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もしも一つ願うなら【本編完結】  作者: 庭村ヤヒロ
故郷 クレイスト
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第44話 ヒーローとの別れ

 ゆっくりと階段を上っていく。

 降りる時には緊張していた体が、今では嘘のように軽い。平常時までとはいかないが、元の調子に戻りつつあった。

 気付けば、感情のざわつきも消えていた。ただ、代わりにある感情が沸々と込み上げてくる。

 それは兄様に……ソランに対する感情。

 恐怖か、怒りか、それとも憎悪か。

 定義できないそれは、心を芯まで染め上げていた。


(次に会った時……私は何を感じるのだろう)


 そんな疑問を抱きながらも階段を上りきり、ホールに出る。

 玄関ではヘルトが壁に寄りかかって待っていた。キョロキョロと辺りを見渡していた彼は、私達を見ると壁から体を離す。


「終わったか!」

「ええ、まあ」


 相変わらず彼は声が大きい。

 流石に外まで聞こえはしないだろうが、もう少し控えめにしてもらうことはできないのだろうか。

 ただ、もう三度は控えめにしてくれと言っている。望むだけ無駄なのかもしれない。


「戻るのか?」

「はい」


 これ以上は何も得られないだろう。

 ……正直、あまり長居したくないというのが本音だ。

 いくら落ち着いてきたとはいえ、あまり良い気分ではない。早くここを去って、次の神官を探したいくらいだ。

 それにしても……戻るとはいっても、やはり見張りはいるだろう。

 彼はまたあの閃光を放つつもりだろうか。

 見張りといえば、結局なぜ屋敷に見張りが配置されているのだろう。

 この国の住民である彼なら知っているだろうか。


「そういえば……貴方はここが何故見張られているのか知っていますか?」

「見張りの理由? 噂程度でいいなら知っているぞ」


 噂か。

 信憑性は薄いが、それでもいい。聞いてみるべきだろう。


「王は極端にヴェノーチェカを嫌っているからな。戻って来ないかが心配なのだろう」

「嫌っている、ですか」

「ああ。今のクレイストが疲弊していることも、全てヴェノーチェカのせいだと謳っているぞ」


 まあ、あながち間違いでもない。

 なにせ、多くの事業を手掛けていたヴェノーチェカは……本来の国王よりも事実上の立場が上になってしまっていた。

 思い出した記憶の中……屋敷から逃げ出す時に立ち寄った父の書斎で、王と交わした契約書を何枚も見た。

 そのどれもがヴェノーチェカにとって有利な条件のものばかりで、国側が強く出られなかったことを示している。


(それだけの影響力を持つ一族が、ある日消滅してしまったら……国は大いに傾いたことだろう)


 正確には数日かけて滅びたわけだが、短い期間だったことに代わりない。

 それにしても……当時の私は、よくヴェノーチェカ全員を相手に上手く立ち回ったものだ。

 つまりこの国を疲弊させた一端を私が担っていたということになるわけだが……これは言わなくてもいいだろう。

 罪悪感がないわけではないが……もう過ぎたことでもある。

 というよりも、今の今まで覚えがなかったことだ。

 突然その責任を背負えと言われたとしても、はいそうですねとは言い難い。

 まだ全てを飲み込めているわけではないのだ。


「ヴェノーチェカは滅びたと言っても過言ではないのに、それでも心配なのですね」

「現に一人戻ってきているからな。過剰な心配だとは俺も思っていたが……全てが間違いだったというわけでもないのだろう」


 コホンと咳払いしたヘルトは、腰に両手を当て胸を張る。


「勿論、俺はちゃんと個人を見るからな! お前が悪人ではないということは分かっているぞ!」

「はあ……ありがとうございます」


 やはり彼の魔眼はアテにならないのではないだろうか。

 悪人を見抜けると言っていたが……どうも条件が異なるような気がする。

 ふと、通行人達が彼を遠巻きにしていたことを思い出す。

 もしこのあやふやな基準の魔眼で悪人だと認定されたら……まあ、そういうことなのだろう。

 平然と閃光を放ったくらいだ。今までにも大いに暴れてきたことだろう。

 当の本人はそれをヒーロー活動だと思っているようだが。


「それじゃあ戻ろっか」


 隣に立ったセキヤが背に手を当てる。

 気遣うような目が少しくすぐったい。

 なんとなく、手を退けさせる気にならなかった。


「ええ、そうですね」


 フードを被り、扉を開ける。

 こっそりと門を見てみると、見張りが増えていた。

 ……明らかにヘルトのせいだろう。


「む、増えているな」

「またやるつもりですか?」

「他に方法もないだろう?」


 何を言っているんだコイツはという顔で見られた。

 突っ込む気にもなれず、ため息をつく。

 そうしている間にヘルトはゴーグルをつけていた。やる気満々だ。


「よし、それじゃあ目を瞑ってくれ」


 目を閉じて、更に手で目元を覆う。


「いくぞ! ヒーロー・フラッシュ!!」


 自己主張の激しいセリフと共に視界が白む。

 一回目はそんなこと言っていなかっただろうに。


「うぐぁっ、目がー!!」

「ああああっ! またお前か、ヘルト・ユスティ!!」


 それ見たことか。

 案の定バレている。そもそもこんなことをするのが彼しかいないという可能性もあるが。


(バカなのか……?)


