第40話 廃屋敷の怪
結局寝てしまったヴィルトをテントに運び込んだ、その翌日。
セキヤの後にテントから出てきたヴィルトは、気まずそうに目を逸らしていた。
「その、昨日はすまない」
「気にしなくていいですよ。貴方にしては頑張ったじゃないですか」
「う……いつか、一晩中起きていられるようになる」
「……頑張ってください」
テントや焚き火を片付けて、小休憩を挟みながら歩き続けること十時間程。
ついに私達はクレイストに辿り着いた。
パノプティスに次いで立派な外壁だ。
門番は眠りこけている。滅多に通る人はいないだろうから暇で仕方ないのだろう。
フードを深く被り、通り抜ける。
下手に起こしてチェックされるよりはマシだろう。
通行料代わりに、魔石を一つ置いておいた。
「さて、クレイストについた訳ですが……」
見渡した町は記憶の中よりも随分と活気が失われていた。
道を通る人は少なく、市も出ていない。
皆して家に引きこもっているらしい。
「……まあいいでしょう。このまま中心部まで進みましょうか」
「ここが、二人の故郷」
「そうだよ。ねえ、行く前にちょっと服屋寄っていい? 俺ちょっと流石に寒いよ」
見ると、セキヤは鼻を赤くしていた。
たしかに、彼は寒いだろう。
ヴィルトは相変わらず衣のおかげで寒くないらしい。
服屋に寄った私達は、セキヤ用にコートを一着買った。
店主は無愛想だったが、まあいい。
「ふー、あったかい……」
セキヤは満足そうなので、それで充分だ。
さて、クレイストは国を名乗るだけあってそれなりに広い。
パノプティスと比べても、外壁内の面積自体は遜色ないどころか遥かに広かった筈だ。
その分、資材確保のための森や未開発の土地も多いが。
「ある程度は馬車に乗っていきましょうか」
「賛成。遠いもんね」
記憶の限りでは、屋敷の近くは富裕層の住居が多い。
旅の者があまり近くまで行くと怪しまれるかもしれない。だから馬車を使うにしても、途中までになる。
御者台に寄りかかって煙草を吸っている男に近寄る。
煙草は苦手だが……仕方ない。
「乗れますか?」
「ん? ああ、お客さんか。どこまで?」
「十五番通りまでお願いします。支払いは魔石で問題ありませんか?」
「おお、これなら充分だ。ほら、乗りな」
魔石を渡し、客車に乗る。
小柄な客車は見た目通りに狭く、三人が収まるにはギリギリの広さだ。
ヴィルトはできるだけ幅を抑えようと肩を丸めている。
当分このままだから痛くなりそうだが……少し我慢してもらうこととしよう。
馬車はゆっくりと進み出した。
揺られながら、町を眺める。
丸太で組まれた家々が立ち並ぶ光景は、記憶の中と一致している。
ただ、あの頃よりも全体的にボロくなった気はするが。
「十五番通りまでって、どれくらい?」
「馬車で通ったことはないのでなんとも言えませんが……この速さなら日が暮れそうですね」
「そうか……」
ヴィルトは肩を落として俯いた。
それから暫く経って。
都心部に近くなってきたからか比較的人通りも多くなってきた。
空を見ると、もう日が傾いてきている。
今日は宿に泊まって、明日屋敷へ向かうことにしよう。
「あの、近くに宿はありますか?」
「ん? ああ、あるよ。その前まででいいか?」
「はい、お願いします」
少しして、馬車が止まる。
馬車を降りると、少しこじんまりとした宿があった。
規模は小さいが綺麗な宿だ。
中に入ると、温かな空気に包まれる。
カウンターに向かうと、退屈そうに頬杖をついていた女が顔を上げた。
「いらっしゃい。住民カードを出して」
「外から来たんです。住民というわけではないので……」
「あら、珍しい。旅の人? なら……なんだっけ。ああ、そうだ。滞在証明書を出して」
滞在証明書。
少し息が詰まった。
私は別として、セキヤは普通に暮らしていたはず。その存在を知らなかったのだろうか?
目を向けると彼は目を逸らした。
これは……忘れていたな。
「ああ……旅の人って珍しいから、渡し忘れたのかも。杜撰でしょ? 笑っちゃうわよね」
女はあちゃあ、と額に手を当てる。
前例があるのなら、これはいけるのではないだろうか?
