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もしも一つ願うなら【本編完結】  作者: 庭村ヤヒロ
故郷 クレイスト
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第49話 獣

 それから暫く、オレンジ色の水滴を目からこぼし続けるマキナをセキヤと共に見守った。

 一時はどうなることかと思ったが、丸く収まった……のだろうか。

 それにしても、いくらなんでも無防備すぎる。

 神官相手では手出しをしてはいけないとはいえ……思わず殴りかかるところだった。

 一度殴ったくらいなら大した損傷にならないと思ってのことではあるが。


 マキナはセキヤの手を握ったまま、謝り続けている。

 謝ってどうにかなることではないだろうが、彼が立ち直れる時は来るのだろうか。

 機械相手にこんなことを思うのも変な話だが、一応心はあるということで落ち着いたわけだ。人間のように扱うべきなのかもしれない。


「……落ち着いた?」


 奥の部屋からヴィルトが顔を覗かせる。

 静かになったからだろう。もう安全だと言える。小さく手招いて、ヴィルトを呼んだ。


「神官様、泣いてる?」

「自分の罪を直視したところです。もう暫くは続くんじゃないですか」

「そうか……」


 罪を直視することは苦しいことだ。

 私にはセキヤとヴィルトがいる。だが、彼には今後支えてくれる人はいない。

 いるのは動きも喋りもしない、無機質な金属の人形だけだ。


「マキナ君。弔いをしよう」

「とむらい……?」

「ここの住民達はしてなかった? 誰かが死んでしまった時、墓を立てたりだとか」


 マキナは目元を拭い、頷いた。


「肯定。墓地がある」

「皆の墓は立ててある?」

「……否定。立てるべきか」


 マキナはセキヤの手を離すと、別の部屋に入っていった。

 ついていくと、どうやら石材を加工する部屋のようだ。

 部屋の隅に置いてあった重たそうな石を軽々と運んだマキナは、墓の形へと切り出し始めた。


 切り出し終わった後、文字を刻んでいく。

 見慣れない書体ではあったが、なんとか読み取れないことはない。

 作業が終わるまで、私達は部屋の隅から見守ることにした。

 魔力のことについては……もう少し後でいい。

 今はそっとしておいてやりたい。


「……完成」


 暫しの時間をかけて、マキナは石碑を作り上げた。

 石碑を抱えた彼は、昇降機へと向かう。


「墓地まで歩く。お客さん達、ついてきて」


 一階まで降り、暫く歩いた。

 墓地に近づくにつれ、あちこちに配置されている金属人形の数が少なくなっていく。

 この辺りにはあまり来ていなかったのだろうか。


 墓地は綺麗に整備されていた。

 定期的に清掃されているのだろう。

 マキナは入口近くに石碑を立てた。

 片膝をついた彼は、腰に下げていた短剣を石碑の前に置く。


「……ボクは、人々を守るために与えられた剣で皆の命を奪ってしまった」


 墓石を見つめるマキナの表情は、初めて会った時と変わらない。彼の顔は、口の開閉しかできない。

 けれども、心なしか後悔を含んでいるように見えた。


「ボクが持つべきではないと判断。この短剣を返還する」


 拳を握りしめたマキナは、深く頭を下げた。


「……ごめんなさい」


 その後ろ姿をセキヤ達と並んで見つめる。

 これで彼の罪が償われるというわけではない。だが、彼に芽生えた心が癒えたらと思う。


 彼に殺されたとはいえ、彼がこのまま悔やみ続けることを願ってはいないだろう。少なくとも、彼のマスターとやらは。

 確信が持てるわけではない。ただ……そうであればいい。



 暫くしてマキナは立ち上がり、こちらへと歩み寄った。

 彼の頬には薄っすらと涙の跡がある。


「ありがとう。ボクに心、教えてくれて」

「……元々貴方にあったものを、彼が示しただけですよ」


 だけ、とは言ったもののセキヤだからこそできたことだろう。

 私にはああいう対応は難しい。

 セキヤを見ると、彼は微笑んで頷いた。


