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第103話 変わりゆく日常

 翌朝、俺は通常任務をこなす前に昨晩の扉があった場所を訪れていた……と言っても、遠くから確認しに行っただけなのだが。

 やはりというべきか扉は無く、何の変哲もない道がそこにあるだけだった。


(幻覚……? いや、そんなはずはない。あれは確かに存在していた)


 薄寒いものを感じながらもいつも通りに任務を受注した俺は、表示された座標へと走り出した。

 掃除屋の仕事は基本的に早い者勝ちの世界だが、既に受注している任務を横取りしようとする同業者もいないわけではない。だからできるだけ早く指定された座標に向かう必要がある。


「この辺りだな……っと」


 近くに植えられた木に登って辺りを見渡す。

 ロステッドは全員同じ服を着ているから見分けがつきやすい。ぐるりと辺りを見渡せば、できるだけ物陰に隠れようとしながら走る人影を見つけた。


「……見っけ」


 ゴーグルをつけて木から飛び降りる。

 あとはもうひたすら追うだけだ。追いかけて、追いかけて、追い詰める。それが俺のやり方。


(いたいた)


 キョロキョロしながら人目を避けるように走るロステッド。バールを引き抜いてぐっと握り込む。走り慣れてないせいで少し変な走り方になっている後ろ姿を追いかけた。

 俺に気がついたロステッドは、慌てた様子で隠れようとする。


 ……意味ないんだよなあ、それ。


「無駄だって」


 隠れた場所を覗き込む。びくりと体を跳ねさせたロステッドは、ぱくぱくと口を開いた。


「も、申し訳ありません……申し訳ありません……」

「だから謝るなら初めから……?」


 あれ、こいつ俺が何かする前に謝った……?

 大体の個体は追い詰められてようやくこの言葉を口にする。人目を避けようとする動きといい、この個体……少し知能が高いのか?


「……どこに逃げようとしてた?」


 ロステッドは怯えた顔で俺を見上げるばかりだ。

 ……そうだ、こんな顔をする個体もそうそういない。


「どこに、行く?」


 ゆっくりと区切って話しかける。

 俺は何をしているんだろう。こんな質問、何のために。


 ロステッドはハッとすると口を一文字に引き結んで首を振る。

 随分と表情が豊かだ。こんなの……言えない場所に向かおうとしているようなもの。


 キョロキョロしていたのは人がいないかどうかを見ていたのか、それとも。


「……この色の、家?」


 俺が持っていた赤いバールを指差す。ロステッドは俺にすがりついて、必死の表情で口を開いた。


「どこ」


 ああ。そうか。

 きっとこのロステッドも……この男も、『恩人』に教えてもらったのだろう。

 パシア達のところに向かうつもりだったのだろう。


(どうする?)


