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第107話 セリヴァン

 残された時間は明日の日の出まで。生産センターの異常に気づかれるとしたら大体それくらいの時間だろう。

 できればその時間を最大限捜索に充てたいところだが、その前に一人会っておきたい人がいる。


 中央管理タワーまで向かいながら考えるのはあの兄妹のこと。

 彼らには悪いことをした。


 上層部の人間は裕福だと思われがちだが、実のところそうでもない。いや、確かに裕福ではあるのだろうが……自由度は低いのが実情だ。

 コーヒーのような真の嗜好品は手に入る。だが、埋め込まれる追跡装置はロステッドや下層部の人間と比べると遥かに精度が高く、ほぼ常に監視されているようなもの。


 だからこそ、自分で調査には出られなかった。今日この日のために一定の生活ルーティンを組まなければならなかったからだ。

 外出は視察と称した各施設への移動と数十分の散歩のみ。滅多に家へは帰らず、月末月初は生産センターの監視室で夜を過ごす。


 全てはこの一夜を疑われることなく自由に動くため。その為には誰かに駒となって働いてもらう必要があった。


 それが彼、ニールだ。妹エポルのことを強く想っていることは掃除屋の間に流れる噂で耳にしていた。妹はいくつもの資格を得ていて、そして彼自身の評判も申し分ない。

 妹のためを思えば一生懸命励んでくれることだろう。そう考えて極秘任務と称して以前から目をつけていた失踪事件の調査を依頼した。


 外郭へ逃げたロステッドの捜索依頼を出したのも、あの赤髪のロステッドに会わせるため。いつか使えないかと種を蒔いていたが、ここで役に立ってくれるとは思わなかった。

 上層部への不信感を少しでも持ってもらえば、いざというときに逃走する選択をするだろう。現に彼はその道を選び、捕えられた。


 一度生産センターに入れてしまえば、後は俺の管轄になる。誰かと接することもなくなる以上、極秘任務のことを口外する可能性も消える。

 元々は失踪者のデータを得るためにある程度の地位を確立させる必要があって上を目指していた。ここに来るまで苦労したが、それだけの価値はあったと言えるだろう。


 調査が難航していたときはどうしたものかと思ったが、こうして必要な情報は得てくれていた。大体の居場所が分かれば十分だ。


 そうこうしている内に中央管理センターに着く。気付かれる可能性がないわけではないがその時のためのこれだ。ポケットに入れていたボタンを押しこむ。これで各施設に仕掛けていた爆弾が一斉に爆発したことだろう。中央管理センターの入退室ログを見ている場合ではないはずだ。

