第57話 風
エクメドは妻子を抱きしめて、静かに泣き続けていた。死者との再会ともなれば落ち着くまで時間がかかることだろう。
これで彼については一件落着……といったところだろうか。
しかし、その代償を無視することはできない。
「ヴィルト、大丈夫?」
床に崩れ落ちたヴィルトは、セキヤに背を撫でられながら咳き込んでいる。
床に片手をつき、胸元を掴んで、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返すヴィルトの額には汗が滲んでいた。
眉をひそめ、マフラーを引き下げた彼が一際大きく咳き込んだ時。口を押さえた手から赤い液体が垂れる。
「ヴィルト!」
口元を赤く汚した彼は、ぐったりと頭を垂れた。肩が深く上下している。
どうやらかなり重体のようだ。そのままにはしておけないだろう。
「……セキヤ、彼を外に連れ出してください」
「分かった」
神妙な面持ちで頷いたセキヤは、ヴィルトに肩を貸し、部屋を出て行った。
外に出て、植物にでも負担を肩代わりさせれば……ひとまずは落ち着くだろう。
出口からエクメド達の方へと視線をやると、彼は泣き腫らした目でこちらを見つめていた。妻子の方は驚いた様子でヴィルトが出ていった扉を見つめている。
「彼は……その、持病でも持っているのか?」
「今しがた奇跡を目の当たりにしたでしょう?」
「……そうか、そういうことか……奇跡に代償は付きものだ。そうだな」
立ち上がったエクメドは、胸元に手を当てると深く頭を下げた。
「この度は誠に申し訳ないことをした。私の妻と娘を救ってくれたこと、心より感謝する」
「その言葉、彼に代わって受け取っておきますよ」
理性的になったエクメドは、ちゃんと話が通じる男のようだ。
ヴィルトの力に頼りきった作戦にはなってしまったが、どうにか成功といえるだろう。
「お姉ちゃん、だれ?」
状況が読めていないのか、きょとんとしていた娘が声をかけてきた。
まだ十歳にも満たないような、母親によく似た子供だ。ぱちぱちと目を瞬かせ、私をじっと見つめていた。
……お姉ちゃんか。まあ、わざわざここで訂正する必要もないだろう。
「リサ、ママと一緒にあっちに行っていようね」
「んー? うん、分かった!」
母親の方もまだ状況が飲み込めていないようだが、娘を連れて部屋を出て行った。こちらとしてもありがたい。
妻子を見送ったエクメドは、まっすぐに私の目を見つめた。
「……君の目的は私の魔力だったね」
「ええ、そうです」
「これだけのことをしてもらったんだ。快く渡したいところだが……君が叶えたい願いについて、教えてもらえるだろうか」
既にこの耳も見られているんだ、特に隠す必要もない。
私は素直に、自分が呪われていること……その呪いを解くために各地の神官の元を回っていることを伝えた。
「なるほど……分かった、その理由ならば拒絶することもない。私が持つ魔力を与えよう」
「お願いします」
服の内側からペンダントを取り出す。
目を閉じたエクメドは、そっとクラヴァットの魔宝石に触れた。
ぶわりと風が吹き、緑色の光が粒子となって湧き出す。私を包んだ光はペンダントへと吸い込まれ、暗い緑色だった石が鮮やかな色へと変わった。これで四つ目、残る魔力は黄と紫……光と闇の二種類だ。
一時はどうなることかと思ったが、無事に……と言うにはヴィルトのことが気がかりだが、魔力を得ることには成功した。
後は他の神官について情報が得られればいいのだが。
「……」
エクメドは黙り込んでいる。
そういえば、結局流行病の原因は彼にあったのだろうか?
