第41話 隻腕の鬼人と
イマイチよく眠れた気がしないが、時間通りに目が覚めた。
パンと干し肉で軽く朝食をとった後、屋敷を後にする。
それにしてもマホの姿は見えなかったが、まさかまだ研究とやらを続けているのだろうか。
魂に休息が必要なのかは分からないが……まあいい。
ある意味、今回の件でクレイストにおける拠点を一つ得たようなものだ。結果的にかなりの収穫だと言える。
「ここから十三番通りまでって、どれくらいかかるんだっけ?」
「そうですね……どれくらいのペースかにもよるでしょうけど、数時間はかかると思いますよ」
「そこそこ遠い……」
まだ眠そうなヴィルトは目元を擦りながら呟く。
「マホの占い結果を信じるなら夕方に十三番通りに着けばいいでしょうし、ゆっくりめに行きましょうか」
「そうだね。それでいいと思う」
町並みを眺めながら道を歩く。
時折馬車が通っていくが、その頻度はそう高くない。
記憶の中では、何台もの馬車が行き交っていた。
この辺りも寂れたものだ。
「様変わりしちゃったね」
セキヤも同じように感じていたらしい。
呟いたセキヤは、どこか寂しそうな顔で町を眺めていた。
辺りを見渡したヴィルトは不思議そうに首を傾げる。
「昔と違うのか?」
「ええ。昔はもっと……活気のある町でしたよ」
やはり、ヴェノーチェカ家が潰えたことによる影響なのだろうか?
ヴェノーチェカは幅広い事業を手掛けていた。その功績はクレイスト外にも広がっていた程だ。
そのヴェノーチェカがいなくなったことによる急激な失速は多大な影響をもたらしたことだろう。
「でも、むしろ立て直した方なのかもね。もっと酷い時期があったのかもしれないし」
「……少なくとも当時は相当大混乱に陥ってそうですね」
店に目を惹かれているヴィルトの袖を引いたところで、ふと足を止める。
視界に入ったのは、褐色の筋肉質な男だ。
兄様と共にいた、隻腕の大男。
たしか名はサバカといったはずだ。
向こうもこちらに気付いたようで、目が合った。
「あれ、ソランと一緒にいた人だよね」
セキヤも気付いたようだ。
サバカは固い表情でこちらへと近づいてくる。
緊張が走る中、彼は歩みを止めて胸に手を当てた。
「警戒させてしまい申し訳ない」
「……用件は?」
近くに兄様と、あの緑髪の子供はいないようだ。
偶然出会っただけ……だろうか。
「ここで会えたのも何かの縁。彼と話をさせていただきたい」
そう言ってサバカはヴィルトを見た。
ヴィルトは戸惑っている様子だ。知人というわけでもなさそうだが、一体何を話そうというのだろうか。
正直に言って、怪しさしかない。
「この場で言えることでしょうか」
「俺としては話させていただけるだけでありがたい。ただ、彼の故郷に関することである以上、許可をもらいたい」
辺りの人通りは少ない。
ヴィルトが良ければ、ここで話をさせてもいいだろう。
「どうしますか」
尋ねると、ヴィルトは何度か瞬きをした後、頷いた。
「ここでいい。聞かせてほしい」
「分かった。まず確認させてもらいたいのだが……君の故郷はフォッガで間違いないだろうか」
「フォッガ?」
ヴィルトは不思議そうに聞き返す。
思えば、彼の故郷の名前を聞いたことがなかった。
ただ物語にある島という認識だけだ。
「俺の故郷ではそう呼んでいた。あの、霧に囲まれた島だ」
「それなら……俺の故郷で合っている」
「……そうか」
サバカは静かに目を閉じる。
深く息を吸った彼は、真っ直ぐにヴィルトを見据えた。
「まず、詫びを。俺の同胞が君の故郷を奪ったことを……深く謝罪したい」
「……え?」
故郷を奪った?
あの惨劇を、目の前の彼が……いや、彼の言い分であれば直接手を下した訳ではないだろうが、彼の仲間が作り出したということか。
ヴィルトは目を見開き固まっている。
突然のことだ、仕方のないことだろう。
「十数年前、フォッガを覆う霧が薄くなっていると大人達が話しているところを耳にした。俺達の故郷、グロードはフォッガの近くにあり、当時飢饉にあっていたから……他所から奪おうという話になったんだ」
グロードは聞き覚えがある。
たしか鬼人族が住む島だったはずだ。
だが、サバカの額には鬼人族の証である角が見当たらない。
(わざわざそんな嘘をつく必要があるのか……?)
よくよく見てみると、彼の額に二か所だけ微かに光の当たり方が違う部分がある。
肌よりも硬質な丸い跡は、丁度角が生えていそうな位置だ。
角を削ったのだろうか? なぜ?
