第108話 心の中
「……あの、初めて会ったはずですよね?」
あの子は戸惑った様子で私を見つめている。
まだ気づいていないのか……それもそうだ、あれから随分と、本当に長い間待たせてしまった。
すぐに見つけられなかった私の落ち度だ。
「初めてだけど初めてじゃないよ、ツェル……いや、ゼロ」
「どうして私の名前を……?」
ぱちりと目を瞬かせた彼は、暫く私の顔を見つめた後にビクリと体を震わせた。
「セ、キヤ……? いえ、まさか……まさかそんなはずは」
その顔にはわずかな怯えが浮かんでいる。ずる、と音がして彼が後ずさる。
「そうだよ」
「や、やはり私を恨んで……ッ」
「恨む? そんなことないよ。ただ迎えに来たんだ」
一体何を怯えているのか、彼は私と目を合わせようとしない。一歩近づくと一歩ほど下がる。……なんで逃げる?
より近づこうとすると、彼は震えた声で言い放った。
「なら、どうしてあの時私に死んでほしいだなんて……!」
「あの時?」
「……待ってください、本当に貴方はセキヤなんですか?」
ようやく目が合う。しかし今度は疑いの目だ。
あの時……あの時? この子と別れることになったのは千年前……闇の神官メレクと戦った時。
そういえばあの時、髪を切っていた気がする。ああそうか、鑑定眼か。
「あの時は……どう説明したらいいかな」
頬を掻く。どこから説明したものか……まあでも、簡潔に伝えるならこれだろうか。
「もう勝てないって悟ったんだよ。だから一緒に死んで……一緒に転生しようって、そう思っただけ」
「転生って……」
「ほら、こうして会いに来たでしょ? 遅くなってしまったけど……でも、ちゃんと覚えてるよ。三人で旅したことも全部」
微笑みかけてみると彼は少し目をさまよわせた。おそるおそるといった様子で右目を覆う髪に触れる。
前髪を掻き上げようとした彼だったが、その目が露わになることはなく、どろりと溶けたような白い髪に手が沈むばかりだった。
「……分からないんです。貴方の言っていることが本当なのかどうか」
俯く彼に手を差し伸べる。
この子はただ不安になっているだけだ。なら、私が落ち着かせてあげないといけない。
「どうか信じて」
口にする言葉はただそれだけ。これだけで充分だと、そう思った。
彼は目元を震わせた。だんだんと今にも泣き出しそうな顔になり、ぽたりと黒い涙が落ちる。
「セキヤ」
「うん」
「セキヤ……!」
「なあに」
私の手が両手で包まれる。白い肌はひどく冷たくて、私はもう片方の手で包み返した。
「私、ずっと……ずっと、怖くて」
「うん」
「あ、貴方達の蘇生を願うべきだったのに、私」
「ゆっくりでいいよ」
そっと包んだ手を撫でると、彼はゆっくりと話し始めた。
アンディスで私とヴィルトが死んだ後、一体何があったのか。
願いが叶う地で何を願ったのか。
「あの時の私は、とても愚かで……目の前の恐怖に負けて、永遠の命を願いました」
「その結果が、今の姿ってこと?」
「……はい」
段々と俯いていく彼の頬に手を当て、上げさせる。
可哀想に、こんなにも怯えてしまって。一体誰がこの子をこんな目にあわせたんだ?