どうしても解明しなくてはならないということはないが……被害を受けた身としても気になる。もっとも、被害を受けたのはセキヤとヴィルトだけなのだが。
「町に蔓延している病。ルクスは毒だと言っていましたが……あれは貴方が?」
びくりと体を強張らせたエクメドは、はらりと涙を溢した。それが答えだった。
「……すまない。すまないが、この事は」
「まあ、貴方にも何やらあったようですが……私としてはそれは興味ないので、いいですよ。この事も黙っておきます」
大っぴらにしたところで私達に何のメリットがあるわけでもなし、それどころか暴動なんて起きて神官としての仕事に影響が出れば、巡り巡って困るのは私達だ。
わざわざ他言する必要性がない。
「……私の一時的な衝動で亡くなった人が大勢いる。代償のことは理解しているが……」
「今回は特例です。そう簡単に使わせませんし、そもそも貴方の妻子のように遺体の原型が残っていなければ効きもしません。もうとっくに埋葬されているのでしょう?」
「そう、か」
エクメドは目を泳がせ、俯いた。
「私は……神官としての務めを果たさなければならない。その為には、この罪を告白することさえできない。それでも……それでも、償う方法を模索してみるよ……」
「ええ、そうすればいいと思いますよ。……それで、もう一つ聞きたいのですが」
「……何だろうか。私に分かることであれば答えよう」
「光と闇の神官について、何か知りませんか?」
エクメドは口元に手を当てると、目を伏せた。
これは当たりだろうか。それとも外れだろうか。
「……君達には多大な迷惑をかけた。返せないほどの恩もある。私に言えることは、大神官を訪ねるといい……ということくらいだ」
「大神官、ですか」
火の神官レイザからも、その存在は聞いている。結局それが誰かは教えてもらっていなかったが……彼から聞けるだろうか。
「君にそのペンダントを授けた者だ。彼の地についての説明も受けたのだろう?」
「……彼が?」
パノプティスの図書館に勤める、司書アシック。彼が大神官だというのだろうか。
いや、改めて考えれば妥当だ。ただの司書がこのようなペンダントを持っていること自体、おかしな話だったのだから。
となれば、ここからパノプティスまで戻ることになる。
「私に言えるのはそれくらいだが……役に立てただろうか」
「ええ、訪ねてみることにしますよ。ありがとうございました」
「礼を言うべきは私の方だ。本当に……本当に、感謝してもしきれない……」
この言葉を受け取るべきは私ではなくヴィルトなのだろうが……後で伝えてやることにしよう。
さて、これで私がやるべきことは終わった。ヴィルト達を迎えに行かなければ。
「では、私はこれで……」
「ああ。またこの町を訪ねることがあれば歓迎しよう。君達の旅が実りあるものになることを……祈っているよ」
フードを被り直し、エクメドの視線を背に受けながら部屋を出る。
これで次の目的地は決まった。今日はルクスの元に泊まって、明日出発することにしよう。
……ヴィルトは大丈夫だろうか。
外に出た後、門の側に立つ二人を見つけた。
駆け寄ると二人はこちらを見て小さく手を振る。どうやらヴィルトの体調は回復したらしい。
「ヴィルト、大丈夫ですか?」
「ああ、もう大丈夫だ。心配をかけてすまない」
「いえ……謝るのは私の方です。貴方頼りの方法になってしまった」
「それはいいんだ。役に立てて、嬉しく思う」
ヴィルトはゆっくりと首を振る。
頼りきっていて言える立場ではないが、もう少し自分を大事にしてほしいとも思う。
「ありがとうございます、ヴィルト。貴方のおかげで魔力を得られました。彼も礼を言っていましたよ。感謝してもしきれない、と」
彼はホッとした様子で息を吐いた。
「そうか……よかった」
「ありがとうございました。今日は診療所に戻って休みましょう」
こくりと頷いたヴィルトとセキヤを連れて丘を降りる。
おそらくこの町にはもう流行病が蔓延することはないだろう。
今後、もしかすると……また芸術の町として名を馳せるようになるかもしれない。
ふと足を止め、屋敷を振り返る。
壁に絡みついたツタが、心なしか青々として見える。
穏やかな風が髪を揺らした。




