第42話 ダイアリー
真っ白なコートを着てゴーグルを頭に付けた男は、赤いマフラーを風にたなびかせ腕を組んでいる。
青い双眸には黄色い星が宿っていた。
(魔眼……?)
青年はハッとすると、腰に手を当てて胸を張る。
「おっと、自己紹介が遅れたな。俺はヘルト・ユスティ。ヒーローだ!」
声がビリビリと耳に響く。
ユスティというと……宗教集落にいたハイリと同じ姓だ。
金髪に青い目の共通点といい、親族だろうか。
ひとまず、今は疑いを解くところからだろう。
「少し雑談をしていただけですよ」
「賄賂、と聞こえたが?」
「噂を聞いて不穏だなと思っただけです」
「正直に言ってくれ。嘘つきは悪人の始まりだぞ!」
強い語気で返され、ため息をつく。
私の右目もそうだが、魔眼には色々な種類がある。
その持ち主自体はそう多くないはずだが……嘘を見抜く魔眼でも持っていた場合、これ以上はぐらかすと厄介だ。
それにヘルトの大声のせいで、先程からチラチラと視線を受けている。
(いっそ正直に言うべきか……?)
また騒がれても困る。
口を塞ぐにも人目がある。あの見張りの気を引くことも避けたい。
「声量は控えめにお願いします。あの屋敷に入りたいだけですよ。見張りがいるのでどうしようかと思いまして」
「む、それはまた妙だな。盗みを働くつもりか? にしても、なぜヴェノーチェカの廃屋敷を……」
じっと私を見つめたヘルトは、腰を曲げて顔を覗き込んできた。
後ろに一歩下がるも、彼の目はじっと私を見つめていた。
「待て、その色……まさか」
息を呑む。
ヒーローを名乗る程だ。悪人判定を受ける可能性もある。
セキヤがコートの裏に手を伸ばそうとしたところで、ヘルトは胸に拳を当てた。
「ああ、安心してほしい。世間は貴方を悪だと言うかもしれない。だが、俺には分かる。貴方は善良な人だと!」
「……あの、声は控えめにお願いします」
「おっと、すまない。つい」
控えめでも声が大きい。それにとても目立っている。
だが、どうも道行く人達は彼を避けているように感じた。チラリと見ても、さっさと歩いていくだけだ。
よっぽど関わりたくないと見える。
「なぜ私が善良だと?」
「俺の眼が告げているんだ。俺の眼は、人の善悪を見ることができる。貴方達の中に明確な悪人はいなかった」
「……なるほど?」
どうも信用ならないが、善人だと思っているのならそのままにしておこう。実際、この旅の中で人助けもしてきたことだ。完全な嘘とも言い切れないだろう。
「俺なりに話を整理した。つまり貴方は、自分の家に帰りたいと。そういうことだな?」
「……そんな感じです。調べ物をしに一旦戻ろうと思いまして」
「それなら大丈夫だ。俺に任せてほしい。まず、目を閉じるんだ。合図をしたら、目を開けてもいい。そしたら一気に走るんだ」
一体彼は何をするつもりだろうか。
ヘルトは頭につけていたゴーグルを下げた。
濃い色が入ったレンズのせいで、彼の目が見えなくなる。
「さあ、目を閉じて」
本当に任せても大丈夫なのだろうか。不信感しかない。
疑心を抱きつつも言われた通りに目を閉じる。
「いくぞ!」
瞬間、世界が眩んだ。
「きゃあ!」
「目がっ! 目がぁああっ!」
辺りから悲鳴が上がる。
目を閉じているにもかかわらず、瞼の裏が白んだ。
やがて暗闇へと戻り、眩しさもなくなる。
「もう大丈夫だ、目を開けていい」
目を開けると同時に、彼が走り出した。
その後に続きながら、辺りを軽く見てみる。
地面に転がる人々は皆目を手で覆っていた。
これは随分な大事になった。まあ……彼が全ての責任を背負ってくれるなら、いいのだが。
そのまま敷地内に入り、屋敷の前まで辿り着く。
「ここまでくれば大丈夫だろう」
「……ありがとうございます」
「はは、中々に派手な作戦だったね……」
セキヤは苦笑したが、ヘルトは満足気だ。
腰に手を当て、胸を張った。ピンと指を伸ばした手を胸に当て、ふふんと鼻を鳴らす。
「なんといっても、俺はヒーローだからな!」
「声は控えめで」
「……すまん」
バツが悪そうに頭を掻いたヘルトは、腕を組んで扉を見る。
「それで、扉は開きそうか?」
扉に手をかけてみる。簡単に開いた。
暗い玄関に光が差し、舞った埃がキラキラと輝いた。
門の外はざわめきが続いている。彼にも入ってもらって、扉を閉めた。
「それじゃあ、俺は玄関で待つことにする。用事が終わったら声をかけてくれ」
随分と気にかけてくれる。
何が目的なのだろうかと考えたが、彼の様子を見るにただヒーローとしての自分に酔っているだけに思えてきた。
なんとも毒気を抜かれる男だ。
「一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「ハイリ・ユスティは貴方の家族でしょうか?」
ヘルトは片眉を上げ、口をへの字に下げる。
「む……愚妹を知っているのか?」
「ええ、道中に会いました」
「そうか……迷惑をかけなかっただろうか? 奴は正義に固執していてな……俺とも話が合わんのだ」
正義に固執。
とてもそのようには見えなかったが……兄だからこそ分かることもあるのだろうか?