「間違いに気付くことができた。お客さんのおかげ」

「君はこれからどうするの?」

「整備を続ける。ボクの役目」

「……そっか。頑張ってね」


 元より彼は神官だ。この都市から離れることはできないだろう。

 そもそも彼の存在を知っている者がいるのかは疑問だが……それでも神官である以上、大神官とやらは把握している可能性の方が高い。

 思うことがないわけではないが、彼がそうしたいのならそれがいいのだろう。


「取引成立。魔力分ける」


 マキナは髪飾りに触れた。橙色の魔宝石がきらりと光る。

 元々心を与える代わりに魔力をもらうという話だった。

 結局、心は元から彼の中にあったわけだが……彼の中で取引は成立したことになっているらしい。


「では、お願いします」


 ペンダントを取り出す。これで三種類目の魔力だ。

 頷いたマキナは、魔宝石を指先で叩いた。

 瞬間、ぶわっと橙色の粒子が辺りに広がる。

 粒子は私を包み、ペンダントへと吸い込まれていった。

 ペンダントの六色の石の内、暗い橙色の石が鮮やかな色へと変わる。


「完了」

「ええ、確かに。ありがとうございます」


 ペンダントを服の内に戻す。

 これで火、水、土の魔力が集まった。

 残るは風、光、闇の三種類。折り返しだ。


「他の神官の居場所について知りませんか? 後は風、光、闇の神官に会いたいのですが」

「不明。他の神官を知らない」

「そうですか」


 これはまたマホに聞く必要がありそうだ。

 今の所、彼女の占いは全て当たっている……と考えていい。

 最初の占い、おそらくヘルトとの出会いを示唆したものについては何とも言えないが。

 さて、もうそろそろ戻るべきだろう。


「私達はそろそろ帰ります」

「了承」


 私の思い込みだろうか。マキナの表情に変わりはないが、心なしか寂しそうに見える。

 マキナに近づいたヴィルトが小さく笑う。


「機会があれば、また来る」

「……コアの温度上昇。『嬉しい』と推測。その時は歓迎する」


 頷いたヴィルトが破顔した。

 この旅が終わって私の呪いが解けたら、今度は遊びにくるのも悪くないかもしれない。



 マキナと別れ、墓地を離れる。

 初めは不気味に思えたこの都市も、話の全貌を知ってからでは物寂しく感じた。

 これからもマキナ一人でこの都市を維持していくのだろう。


「それじゃ、帰ろうか。マホが何か渡してくれてたよね?」

「ええ、この札ですね」


 ズボンのポケットから札を取り出す。

 レースのようにも見える模様が描かれた札だ。


「マホが言うには、帰る時に破れとのことですが……」

「破ってみる?」


 興味深そうにヴィルトが札を見つめる。

 もう用は済んだことだ。破ってみることにしよう。

 真ん中を摘み、力を入れる。少しの抵抗を感じたが、すぐにビリッと音を立てて破れた。

 少しの間、静寂が続く。


「……何も起きませんね?」

「マホさんに、何かあったのかもしれない」


 不安そうにヴィルトが呟いたところで、目の前にマホが現れた。


「もう用が済んだのか? 早いのう」

「うわっ、急に出てきた」

「札を破ったのじゃから来るに決まっとるじゃろ。それで、もう帰るんじゃな?」


 空中に浮いたまま腕を組んだマホが私達を見下ろす。


「はい」

「やり残したことはないな? もう一度行きたいっていうのはナシじゃぞ。転移魔法は疲れるんじゃ」

「もうやり残したことはありません」

「よし。それじゃあいくぞ」


 マホが腕を振ると強い風で体が浮く。

 二度目ともなれば、宙に浮く感覚にも少し慣れてきた。

 二人はどうだろう。見てみると、セキヤは安定しているようだがヴィルトは少し怯えているようだった。


「おりゃっ」


 マホが両腕を上げると、次の瞬間には屋敷の地下倉庫に戻っていた。風が弱まり、浮いていた体が地に着く。

 やはり素晴らしい制御力だ。

 今日は泊まることにして、転移魔法の原理について聞いてみるのもいいかもしれない。

 ああ、でもまずは次の神官について聞かなければ。


