第43話 血筋
ドクドクと暴れる心臓を落ち着ける。
深く息を吸い、吐き出す。
汚れた口元を拭い、目を開けた。
目の前で心配そうな顔を晒す二人を見て僕は笑う。
その表情を向けられているのは僕じゃない。それが分かりきっていたから。
「こんなに無理矢理思い出させられるなんて、ゼロもついてないよね」
声を発した途端、セキヤが肩に添えていた手を離す。
分かりきっていたとはいえ、ここまで想像通りだと笑いが漏れる。
この笑い癖も、すっかり板についたものだなあ。
「お前は」
「言っておくけど、今回僕が出てきたのもゼロのためだから」
声を被せ、立ち上がる。
それにしても、随分と悪趣味な絵だ。
わざわざ描いたのだろうか。
「ゼロのため、って」
「セキヤだって見てたでしょ? これ以上続けさせたら……耐えられないよ」
ソランの日記にもある『適性』という言葉。
ヴェノーチェカ家の後継ぎとして相応しいかどうかを決めるものだ。
能力自体も大事だが、それよりも……きっと。
「ヴェノーチェカの人間はね。なにかと悪事に手を染めるんだよ」
「急に何を……」
「知っておきたいでしょ? 僕達のこと」
セキヤは口をつぐんだ。
知りたくないなら、それでもいい。
しかしゼロが思い出した今、きっと知らせておいた方がいいと思った。
昨日マホの屋敷から抜け出した時だって、彼は僕を見逃した。
ゼロの味方ではあることを……ほんの少しだけ、認めてあげてもいい。そう思ったから。
「セキヤもクレイストで暮らしていたなら、何度も耳にしているんじゃない? いくら隠し通そうとしたってどこからか漏れるものだろうし……さ」
「まあね。ヴェノーチェカには関わるな……耳が痛くなるほど言われてきたよ」
「皆が皆そうやって悪事を働くのは、なにもそういう教えだからってわけじゃない。それも含めての血筋だからなんだ」
きっと血筋に関するあの資料は、今も資料室に置かれているだろう。
わざとらしく、まるで見つけてくれと言わんばかりに。
もっとも、もうそれらは頭に入っている。
「ヴェノーチェカには様々な種族の血が流れてる……きっと、ここまではゼロもまだ思い出してないだろうけど、時間の問題かな」
「それが、能力の高さに繋がってるってこと?」
「そう。亜人から悪魔まで、本当に様々だよ。それぞれの種族のいいとこ取りをしようって魂胆でね。初代ヴェノーチェカがその成功例ってわけ」
とんでもない発想だと思う。
その経験を積んでいるからか、ヴェノーチェカ家は家畜や作物の品種改良にも手を出している。
今、クレイスト国内に自生している植物のほとんどはヴェノーチェカが手を加えた品種だ。
まあ、それはどうでもいいことか。
「でもね、本当に良いところだけを……なんて、到底無理な話なんだよ。結果として、その精神性に異常を持つようになった」
とはいえ、その異常性さえもプラスに働くこともある。
利益のために手を汚すことも躊躇わないのだから。
要するに、良心というものがカケラもないのだ。
「そんな中でゼロは良い子だったよ。だからこそ適性がないと判断されたみたいだけどね」
「適性……?」
「そう、適性」
床に落ちた日記を拾い上げる。
「ヴェノーチェカに相応しくない。だから処分する。本来、ゼロはそうなる予定だったんだけど……ソランが書いた日記の内容が本当なら、命を救われたってことになるのかな」
日記を差し出すと、セキヤはパラパラとページをめくった。
読み進めるにつれて眉間にしわが刻まれる。
「でも、適性はたしかにあった。表層に出ていなかっただけなんだよ」
セキヤは壁の絵を眺めた。
これは精密な記録だ。
どうやって用意したのかは知らないが……もしかするとソランが描いたものなのかもしれない。
「両親を殺したとき、世界が変わったんだ。微かに感じていた満たされない何かが、初めて満たされた」
「それが適性……って、ことか?」
「そうだよ、ヴィルト。そして一度触発された欲望は、絶えず蝕み始めた。渇きを訴えるようになり、それを潤すには……」
ため息をつく。
これ以上は言わなくても良いかな。ヴィルトが泣きそうだ。
大方……それはゼロの意思じゃないのにとでも、思っているんだろう。
そう。これは僕達の意思に関係なく急かしてくる。
抗い難い欲望なんだ。