それか、単純に彼がそう思っているだけなのか。
「いえ、むしろ良くしていただきましたよ」
「なら良かった。その……元気そうだったか?」
「ええ。聖女としての役割に満足しているようでした」
「聖女……相変わらず自分の正義に目が眩んでいるようだな」
ため息をついたヘルトは、右手を顔に寄せる。
「俺の目にこそ真実の正義が映し出されるというのに……!」
セキヤと目が合う。きっと彼も同じことを思っているだろう。
この男、随分と妹が正義に固執していると言うが……人のことを言えないだろうと。
「まあいい。アイツもいずれ理解せざるを得ないだろうからな」
「では、行ってきますね」
「ああ」
これ以上話していては時間ばかりが過ぎてしまう。
フードを下ろし、ホールを見渡す。
不思議と頭に間取りが浮かぶ。たしか、私がかつて使っていた部屋は二階の隅だ。
人が去って長いだろうに、思ったよりも埃っぽさはない。
少なくともあの幽霊屋敷よりはマシだ。
調査のために誰かが入ったりしていたのだろうか? 鍵が閉まっていないのなら、あの見張りさえどうにかすれば誰でも入れはするだろう。
階段を上がり、廊下を進む。
森に面した、角の一室。
長い間、私の全てだった部屋。
扉に手をかける。鍵は閉まっておらず、簡単に開いた。
格子がはめられた窓。小さな机と椅子、整えられたベッド。
暖炉には灰だけが残っている。
記憶にあるそのままの姿だ。
机の上に置かれた開かれたままの絵本も、思い出の中にある。
随分と色褪せたそれのページをめくる。
絵本の中では、冒険家が船に乗って海を進んでいた。
部屋を見渡したセキヤが声をかける。
「ゼロ、何かあった?」
「……いえ、ただ昔のまま残されているだけですね」
何かを思い出せそうな気もしない。
ここに来れば記憶の穴を塞げると思っていた。
思い違いだったのだろうか?
いや、兄様もこの屋敷を訪ねるべきだと言っていた。
何かがあるはずだ。
思い出せ。この部屋の他に、私がいたことのある場所があったはずだ。
あの日、目隠しをされた私は兄様に連れられて部屋を出た。
どこへ行った? 外へは出ていないはずだ。
階段を……そう、階段を降りていた。
長い階段を、ずっと。
「……地下?」
ズキリと頭が痛んだ。
この痛みが手掛かりになるのかもしれない。
行かなければ。
冷たさだけを覚えている、あの場所へ。
「ゼロ?」
「行きましょう」
セキヤとヴィルトを連れ、部屋を出る。
階段を下り、一階へ戻った。
階段の横に扉がある。
開くと、その奥にも階段が続いていた。
石で作られた壁と階段は寒い印象を与えてくる。
一段、また一段と降りていくにつれ、冷気が漂ってくるようだった。
「ゼロ、大丈夫?」
「え?」
「手、震えてる」
ヴィルトに言われて、自分の手を見る。
彼の言う通り、小刻みに震えていた。
「……大丈夫ですよ」
本当は、大丈夫ではないかもしれない。
また一段、降りるたびに息が詰まる。
頭全体が圧迫されていくかのようだ。
(きっと、ここにある)
階段を降りると、廊下が続いていた。
地下牢のように見える。
チカリと視界が眩んだ。あの日の光景と重なる。
ああ。私は逃げ出す時、確かにこの廊下を通った。
私がいたのは……一番奥だったはずだ。
一歩ずつ、重たい足を進める。
肌を刺すような冷たさだ。
セキヤとヴィルトは黙ったまま、私に歩調を合わせている。
ふと、息を止めていたことに気づく。深く息を吸い、吐き出した。
一番奥の扉に手をかける。
こくりと唾を飲み込んで、手に力をかけた。
灰色の部屋だ。
窓も何もない、ただ石の壁にかこまれた部屋。
その中央に一つ、本が落ちている。
いや、置かれていると言った方がいいかもしれない。
