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もしも一つ願うなら【本編完結】  作者: 庭村ヤヒロ
天上の庭園 オーバル
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第65話 天上人

 ヴィルトによって治療された傷を、ギボールは興味深そうにまじまじと見つめていた。息がかかりそうなほど顔を近づけてくる彼に、私は動けずにいた。

 下手に動いたらどうなるか分からなかったからだ。


「ふむ、不思議だ。実に不思議だ。人間はイジュツというもので傷を癒すのではなかったか?」


 ギボールの視線がヴィルトに向く。彼が一歩近づくと、ヴィルトが一歩退く。怯えながら咳き込むヴィルトの脚はガクガクと震えていた。


「キミのそれは何だ? キミは人間だろう。キミのそれもイジュツというものか? ぜひカイボウを」

「できない。解剖は駄目だ。だから離れてほしい。お願いしますっ」

「どうしてそう嫌がるんだい? 大丈夫、ちゃんと丁寧にしてあげるとも」


 ヴィルトを狙われるのはまずい。だが、どうすればいい? 間に入っても、また軽くいなされて終わるだけだ。それどころか、また骨を折られるかもしれない。


 ……それでも、あのままにさせておくわけにはいかない。止めに入ろうとした時、また羽ばたきの音が聞こえた。

 重なって聞こえるその音に視線を向けると、二人の天上人が地面に降り立った。

 灰色の衣をまとった短髪の天上人と、長髪を一つに括った黒いワンピースの天上人だ。空色の肌と銀髪、白い翼、長く細い手脚というのは天上人に共通する特徴らしい。ずっと目を閉じているのもそうだ。


「おや、ヨドにロヒム。キミ達も人間に興味が?」

「馬鹿者。お前がまた悪さを働いているようだったから来ただけだ。なあ、ロヒム」

「そうよ。生身の人間が来たことが珍しいのは分かるわ。でも、魂の配分はへイェが決めることでしょう? 勝手なことは許しませんよ、ギボール」


 声から男性と女性らしいことが分かるが、見た目からは髪の長さと服装くらいでしか判別ができない。胸もなければ骨格の違いも見分けがつかないのだ。

 それにしても、あの二人の天上人はまだ話が通じそうだ。本当に通じるかどうかはまだ分からないが。

 ロヒムと呼ばれた黒いワンピースの天上人は、真珠のネックレスを下げている以外に魔宝石らしきものは身につけてない。ヨドの方は黒いケープの留め具に水色の石が使われているが、それだけだ。彼らも神官ではないのだろう。


「魂の配分であって、生身の人間をどうするかを決めるのはへイェじゃないだろう? なら、ワタクシがカイボウしても何ら問題は……」

「その辺にしておけ、ギボール。ロヒムを怒らせるつもりか?」

「……分かった、分かったとも。大人しくしておけばいいんだろう、まったく。ワタクシは部屋に戻らせてもらうよ」


 ギボールはため息をついて翼をはためかせ、飛び立った。そのまま大樹の枝先へ飛んでいった彼は、籠の中へと入っていく。

 やれやれといった風に首を振ったヨドは、苦笑しながらこちらを向いた。


「失礼したね、人間。俺はヨド、こっちはロヒム。俺達の園に何か用かな」

「……光の神官様に会いに来ました」


 口の渇きが酷い。下手なことを口にできない……そんな緊張感。

 ギボールが大人しく帰ったということは、この二人はギボールよりも強いということを示唆しているのかもしれないのだから。


「神官? 聞いたことがあるような……」

「あなた、へイェのことじゃないかしら」

「ああ、たしかそんな役割についていたな」


 へイェ。それが神官の名か。

 どうにか取り次いでもらえれば、まだ希望が見えるかもしれない。

 ……そもそも、今の私達には帰る術がない。ここでどうにか進まなければ他に方法はないのだ。


「それで、へイェに会うためにお前達はわざわざここまで来たのか」

「はい。その通りです」

「ここまで来るのは大変だったでしょう。どうかしら、ここでゆっくり休んでいくのは。へイェには私から伝えておくわ」


 ……おや?

 思っていた以上に話が通じるようだ。この二人に会えたことは幸運だったかもしれない。

 このまま神官に話を通してもらえれば……そして、アンディスへの足掛かりも見つけることができれば、私達の目的は果たされる。


「いいのか? 勝手に決めて」

「いいじゃない、私も初めての人間に興味があるの。ここに来るのはいつも魂ばかりでしょう? それに、へイェには報告しておかなければならないわ」

「それもそうか。よし、なら人間の案内はお前に任せよう。俺がへイェに話してくる」


 飛び立ったヨドにロヒムが手を振る。

 振り返った彼女は、にっこりと微笑んで振り返る。


「さあ、案内するわ。ついてきてちょうだいね」

「はい。お願いします」

「ふふ、礼儀正しい子は好きよ。ここに来る魂達は、どれも話を聞かないのだもの」


 ……先程から魂の話が出てくるが、ここは本当に御伽話通りの天界なのだろうか。

 死者の行き着く先。絵本通りならば、ここで一生の澱みを洗い流された魂は新たな器を得て生まれ変わるということになる。


「さあ、入って。綺麗な所でしょう? 皆で飾り付けをしているの」


 大樹の根本にある穴に入ったロヒムが顔の前でそっと手を合わせる。

 幹に巻きつけているものと同じように、色とりどりの半透明な石をつけた紐があちこちに吊るされている。同じように吊るされたランプの光を受けて、石がキラキラと輝いていた。