「セキヤ。後は君が知っている通りだよ」
「一つ聞かせてほしい」
「なあに?」
セキヤは難しい顔をして僕を見つめる。
それにしても、最初と比べると僕に対する態度も少し丸くなったように思う。
ゼロの味方として、かろうじて認められたってことなのかもしれない。
「お前はあの子の何なの?」
ゼロにとって何なのか。
どう答えたものかと思考を巡らせる。
「そうだなあ……ゼロにとって、僕は友達だった」
「友達?」
「そう。幼い頃からの、友達」
僕の始まりは、それこそ朧げな記憶だった。
気付けばそこにいて、ゼロの問いかけに答えていた。
とてものんびりとしていて、穏やかで優しい時間を過ごしていたことを覚えている。
「僕の名前はゼロが付けたものだよ。君から教わった花の名前をくれたんだ」
「ゼロが? そんなこと聞いたことも……」
「それはそうだよ。だってそれをゼロは忘れているんだから」
嫌な記憶と共に、僕との思い出も全て。
ゼロが耐えきれなくなった日に……僕が丸ごと持ち去った。
だからこれは、今となっては僕だけが知ること。
「ちょっと話し過ぎちゃったね。僕はもう戻るよ。ゼロのこと、慰めてあげて」
「あ……」
セキヤが何かを言う前に、僕は目を閉じる。
どうせ、僕がゼロの友達だと言っても彼は信じないだろうし。
仮に信じられたところで……君はきっと、僕と仲良くはできないだろうから。
さて、ゼロは大丈夫かな。
深い深い意識の底で、眠る彼を呼び起こす。
僕はここから見守っている。今までも、これからも、ずっと。
……目を覚ます。
あれだけうるさかった心臓は穏やかに鼓動を繰り返していた。
セキヤとヴィルトが妙な顔で私を見つめている。
壁に描かれた目と視線が合った。
ズキンと頭が痛む。思わず眉を顰めたとき、セキヤの手が私の視界を塞いだ。
「見なくていいよ」
肩を抱き寄せられる。服越しにつたわる温もりが、再び暴れようとした心臓を落ち着けていく。
目から手が離れる。視界に映った穏やかに微笑む彼の目が優しくて、私は思わず視線を逸らした。
綺麗な青い瞳に映る自分が、とてつもなく醜く見えた気がして。
「大丈夫だよ、ゼロ」
彼の手が背を撫でていく。
目の奥が熱くなる。止めようと思っても止まらず、ぽろぽろと溢れ出した。
「や、やめてください……私は、汚れているんです」
絞り出した声は酷く震えている。
私を抱きしめる力が強くなった。頭に置かれた手が、そっと髪を撫でていく。
「大丈夫。俺だって同じだよ」
「同じ……?」
「俺だって、何人も殺してきてる。ゼロは……俺のこと、汚れてるって思う?」
思うはずがない。でも、それと私とは違う。
唇が震えた。
「思いません。でも私はっ」
私は、人でもなかった。
私の中には人外の血が多く流れている。それが分かった。分かってしまった。
同じだと言い切れるはずもない。
それでも、セキヤは穏やかな声を覆い被せた。
「同じだよ。ゼロは汚れてなんかいない」
頭を撫でた手は再び背へと戻り、ぽんぽんと一定のリズムで叩き始めた。
「汚れてなんかいないよ」
涙はますます溢れ出す。
セキヤの背に腕を回し、彼の胸に顔をうずめる。
私が泣き止むまで、彼はずっと私を抱きしめ続けていた。
それからどれくらいの時間が経ったのか。
私は目元を拭い、呟いた。
「……すみません」
「落ち着いた?」
「ええ」
腕を離したセキヤは、相変わらず優しい目で私を見つめる。
その目に映る私は先程よりも情けなくて、でも美しく見えた。
「よかった」
ヴィルトが私の肩に手を置く。
きっと私達の中で最も純な彼の手が触れることを、受け入れることができた。
まだ消化しきれてはいないが、ある程度は呑み込めたのかもしれない。
「さあ、そろそろ戻ろう」
セキヤの手が、少し強めに私の背を叩いた。
頷いて、差し伸べられた彼の手を取る。
壁の絵からは目を背けて、扉を通った。
記憶はほぼ取り戻せた。
とても良い思い出とは呼べないそれらだが、私は私自身を知ることができたとも言える。
ただ……まだ、何か大切なことを忘れているような気がする。
何か、ぽっかりと穴が空いたような……そして、その穴を冷たい風が通りぬけていくような感覚。
『それでいいよ』
そんな声が聞こえた気がした。




