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最終話 もしも一つ願うなら

 最後の一口を流し込む。あの子の体はどろりどろりと溶けていき、床に広がっていった。

 手に残った黒い液体に口をつける。甘い香りとは裏腹に苦いそれ。


 甘くて苦いだなんて、まるであの子そのものだ。体の中でトクンと鼓動が重なる。腹に手を当ててそっと囁く。


「愛してるよ」


 本当はずっと救いたかった。二人で一生を幸せに生きたかった。でも、どうも世界はそれを許してくれなくて。

 いつだって何らかの邪魔が入った。それはあの子を貶めた光の神の生まれ変わりであったり、あの子自身を蝕む魂の摩耗であったり。


 その度に私は抗ってきた。光の神リヒトの魔の手からあの子を遠ざけようとしたり、あの子を蝕む穢れを払おうと共に命を終えたり。

 そして今度は荒れ果てた社会と世界の寿命が邪魔をする。


 それならここで終わらせてしまおう。これ以上苦しむ子が出ないように。


 愛しい愛しい我が子達。どうか私を許してほしい。

 私はこれ以上貴方達を救えはしない。私とこの子だけで精一杯なんだ。


 カプセルを口内へ放り込む。こくりと飲み込めば、じわじわと体が温かくなっていく。

 ああ、薬師の彼が残した手記にあった通りだ。微塵の苦痛もなく眠るような心地よさ。死が訪れるだなんて信じられないほどの穏やかさだ。


 腹に手を当てる。あの子もこの心地よさを感じているだろうか? ぬるま湯に浸かるようなこの感覚をあの子も味わっているなら嬉しい。


 もしも一つ願うなら。

 私は。いや、私達は。

 静かに眠りにつくような、平穏な最期を迎えたい。




――――――

――――

――




 ――中央管理センター、最上階。


「何だ、何が起こっている……!!」


 最高管理者ノアは水色の髪を掻き上げてモニターを睨みつけていた。

 モニターに表示された魔力濃度の数値は、何もかもが急激に下がっていっている。異常と呼ぶしかないその現象を前に、ノアもアークも対応に追われていた。


「各施設の鎮火作業は完了しました!」

「それどころじゃないぞ、アーク!! くっ、このままではマスターの望みが、願いが……!」


 白い頬にヒビが入る。ピシ、と嫌な音がして床が傾いた。


「なっ……」


 強く塔が揺れ、浮いたノアの体が窓から投げ出される。

 塔は揺れ続ける。否、崩れたのだ。


「ノア!!」


 後を追ったアークの腕が伸ばされる。

 強い衝撃が二人を襲う。


 瓦礫の中から傷だらけの腕が突き出す。

 ガラガラと崩れる瓦礫の下から抜け出したノアは、ハッとして辺りの瓦礫を撤去し始めた。

 傷が入った腕から紫の循環液が漏れ出していることも気に留めずに。


「アーク、アーク!!」


 ようやく見つかったのは、ぐしゃりと潰れた体だった。

 ノアの優秀な回路はすぐに結論を弾き出す。


 彼のボディもメモリも復旧不可能だと。


「そんな……」


 脱力する彼の肌に次々とヒビが入る。急激に薄まった魔力によって彼の体はその形を維持することが困難になっていた。

 あちこちから循環液を漏らしながらノアは空を見上げた。


 黒。

 ガラガラと崩れる、エデンを覆う天井の向こう。

 段々と白んでいく空に黒く輝く星が一つ浮かんでいた。それはまるで亀裂が入っていくかのように広がっていく。


 もしも一つ願うなら。

 全てが夢であってくれ。




 ――エデン、中央管理センター付近。


「おい神官、どうなってんだ!?」

「分からない。分からないけど、周囲の魔力濃度に異常が――」

「んなこと分かってんだよ!!」


 崩れゆく天井を眺めていた赤髪の娯楽用機械人形アルファが叫ぶ。その顔には焦りが浮かんでおり、どれだけこの状況が異常であるかを物語っていた。

 紺色の髪の機械人形……土の神官マキナもまた、焦りを隠そうともせずに辺りの魔力濃度を測定している。

 水色髪の娯楽用機械人形ベータもまた怯えたような表情で空を見つめていた。


「どうにかなりませんか? このままじゃボク達も……」

「やろうとしてる。でも僕一人じゃ無理がある!」

「つってもオレらはプロトタイプだし、やれることにも限りがあるっての!!」


 チッと舌打ちしたアルファは胸元のコアに触れる。

