着た天上人、ギボール。
自称医者の解剖好きな困った人だ。
そして次に出会ったのが、灰色の衣を着たヨドと黒いワンピースのロヒム。
二人ともギボールを叱っていたが、より恐ろしいのはロヒムの方だろう。
そして自称慈悲深き王のエル。青い衣と金色の王冠が特徴の天上人だ。
次に黄色い衣のロハ。よく手鏡を取り出しては前髪を整えている。自分の美しさに相当の自信があるのだろう。
正直、私の方が美しいと思うが……きっとこれを言うととんでもないことになると思うので、口は閉じておくことにする。
そして口数が少ないツァーバ。オレンジのワンピースを着ている短髪の天上人だ。彼女から貰ったアロマは人間にとってあまり良くないもののような気がする。
二日目に会ったのが、光の神官でもあるへイェ。白い衣を着た長髪の天上人。結局ショーとはどのようなものなのだろう。そもそも明日来るという客人は一体誰なのか……疑問は残る。
そして、紫の布を腰に巻いた短髪の天上人カイと、緑の布をドレスのように巻いたサイドテールの天上人アドナ。
これで出会ったのは全部で九人だ。枝先の籠は十個。おそらくあと一人いるはずだ。
メレクという名だけ出ていたが、姿も影も見ていない。
まあ、会わないなら会わないで構わない。私達にとって重要なのは、神官が持つ魔力だけだ。それさえ手に入るならそれでいい。
暫くしてヴィルトが目を覚ました。ぐっすり眠ったからか、眠たそうな素振りはない。
「おはようございます、ヴィルト」
「おはよう……俺、どれくらい寝てた……?」
「今は昼前ってところかな。そろそろ昼食にしようと思うんだけど、ヴィルトも食べる?」
「食べる」
昼食の準備と言っても、干し肉とパンだけの簡易的な食事だ。
少し硬くなったパンをもそもそと食べながら、ふと広間内にぶら下がる装飾を見る。
あれらの石ひとつひとつが人の魂だと思うと、少し背中が寒くなるが……一体どうやって人の魂だなんて非物質的なものをこのような物質に変えているのだろう。
そんなことを考えていると、羽ばたきの音が耳に届いた。
見れば、やたらと上機嫌なロハがキラキラと輝く石を抱えて飛び込んできた。
「やあ、人間! 見ておくれよ、この立派な石を!」
髪が少し乱れているのも気に留めず、ロハは両手に抱えた細やかな石を見せた。
確かに彼が立派というだけあって、光を反射する様は美しい。金色の細い糸に繋がれたそれは、この広間に吊るしてあるものと同じで……そう気づいた瞬間、ぞっとした。
「……綺麗ですね」
「そうだろう? 今日、上質な魂を捕まえてね。ここをもっと美しく飾り付けようと思ったのさ。ああ、ちなみに捕まえたのは他でもないボクだよ」
ふふん、と得意気に胸を張ったロハは、早速作業に取り掛かった。
あちこちへ飛び、天井に吊るしたり、壁に波打つように飾りつけたりと忙しい。
広間は一層美しさを増したが、その正体を考えると少し気が重くなる。
……一歩何かを間違えていたら、私達もああして飾りつけられていたのだろうか。それとも、アロマや蜜にされていたのだろうか。
「よし、できた」
広間を見渡して満足そうに頷いたロハは、思い出したように手鏡を取り出して髪を整え始めた。
人間の魂を加工したものを、人間である私達に嬉しそうに見せた彼は一体どのような考えでそうしたのだろう。
それとも、そこまで考えていなかったのだろうか。
「うん、流石はボクだ。今日も美しい。……それじゃあね、人間。ボクの手掛けたこの美しい広間を思う存分堪能してくれたまえ!」
ロハはそう言い残すと、軽やかに飛び立っていった。
重苦しい空気の中、時は過ぎていく。
きらきらとランプの光を受けてきらめく石が、私達を見つめているような気がした。




