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間話 赤の話

 すっと意識が浮上する。どうやら机に突っ伏して眠っていたらしい。

 固まった体を動かせばポキポキと音が鳴った。寝落ちる前までモニターをずっと見ていたからか目が疲れているような気がする。

 それにしても懐かしい夢を見た。いや懐かしいと呼ぶには遠過ぎて、少し恥ずかしい話だ。


 休憩がてらコーヒーでも淹れよう。席を立って部屋の隅に備えつけてある魔道ポットに水を入れる。湯を沸かしながら豆を挽き始めた。


 ……それにしても、本当に遠い昔の夢だった。

 そう、あれは今から……千年前の話だ。




「ここは……?」


 青い、どこまでも青い空が広がっていた。

 俺はたしか……たしか、なんだったか。頭がぼんやりしている。

 そうだ、たしか俺は死んだんだ。死んで、そして……何かをしようとして……。

 何かって、なんだっけ?


 寝転んだままぼんやりと空を眺めていると、二つの影がかかる。バッと飛び起きた俺の前で二人はクスクスと笑った。


「どうやら目が覚めたようだな」


 短めの金髪にピンクの瞳。うっすらと笑みを浮かべた女には黒い尻尾が生えている。


「ずっと起きないのかと思っちゃった。良かったぁ」


 もう一方は長い金髪に赤い瞳。満面の笑顔で両手を合わせる女には黒いボロボロの翼が生えていた。

 ……彼女達は何だ? 悪魔か何かの類か?