「さーて、ワシは研究に戻ろうかの」

「話がしたいのですが」

「後じゃ後! 今回の発見をまとめんとな」


 マホは伸びをして、天井をすり抜けていった。

 ……魂の状態でもストレッチが必要なのだろうか。それとも気分の問題なのだろうか。

 そんなことを考えながら階段を登る。

 マホを呼ぶのは二人が寝た後にしよう。



 湯を沸かして体を拭き、干し肉をかじる。

 パンと干し肉が基本の生活にも慣れたものだ。

 折り返し地点にきた祝いでも……と思わないこともないが、無いものは無いので仕方がない。

 元々あまり食事にこだわりがあるタイプでもない。食べられればそれでいい。

 けれどもセキヤはそう思っていないようだった。


「本当に良かったの? 手持ちもあるし、今からでも買いに行ってくるよ」

「構いませんよ。まだ終わったわけでもないのですから」

「ゼロがいいなら、それでいいけど……」


 セキヤはいまいち納得いっていない様子でパンにかじりついた。

 そういえば、彼は何かと記念を大事にする人だった。

 私の誕生日や、私達が出会った日、再会した日まで……少し過剰ではないかと思うくらいには入念に準備されたものだ。


「旅が終わったら、とびきり盛大に祝ってくださいよ」


 全てが終わって、また平和に暮らせるようになったら。そしたら、彼の気が済むまで存分に祝えばいい。

 そんな思いで言ってみた言葉だったが、彼は満足したらしい。

 セキヤはニッと笑って、腕を上げた。


「よしっ、そのときにはゼロが驚くくらいのご馳走を用意するね!」

「俺も手伝う」

「いいね。二人でたくさん作っちゃおう」


 ああだこうだと計画を練る二人はとても楽しそうだ。


「食べきれる量にしてくださいよ」


 でも、きっといつものように翌日も同じ料理を食べることになるのだろう。

 だがそれも悪くない。そう思いながら、パンを一口かじった。



 食事も済ませ、少しばかり掃除をして、セキヤとヴィルトが眠りについた後。

 私はマホを呼び出し、転移魔法について根掘り葉掘り聞き出していた。


「……と、そういう理屈じゃ。もういいか? ワシも忙しくての」

「なるほど、粗方理解しました。流石は大魔法使いというだけありますね、最先端を行っています」

「な、なんじゃ急に。褒めても何も出んぞ!」


 身構えるマホは少し怯えている様子だ。

 これだけの技量を持っていてなぜそうも怖がるのか私には理解できないが、まあそれは気にしなくてもいいだろう。単に怖がりなのかもしれない。


 ああ、そうだ。呼び出した元々の目的も果たしておかなければ。


「もう一ついいですか?」

「なんじゃなんじゃ。熱心なことは良いことじゃが、ワシは弟子なんぞ取っておらんぞ」

「いえ、そちらではなく。また占っていただきたいんですよ」


 折角の機会だ。マホには残りの神官三人について、全員の居場所を占ってもらうべきだろう。

 しかし、マホは腕を組んで唸った。


「どうしたんです?」

「……たしかにワシは簡単に占ってみせたが、本来そう易々と行っていいものではないのじゃ」

「どういうことですか? 何か制限でも?」


 マホは真剣な表情だ。今までのどこか頼りない姿とは違う、大魔法使いとしての姿がそこにあった。


「ワシがやっておる占いというのは、魔力の流れを読むことによる未来予測を簡略化したものじゃ。短い期間にそう何度も使うと、乱れが生じて精度も落ちる」

「誤った結果も出かねないということですか」

「それもあるな。占って欲しいのは、どうせ他の神官の居場所じゃろ? おおかた予想出来る場所くらいはあるはずじゃ」


 たしかにまだ行っていない町はある。

 芸術の町、ミスキー。

 そこに残りの神官の内、風の神官がそこにいることは火の神官レイザから聞いていた。


「心当たりはあるようじゃな。なら、まずはそこに行くとよい。どうしても先が見えなくなった時には、また占ってやってもいいぞ」

「……ありがとうございます」

「なあに、礼なぞいらんわ。勉強熱心な子は嫌いじゃないからのう」


 ならば、次の目的地は南西にあるミスキーだろう。