「怖かったね。でももう大丈夫だよ」
「……怖いんです。何度も、何度も何度も何度も……死んでいく別世界の私達の中には、貴方に殺された者もいて」
「別世界?」
私に殺されたことがある? 一体何を言っているんだろう。
たしかにこの子を殺したことはある。でもこの子にその記憶はないはずだ。当然ながらゼロとしてのこの子を殺したことはないのだから。
「いくつもの色に髪を染めた男が、私に呪いのようなものをかけて……そのせいで、別の世界で生きている私が死ぬ度にその記憶が流れ込んでくるんです」
異世界……とはまた違うのだろうか。
この子の言う『男』に少し引っかかるところがある。なんだったか……そう、光の神リヒトが他の六神ではない何者かと話していることがあった。その時話していたのが、丁度そんな見目をしていたはずだ。
「死ぬのが怖いんです。でも、もうこれ以上こんなことを続けたくない……」
呟かれた声はひどく震えている。私の右手を握る両手も震えていて、どれだけ怖がっているのかがよく伝わった。
「大丈夫。怖くないよ」
「怖いんですよ……! あんな、あんな苦痛、もう……」
「ここに苦しまずに死ねる薬があるんだ」
カプセルが入った袋を見せる。……まあ、あと一つしかないんだけど。
レシピは何世か前に掘り起こせたし、素材は時間がかかったものの集められた。幸いこの辺りに生えていたものばかりだったから本当に運がいいと言えるはずだ。それでも三個しか作れなかったわけだけど……あの二人に渡さないという選択はできなかった。
「苦しまずに……?」
「この薬の名前は『ルクス』……ほら、一時期一緒に旅をした薬師がいたでしょ? 彼が開発した薬だよ」
どうやらこの名前をつけたのは一緒に行動していた神父のキュリオらしい。
この一粒をこの子にあげて、私は自分で終わらせよう。ナイフは懐にある。この子を見送ってすぐに後を追えば魂を消滅させるには充分な時間がとれるはずだ。
「ああ、覚えがあります……でも、一つしかありませんよ」
「うん……そうなんだ。だからこれは使ってほしいな」
「貴方は……?」
「これがあるから、後を追うよ」
ナイフを見せると、彼は首を振った。
「貴方まで死ぬ道理はないでしょう……!?」
「だって生きる理由がなくなるからね。それに……ここに来るまでにいろいろやらかしちゃったから、戻る場所もないんだ」
「そんな……」
ああ、本当に優しい子だ。こんなにも私のことを思ってくれている。何度も殺された記憶を持っているというのに、それでも。
私はとっくに自害なんて慣れてるから心配することないのに。でも、その心配が心地いいのもまた事実で。
「……薬は貴方が使ってください」
「けど、そしたら……」
「私は……いいんです。でも、一つお願いがあります」
彼は自分の胸に手を沈めた。一体どんな構造になっているのか皆目見当もつかない。
体の中から小さなハート型のガラス瓶が取り出される。その中は赤い液体で満たされていた。
「それは?」
「……これは私の命そのもの。これを、貴方に壊してほしいんです」
「壊すって、それじゃあ」
彼は薄く微笑む。……この千年、一体何を経験したのだろう。まるで別人かのように表情が動いている。
「私は死ぬでしょうね」
「怖いんでしょ? いいの……?」
「セキヤ、貴方の手で……本当の私が共に時を過ごした貴方の手で死ぬのなら、これ以上なく相応しい最期だと思いませんか?」
赤い瞳には間違いなく恐怖が渦巻いていて、なのにそれを覆い隠すように強い決意も含まれていた。
「私はあの時、貴方を信じることができなかった。だからこそ、今度は貴方を信じたい」
「……分かった。そこまで言われたら、受けないわけにはいかないね」
ハートの小瓶を受け取ると、ちゃぷんと中身が揺れた。
壊す。壊す、か。この子の命をそんな雑に壊してしまいたくはない。
瓶の口の部分にナイフを当てる。カンッと滑らせるように当てると綺麗に開いた。中身も溢れてない。
小瓶を軽く揺らすと中身が小さく渦を巻く。感じていた甘い香りが更に強くなった。あの香りの大元はこれだったのか。
そっと瓶を口元に寄せる。ああ、とても甘い香りがする。
あの子は何も言わず、じっと私を見つめるばかりだ。ただ穏やかに、少し寂しそうに、そして悲しそうに……小さく微笑んでいる。
く、と瓶を傾ける。甘ったるい香りと味が口の中に広がっていった。
意外と飲みやすい。飲んでいくにつれ、あの子の体がドロドロと溶けて崩れていく。あと一口というところで声がかけられた。
「セキヤ」
「ん、どうしたの?」
「……手を」
どろりと溶けた手が伸ばされる。
「手を、握っていてくれませんか」
「勿論」
そっと手を握る。
冷えきった手から伝わる力はとても弱々しかった。




