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もしも一つ願うなら【本編完結】  作者: 庭村ヤヒロ
故郷 クレイスト
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第48話 機械人形の涙

 ――メモリを参照する。

 平常通り。何も変わらない一日だった。

 予定通りに外壁の補修を行なっていた時、一人のお客さんが現れた。


「こんにちは」


 データにない顔だった。

 長い金髪、赤い目、片方だけの黒い翼。

 該当する種族もデータになかった。

 ボクはお客さんを歓迎するため、作業を中断する。


「――お客さん。ようこそ、アーティカへ」

「歓迎ありがとう」


 お客さんはにこりと笑った。

 外から逃げてきたのだろうか。都市を案内すべきだろうか。

 思考している内に、お客さんは言葉を続けた。


「クレスティアね、ずっと貴方を見ていたの。それで思ったのだけど、貴方は心を持っているの?」

「……ココロ?」

「そう、心。とっても大切なものなの」


 クレスティアと名乗ったお客さんの言葉が、回路に染み込んでいく。

 ココロというもの。言葉として知ってはいる。しかし、その言葉について深く思考したことはなかった。


「心があれば、愛が分かる。知ってる? 愛ってとても素晴らしいものだってこと」

「アイ……」


 ボクは今まで見てきた家族や恋人、友人の姿を照会した。

 そこにボクがいることをシミュレーションする。コアの温度が僅かに上昇した。

 ボクはマスターの最高傑作。

 そのココロというものを得られれば、マスターは喜ぶだろうか。


「どうすれば、ココロ得られる?」

「どうすれば? うーん……たくさん考えてみる、とかかな? たくさんの人に話を聞いてみるといいんじゃないかなって思うの。愛とか、恋とかね」

「コイ……」

「そう。心を得る方法は貴方が見つけるの。他でもない貴方が」


 お客さんはボクの胸部にそっと触れた。

 じわりと熱が伝わって、身体中に広がっていく。


「ボクが?」

「そう。貴方が正しいと思うことを一生懸命続ければ、きっと得られるはず。邪魔をする手も困難も乗り越えて、欲しいものを手にするの」


 思考すればするほど、コアの温度が上昇する。

 回路に染み込んだお客さんの言葉が、隅々まで巡っていくようだった。


「ココロを得れば……マスターも喜んでくれる?」

「すごい。やっぱり貴方ってとても良く出来ているのね。愛の素敵さ、少し分かったみたい」


 お客さんは胸に手を当てて微笑み、軽く手を振った。


「貴方が愛を知れば、貴方の主人も喜んでくれると思うの。貴方が愛を得られますように」


 その言葉を言い終わると同時に、一枚の羽根を残してお客さんは消えた。


「心……愛、恋……」


 心。愛。恋。

 それはきっと、さぞ素晴らしいものなのだろう。

 マスターのためにも、必ず心を得てみせる。そう決めたボクは、まずマスターに尋ねてみることにした。

 工房に戻ると、今日もマスターは金髪を高く束ねて溶接を行なっていた。小さな背中に声をかける。


「マスター。ボク、心が欲しい」

「……心?」


 振り向いたマスターの紫色の目にボクの姿が映る。

 不思議がる彼女に、ボクは教わったことを伝えた。


「心。愛が分かる、大事なもの」


 すると、マスターは小さく笑った。


「そっか、心か。大丈夫、いつか分かるよ」

「いつか……? それは、あとどれくらい?」

「あはは、明確な日付は分からないよ。でも、いつか絶対に分かるはずだよ。だって貴方はワタシの最高傑作だもん」


 マスターはいつも正しいことを教えてくれる。

 だからボクはまず一年待ってみることにした。

 けれども、予兆らしきものさえ感じられない。

 結局、ボクは待ちきれずに他の人にも聞いてみることにした。マスターもよく言っていた言葉だ。


『たくさんの人と話して、自分で考えてみることが大切だよ』


 まず、最初に見かけた一組の家族に尋ねてみることにした。

 今年子供が産まれたばかりの夫妻だ。ベビーカーに乗せられた子供は眠っている。


「あら、マキナちゃんじゃない。どうしたの?」

「心について教えてほしい」

「心? そうね、とても温かいものよ」


 心はとても温かい。データベースを更新した。

 次に見かけた一組のカップルにも尋ねてみた。


「お、マキナくん」