重たい足を一歩踏み入れる。
セキヤとヴィルトは部屋の外で立ち止まり、ただ視線を向けていた。
『愛してるよ、ゼロ』
兄様の声が聞こえ、頭を押さえる。
気のせいだ。あの日の記憶が甦っているだけでしかない。
そうだ。私はこの床に押さえつけられて、そして……ああ、思い出すだけで吐き気さえ感じてきた。
床に置かれた本を手に取る。
埃が積もっていないそれは、つい最近置かれたものだろうか。
表紙にはダイアリーと書かれている。
開くと、表紙の裏に一枚の写真が貼られていた。
赤子を抱く、幼い兄様の姿だ。
『試作の写真機が出来たそうだから、撮ってもらった。その内の一枚を貼っておく』
まだ少し拙い字で書かれているのは……当時の兄様のものだろうか。
つまり、これは兄様の日記というわけだ。
ここに私の記憶の断片、その手掛かりが……残されているのだろうか?
ページをめくる。
――弟ができたと聞いた。
正直どうでもよかったけど、一目見た時に全てが覆された。
運命。ただそう感じた。
だから、今日からこの日記をつけることにした。
弟との思い出を、ここに記しておこうと思う。
きっとこれは俺にとって最高の宝物になる。
――今日も俺の弟はとても可愛い。
まだ開いてない目も、小さな手も、本当に可愛い。
本当はずっと見ていたいけど、勉強の時間があるからそれはできない。
サボっちゃ駄目かな。
……兄バカというものだろうか。
兄様、貴方は本当に私を愛していたのか?
暫く同じような内容が続く。
日記の中の兄様は、記憶の中の優しい兄様に近い。
またページをめくる。
――今日、弟が立った。
ぷるぷると震える足で、一生懸命に立っていた。
すぐに尻もちをついていたけど、今日は記念日だ。
――嫌な話を聞いた。
俺の弟には適性がないらしい。
このままじゃ、弟は処分されることになる。
どうしたらいい?
……適性? 処分?
どういうことだ。
そんな話を私は耳にしたこともない。
本来、私は処分されるはずだった?
ならなぜ、私はあの部屋で生かされていた?
――俺の誕生日が近い。
俺は、プレゼントとして弟を貰うことにした。
外に出さないことを条件に、一室と共に譲り受けた。
母がつけた名前はゼロ。
ヴェノーチェカの、存在しない者。
今日から俺のゼロだ。
……頭を押さえる。
誕生日プレゼントとして……生かされた?
まったく、聞いたこともない話だった。
また、ページをめくる。
――ゼロは病気にかかることなく成長している。
絵本をプレゼントしたら、とても喜んでいた。
俺は文字を教えることにした。文字を覚えたら、ゼロが寝てる時でも手紙を残してあげられる。
そうだ、今度隣町でお菓子を買ってきてあげよう。
きっと喜ぶ。
――今日はゼロが俺の似顔絵を描いてくれた。
今日は記念日だ。
描いてくれた絵を、ここに貼っておこう。
ずっと大切にするんだ。
……ぐちゃぐちゃの線で描かれた、かろうじて人と分かる絵が貼られている。
ああ、たしかに記憶にもある。何度か似顔絵を描いて渡したことがあった。
何度かページをめくると、度々絵が貼られている。
本当に贈った全ての絵を貼って保存していたらしい。
――ゼロに虫がついていた。
どこから来た? いつの間に?
腹が立つ。
どこのどいつだ?
ゼロもゼロだ。どうして俺がいながら、他の奴と関わりを持った?
ああ、でも仕方ない。俺のやり方が間違っていたんだろう。
教えてやらないと。ゼロには俺だけでいいんだって。
俺だけが全てなんだって。
父に頼んで、地下牢の一室を譲り受けた。
大丈夫だよ、ゼロ。俺が守ってあげるから。
……セキヤのこと、だろうか。
それよりも気になるのは、この部屋のことだ。
父に頼んで、譲り受けた?