 ルクスが拠点を置いている町だ。まずは訪ねてみるべきかもしれない。

 日が明けたら、セキヤとヴィルトにもこのことを話して――


 そんな考えは、唐突に霧散した。

 突き刺すような痛みが頭頂部に走る。

 両手で頭を押さえ、歯を食いしばった。


「っぐ、ぅ……!」

「な、なんじゃ!? どうした!?」


 間違いない。呪いの進行だ。

 薄々勘付いてはいた。

 神官から魔力を得た、その日の夜。それが進行するタイミングだ。


 頭を押さえる手の下に、ふわふわとした膨らみが感じられる。

 痛みが段々と引いていく。変化が終わったようだ。

 手を離し、ふわふわとしたそれの形を手探る。


「お主……獣の耳が生えておるぞ」


 呆然と呟くマホの言葉通り、私の頭には三角の獣耳が生えていた。



「……あのね、ゼロ。そういう時は起こしてくれていいからね」


 翌朝、目を覚まして私を見たセキヤの一言目がこれだ。

 呆れが半分、悲しみが半分といった様子で、じっと私の頭を見ている。


「マホがいましたし、すぐに痛みも治ったので……」

「すぐに治ったのはいいことだけどね?」


 ため息をついた彼は、顎を触りながらうーんと唸った。


「俺もそろそろじゃないかとは思っていたし、寝ないでおくべきだったかな……」

「ふわふわだな」


 額を押さえるセキヤの隣で、ヴィルトが子供のような感想を述べる。

 たしかにふわふわだ。それはもう毛並みの良いふわふわだが、もっと他にあるのではないだろうか。

 それをわざわざ口に出すつもりもなく黙っていると、彼は手をさまよわせ始めた。


「……触ってもいいか?」

「どうぞ、お好きなように」


 彼なら乱暴に触るなんてこともないだろう。

 そろりと手を伸ばしたヴィルトは、さわさわと表面を撫でた。


「すごい、サラサラでふわふわだ」

「……ね、ゼロ。俺も触っていい?」


 まさかセキヤまで触りたがるとは。

 まあ、減るものでもないわけで……それに、別に嫌というわけでもない。


「好きにしてください」


 少し顔を明るくしたセキヤが手を伸ばす。

 右耳をヴィルトが、左耳をセキヤがそれぞれ触っている。

 少しくすぐったい。耳がぴくぴくと動いているのを感じた。

 昨日まではなかった器官だからか、妙な感覚だ。


 この耳だが、ちゃんと聴覚はあるようだ。ただ、普通にしていてうるさく感じるということもない。

 今の所、特にデメリットはないように思う。今後、フードは被り続けることになるだろうが。


「ワシは何を見せられとるんじゃ?」


 ひたすら耳を撫で続けられている様を見て、脱力したマホがぽつりと呟いた。



 二人が満足したところで、今後のことを話した。

 ミスキーに向かうこと、そして占いについてのことも。

 セキヤは胸に手を当てて、マホに軽く頭を下げた。


「そんな貴重なものを、二度も使ってくれたんだね。ありがとう」

「礼はいいんじゃ。ワシをこのままそっとしておいてくれれば、それでよい」

「……分かったよ。機会があれば、また寄るね」

「うむ。茶は用意できんが、話くらいは聞くぞ」


 腰に両手を当てるマホはいい笑顔をしている。

 私はそれよりも、あの倉庫のことが気がかりだ。

 次に来た時、また元のように散らかされていたらたまったものではない。

 なにしろ、床に散らばった物には危険物がちらほらとあったのだから。


「もう散らかさないでくださいよ」

「う……善処するぞ」


 マホは指先で髪をいじりながら目を逸らし、口元をひきつらせている。

 その様子を見ていたヴィルトが声を上げた。


「その時はまた片付けるのを手伝う。諸々のお礼」

「ヴィルト殿は本当に優しいのう……」


 本当に彼らしい。

 そうなればきっと私達も手伝うことになるのだろう。とはいえ、一応マホに釘を刺しておくべきか。


「だからといって努力しないなんてことはしないでくださいよ」

「わ、わかっておるわ!」


 さて、そろそろ出発することにしよう。

 ここから国境までは馬車に乗っても時間がかかる。できるだけ早く出るに越したことはない。