 カードを装置にかざすと扉が開いた。

 図書館だった頃の名残か、一階の壁一面に棚が並んでいる。それらを通り過ぎて向かうのは地下だ。


 少しボロボロになっている階段を降りて、降りて、ひたすらに降り続けて……辿り着いたその部屋には、壁にはりつけにされる形で四肢を拘束された男の姿があった。


 かつて図書館の司書をしていた、大神官でもある彼。


「久しぶりですね、アシック。いえ、ダアトと呼ぶべきでしょうか」


 うなだれていた彼は顔を上げて私を見つめる。その姿は千年前と変わりない。しいて言うとするなら、その目に絶望が宿っていることくらいだろう。


「……ああ、貴方でしたか。今の名は?」

「知っているでしょうに、相変わらず律儀ですね。セリヴァン……それが今の名前ですよ」

「セリヴァン殿ですか。貴方の敬語は慣れませんな」

「今において無難な話し方なものでしたから……もう慣れたけど、正直少しだけ疲れるよ」


 ひらりと手を振ると、ダアトはゆるりと首を傾げた。


「おや、戻されるのですか」

「もう誰も聞いていないだろうからね。今は上から下まで混乱しているんじゃないかなって」

「随分と暴れられたようで」

「まあね」


 十数年かけてゆっくりと仕掛けた自信作だ。相応の働きはしてもらわないと困る。

 ダアトはくすりと笑った。もう咎めることもないのだなと思うと、彼も変わったのだと実感が湧く。


「何か私めに聞きたいことでも?」

「特には。最後の挨拶くらいはって思っただけだよ」

「律儀なものですな。して、会いにいかれるのですかな?」

「そのつもり。ようやく大体の居場所を見つけたからね」

「……その後は?」


 聞かなくても分かっているくせに。肩をすくめて笑う。


「終わらせるつもりだよ。これ以上こんな世界で生きていても『次』を選んでも……幸せになれないからね」

「そうですか」


 ダアトは柔らかく頷くばかりで、やはり咎めることもしない。


「意外。引き止めないんだ?」

「こちらの台詞ですな。貴方は最もこの世界を愛しているものと思っておりましたから」

「正確には人間を、かな。人間は全て我が子のようなものだから……見守っていきたいという気持ちはあった。これは本当だよ」


 千年前。あの頃の彼らにはまだ先があった。けれど、今は。


「でも、もうこれ以上は見ていられない。このまま幸せになれないのは私達だけじゃなくて、ほとんどの人間にも言えることだから」

「だから滅ぼそうと?」

「そういう貴方も、とうに見放したんでしょ?」

「……ええ。今となっては、この世界の最期を見届けようと思っております」


 私達は似た選択をしたようだ。遥か昔に世界を救った聖女が今度は滅ぼす側に回るだなんて、なんとも皮肉なことだけど。


「それに滅ぼすというよりは、延命をやめるってだけ。私が何かをしなくても、ここまで壊れてしまった世界は……いずれ滅びる運命でしょ?」


 返事はない。だが、その無言は肯定だ。


「今の私にはもう昔のような力も残っていないからね。もう一度聖女様のお力を……っていうのはできない。見たら分かると思うけどさ」

「だからといって他の神々の魂を取り込むのは少々やり過ぎだと思いますが」


 じとりと睨みつけられる。なんだ、そこは咎めるんだ。

 両手を上げて軽く振る。


「悪かったって。でも、そうでもしないと保てなかったんだよ……記憶を持ち続けるのは思ったより負荷がかかるみたいでね。さて、そろそろ行かないと。時間は有限だ」

「……一つ、言わせていただいてもよろしいですかな?」

「うん、いいよ。何?」


 ダアトは目を閉じると、頭を深く下げた。


「あの日、私は何者かの干渉を妨げることが出来ませんでした。その影響か、ゼロ殿……いえ、ツェル様の魂が囚われてしまった。フィオーレ様には申し訳なく思っております」

「貴方って本当に真面目だね、アシック。私自身どうにもできなかった。貴方だけを責めるつもりはないよ」


 それに私なんて悪魔のような二人組に捉えられて、何百年も囚われてしまっていた。なんとも情けない話だ。あんな甘いばかりの夢に足を取られるだなんて。


「それじゃあ、さよなら」


 向けた背中に声は返されなかった。ただ哀れむような視線を受けながら部屋を出る。

 さて、あの子を探しにいかないと。随分と待たせてしまったから、拗ねているかもしれない。


 無事に中央管理センターを出ることができた。やはりあの爆弾達は充分に働いてくれたらしい。

 向かうは中層の人間達が暮らす場所。施設からは少し離れているから目につくことはないはずだ。

 それでもできるだけ監視カメラは避けて通る。


「この付近かな」


 ニールの報告では甘い香りがして、異質な扉が現れたと……そう言っていた。そして中には異形がいたと。

 きっとその異形があの子に違いない。


 扉が現れる時間は決まっていないらしい。あの子が私を呼んでくれることを祈るばかりだ。


 ぶらぶらと辺りを歩く。遠くが少し明るいのは施設が燃えているからか。

 すん、と空気を嗅いでみても特に何の匂いもしない。付近に扉はないということだろう。


 じっとしているよりは動いていた方がいいだろうか。

 辺りを歩きながら香りを意識する。


 もしこれで見つからなければ……気づかれる前に戻って追跡装置を傷口から押し込めばまだなんとかなるか?

 ……いや、あの兄妹を解放した時点でもう手遅れだ。繋いだままであれば何とかなったかもしれないが。


 でも仕方ないじゃないかと思う。あれだけ妹を想う姿を見ていて、何もしないなんてこと出来やしない。

 私はこの世界を見放しただけで、彼ら個人を見放したわけではないのだから。


 ふと鼻先を通り抜けた香りに足を止める。

 少し酸っぱさの混じった、甘い香り。報告にあった香りってこれじゃないか?


 少しぼうっとするような濃厚な香りだ。自然と足が香りの元へ向く。

 なるほど、これは抗いがたい誘惑かもしれない。こうして誘われて……捕食されるのだろうか。


 誘われるがまま歩いていくと、木製の扉があった。この夜道でも明るく見える。


「うーん、たしかに異質な扉……」


 裏を見てもどこにも繋がっていない。これも報告にあった特徴だ。

 つまりこの先にあの子がいるということになる。


 ふー、と深く息を吐いて心を落ち着かせる。あの子に会うんだ、かっこ悪いところは見せられない。

 扉に手をかけると簡単に開いた。


 白と黒だけで構成された、何の家具もない部屋。その奥に黒い何かが目を閉じて佇んでいた。

 白い肌、白い髪、黒い体。報告にあった姿のその顔は、記憶の中のものと限りなく一致していた。


 あの子はゆっくりと目を開ける。私を見ると、薄く微笑んで手招いた。


「外は暗いでしょう? どうか怖がらないで。さあ、中へどうぞ」

「待たせてごめんね」


 一歩部屋に踏み入れる。あの子は訝しげに私を見つめていた。

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