おかしい。私の記憶では……兄様は嫌々ながら、仕方なく私をここへ連れてきていたはずだ。
頭が痛む。
一組の男女が私を見下ろしている光景が浮かんだ。その手には角材が握られていて……そうだ、彼らは私の両親だった。
私のせいで兄様の気が散っているのだと、彼らは繰り返し私に告げていた。
――どうやらあの二人が俺のゼロに手を上げているようだ。
でも、おかげで俺はゼロの手当ができる。
ゼロはすっかり傷心してしまったが、俺には笑顔を向けてくれる。
ああ、でも足りない。これじゃ物足りないんだ。
優しさだけじゃ、きっといつか他の誰かに目を向けてしまう。
だから、俺は憎まれることにした。
そうすればきっと、そのルビーに俺を映し続けてくれるだろう。
手始めに、勉強に入れる力を抜いたフリをした。
これでますますゼロが殴られることになるだろう。
『ごめんな、ゼロ。俺がずっと側にいてやれなくて』
自分よりも大きな手が、頭を撫でる。
『俺からもやめるようにお願いしてるんだ。でも聞いてくれなくて……』
両手を頬に添えられて、そっと近づく顔。
『いつか助け出してあげるからな』
こつんとぶつかった額の温度。
……日記を持つ手が震える。
血が滲んだ肌、触れた腕のぬくもり、消毒液のにおい。
記憶の中の温かい声が、微かな光が、ガラガラと崩れていくようだ。
ズキズキと頭が痛む。
忘れていたピースが、一つずつ嵌め込まれていく。
これ以上読むべきだろうか?
いや、読むべきなのだろう。そのために私はここに来たのだから。
震える指先でページをめくる。
――ゼロに、俺の存在を刻みつけることにした。
泣いて嫌がる姿も、全て俺だけのものだ。
どうしてと訴える視線が心地良かった。
もっとだ。まだ足りない。
なあ、ゼロ。今までの苦しみ全てが俺の仕組んだものだったと知ったら、どんな目を向けてくれるんだろうな。
そのことだけをずっと考えていたんだ。
――後ろを見て。
温度は低いはずなのに、手がじっとりと汗ばむ。
以降のページには何も書かれていない。
日記を閉じた私は、息をのんで振り返る。
視界いっぱいに、絵が飛び込んできた。
記憶にある両親が、血に濡れて崩れ落ちている姿。
同じ色彩の髪と目を持つ、何十人もの顔。
焼け落ちる大きな家と、その前に佇む子供の姿。
壁一面に描かれたそれらは、たしかに記憶の奥底に沈んでいて。
「あ……あ、ぁ」
そうだ。そうだった。
あの日、殺されると思った私は……父親のナイフを奪い、この手にかけて。
屋敷を逃げ出そうとして、沢山の資料が置かれた部屋に迷い込んだ。
目につく場所に置かれていた紙束には血族が犯した罪の数々が連なっていて。ヴェノーチェカの発祥と共に連ねられたそれを見た私は……私は。
『こんなの、認めない……』
幼き日の声がこだまする。
両親を手にかけたときに感じた高揚感。
足りなかった何かがカチリとハマったような充足感。
私はそれを、悪を滅したからこそのものだと思い込んで……一族すべてを手にかけた。
唯一、会うことのなかった兄のソランだけを残して。
足の力が抜ける。へたり込んだ私を見て、セキヤとヴィルトが駆け寄ってきた。
「ゼロ? ゼロッ!?」
肩を揺らされても、私の目は壁一面の絵に吸い込まれたままだ。
これは確かに記憶にあるものだ。どうして今まで忘れていたのだろうか。
でも、まだ何かが頭の隅に引っかかっている。
私が手にかけてきた人々は、本当に一族だけだったのだろうか。
異なる色彩の誰かが脳裏にチラつく。命乞いをするその人に、私は刃を振り下ろし――
ごぽ、と喉の奥で音がした。
咄嗟に口を押さえる。指の隙間から溢れたそれが、床に広がった。
何度も咳き込む。汚れた床を見ながら、荒い呼吸を小刻みに繰り返した。自分の影が、色濃く見える。
『それ以上は駄目だよ』
聞き馴染みのある声が、頭に響いた。
次の瞬間、視界が閉じる。
私の意識は水中に沈んだ。




