第54話 エクメド邸
翌日、目を覚ました私達はルクスお手製の朝食もご馳走になった。
流石に貰いすぎでは……とも思わなくはなかったが、ルクスが楽しそうに料理していたのでありがたく頂くことにしたのだ。
ちなみにメニューはスライスしたパンに魚とクリームチーズを乗せ、ピリッとしたマスタードソースをかけたものだった。
これも実に美味だった。セキヤはいつの間にかレシピを教えてもらっていたらしく、帰ったら作るのだと息巻いている。
朝食を終えると、ルクスは定期検診のために診療所を出て行った。無事にルクスがエクメドに話を通してくれることを願うばかりだ。
何がなんでも魔力をもらうつもりではあるが、楽であることに越したことはないのだから。
さて、ルクスが戻ってくるまでは暇なわけだが。
私は昨日に引き続き、彼の蔵書を読ませてもらっている。やはりというべきか、彼の本棚のラインナップは医療に関するものが多い。その中に、いくつか子供向けの物語が混じっているのが印象的だった。
存在感を発するそれらが気になって聞いてみれば、時折優しい物語を読みたくなることがあるのだという。
……きっと薬師も大変なのだろう。
一方、ヴィルトとセキヤはハーブティーを飲みながら雑談している。
彼らもあのハーブティーが気に入ったらしい。
「ミスキーは元々芸術の町として知られてたんだよ」
「そうなのか? 芸術……絵画とか、か?」
「それもあるけど、彫刻や音楽……ああ、あとは劇も有名だったね。大きな劇場があるそうだ」
「少し、見てみたい」
ヴィルトのそわついた声が聞こえ、脚を組み替えて口を挟む。
「この状況ではとても見られそうにないですがね」
「まあ、俺が聞いたのも昔の話だからね。今は……うん、難しそうかな」
「そうか……」
ヴィルトは残念そうに眉を下げ、ハーブティーを飲み干した。……この旅を終えて、いつかこの町に活気が戻ったら劇を観に来るのも悪くないかもしれないな。
ミスキーについて、ある年を境にパタリと話を聞かなくなったのは、この人為的な流行病が原因なのだろうか。
読書に戻ってしばらくすると、階段を登ってくる気配がした。ルクスが帰ってきたのだろう。
「ただいま」
「おかえりなさい。どうでしたか?」
部屋に入ってきたルクスは、肩をすくめた。
どうやら芳しくなかったらしい。
「少し難しいかな。君達が訪ねるということは伝えたけれど、上手く話が進むかは……正直なところ、分からない」
「そうですか……仕方ありませんね。私達が直接話してきますよ」
読んでいた本を棚に戻して立ち上がる。
ルクスは難しい顔でじっと私を見つめていた。
「……何か?」
「ああ、いや……今の彼に会わせていいものかと思ってな。とはいえ、いつになれば落ち着くかはその時でまちまちだから……どうしたものかと」
「流石に何日もは待てませんよ」
「君達の事情を考えればそうだろう。しかし……」
口元に手を当てたルクスは、目を伏せて黙り込んだ。そんなに言い淀むほどエクメドの容体は悪いのだろうか?
だが、だとしても私達が留まる理由にはならない。なんとしても魔力を受け取り、次の神官を探さなければならないのだから。
「すみませんが、私達は行かせてもらいますよ」
「……ああ。くれぐれも刺激しないよう気をつけてくれ」
荷物もまとめて持っていくことにした。ルクスのことはそれなりに信頼しているが、どうも落ち着かないのだ。
リュックはいつも通りヴィルトが背負っている。
診療所を出るとき、ルクスは複雑そうな表情をしていながらも見送ってくれた。
「気をつけて」
「ええ。すぐに話をつけて戻ってきますよ」
「またね、ルクス」
ヴィルトが軽く会釈して、ルクスとは一旦の別れとなった。
南へと丘を目指して歩く。そう遠くはなく、三十分も歩けば着きそうだった。
布で口元を隠して、会話もせず、浅い呼吸でただひたすらに道を歩く。
道中はやはり人の気配が薄く、外に出ている人は誰もいない。
古代都市アーティカに対して初め抱いたような不気味さと比べれば、かろうじて人の気配を感じられるだけマシだが、これはこれで少し気味が悪かった。
「ここがエクメド・ルヴァンジュの邸宅ですね……」
三十分ほど歩いた私達は、丘の上にあるエクメド邸の前に立っていた。
振り返れば町の姿が一望できる。こうして見ると道が枠目のように通った、綺麗に区分けされた町だと感じる。やはり守護者と呼ばれるだけあってか、町にあるどの家々よりもこの屋敷は立派だ。
だが壁にはツタが絡みついていて、どこか退廃的な印象を受ける。守護者の屋敷だというのに、手入れはされていないのだろうか? それともこれはこういった趣向なのだろうか。
扉の前に立ち、チャイムを鳴らす。暫く待っても何の反応も返ってこない。もう一度鳴らしてみても同じだ。
一度セキヤ達と顔を見合わせ、扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。
ギィ、と音を立てて扉が開く。中は少し埃っぽい。暫く掃除されていないようだ。やはり外のツタも、ただ手入れされていないだけなのだろう。
「……お邪魔しまーす」
セキヤが少し控え目な声で言う。
一度咳払いした後、深く息を吸いこんだ。
「お邪魔しまーす! ルクスから話があったと思うんですけど、エクメド様はいらっしゃいますかー!」
やはり返事はない。
困ったように眉を下げたセキヤが振り返った。
「……どうする? 返事ないけど」
「留守……でしょうか? でも鍵はかかっていませんし、ルクスがあんな顔をするほど容体が悪いんですよね。外出できるとは思えませんが」
「……入るのか?」
もしかしたらエクメドは寝込んでいるのかもしれない。
だが、ここまで来て引き下がるわけにもいかないだろう。一応、ルクスから訪問する旨も伝えてあるわけで。
「入らせてもらおっか」
同じ考えなのか、セキヤが一歩踏み込んだ。後に続いて中に入る。
バタンと音を立てて扉が閉まった。少し埃が舞う。
「とりあえず探そうか。できるだけ物には触れないようにしてさ」
「ええ、そうしましょう。どこにいるのでしょうね……」
屋敷の中には、いくつかの調度品が埃を被って眠っている。芸術の町と言われるだけあって、細やかな装飾が施されていた。
手入れがされていれば荘厳な雰囲気を出していたのかもしれないが、今となっては廃屋敷と言われても納得できそうな見た目だ。
道中の部屋を確認しながら廊下を進んでいく。
いくつ目かも分からない扉を開けると、白いカーテンと豪奢なベッドが視界に飛び込んだ。
「ここは……寝室でしょうか?」
「でも誰もいないね」
どうやらハズレだったらしい。
扉を閉じ、引き続き廊下をさまよっていると、やがて一際大きな扉が見えた。
近づくと、向こうに人の気配を感じる。
「……いますね」
「この先?」
頷くと、セキヤは扉を見つめた。
じっとしていてもどうにもならない。躊躇なく扉に手をかけ、開ける。
セキヤは少しギョッとしてこちらを見たが、サッと前を向いた。
とても広い部屋だ。
深い紅のカーペットが敷かれた中に、二つの白い長方形の箱が置かれている。
人一人が入れそうな箱だ。棺……だろうか。
その間に、高貴そうな格好をした緑髪の男が背を向けて膝をついていた。
ゆっくりと振り向いた男の、肩につくくらいのウェーブした髪が揺れる。生気を感じられない青白い肌の男の目は、どこまでも深く暗い緑色をしていた。