 理解が追いつかない俺を置いて、二人は何もない雲と空だけの空間に唯一浮かんでいる大きな扉を指差す。


「どうだ、あそこにある扉は見えるか?」

「あれはね、貴方の願いを叶える扉なの。きっと貴方が望んだ世界が広がっているわ」

「願いを叶える扉? 望んだ世界……?」


 この二人は何を言っているんだ? 片翼の女性は困惑する俺の手を引く。


「さあ、開いて。中を見てみるの」

「開いてって言われてもね……」


 とりあえず扉に触れてみると、扉は簡単に開いた。

 途端に眩い光が扉の向こうから差し込んで、咄嗟に目を閉じる。




「……ここは」


 目を開くと黒い岩の地面が視界に飛び込んできた。見渡せば黒い大樹、暗い空が広がっている。

 隣には青髪の男と銀髪の男がいた。


 濃い闇の魔力、焼けそうなほど熱い風。


 ……ああ、そうだ。ここは俺が死んだ場所だ。

 もう一度やり直せるのか? やり直せるというのなら。


「今度は負けない……」


 銃を握りしめて、前に立つ翼を失った天上人を睨みつける。

 神官がなんだ、天上人がなんだ。邪魔をするというのなら……俺の願いのためなら、そんなもの薙ぎ倒してやる。


 何発も何発も、細い体を狙って弾を撃ち込む。次の瞬間には目の前まで急接近してきた刃をギリギリで避け、もう一発放つ。


 放たれた弾は神官の右肩を抉った。――いける。

 そう油断したからだろうか。


 俺の腹に刃が食い込む。一瞬、時間が止まったかのような錯覚。

 切り裂かれた腹から血が溢れ出す。あ、これ、駄目だ。


 次の瞬間には首に縄がかけられ、体が宙に浮いた。霞む視界の中で銀髪の彼に手を伸ばす。


 俺だけが死ぬなんて駄目だ。あの子も一緒じゃないと。

 ……あれ、なんで一緒じゃないと駄目なんだっけ。


 目の前が真っ暗になった。




 ハッと目を覚ます。青い青い空が一面に広がっていた。

 雲の上で横たわっていた体を起こすと、あの二人の女性が扉の両隣に立っている。


「残念だったな」

「次は違う世界で楽しんだらどう? なにも現実そっくりな世界じゃなくちゃいけないなんてことはないの」

「次……? 違う世界? よく分からないけど……」


 でも、もしあの扉をくぐることで人生をやり直せるというのなら……それを拒む道理はない。

 扉の前に立って手をつくと、やはり簡単に開く。


 視界が白んだ次の瞬間、俺は落ち着いた部屋の中で椅子に座っていた。

 ここは……家? でも、俺の知ってる家じゃない。


 チャイムが鳴る。外に出ると銀髪の男が立っていた。俺の知る彼よりも幼い姿だ。


「おはようございます」

「あ……ああ、おはよう」

「どうしたんですか? 妙な顔をして。ほら、早く行きますよ」


 鞄を肩にかけた彼は先に歩き出してしまった。

 急いで玄関の鍵をかけて、彼の隣まで駆け寄る。


「まさか貴方が転校してくるとは思いませんでしたよ」

「え? ああ、えっと……やっぱり一緒の方がいいよねって思ってさ」


 俺の知らない記憶が俺の中にある。

 そうだ、俺はこの子を追いかけて別の町から移り住んできたんだ。

 同じ学校に通いたくて、それで。


 何でもない日常が始まる。あの子とは違うクラスだけど、それでもいい。

 休み時間になればあの子がいるクラスまで行って、時間いっぱいまで一緒に過ごす。とても幸せな生活だ。


 今日もあの子のクラスに向かう。その道中、あの子を見つけた。

 俺は目を見開く。そこにいたのはあの子だけじゃない。短い銀髪の男が、あの子に詰め寄っている。


「……あの、やめてください」

「まあそう言うなって。悪い話じゃないだろ? なあ……」


 俺は側にあるロッカーからほうきを掴み取って男の元へと歩み寄る。


「その子に手を出すな」

「は? 何だ急に。お前には関係ないだろ?」


 箒の先を突きつけて睨みつける。


「いいや、関係ある。今すぐに離れないなら……容赦しない」

「へえ?」


 ニヤリと笑った男はあの子から離れ、細めた目で俺を見る。


「やってみろよ」


 殴りかかってきた拳を避けて箒を突き出す。

 男はひらりと身を翻し、そのまま蹴りを繰り出してきた。


「くっ」


 腕で受け止めて弾き返す。あの子が見ているんだ、格好悪いところは見せられない。俺が、俺が守ってあげないといけないんだ。


「これで……ッ終わりだ!」


 思い切り箒を振り下ろす。受け止めて少し体勢を崩したところに、もう一度突きを繰り出した。


「うっ……」


 箒の柄が男の腹にめりこむ。腹を押さえてうずくまった男を見下ろすと、自然と口角が上がっていく。


「……これで決まったな。今後一切、その子に近づくな」


 俺はあの子の腕を引いてその場を離れた。

 人がいない場所を探して屋上に辿り着いた。


「先程はありがとうございました」

「そんな、当然のことをしただけだよ」


 ぽりぽりと頬を掻く。ふいに温もりを感じ、隣を見ると俺の腕に抱きつくあの子の頭が見えた。


「頼りになりますね……」

「そ、そう? ははっ、なんか照れちゃうな」


 ああ、なんて幸せなんだ。

 誰にも邪魔されずにあの子と一緒に平和な日常を過ごす。これが、これこそが俺が求めていたものだ。




「やあ、おかえり」

「楽しめたみたいね。よかったあ」


 青い青い空が見える。体を起こすと、やはりあの二人が立っていた。

 とてもいい一生を過ごした。そうだ、俺はあんな生活を欲していたんだ。


「次の世界も楽しめるといいね」


 二人に見送られて扉に手をかける。

 初めは怪しいと思っていたこの扉に触れる抵抗感もなくなってきた。ああ、楽しみだ。またあの子と一緒に平和な日常を。




 そうして俺は何度も繰り返した。何十回と、もう数えるのも忘れてしまうほど。

 早く、早く次に行きたい。次の世界へ。

 きっとこれは神からのプレゼントなんだ。


 最早あの二人のことも視界にはない。扉へと手を伸ばす。

 いつも通りに世界が白んでいく。さあ、次はどんな世界なんだ?