「それでは、また」

「またね」


 手を振るセキヤとヴィルトに、マホが手を振りかえす。


「気をつけるんじゃぞ〜」


 少し気がぬけるような声を背に受けながら、フードを被って屋敷を出た。

 見上げた空は相変わらず雲が覆い尽くし、雪が降りそそいでいる。


「近場に乗り場はあるだろうか」

「どうでしょうね。探しながら向かいますか」

「それじゃ、できるだけ大きい通りを歩こう」


 馬車の乗り場を探しつつ、薄く雪が積もった道を歩く。

 辺りには雪掻きをしている人々もちらほらいる。ドサリと雪が落ちる音も聞こえてきた。


 随分と遠い所の音も聞こえている気がする。やはり生えてきた獣の耳のせいだろうか。

 うるさくは感じない以上、便利といえば便利だが……フードの中でぺたんと折り畳まれた耳には違和感を覚える。

 これに慣れるにはもう少しかかりそうだ。


 それにしても……この旅の終着点はどうなるのだろう。

 呪いを解くには神官から魔力を分けてもらうことが必須だ。だが、その過程で呪いは進行していく。

 今はまだ誤魔化せる変化しかないが……もし今後、より大きく姿が変わるようなことがあれば、私はどうするのだろう。


(旅を続けるしかない。それは分かる。ただ……)


 そうなったとしても、彼らは私と共にいてくれるのだろうか。

 隣を歩く二人をちらりと見る。

 ……きっと、大丈夫だろう。私が犯した罪を知っても、こうして共にいてくれるのだから。

 きっと大丈夫だ。


「あ、乗り場あったよ」


 セキヤの声で、沈みかけていた意識が持ち上がる。

 道端に立てられた看板には馬車の絵が描かれていた。その下に書かれた説明を読む。

 どうやら定期的に一定のルートを通る乗合馬車のようだ。近くのベンチには馬車を待っているであろう人もいる。


「お、次が近いね。待っておこうか」

「ええ、そうしましょう」


 それからそう長くは待たずに馬車が来た。

 馬車に乗り込み、隅の方に座る。

 さて、ここからまた長い間馬車に揺られることになるわけだが……適当に本の一冊でも買っておけばよかったかもしれない。

 そう思いながら、窓の外を眺めた。


 ヒュ、と喉が鳴る。


 窓から見えた景色、その片隅。

 フードを被った何者かが、こちらを見ていた。


「どうしたの? 大丈夫?」

「……いえ、なんでもありません」

「そう? ならいいんだけど」


 窓から目を背ける。

 フードから覗いていたのは、赤い双眸と銀色の髪だったように思う。

 見間違い……だろうか。

 いや、見間違いだとは思えない。だとすると、ソランは私達をつけてきていたのだろうか。偶然とするには無理がある。


 目を閉じ、深く呼吸する。

 もしかすると疲れているのかもしれない。

 そもそもあれが本当に彼だったとしてどうこうできる訳でもないのだから、気にするだけ無駄だ。

 少なくとも今は。


 モヤモヤしたものを感じながら馬車に揺られていると、ヴィルトがセキヤの肩に手を置いた。少し顔色が悪いように見える。


「……酔いそう」


 あまり馬車に慣れていないからだろう。

 セキヤは苦笑しながらヴィルトの背を撫でた。


「外の景色見てるといいよ」

「わかった……」


 ヴィルトはじっと窓の外を見つめている。

 私はもう窓の外を見る気にはなれず、ぼんやりと右手にはめたリングを眺めていた。

 リングに埋め込まれた赤い石を見ていると、少し落ち着く気がする。


 次、真正面からソランと会うのはいつになるのだろうか。彼が私達を今のまま放っておくとは思えない。

 ……彼と会って、私はどうしたいのだろう。

 かつて尊敬していた兄。全ての元凶でもあり……命の恩人でもある、兄。

 彼さえいなければ私は全ての苦痛を味わう必要がなかった。しかし、今こうして生きていることもできなかった。

 胸の奥底で燻っているのは、本当に憎しみだけなのだろうか。


 目を閉じる。

 馬車の揺れと呼応するように、私の心も揺れ動いていた。

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