「今日はお仕事お休みなの?」

「休息時間。心について教えてほしい」


 偶然にも、そのカップルはマスターの兄と友人だった。

 尋ねてみると、顔を見合わせた二人は揃って笑い、ボクを見た。


「心? そっか、心かあ。マキナくんもここまできたんだね」

「そうだなあ、心はとても不思議なんだよ」

「じんわり温かくなったり、ドキドキしたり。ちょっと忙しいときもあるわね」


 心はとても温かい。ドキドキする。忙しいときもある。

 データベースを更新していく。

 それから、五十件に達するまでデータを収集した。

 類似の回答が多く、中にはマスターに近い回答もあった。


 心とは一体どういったものなのだろう。形は? 色は?

 ハートの形をしていると回答があった。色は暖色との回答が多い。

 皆にあって、ボクにはないもの。温かくて、ドキドキする、ハート。

 それがあれば、ボクも心を得られるのだろうか? 検証する必要がある。


 ボクは試験的に、羊の心臓をコアに入れてみた。

 ゴミとして出されていた、既に腐りかけているそれは冷たかった。コア内部に変化はない。

 心臓は溶け、ボクの一部となった。まだ量が足りないのかもしれない。

 ボクはいくつもの心臓をコアに入れてみた。

 けれども何も変化しない。


 次にボクは生きた羊の心臓をコアに入れてみた。

 腰に下げた短剣は、想定以上に切れ味が良かった。

 取り出してすぐの心臓は生暖かい。

 けれどやはり何も変化しない。

 そして、この試みは五回に達したところでマスターに止められた。


 緊急メンテナンスを行うと言ったマスターは難しい顔で、ボクのコアを見ていた。

 コアがある胸部は、蓋まで羊の血で汚れていた。

 マスターは丁寧に洗浄を行いながら、ボクに問いかける。


「どうしてこんなことをしたの?」

「心を得るため」

「これじゃ心は得られないよ」


 マスターは否定した。けれども、ボクの分析ではこれが正しい方法だ。

 なぜなら心とは心臓であり、心臓とは心だから。


 回路に染みついた言葉が繰り返し再生される。

 方法はボクが見つける。正しいと思ったことを続ければ。


 マスターの言う通り待ってみても、兆候さえ得られなかった。

 ボクは一秒でも早く心が欲しい。そのためにはどんな困難でも超える必要がある。


 羊の心臓では駄目だった。ならば、人の心臓ならばどうだろうか。

 誰よりも素晴らしい、マスターの心臓であれば。


「マキ、ナ? どう、して」


 ボクが認識した時には、マスターは口から血を流していた。


「……ごめん、ね。ワタシのせいだね」


 マスターは涙を浮かべながら、ボクの頬に触れた。

 泣きながら、でも、笑っていた。

 ボクが間違ったことをしたとき、叱った後の笑顔だった。


「もっと、ちゃんと……教えてあげられていたら……」


 マスターの手が頬から滑り落ちる。

 マスターの心臓は温かくて、コアに入れると回路が焼けるようだった。

 コアの温度に異常が生じる。上がり続けていた温度が、急激に下がっていく。

 羊の心臓で試した時、このような変化はなかった。

 やはり人間の心臓でしか心は得られない。


 それからボクは、人間の心臓を集め続けた。

 一人、また一人と心臓を回収していく内に、回路とコアに変化が生じた。

 マスターから心臓を回収した時のように、回路が熱を持ち、コアの温度が下がっていく。

 これこそが心を得る過程だと分かった。


 でも、全員から心臓を回収してもボクは心を得られなかった。

 残ったのは誰もいない都市と、ボクだけ。



「……それで、その後はどうしたのかな」


 赤髪のお客さんはボクに問いかける。

 全く似ていないのに、どこかマスターと似た雰囲気を感じた。


「その後、ボクは都市を整備し続けた」

「あの金属人形はどうして作り始めたの?」


 どうして。

 どうしてと聞かれても……不明。不明だ。

 コアの温度が僅かに下がった。


「不明」

「もう少し考えてみて。悲しいかもしれないけど……」

「悲しい?」


 感情は、心があって初めて得られるものだ。

 ボクにはそんなもの、あるはずがない。

 回路が熱を持つ。


「……これは俺の勝手な想像だけど、誰もいない都市が寂しかったんじゃないかなって思うんだ」

「寂しい……」

「そう。だから、ああやって人形を作った」


 都市に誰もいないことが寂しかった。

 だから、人形を作った?