「俺は反対したが、生憎俺の言葉なぞ誰も聞きはしない。決行され、原住民を滅ぼし資材を勝ち取ったという結果だけを耳にした」
「……どうして、俺に話した? 言わなければ分からなかったことだ」
「君を見た時、その話を思い出した。同族が犯した罪だ、君がフォッガの生き残りだというなら謝罪する必要がある」
俯いたヴィルトが拳を握る。
直接的ではないとはいえ、仇が目の前にいるということだ。
心穏やかではいられないだろう。
「謝られても、彼らは戻ってこない」
「……ああ。その通りだ」
拳を緩めて息を吐いたヴィルトは、サバカを見つめた。
「そもそも、貴方はこの件に関わっていない」
「同族の犯した罪だ。無関係とは言えないだろう」
淡々と、しかし真剣な声色でサバカは主張する。
ヴィルトは緩く首を振り、目を閉じた。
「いい。貴方が謝ることじゃない」
「……かたじけない」
ゆっくりと瞬いたサバカは、私達へ視線を向けた。
「時間をいただき感謝する。では、これで」
「待ってください」
立ち去ろうとする彼を引き止める。
一つ、聞きたいことがあった。
兄様のことだ。
「貴方はなぜ、兄様と共にいるのですか」
「我が主に命を救われた以上、仕えることは当然かと」
「命を救われた?」
サバカは頷く。
兄様に関することだ。聞いておいた方がいいだろう。
「詳しく聞かせていただいても?」
「そう面白い話ではない。売り払われ捨てられた厄介者を拾っていただいた。よくある物語だ」
顎に手を当て、考える。
たしか……鬼人族は、角の大きさが序列と直結する。
彼の角を削ったような跡から察するに、元々生えていた角もそう大きな物ではないように思う。
飢饉があり、外から略奪するほどには貧しいのであれば……そういった序列の低い者を売りに出すことも、そうおかしい話ではないだろう。
ふと思い出す。そういえば、屋敷を逃げ出した道中……旅をする中で、小さな角の鬼人族が売られているところを見た覚えがある。
やはりよくある話なのだろう。
「その腕は?」
「一族で飼っているワニの餌に。全て潰されなかっただけ温情だ」
中々に過激な一族のようだ。
一族の中では彼はかなり紳士的なのだろう。
それでは馴染めなさそうだ。そんな漠然とした感想を抱いたところで、興味を失った。
「聞きたいことは以上です。もう行っていいですよ」
サバカは目を閉じて浅く頷くと、立ち去っていった。
思いもよらない話を聞いたが、ヴィルトは傷を負っていないだろうか。
ちらりと横目に見た彼は、やはり辛そうな顔で地面を見つめていた。
「……行きましょう」
ヴィルトの腕を引く。
彼は俯いたままだったが、こくりと頷いた。
そこから十三番通りに着くまで、ヴィルトは黙ったままだ。
私達も特に何かを話すことはなかった。
今何を言ったところで、彼の心を癒せはしないだろう。
こういったことが得意なセキヤでさえ黙っているのだから、きっとそれが正解だ。
十三番通りに着く頃には、太陽も真上に昇っていた。
記憶通りで、でも確かに違う道を歩く。
あの頃見た町はもっと大きく見えた。
今の方が色褪せていて、でも鮮やかにも感じる。
(それにしても……誰も彼も顔が暗い)
着飾った人々が道を歩いているが、誰もが疲弊した顔をしていた。
この辺りは富裕層が多いはずだが、記憶違いだっただろうか。
いや、確かに身にまとっている服は上質なものだ。間違いないだろう。
「見えました。あれが私の実家……ですが」
赤褐色の屋根の屋敷を指す。
鉄柵からは荒れ庭の雑草が飛び出ている。
門の前には一人の見張りが立っていた。見るからにやる気がなさそうだ。
普段からああして立っているのか、道行く人達は目もくれない。
「兵士? どうして?」
「分かりませんね……ヴェノーチェカの影響は大きかったでしょうが、どうして今になってまで見張りを?」
兵士の腕章にはクレイストのシンボルが描かれている。国お抱えの兵士ということだ。
たった一人の見張りしか置かれていない辺り、さして重要視されてはいないようだが……と思ったところで、考えを改める。
そもそも、この屋敷が残存している時点で奇妙だ。既に取り壊されていてもおかしくないものだと思ったが……更に見張り付きとなれば、何か裏があるように感じられる。
(まさか歴史的価値を見出している? 確かにそれだけの功績はあるだろうが……)
見張りの意味を考えていたところで、セキヤが唸りを上げる。
「どうやって入るの?」
「こっそり柵を越える……?」
ヴィルトの提案は却下だ。
決して人通りがないわけではない。囲んでいる柵を乗り越えるとなると目立ってしまう。
「……賄賂でどうにかなると思います?」
「かなあ」
手持ちの魔石はまだまだ潤沢と言える。
多少渡したところで痛くも痒くもない。
試してみるのもありかと考えたところで、ザッと砂を踏む音が聞こえた。
「そこの三人、何をこそこそしている!?」
突如響いた大声に振り返ると、赤いマフラーをつけた金髪の青年が仁王立ちでこちらを見つめていた。