 背中がじっとりと湿り気を帯びる。バールを握りしめた手が汗ばむ。

 どうするって、それは。だってこれは俺が受けた任務だ。

 既に外郭に逃げているならまだしも、エデン内で見つけてしまった今……手を下さないわけには。


「どこ」


 俺の気持ちなんて知らないロステッドはすっかり俺を味方だと思っているらしく、俺の服を指先でつまんでいる。その指先がかすかに震えていた。


「どこ……」


 辺りを見渡す。人はいない。監視カメラも……ない。


「……待て」


 端末を取り出す。たしかパシア達がいる地点に近い場所だと言っていた。……ここからそう遠くない。


「あっちだ。ずっと走れ。分かるか?」


 ロステッドはこくりと頷く。


「俺に何を言われても止まるな。敵だと思え。分かったら行け」


 困惑した様子のロステッドは、それでも走り出した。ばたばたと無駄の多い走り方で、ひたすらに走る。


 俺はそれを少し見送ってから、見失ったふりをしながら通りに出た。

 あーあ。これで俺の評価かなり下がるだろうな。取り戻すのどれくらいかかるだろう。

 今まで失敗したことなんてなかったのに。わりと自慢に思ってたんだよ、これ。


 ……探すふり、しておかないと。もう一度高いところに登って辺りを見渡す。

 うん、走ってるな。堂々と。赤い屋根の家は……ああ、もうすぐそこだ。

 あれくらいの距離ならここから追いかけても丁度見失うくらいになるだろう。多分。


 地面に降り立って走り出す。頼むからスムーズに家まで逃げてくれよ。流石に人目や監視の目がある中で見逃すわけにはいかないんだから。


「あれ、ニールじゃん」

「あ、本当だ」


 聞き慣れた声が聞こえて速度を下げる。ケインとエイベルが連れ添って道を歩いていた。最近よく会うな。


「ニールも任務中かな?」

「ああ、ロステッドを追いかけてたんだけど見失って」

「珍しいな、お前がそんなヘマするなんて」


 意外そうにケインが片眉を上げる。こいつらも、まさか俺がわざと逃しただなんて思わないだろうな。


「諦めきれずに探し回ってたところなんだ……恥ずかしいところを見られたな」

「そうか。ま、頑張れよ」

「ニールなら評価下がったってすぐ取り戻せるよ」

「まだ失敗が決まったわけじゃないからな。それじゃ行ってくる」


 二人に慰められて見送られる。軽く手を上げてから走り出す。

 勘付かれずに済んだようだ。さて、意図せず時間を稼げたわけだが……もう逃げ込んでるだろうな。

 適当にこの辺りを回って任務失敗として報告するか。


 ……あーあ、これでもう任務失敗は確定だ。後悔しているかと言われれば……分からない。しているかもしれないし、これで良かったんだと思う気持ちもある。

 これも全部パシアのせいだ。ロステッドのことを人間だと認識してしまうようになったのも、助けてやりたいと思ってしまったのも。


「……次に会ったら一言文句言ってやろ」


 どうせ会っても言わないだろうけど。ふ、と小さく笑って端末を取り出す。任務失敗……と。経過の報告もちゃんとしておこう。

 今日は……他の任務はないな。農場の任務はもう人が揃っているようだし。

 仕方ない、もう帰るか。また明日から任務に励むとしよう。

 極秘任務の方は……向こうからの接触待ちだから。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 ガラガラ。壁が崩れる音。

 この家もいつかは危なくなるかもしれない。その時、皆を連れて逃げられる場所を見つけておかないと。


「パシア」


 名前を呼ばれる。振り返ると、前に子供を産んだばかりの彼女がいた。なんだっけ……そう、お母さんになったんだ。お父さんになる彼も隣にいる。

 腕には髪の毛が少し長くなった赤ちゃんが抱かれていた。指をちゅうちゅうと吸っている。


「外、危ない」


 きっと見せにきてくれたんだ。でも、小さなこの子に外は危ない。

 お母さんの袖を軽く引いて石の部屋に連れていく。あの場所は安全だから、赤ちゃんは大きくなるまであの部屋にいた方がいい……と思う。


 ここにあの人がいれば話を聞けたのに。

 たくさんのことを教えてくれた人。文字を、逃げる道を、あの本のことを。たくさん教えてくれた人……あの人がいれば、きっともっと皆を幸せにできる。


 階段を降りて、石の部屋のすみっこに作った寝床まで連れていく。

 木で作った四角の枠に布をくっつけただけの小さな寝床。そこに赤ちゃんを寝かせて、そっと頭を撫でた。

 金色の髪がさらさらしてる。緑の目がこっちを見てる。


 ……かわいい。はじめてここで生まれた、小さな命だ。

 皆で守っていかないと。


「ここ、いる。いい?」


 お母さんとお父さんはこくりと頷いた。

 たべもの、持ってきてあげないと。たくさん食べないと大変だ。

 赤ちゃんの服も、ちゃんとしたものを作ってあげたい。どこかから布を探してこないといけないな。糸ももう少ないから、探してこないと。


 小さな手をつつくと、指を握られた。こんなに小さい手なのに、しっかり握ってくる。


「大丈夫、大丈夫」


 赤ちゃんに声をかけていると、上から声が聞こえてくる。


「パシア、パシア」


 呼ばれた。行かなきゃ。

 赤ちゃんの指をそっとほどいて、もう一度頭を撫でてから離れた。

 階段を上がると、知らない人がいた。あたらしい仲間だ。


「もう大丈夫」


 不安そうな男の人の肩に手を置く。

 ナイフを取り出して、彼のうなじに近づけた。


「動かない。少し……痛い。大丈夫」


 よくないものを取り出して、火をつける。綺麗な布で傷口を押さえた。


「このまま」


 彼の手を掴んで、布を押さえさせる。血が止まるまで、このまま。

 手を離しても彼が布を押さえ続けているのを見て、笑う。


「ようこそ」


 新しい仲間。新しい家族。

 一緒に頑張っていこう。

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