第50話 アフターグロウ診療所
ミスキーはクレイストから南西へ二週間ほど進んだところにある。直接訪れたことはないが、芸術の町として名を聞いたことがある場所だ。
芸術という、一種の娯楽とも呼べるそれに力を入れられるということはそれだけ町に余裕があることの表れでもある。
きっと賑やかな町なのだろう。そう思いながらミスキーに続く道を歩いていた私達は、その入り口に立っていた。
「……誰もいませんね」
人の気配はなく、町を囲む石壁が静かに佇むだけだ。
門は開かれているが、門番どころか住民の一人さえも視界に入らない。
来て早々、何か問題でもあったのだろうか? だとしたらなんと運が悪いことだろう。
冷たい風が枯葉を運び、地面を滑っていった。
「うーん、いくらなんでも静かすぎない? それに、風の魔力も少し濃いし」
「少し不気味だ……」
待っていても誰も来そうにない。門を通り、町を歩いてみても風音しか聞こえなかった。あまりにも人の気配が薄い。誰も彼も、家に閉じこもっているのだろうか?
赤い屋根に白い壁の家々が立ち並ぶ街路を進む。商店らしき建物もいくつか見えるが、どこもかしこも閉まっているようだ。
「とりあえずルクスを探しましょうか」
「っけほ……そっか、診療所を開いているんだったね」
「大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと喉がイガイガしただけ」
風邪でもひいたのだろうか? 悪化しなければいいが。
せっかくだ、ルクスに会ったら風邪薬でも処方してもらおう。
……そういえば、ルクスの診療所について場所の詳細を聞いていなかった気がする。決して小さくはない町だ。端から探すには無理があるだろう。
さて、どうしたものか。やはり、まずは今晩の宿を探した方がいいかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと人の気配を感じた。
「あちらに誰かいるようです。行ってみましょうか」
「このままぶらぶらしてるわけにもいかないもんね」
気配を感じる方へ足を進める。角を曲がると、十人ほど人が並んでいた。誰も彼もマスクをつけていて顔色が悪い。壁に寄りかかって体を支えている人までいる。
(なんだ……?)
彼らが並んでいる家から子連れの女が出てくる。彼女達も顔色が悪い。
手に茶色い紙袋を持つ彼女は、少しふらついた様子で去っていった。
「……アフターグロウ診療所?」
壁にかけられた看板を見て、セキヤと顔を見合わせる。
もしかして、ここがルクスのいる診療所ではないだろうか。
「どうしよっか」
「とりあえず……列が落ち着くまで待つ?」
「そうですね、無理に入るわけにもいかないですし」
それにしても、病人が多い。活気の無さと関係があるのだろうか。
流行病でも蔓延っているのかもしれない。そうだとしたら皆して家に閉じこもっていることにも納得がいく……それにしても静かすぎるとは思うが。
余程危険な病だったりしないだろうな。
診療所に並ぶ病人達を見つめていると、ふいに肩へ手が置かれた。
体重をかけられ、軽く体が傾く。
「……セキヤ?」
顔を押さえたセキヤが、私にもたれかかっていた。
その額には汗が滲み、眉間には皺が寄っている。
顔色も悪く、明らかに調子が悪そうだ。肩を掴み、顔を覗き込む。
「セキヤ? 大丈夫ですか、セキヤ」
「っ、ごめん……なんか、気持ち悪くて……」
セキヤは口を押さえ、よろけた。
いくらなんでも急すぎる。その体を支えて辺りを見渡した。
ヴィルトに治療を頼みたいところだが……ここは少し人が多い。不都合だ。
来た道を戻り、セキヤを壁にもたれさせる。
「ヴィルト、頼めますか」
ヴィルトの顔を見ると、彼は真剣な表情で頷いた。セキヤに手をかざし、目を閉じる。彼の手に青い光の粒子が集い、セキヤとヴィルトの体へと吸い込まれていった。
セキヤの顔色は良くなった。これで一安心だ。
ただ、次はヴィルトの代償が気になる。
「ヴィルト、調子の方は」
「……問題ない」
一粒の汗を流した彼は、胸元を押さえながらも頷いた。
本当かどうか怪しいところだが……少なくとも、先ほどのセキヤと比べれば、まだ酷くないように見える。
それにしても突然どうしたのだろうか。
思い浮かぶのは、診療所に並んでいた人々の姿だ。たとえ流行病だったとしても、いくらなんでも早すぎやしないだろうか。
「急にごめん。ありがとうね、ヴィルト」
「いい。これが俺の役目だ……気にしないでほしい」
申し訳なさそうに頬を掻くセキヤに、ヴィルトは緩く首を振って応えた。
気にしないでと言っても無理な話だが、これ以上言っても押し問答になるだけだろう。
「……診療所に戻りましょうか」
