間話 ある男達の話
去っていく馬車の背を見送る。
次に会う時はいつになるだろう。その時、あいつはどんな顔を見せてくれるのだろうか。
ああ、楽しみだ。緩む口元を押さえる。
もっと深く、より深く。俺への憎しみを、恨みを湧かせばいい。
ただの好意よりも、純粋な憎悪こそが俺への意識を向けさせることができる。
「おい、いつまでそうしてるつもりなんだ?」
背後からの声に振り返る。
クリシスが腕を組んで気怠そうに俺を見上げていた。
まったく、せっかく人が弟への思いを募らせているというのに、水を差すだなんて分かっていない。
「もう終わったんだろ? さっさと帰るぞ。こちとら一杯やりてえんだ」
「おいおい、もう少し浸らせてくれてもいいんじゃないか? お前も知ってるだろ? 俺がどれだけ弟を想っているのか……」
「また変な妄想でもしてたのかよ、いい加減にしてくれ。俺はもう行くぞ」
うげ、と顔を歪めたクリシスは手を振って背を向けた。
そのまま拠点に戻るつもりなのだろう。彼のポシェットを見たところ、今日の『取引』は終わっているようだからな。
視線を戻すと、馬車の背はすっかり遠くなっていた。
今までの足取りを考えるに、次に向かうのはミスキーだろう。
そこで一度顔を合わせておくのも悪くないかもしれない。
(待っていてくれよ、ゼロ)
唇を舐める。
お前の唇を奪えば、どんな顔を見せてくれるだろうか。ああ、もう一度その体を暴くのも悪くない。
精々嫌がってくれればいいさ。その方が、より俺の存在を刻み込むことができる。
さて、帰る前に訪ねるとしよう。
せっかく俺からのプレゼントを渡したんだ。あいつが残した痕跡を探さない手はない。
その足跡から髪の一本まで、見逃すつもりはないのだから。
そうだ、保存しておくための袋を持っていかなくては。
今日の日付も書いておく必要があるな。
俺のコレクションがどれくらい増えるのか、楽しみだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
こつんと靴の先に小石が当たった。そのまま蹴飛ばして道を歩く。
もう今日の取引は終わりだ。後はこのまま拠点に戻るだけ。
それにしてもソランめ、相変わらず気持ち悪い奴だ。そう分かっていて、未だについていっている俺も俺だが。
俺が唯一の稼ぎ頭……だったらさっさと出ていっていたところかもしれないが、実のところ俺達の生活費はソランが全て出している。
流石はクレイストの実質的な権力を受け継ぐ予定だった男だ。腹立たしいことに、あいつの財力はとんでもない。一生遊んでいても十二分に余るくらいだ。
おかげで俺の蓄えは増える一方だ。ありがたいといえばありがたいが、それを認めるのは正直なところ嫌だ。非常に嫌。それはもう嫌。
そんなことをぐるぐると考えながら歩いていると、気づけば拠点の前に辿り着いていた。
仮の拠点とするには充分過ぎるほどしっかりとした……言ってしまえば派手過ぎる建物だ。
扉を開くと、巨大な絵画が視界に飛び込んでくる。
何を描いているのかも分からないそれ。俺からすれば何の良さも分からないが、ソランは気に入っているらしい。わざわざ高値で買い取ったそうだ。
リビングに入ると、掃除をしていたサバカが振り返る。
「戻ったか」
「おう」
椅子に座り、足をテーブルの上に投げ出した。
ポシェットの中から取り出した札束を一枚一枚数えていく。
今日も中々の成果だ。出発する時までに在庫を全部売り払わないといけないが、この調子なら問題ないだろう。
「主はまだ戻られていないのか」
「ああ、アイツなら妄想にふけってるぞ。まだ暫くは戻ってこないんじゃねえか」
「そうか、御令弟の見送りに出られているのか」
「……見送りねぇ。モノは言いようだな」
札束をまとめ、テーブルに置いてあったタバコを手に取る。
タバコを口に咥え、マッチを擦った。
肺を煙で満たす。ああ、たまらねぇな。
折角だ、炎酒で一杯やるか。
ボトルを持ってくると、サバカは眉をひそめた。
「まだ外は明るいぞ」
「うっせぇ、いいんだよ今日のシゴトは終わってんだから」
グラスに琥珀色の液体を注ぐ。途端にふわりと芳醇な香りが鼻先をくすぐった。
サバカはそれ以上言っても無駄だと思ったのか、口を閉ざした。
コイツもいけるクチなら俺の炎酒を分けてやってもいいが、あまり強い酒は好まないらしい。