 それを見てベータも自身のコアを撫でた。


「オレらにできることなんて、ほんの少しの魔力を放出することくらいだ」

「コアを破壊すれば瞬間的にある程度の魔力量を確保できるけど……それだってこの現状に対しては焼け石に水。ねえ神官、ボク達はどうするべき?」


 マキナは二人のコアを見て眉をひそめる。

 コアはその機械人形の根底。破壊してしまえば復元はできない。

 頭部に格納されているメモリが無事であれば記憶をサルベージできる。だが、サルベージした記憶を引き継いだところで同一の個体とは見なされない。


 マキナが悩んでいる間にも辺りの魔力濃度は急激に下がっている。

 ついに中央管理タワーが倒壊した時、マキナは叫んだ。


「破壊して!」


 そう言い終える前にパキンと澄んだ音がした。二人はコアを破壊したのだ。

 ……一見感情があるようにも見える彼らだが、緊急時には正当な神官であるマキナの指示に必ず従うようにプログラムされている。

 崩れ落ちた体を見て、マキナはわずかに唇を噛んだ。


「……僕は神官。世界の維持が僕の役目」


 マキナは髪飾りの魔宝石に触れて目を閉じる。

 体内の魔力を暴走させてでもこの世界を守る。そんな決意が彼にはあった。


 思い浮かぶのは遠い遠い記憶。己が殺めたマスターの姿。

 マキナは心の内でマスターへと語りかける。


 マスターが目指していた、より人に近いボディへの換装が果たされたこと。

 喋り方もより自然になって、いくつもの感情を理解したこと。

 きっと今の己を見ればマスターは喜んでくれるだろうこと。


 でも、きっとこの世界を守るために壊れてしまうだろうことも。

 守りきれるかどうかも分からない。それでもマキナは強い信念をもって世界と向き合う。


 もしも一つ願うなら。

 マスターも愛したこの世界を守れますように。




――下層居住区、とある部屋。


 ガタガタと震える弟エイベルの体を兄ケインが抱きしめる。

 明け方、突如発生した異変。窓は割れて粉々になり、壁も天井も軋んでいる。


 今にも崩壊しそうな状況の中、ケインは怯える弟を宥めていた。


「大丈夫だ、エイベル。俺が側にいる!」

「ケ、ケイン。でも、で、でもッ」

「大丈夫。大丈夫だから……!」


 元よりエイベルは怖がりな性格だった。成長してなりを潜めていたものの、その形質は今も健在だったらしい。

 エイベルは兄の腕に抱きしめられながらぶるぶると震えている。カチカチと歯を鳴らすエイベルの頭を撫でるケインの手もまた、かすかに震えていた。


 こんな状況、いくら気丈に振る舞っているケインであっても恐ろしくないわけがない。


 ケインは毛布をエイベルの頭からかけ、上から抱きしめる。背をさすりながら割れた窓を睨みつけた。


 一体何が起きているのか。ケインには見当がついていない。

 それでも肌を刺すようなピリついた空気から、魔力濃度に異変が起きていることは理解していた。


 ケインはポケットから飴を取り出してエイベルに渡す。最後の飴だったが、こんなに怯えているエイベルを放って自分だけ口にするわけにはいかなかった。


「ほら、エイベル。口あけろ」

「ケイン……」

「飴だよ飴」

「でもケインは?」


 毛布の下から覗くアメジストの瞳には涙が浮かんでいる。

 ケインは肌を刺す痛みに息を詰まらせながら笑顔を浮かべた。


「俺はもうさっき食べたから」


 本当は食べてなんかいない。しかしエイベルはその嘘に気づかず、口を開けた。エイベルは放り込まれた飴を口の中で転がしながらケインの腕にしがみつく。


「大丈夫。大丈夫だ……」


 本当は大丈夫じゃないのかもしれない。そんな最悪の予感を覚えながら、ケインはエイベルの背を撫で続けた。


 もしも一つ願うなら。

 変わり映えのない明日が欲しい。




 ――外郭。


 スリープモードに入っていた黒髪の機械人形、プロトタイプ・オメガは緊急時の特殊フローによって再起動を経て目覚めていた。

 パラパラと崩れた瓦礫の破片が体に降り注ぐ。ますます傷だらけになった体のまま、オメガはぼんやりと虚空を見つめるばかりだ。


 魔力濃度に異常が発生していることは分かっている。それでもオメガにとって気掛かりなのは、マスターが言っていた『検査』が無事に通ったのかどうか。そしてマスターがどこにいるのかどうかだ。