「そう、ですね。美しいと思います」

「キラキラしていて、綺麗だ」


 ヴィルトも頷く。唯一セキヤだけは、難しい顔で装飾を見つめていた。


「そうでしょう? やはり綺麗な魂は人間から見ても綺麗なのね」

「……魂?」


 にっこりと笑ったロヒムが、垂れ下がった紐に括り付けられた石を指先でつつく。


「捕まえた魂の内、美しいものを選別して飾りにしているの。他の魂は布にしたり、おやつにしたり、お香にしたり……本当に素晴らしいわ。おかげで毎日が楽しいもの」


 御伽話と、全く違う。

 こくりと生唾を飲みこむ。冷え切った指先がかじかむようだった。


「……ここに来た魂は、新たな器を得て生まれ変わると耳にしました」

「あら? それはここをすり抜けてしまった魂が行き着く先での話よ。ここじゃないわ」


 つまり、この大樹に巻きつけられたものも、外の柱に繋がれているものも。あれら全てに付けられた石は全て、人の魂が囚われたものということか。

 ……もしかしたら、私達も。


「さあ、座ってちょうだい。ヨドが戻ってくるまで下界の話を聞かせてくれるかしら。貴方達とは話ができそうで、少し楽しみなのよ」

「そう……ですか。それで……そうですね、何の話からにしましょう……?」


 促されるがまま椅子に座り、しどろもどろに言葉を紡ぐ。

 機嫌を損ねてはならない。

 たらりと汗が伝う。


「そうね……そうだわ、人間は料理というものをするのでしょう? 草を焼いたりするのよね。どういう味なの? 魂よりも美味しいのかしら」


 ヨドが戻って来るまでの間、私達はロヒムの話し相手を務めた。

 言葉を選んで、決して気を悪くさせないように。

 たった十数分しか経っていないはずが、まるで数時間のように感じた。


「話をしてきたぞ」


 ヨドが戻ってきた時、解放された気分だった。

 ここに来てからというもの緊張ばかりで、口が渇いて仕方がない。心臓の音も耳障りなほどだ。


「あら、お帰りなさい。どうだったの?」

「数日泊まらせるようにと言っていた。殺さないように、とも」

「そうなのね。なら、メレクの部屋を使わせようかしら」

「それはへイェが許さないだろう。そもそも、彼らは飛べるのか?」


 二人の会話から察するに、ひとまず命の危機からは脱せたようだ。ほっと息を吐くと共に体から余分な力が抜ける。

 ヨドからの視線を感じ、姿勢を正す。


「私達は飛ぶことができません」

「そうか。なら、この広間を使うといい。皆に周知しておこう」

「それがいいわね。どうぞ、好きに使って。居心地も良いと思うわ」

「……ありがとうございます」


 礼を言うと、ロヒムがくすくすと笑う。何を考えているのか読めず、気味が悪い。


「そろそろ私達は行くわね。お茶に呼ばれているの」

「くれぐれもここを離れすぎないように」


 それだけ言い残して、二人は飛び去った。

 羽ばたきの音が聞こえなくなってから、机に体を預ける。

 凄まじい疲労感だ。生きた心地がしなかった。

 今までに感じたことのない感覚だらけで、勝手に体が強張ってしまう。


「……ひとまず、無事は確保されたってところかな」


 ぽつりとセキヤが呟く。

 ヴィルトに至ってはほんの少し目が潤んでいた。余程怖かったのだろう。……私でさえ恐怖を感じていたのだから、彼にとってはとてつもない負担だったことだろう。


「今の内にできるだけ休んでおきましょう」

「……ああ」


 こくりと頷いたヴィルトが、リュックから水筒を取り出す。

 コップに注がれたのは、あのハーブティーだ。


「それ、どうしたんです?」

「家を出る時に作っておいた。二人も、飲むといい」


 コップに注がれたハーブティーがテーブルに並ぶ。

 リラックス効果のあるハーブティーはありがたい。まだ温かい液体が喉を通っていく。身体中に染み渡っていくようだ。

 強張っていた体がほぐされていくのを感じていると、また羽ばたきの音が耳に届いた。

 途端にセキヤもヴィルトも表情が固まる。


「話に聞いた通り、生きた人間がいるではないか!」


 金色の冠を被った青い衣の天上人が、私達を閉じた瞳で見つめていた。

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