そんな期待を抱いていると、女はしっしと手を払った。
「それじゃ、そういうことだから帰って帰って」
「あの、どうにかなりませんか?」
「悪いけど、規則は規則だから。他をあたって……といっても、他も大体同じだろうけど」
取り付く島がない。追い払われた私達は、宿を出るしかなかった。
半ば口説き落とす形で押し進めようとも思ったが、下手に顔を出すとヴェノーチェカの者だと気付かれかねない。
馬車ももう見当たらないし、他の宿も望み薄ときた。
「……セキヤ」
「ごめんって……! 久々だから忘れてたの……!」
忘れてしまったものは仕方ない。どの道、今から戻って手続きを……なんて手段は取れない。
「俺の家に行けば、俺の住民カードは残ってるかもしれないけど……」
「けど?」
「ここからは少し遠いし、そもそも俺って何も言わずに出てきてるからね。下手したら追い出されそうっていうか、カード残ってるのかなって」
「そうですか……」
さて、どうしたものか。
もういっそのこと、屋敷に直接向かってそこで泊まってしまおうか。
そもそも屋敷が残っている保障もないわけだが、そこは一度目を瞑ろう。
本当にどうしようもなければ……路上でテントを張るしかない。
そう思っていたのだが……ここから屋敷の場所までが、また遠い。
これは本当に路上で寝るしかないかもしれない。
そう思った時、ふと一軒の屋敷が目に入った。
黒い屋根の屋敷は、どこか異様な雰囲気を醸し出している。
よく見てみれば、手入れがされていない様子だ。
廃墟だろうか。
「セキヤ、あの屋敷……」
「……ゼロも気になる?」
こくりと頷く。
セキヤは屋敷を見て少し考え込んだ後、振り返った。
「正直、宿に泊まれないのはかなりまずいよ。場所を借りさせてもらうべきだと思う」
「一晩だけですし……そうしましょうか」
近づくと、門に貼り紙がされている。
この土地の値段が書かれた紙だ。やはり廃墟なのだろう。
随分と安いが……見たところ古いとはいえ、ここまで値段が下がるようには見えない。
たまに除雪はされているのだろう。庭にはそこまで雪が積もっていなかった。
扉に手をかけてみる。鍵はかかっていないようだ。
ギィ、と軋む音を立てて扉が開いた。
「お邪魔しまーす……」
セキヤが小声で言う。
玄関を抜けると、広いリビングに続いていた。
中は少し埃っぽい。長らく人が入っていないのだろう。
床にはカーペットが敷かれ、中央には長い机が置かれている。
あちこちに積み上げられた本が塔を成していた。
「暖炉あるかな」
「こちらにありますよ」
「お、じゃあ使わせてもらおう」
セキヤは慣れた手つきで薪を入れ、火をつけた。
冷たい空気が段々と温まっていく。
「これで休めるね」
「明日、早朝に出ましょうか」
「分かった」
リュックを下ろし、寝袋を取り出そうとしたところで空気が冷え込む。
暖炉の火は消えていない。奇妙な寒気に肩を震わせ、辺りを見渡す。
カタカタと積み上げられた本が動いていた。
「何です……!?」
「気をつけて!」
浮き上がった本は、ぐるぐると回転しながら飛びかかってくる。
次々と襲いかかってくる本を避けていると、脳を引っ掻きまわすような声が聞こえてきた。
「出て行け……」
暖炉に照らされた本の塔が長い影を作る。
その影は急激に膨らみ、裂けた口が大きく開かれた。
「出て行けェェエエエ!!」
屋内だというのに、風が吹き荒ぶ。
ページを捲られた本は再び浮き上がり、回転し始めた。
「……強い魔力を感じる」
身構えたセキヤが呟く。
「知ってる? 死後、魂は所謂あの世へと送られるけど……強い魔力を持つ存在は、好んで元いた場所に留まることもあるんだって」
「じゃあ、何です? あれは死者の魂だと?」
「多分ね。そうじゃなければ、かなり魔法が使える人間のイタズラかな……まあ、どちらにしても危害を加えようというなら」
目を細めたセキヤはコートの内に手を入れる。
動きを止めた影は、急激に小さくなり柱の影と同化した。
下がっていた温度も戻る。
「待て、待て! ワシが悪かった!」
柱の影から、旗の形をした影が伸びる。ひらひらと揺れるその様は、降参を意味していた。
突然の変わりように言葉も出ない。
先程までの威勢はどこへやら、声もまるで子供のようなそれへと変わっていた。
「つまり貴方はこの屋敷に住んでいる大魔法使いの魂で、私達のことはここを取り壊しに来た業者だと勘違いしたわけですか」
物陰から出てきた半透明の少女は、今にも泣きそうな顔で床に座り込んでいる。
ケープを着た彼女の二つに結えられた長い髪は、床をすり抜けてしまっていた。
ふくらはぎから先は完全に透けていて見えない。
「その通りじゃ。すまんかった!」
床に膝と手をついた少女は深々と頭を下げた。