「マスター」


 スリープモードに入ってから五年の時が経っている。

 マスターが近くにいるかどうかは分からない。それでも探さなくてはいけないとオメガは立ちあがろうとした。


 しかし体は思うように動かない。己の脚が破損していることを思い出したオメガは、床に横たわると腕を伸ばした。


 オメガは床を這って進む。何度もマスターと呼びかけながら、ガタガタに割れた床の上を進み続ける。割れた床の破片で体を傷つけながらも、ひたすらに。


 一体どこまで進んだのかも、マスターがどこにいるのかも分からない。ただ分かるのは、己の稼働可能時間が残り少ないということだ。

 流れ続けた循環液の残量は全体の六割を切った。これ以上漏出すればシステムを維持できなくなるだろう。


 オメガはこれ以上の捜索を諦め、体を起こして座り込んだ。口を開き、歌と呼べるのかも怪しいメロディを唇に乗せる。

 マスターに褒められたことのある曲を、延々と繰り返す。

 きっとマスターが見つけてくれると信じて、終わらない歌を。


 オメガの目に映るのは荒廃した工場でもなければ空から見下ろす黒い星でもない。

 綺麗な工場の中庭にある木の下で、マスターと並んで共に歌う光景だった。


 もしも一つ願うなら。

 マスターの隣を歩きたい。




 ――外郭、魔法石の部屋。


 輝きを失い、割れた魔石に囲まれた部屋の中。ロステッドの神父パシアはふらふらと立ち上がった。

 タバコを吸っていてもなお痛む体に顔を歪めながら向かうのは赤子の元だ。


 既に何人もの同胞が事切れた。床に伏すロステッド達に何もできなかったとパシアは悔いる。

 まだかろうじて息がある者は片手で数えられるほどしかいない。

 赤子の両親も既に息を引き取っていた。


「大丈夫だ」


 赤子は大声で泣き叫んでいる。体を襲う痛みにか、それとも両親の死に対してか。パシアには分からなかったが、ただ一つ分かるのはこの子を放ってはおけないということ。


「大丈夫」


 パシアは何度も繰り返しながら赤子を抱き上げた。ゆっくりと揺らしてあやすが赤子は一向に泣き止まない。パシアはそれでも諦めずにあやし続けた。

 段々と赤子の鳴き声がか細いものへと変わっていく。ただ泣き疲れたからなのか、その命が吹き消されようとしているからなのか。パシアにもこれは理解できた。


「大丈夫、だから」


 パシアは少しでも赤子を守ろうと、体を丸めて赤子を包み込んだ。結果としてそれは赤子を魔力の薄さから多少守れたが、赤子が息絶えるのも時間の問題だ。


「……ルクス」


 赤子につけた名を呼ぶ。彼らが神の本と呼ぶある神父の日記に記されていた名前だ。

 赤子の鳴き声が止む。懸命に息を吸おうとする音だけが命の証明だった。


 もしも一つ願うなら。

 せめて、この子だけでも助かりますように。




 ――中央管理センター、下層部。


 グラグラと世界が揺れる。今にも寿命が尽きようとしているのだと叫んでいる。

 その叫びを聞き取ったダアトは目を閉じたまま世界の終わりを待っていた。


 彼の脳裏を過ぎるのは一万年を超える歳月の記憶。

 浮上した意識、自覚した自己という存在。

 初めて目にした生命の息吹から、初めて目にした生命の終焉。

 継がれていく生命の輝き。その愛おしさ。


 やがて成長した生命の愚かなる選択。世界を襲った一度目の悲劇。

 時に名を変え姿を変えて世界を見守り続けたこと。

 時に大神官として世を整えたこと。


 世界中の犯罪者を集めた牢獄で看守の一人として働いたこと。時に管理人に助言を下したこと。


 この牢獄が町として開放されてからは司書としても大神官としてもこの町に仕えたこと。