 そんな俺の期待とは裏腹に、景色はそう大きく変化しなかった。


 青い空、足元には白い雲。ただ扉をそのままくぐり抜けたかのような景色。


 ただ一つ違うのは、その先に一人……黒髪の誰かが立っていることだった。


 黒髪の男はゆっくりと振り返る。透き通るような白い肌に、頭頂部に生えた獣のような耳。諦めを滲ませたような黒い瞳。

 彼は俺をじっと見つめて、ふっと瞼を伏せる。


「嘘つき」

「……ぁ」


 それだけを言って、彼は背を向けた。思わずその背へと手を伸ばす。しかしその手が届くことはなく、ただ空を切るだけだった。


 そうだ。ああそうだ。そうだった。

 俺が……いや、私が望んでいたのはこんな夢幻じゃない。私が守りたいのは彼であって、あんな作り物じゃなかった。

 きっと彼が現れたのは優しさからだ。嘘つきだと言っておきながら、私が貴方を救うことをまだ待ってくれているのだろう。


「ごめんね」


 彼が消えた先には雲が続いていない。下を覗けば薄らと地面が見える。

 もうこんな場所にいる理由もない。きっとこれは彼が示してくれた『出口』だ。

 私は何の躊躇もなく雲の足場から飛び降りた。私の体はどこまでも落ちていく。


 元いた雲の上を振り返ってみれば、あの二人が驚いた顔でこちらを見下ろしているのが見える。

 一体何がしたかったのか、今も分からない。でも、これだけは言える。


 こんな幻はもう沢山なんだ。私は現実に戻らせてもらう。

 何が神のプレゼントだ。神は……私の方じゃないか。


 待っていてね。次こそは本物の貴方を見つけて救い上げるから。

 目を閉じてその時を待つ。


 ぐしゃり。




 こぽこぽと湯が沸騰する音で目を開ける。カップにフィルターを被せて挽いた豆を入れた。ゆっくりと湯を注ぎながら思い出すのはあの後のこと。

 あれから私はあの子を探し続けた。何度も何度も転生を繰り返して尚、あの子は見つからないまま。

 ふとした瞬間、たしかにあの子の魔力は感じられた。だというのにその居場所が掴めないまま、これで七度目になる。


 淹れたコーヒーを持ってテーブルに戻る。

 生産センター管理者セリヴァンとしての仕事は終えた。あとは私としての時間だ。


 ……あの子を見失ってから千年。本当に長い時間が過ぎた。死後百年を迎えると転生することができるが、転生を繰り返す度に魂は摩耗する。私のように記憶を抱えたままというなら尚のこと。

 だから私は自分の魂を補修した。そのために他の神々の魂を消費することになってしまったけど……あれ以上転生を続けるにはそうするしかなかった。その影響で世界の魔力バランスは崩れてしまったらしいが……こればかりは譲れない。

 神の転生者がいるといないとでは生産される魔力量に大きな差が出る。いずれこうなることは分かっていた。きっと今は火と闇の魔力しか安定していないのだろう。ああ、マキナはまだ稼働していたから土の魔力もそれなりには安定しているかもしれない。


 カップに口をつけると苦い液体が口内に広がっていく。


 千年前、共に死ぬことが出来ていればあの子を見失わずに済んだのかもしれない。でも、それはもう過去の話。


 一気にコーヒーを飲み干し、引き出しから三粒のカプセルが入った袋を取り出す。

 うなじに埋め込まれた追跡装置を抉り出し、清潔な布を巻き付ける。

 さあ、時は来た。あの子の元へ向かう準備をしよう。


 明かりを消して部屋を出る。

 テーブルの上、電源がついたままのモニターにはニールの居場所が示されていた。

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