二人を連れて、診療所がある通りに戻る。
変わらず患者達が列をなし、淀んだ顔で自分の番を待っていた。
彼らにあまり近づき過ぎるのもよくないだろう。どんな病気を持っているのか想像もつかない。
「俺達、あまり良くないタイミングで来てしまったのかもね」
「そうですね……」
腕を組み、壁にもたれかかる。
町に来て早々にトラブルに巻き込まれた……と言ってもいいだろう。この状況は。
今回、無事神官に会うことはできるのだろうか? 少しばかり不安だ。
それから私達は、患者の列がなくなるまで待った。
……想定外だったのは、その間にセキヤがもう一度体調を崩したことだろうか。
今、セキヤは口と鼻を覆うように布を巻いている。気休め程度だろうが、しないよりはマシだろう。おそらくは。
最後の一人が診療所から出てきたところで、二度目の治療を行なって少しふらついているヴィルトに肩を貸す。診療所の扉を開けると、やはりと言うべきか白衣をまとい、黒いマスクと手袋をしたルクスが気難しい顔で何やらメモをとっていた。
顔を上げた彼は、私達を見るなり表情を和らげる。
「ああ、君達か。ようこそ、ミスキーへ。無事に辿り着けたようで何よりだ」
「危うく迷うところでしたがね。ここが見つけやすいところにあって助かりましたよ」
「……そういえば、診療所の詳細を伝えていなかったな。すまなかった」
ルクスは申し訳なさそうに眉を下げた。結局見つけられたのだから、それに関してはいいのだが……しっかり謝罪するあたり、相変わらず見た目に反して真面目な彼らしい。
机の上の資料を片付けた彼は立ち上がると、部屋を仕切っているカーテンを開けた。
「さあ、奥へ。座ってくれ」
「どうも」
「……ところで、ヴィルト君は大丈夫か? 少し調子が悪そうだが」
「大丈夫だ。少し休めば良くなる」
ヴィルトは緩く首を振った。
治癒能力とは長い付き合いだろうから、私達より代償についても理解はあるのだろう。彼の言う通り、少し休めば良くなるのかもしれない。
だが、彼は何かとすぐに色々と抱え込んで無理をする。この際だ、診てもらった方が早いのではないだろうか。
そんなことを考えている間に、ルクスは「無理はいけない」と言ってヴィルトの頬に手を添えた。
下瞼を軽く引っ張り、裏側の粘膜をじっと見つめる。
「……ああ、やっぱり。少し待っていてくれ、すぐに薬を出すよ」
「そんな、俺は大丈夫だ」
「いいや、それは放っておくべきじゃない。軽度だけど、流行病に罹っている」
流行病。
診療所に並んでいた患者達の姿が思い起こされる。
薬棚から錠剤を取り出したルクスは、水を注いだグラスと共に持ってくる。
「少しタイミングが悪かったね。今は厄介な流行病が広がっているんだ」
「……それは本当に病ですか」
少し気になることがある。
いくら流行病だからといって、この町に来て数十分もしない内に症状が現れるものだろうか? それも、二度。
いくらなんでも早過ぎる。そう思うのは私だけだろうか。
その疑問を伝えると、ルクスは肩をすくめた。
「流石というべきか……俺も気になっているところなんだ。流行病として流行ったのはこれで五度目だけど、その実情は病と呼ぶべきものじゃない」
ルクスはヴィルトに水が入ったグラスと錠剤を手渡した。
ヴィルトはマフラーを下げると大人しく錠剤を飲みこむ。
「俺が診た限り……この流行病は毒物によって引き起こされたものだ」
「毒物?」
ルクスは固い表情で頷く。
「この辺りに生えている毒草……アネモ草を接種した時と同じ症状が出ている。症状は多岐に渡るが……見分けるのはかなり簡単で、瞼の裏に特徴的な紫の模様が浮かび上がるんだ」
「つまり、この流行病は人為的なものだってこと?」
「おそらくは」
そんな見分けるのが簡単な毒物を使って、犯人は何をしたいのだろうか。
一体誰が、何のために?
町の力を削ぐことが目的? だとしても、それで何のメリットがある?
まだ愉快犯の仕業だと言われた方が納得できる。
「この人為的な流行病のせいで、この町からは活気が失われている。……あの宗教集落も、この病から逃げ延びようと町を出た人々が作ったものだそうだ」
宗教集落。
ここに来る時には少し遠回りをしてきたので、今どうなっているかは見ていない。
元はミスキーかクレイストの住民だろうとは思っていたが、ミスキーの住民だったのか。
「犯人は分からないんですか?」
「……思い当たる人物はいるよ」
ルクスは腕を組むと、窓の外を見つめた。
窓からは寂れた町並みと、小さな丘の上に立つ一際大きな屋敷が見える。
「この町を治めている、エクメド・ルヴァンジュ。組織的な犯行でもない限り、短期間で町全体に毒をばら撒けるのは彼くらいだろう」