 まあ、そちらに目が向いてくれるならそれに越したことはない。

 ヒーローと自称するからには、善人(だと彼が思っているだけだが)のことを売りはしないだろう。きっと。

 あちこちで騒めきが起きている中、私達は走って門を抜けた。

 いくつか先の角を曲がったところで立ち止まる。


「よし、ミッション・コンプリートだ!」

「ははは……」


 セキヤさえ苦笑いしている。

 ヴィルトは心配そうに通りの方を見ていた。

 とはいえ無事に出られたことも事実ではある。


「ありがとうございました」

「なに、礼には及ばん! ヒーローとして当然の務めだからな!!」

「声は控えめでお願いします」


 四度目の言葉を口にする。

 ヘルトは首に手を当てて目を逸らした。

 自覚はある……のか? ただ忘れていただけなのではないだろうか。


「とにかく、助かりました。今回のことは誰にも言わないでくださいね」

「ああ、勿論だ。約束しよう」


 あっさりと頷いてみせたヘルトに、本当に大丈夫かと心配になる。

 セキヤを見ると、彼は何とも言えない表情をしていた。本当に大丈夫かと問いかけてくるような顔だ。

 大丈夫……ではないかもしれないが、仕方ないだろう。


「では、俺はこれで失礼する。また会おう!」

「あっ」


 セキヤが声を上げるが、ヘルトは走って行ってしまった。

 赤いマフラーがひらひらと揺れているのを、呆然と眺めている。


「大丈夫だったのかな……」

「……最悪口外されるとして、事が大きくなる前に出ましょう」

「そう、だね……」


 なんとも嵐のような男だった。

 さて、戻ろう。今日もマホが住んでいる屋敷に泊まらせてもらって……ついでに、また占ってもらうのもアリかもしれない。

 次の神官について、何かヒントが欲しい。そう思いながら、三人で並んで道を歩いた。


 それにしても……ヒーロー、か。

 私も絵本で見たことがある。悪事を見逃さない、正義の人。

 きっと、私は倒される側の人間なのだろう。

 ズキリと痛んだ心臓に気づかないフリをして、歩き続けた。



 マホの屋敷まであと半分といったところで、私達は見知った顔を見つけた。

 オレンジ色の髪と目をもつ女だ。特徴的な角もなければ、目も普通の人間のそれだが……それでも分かる。


「カメリア?」

「おや、奇遇だね。まさかこんなところで出会うとは」


 呪われたことが発覚した時、パノプティスで最初に尋ねた山羊の獣人……というていで住み着いている悪魔だ。

 紙袋を抱えた彼女は、何を考えているのか読み取れない微笑みを浮かべて立っている。


「貴方、どうしてここに? 角はどうしたんですか」

「少し素材調達にね。ここでは普通の人間として過ごしているから、あまり姿について言及しないでくれたまえ」


 素材調達……その紙袋の中身については、深く考えない方がいいのかもしれない。

 そういえばパノプティスにいた時、この町では姿を変えずとも怪しまれないと言っていた。


「ここは亜人への当たりが厳しい。流石の私も安全策を取ったというわけだ……それにしても」


 カメリアは私をじっと見つめた。頭から爪先まで見た彼女は、ふむと口元に手を当てる。


「悪魔の匂いが強くなったね、キミ」

「悪魔……やはり呪いの進行で影響が?」

「ああ、そういえばそのことなのだけど……キミは呪われるよりも前から匂いがしていたよ」


 呪われるよりも前から?

 そういえば……初めて会った時も悪魔の匂いがすると言われた。

 あの時は呪いのせいだと思っていたが……ふと、取り戻した記憶の中、あまり気にしないようにしていた部分を思い出す。

 私の血には悪魔の血も混ざっている。まさかそれを嗅ぎつけられたのだろうか?


「それにしても……そうか、キミは悪魔じゃないのだったね。なら、徒歩でここまで来たわけか。中々の長旅じゃないか」

「徒歩で……? カメリアは違うってこと?」


 セキヤの問いかけに、彼女は頷く。


「ああ。私はゲートが使えるからね。ここからパノプティスまでひとっ飛びさ」

「それはまた便利な術ですね……」


 あれだけの距離を一瞬で移動できるなんて、流石は悪魔といったところだろうか。

 その術を使ってもらえれば、ここからマホの屋敷まで一瞬で辿り着けるだろう。


「言っておくけれど、そう軽々と使ってあげはしないぞ?」

「……当然のように人の思考を読まないでいただけますか」

「おや、私は善意で言っているのだけどねえ。キミ、ゲートについて詳しくないだろう」


 悪魔が使うような術だ。詳しいわけがない。

 カメリアはくつくつと喉を鳴らすように笑う。


「ゲートの行き先は私が指定するんだ。もし私の気が変わって、見知らぬ土地に……それこそ海にでも放り出されたらどうするつもりかな?」

「……ご忠告どうも」

「それに、他人に使うことはそうないからね。うっかり不安定な状態になったら、それこそ私でもどこに飛ぶか分からないんだ。ちっぽけな人間が気安く試すようなものではないよ」


 ちっぽけな、とは。

 少しムカッとしたものの、彼女は悪魔……そう、悪魔だ。

 ふうと息を吐いて、心を落ち着ける。

 認めるわけではない。認めるわけではないが、ここで噛みついても仕方ない。


「さて、私は帰るとするよ。キミ達は引き続き頑張るといい」


 カメリアの向こうの空間に赤紫色の亀裂が走る。

 それはぐわっと広がり、人一人が通れるほどの裂け目を生み出した。

 辺りが少しざわつく中、カメリアは堂々と裂け目を通る。

 裂け目……ゲートはその口を閉じ、何事もなかったかのように沈黙した。


「……行きましょうか」


 わざわざ人間に扮しているというのに、こんな悪目立ちする術を堂々と使うのか、などと言いたいことはあるが。

 悪魔のすることを深く考えてはいけないのかもしれない。

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