時たま果実酒をチビチビと飲んでいるところを見るが、俺からすればアレで酔えるのか疑問だ。
ぐっとグラスを傾け、一気に喉へ通す。
酒やタバコを手に入れやすいって点では、コイツらと一緒にいて良かったと思う。
次の一杯を注いだところで、トンとトレイに乗ったグラス一杯の水がテーブルに置かれた。
「水も飲め」
「水じゃ酔えねえだろ。それよりチーズでも持ってきてくれりゃ……って、あんじゃねえか。分かってんな」
水の隣に置かれた小皿に黒胡椒を振ったチーズが並んでいる。
サバカは俺達の好みをよく分かっている。まあ、気分がいいからコイツの言う通り水も飲んでやろう。
薄まった分は酒を多く入れりゃいいだけだ。
「それで、何か話でもあんのか?」
隣に座ってきたサバカは首を振った。単にコイツの善意だったらしい。
あんな野郎に忠誠を誓っているわりに、コイツ自身はわりとお人よしなところがある。
一番凶悪な見た目をしているクセして、最も純なのがコイツだ。
暫く無言のまま、酒を呷る。
横目にサバカを見ると、本を読み始めていた。なんともマイペースだ。
まあ好きにすればいい。別に嫌というわけでもないからな。
アイツと違ってうるさくなくて良い。
タバコは消しておいた。コイツはあまり気にしなさそうだが。
思えば、コイツらと出会ってそれなりの時間が経ったな。
俺の取引現場にサバカがたまたま遭遇したのが始まりだった。
あの時、俺がイカれた野郎に襲われてると勘違いしたコイツが俺を抱えて逃げ出して……そんで、取引がポシャった。
一応俺は場に合わせて猫を被ってたが……まあそれが合流したソランにバレて。
『お前、それ無理あるぞ』
笑いを堪えるような腹の立つ顔でそう言われたのを今でも覚えている。
んで、面白い奴だなと目をつけられてスカウトされた。
ついていこうと思ったのはその方が得だと思ったからだ。
そうして行動を共にしているわけだが、面白いと思うこともある。
ただ一つだけ、つまらないことがあった。
(なんだってコイツは、あんな奴を慕ってんだ)
命を救われたというが、たまたまソランがそこにいただけだろうに。
そこに俺がいれば……いや、まあ無視してたかもしれねぇけど。それでも、安けりゃ良い労働力として買っていたかもしれねぇし。
それに角を削ったこともだ。
「……あのさ」
「どうした?」
「オマエ、なんでアイツのために角削ったんだよ。バカじゃねぇの」
サバカは本を閉じ、目も閉じた。
あの日、無理矢理削られた角の生え際は痛々しい赤色に染まっていた。
そんなサバカを見て、ソランはただ傷薬を渡した。何の言及もせずに。
「俺の粗末な角を晒していると主に迷惑がかかるかもしれないからな」
「結局アイツは気にしてなかったじゃねぇか。角って大事なものだったんだろ?」
く、とサバカの口角が上がる。
自嘲するような微笑みを浮かべ、本の表紙を指先で撫でた。
「主は俺が鬼人であることさえ気にしておられなかった」
「……そうだな」
「だからこれは俺の自己満足だ」
本当にバカな奴だ。
なんだって、あんな奴にそこまで心を砕く?
俺には分からない。
分かりたくもない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
クリシスはグラスとボトルを持ってリビングを出ていってしまった。
俺は何か気に障るようなことを言ってしまっただろうか? 自分の言動を振り返ってみても、いまいちピンとこない。
俺の忠誠は主であるソラン様に捧げている。
あの日、俺が角を削ったこともその一環だ。
鬼人族にとって、立派な角こそが力の証。だというのに、俺の角は大して伸びもせず小さいまま成長を止めた。
だからこそ売りに出され、主に会えたということでもあるが……こんな粗末な角しか持たない鬼人が隣にいては主が恥をかきかねない。
そう思って、俺は……一晩かけて、自分で角を削り落とした。
その判断を誤りだとは思っていない。たとえ主本人が、俺の些細な問題ごとに興味を持っていなかったとしても。
今の俺はきっと、故郷では指を差されて笑われる存在だろう。それでも人間達の中で暮らすには、こちらの方がまだやりやすい。
だからこれで間違っていない。
全ては主のために。
主さえ幸せならば、それでいいんだ。