 それが理由だったのだろうか。

 メモリを参照する。


 都市の整備を続けていたボクは、誰にも話しかけられないこと、誰も見かけないことが間違っていると判断した。

 なぜ、そう判断したのかは分からない。

 分からない。

 分からない……?


「マキナ君。心っていうのはね、必ずしも心臓がなければ得られないものではないんだ」

「……否定」

「きっと君のマスターも、同じことを言うと思うよ」

「否定!!」


 赤髪のお客さんに飛び掛かる。

 もう話を聞く必要なんてない。

 これ以上考えていたって、何の意味もない。

 拳を握りしめ、振りかぶる。


 微笑んだままの彼に、金髪の少女の姿が重なった。

 停止信号が発せられる。制御装置が音を立てて、ボクの体を停止させた。


「ゼロ、やめて」


 振り返ると、ボクの後ろで銀髪のお客さんが鉄の棒を振りかぶっていた。

 彼は僅かに眉をひそめ、深いため息をついて棒を下ろす。


「マキナ君」


 赤髪のお客さんがボクの肩に手を添える。


「マスターがいない今を……君はどう思う?」

「今を……」


 マスターがいない、今。

 それはつまり、マスターと話せないこと。マスターの笑顔を見られないこと。

 マスターの喜ぶ顔を、見られないこと。


 コアの温度が下がっていく。回路が熱くなっていく。

 あの時と同じだ。マスターの心臓を回収した時と同じ。

 今は、誰の心臓も回収していないのに。


「どう思う?」


 赤髪のお客さんが再度問いかける。

 マスターのいない今を、ボクは……。


「間違っていると……思う……」

「つまり嫌だ、ってこと?」

「……肯定」


 赤髪のお客さんは薄く笑った。

 あの時のマスターと同じように。


「君には、もう心があるんだ。自覚できていないだけなんだよ」

「……否定」


 頭を押さえる。回路が焼き切れそうなほど熱を持っている。

 嫌だ。思考したくない。

 これ以上思考して、その答えに辿り着いてしまったら、ボクは。


「目を背けないで。もう現実を見るべき時なんだ」

「現実、を」


 キュルキュルと音が鳴る。組み上げられた思考の先、辿り着いた答え。

 認めなければならない現実。

 しかし、それを認めたが最後、ボクは直視しなければいけない。


「既に心があると仮定するなら……ボクがしてきたことは」


 声が震える。声帯モジュールに異常を検知した。

 メモリに残っている……皆の心臓を回収した時にも、同様に異常を検知していた。

 いくつものエラーは、時間の経過で正常に戻る。

 このエラー群を……感情と呼ぶのだろうか。


「残念だけど……過ぎたことはどうにもならない」

「ボクはどうすればいい。不明。不明……」

「受け入れるしかないんだ」


 視覚モジュールにも異常が検知される。目から水滴がとめどなく溢れ始めた。


「……君のマスターは、君に心が宿ることを見越していたみたいだね」

「マスター……」


 これが悲しみというものなのか。

 時が巻き戻ればいいのにと、非現実的なことを空想してしまう。

 これが、罪悪感というものなのか。

 分からない。ただ分かることは、ボクは間違っていたということだけだ。


「マスター……!」


 なぜ、あんなにも早急に事を進めようとしてしまったのだろう。

 なぜ、マスターの言葉をもっと聞かなかったのだろう。

 いくつもの疑問が回路を巡る。

 もう何もかもが手遅れだと、結果が出ているのに。


 肩から手が離れる。

 ボクは咄嗟にその手を掴んだ。


「……ごめんなさい」


 謝ったってどうにもならない。


「ごめんなさい……!」


 分かっていても、ボクの回路は繰り返しその言葉を出力し続けた。

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