見たことのない姿勢だ。
「……なんです? その妙なポーズ」
「妙とは何じゃ、最大級の謝罪じゃぞ!」
少女はガバリと顔を上げた。
聞いたことのない方法だが、まあいい。
「はあ、そうですか……まあ受け取っておきますよ」
騒ぎもひと段落したことだ。
ここは一旦互いを知ろうということになり、セキヤは咳払いをして自己紹介を始めた。
「えーと、俺はセキヤ・レグラス。こっちはゼロで、こっちがヴィルト。君は?」
「もう名前も忘れたのう……呼ばれることもなくなってしもうたし、どうでもいいことは覚えてられんのじゃ」
体を起こした少女は、宙に漂いながら腕を組む。
「名前がどうでもいいこと……ですか」
「魔法以外はどうでもいいことじゃろ」
聞けば聞くほど、根っからの魔法狂らしい。
大魔法使いを自称するくらいであれば名が残っていそうだが……本人が興味無しとなれば、確認する手立てもない。
「呼び方がないと不便じゃありません?」
「名前なんぞどうでもいいわ。好きに呼ぶがいいぞ」
「じゃあ、魔法好きのマホちゃんで」
手を叩いたセキヤがにっこりと笑いながら言う。
安直な名付けだが、分かりやすい。
マホはふんと鼻を鳴らす。
「それと、言っておくがワシはこう見えてウン百年と生きておった。死後は更にウン百年じゃ。見た目で侮るでないぞ」
「その割にはあっさり負けを認めましたが……」
「むう、仕方ないじゃろ。今回は例外じゃ、例外!」
マホはチラチラとセキヤを見た。
引き攣った笑顔で、手を揉む。
「その〜……セキヤ様? さっきのこと、怒っておらんよな? なっ?」
「まあ、今はね。それと、そう畏まらなくていいよ」
マホはブンブンと首を振った。取れそうなほどの勢いだ。
「いやいや! そういうわけにもいかんじゃろうて!」
「いいの。俺達は魔法使いでもないただの人間なんだし」
「む、むう……言質は取ったぞ! 後から不敬だなんだとか言うでないぞ!」
「分かりましたから、落ち着いてくださいよ」
マホはレグラス家に何か貸しでもあるのだろうか?
その割には私達にも少し怯えを見せている。
「大丈夫。好きに呼んでいい」
「ヴィルト殿は優しいのう……ああいや、セキヤ殿もゼロ殿も優しいからの! 他意はないぞ!」
慌てて両手を振ったマホは、ふうと息を吐く素振りをした。
魂に呼吸が必要なのかは分からないが……気分的な問題だろうか。
「それで、お主達はなぜここに来たんじゃ?」
「私の実家を尋ねる予定だったんですよ。ですが、予定外のハプニングが発生して……宿に泊まれなくなったところで、この屋敷を見つけたんです」
「ほう……? それはまた運がないのう……ワシもじゃが」
項垂れたマホはぶんぶんと首を振り、両腕を広げる。
「そうじゃ! 今回の詫びとして、一つ占ってやろう」
「占いですか?」
「何を隠そう、ワシは占いも得意でな。今後のアドバイスを一つ授けてやるぞ!」
マホが腰に下げていた分厚い本を開くと、中から数十枚のカードが飛び出した。
巨大な輪を描いて回るカードを前に、マホは目を閉じて何やら念じている。
「むむむ……これじゃっ!」
カッと目を開いたマホが腕を上げると、輪の中から飛び出した三枚のカードが彼女の前に並んだ。
「ふむ……ふむふむ。なるほど、なるほど……」
顎に手を当ててじっとカードを見つめたマホは、大きく頷くとカードを元の輪に戻した。
回転する輪は収束し、本の中へと戻っていく。
「明日の夕方、十三番通りに向かうと良い。良い出会いを得られるじゃろう」
「十三番……というと、丁度目的地ですね」
「なんじゃ、そうじゃったのか。まあ良い、ならば今回の旅は安寧じゃな」
意味が有るのか無いのか、よく分からない占いだったが……仮にも大魔法使いの言うことだ。信頼度は高いだろう。
「お墨付きももらったことだし、今日はもう休もう……あ、場所借りてもいい?」
セキヤの問いかけに、マホは大きく頷く。
「構わんぞ、好きにせい。お主達なら好きな時に来て構わん。毎回もてなしてやれるかは分からんがの」
マホがひょいと腕を振ると、散乱していた本が元の位置へと戻る。
「それじゃ、ワシは研究に戻るぞ。くれぐれも火事だけは気を付けるんじゃぞ? じゃあの」
マホは天井をすり抜けてどこかへと消えていった。
なんとも自由な魂だ。
「……それにしても大魔法使い、ですか。故人とはいえ、とんでもない人物と出会いましたね。歴史上の人物ですよ」
「すごい人……」
ヴィルトは目をキラキラと輝かせている。
ただ、あくまでも自称だ。知っている歴史上の大魔法使いの名を思い出すが、一体どれに当てはまるのか。
なんとも情けない姿が多かったが、ヴィルトにとっては関係ないようだ。
「さ、寝袋の準備もできたし寝ようか」