 数多の思い出が過ぎる。これを人は走馬灯と呼ぶのだろうかと、ダアトはひとり心の中で呟いた。


 中央管理タワーが倒壊する音が地下まで届く。今頃地上は阿鼻叫喚の地獄となっているだろうことはダアトにも分かっていた。


 今までずっと見守ってきたこの世界。延命をはかってきたこの世界において、神官の居場所を聞き出した後の彼は不要なものとして扱われた。

 ダアトは一人、うっすらと微笑む。


 たとえそんな扱いを受けていようと、彼にとってこの世界も子供達も愛しいものであることに変わりなかった。ただ少しばかりの失望が彼の瞳を曇らせただけだ。


 もしも一つ願うなら。

 子供達の最期が少しでも安らかなものでありますよう。




 ――生産センター。


 ガラガラと崩れていく施設の中、一組の男女が手を重ねて眠っている。

 否、眠っているのではない。二人の心臓はとうに冷えきっていた。


 かつて笑い合っていた兄妹は微笑んで寄り添い、その息を引き取った。

 まるで別人のような姿に成り果てながらも、かつてと同様の穏やかな表情で。


 この惨状を知らずに逝けたことは、この二人にとって幸福であることに違いないだろう。彼を解放した男の願い通り、彼らの最期は穏やかなものであったのだから。


 彼らは最期、同じ願いを抱いた。どちらも口にしなかったが、きっと片割れも同じように考えてるはずだという確信を持っていた。


 意識を失う瞬間に抱いた、小さく純な願い。


 もしも一つ願うなら。

 次に生まれ変わることがあるならば、また共に笑えますように。






 ――???


 いくつもの泡といくつもの色が漂う空間にて。

 彼は手のひらの上でガラスのように硬質な光を放つ泡の中でガラガラと崩れゆく世界を眺めていた。


 彼の名はセイム。しがない奇術師と自称する男である。


 退屈そうに伏せられた眼に宿っているのは、底の知れない絶望ばかり。

 ついと指先で他なる泡を引き寄せた彼は、二人の女性――悪魔ラーナスと堕天使クレスティアを引き連れてその世界へと入り込んだ。




 これにて物語は幕を閉じた。世界の誕生から最期にかけて見守ってきた私も一つの役目を終えたと言えるだろう。

 しかし、たった一つぽっちの物語で観客は満足できるだろうか?


 答えは当然、否である。


 無限に広がる世界群の中では異なる世界が、生命が、物語が、今か今かと誕生の声を上げようとしている。

 ならばそれらを見守るのもまた私の役目と言えるだろう。


 次の物語では果たしてどのような舞台でどのような役者が登場するのか。それらをどう導くかが、私に課せられた使命だ。


 伸びた黒い前髪を指に絡める。私の姿をあの舞台における役者に例えるならば……神父キュリオ・レーツェルと瓜二つと言えるだろう。もっとも彼と違って私の顔にある無数の目は黒髪のカーテンによって完全に覆われており、付け加えて私の髪は彼のようにうねってはいないが。


 この髪に覆われた目に映るのは次なる世界。果たして悲劇となるか、喜劇となるか。

 サイコロを振るように、あるいは気まぐれに棒を倒すように。さながら運命に導かれるかのように手を動かす。私の手の上に浮かぶ巨大な本は、自身に記された通りに舞台を動かすだけだ。


 さて、物語は幕を閉じたがカーテンコールはまだ終わっていない。

 この後書きに何を綴ろうか。

 開いた本を前にくるりとペンを回して考える。


 よし、最後の一文はこうしよう。彼、あるいは彼女もこれを望んでいるはずだ。


 もしも一つ願うなら。

 次なる物語にもピリオドを記せますように。

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