第96話 現地調査
グローブに指を通し、ぐっと引っ張る。バールをベルトに差したところで、背中に声がかけられた。
「行ってらっしゃい、兄貴」
「ああ、行ってくる」
エポルに見送られて家を出る。
外郭でパシアと会ってから早くも一ヶ月が経とうとしていた。
今日は極秘任務の方を調査することにしている。この一ヶ月の間に一度あの上層部の男が訪ねてきたが、大した報告はできなかった。
結果、貰えたポイントは十。期待に応えられなかったということだろう。
ただ、それでも調査が滞るのは向こうも承知だったらしい。任務が打ち切られることはなく、今後も調査を続けるようにとの言葉を貰った。
「さて、今日は何か見つかるかなっと……」
いつもの調査範囲についた俺は、今まで通りにぶらぶらと辺りを歩いていた。
これが調査と呼べるのかは怪しいところだが、他に方法もない。上層部の人間がわざわざ極秘と銘打って依頼してきたものだ、相手が中層部の人間とはいえしつこく聞き回って変に勘繰られても困る。それで何かあった時、責任を負わされるのはごめんだ。
でも流石に何の進展もなさすぎる。他に方法を考えた方がいいかもしれない。
思わずため息をつきそうになった時、ふと気になる会話が聞こえてきた。
「また休んだんだって? これで何度目?」
「さあ……もう数えてる場合じゃないんだって。こっちは担当するロステッドが増えて大変なんだ」
管理施設の職員か。端末を取り出し、適当にタップしながら耳を傾ける。
「そろそろクビにしたら?」
「あ〜、上もそう考えてるらしいぜ。会わなきゃいけない人がいるとか言ってたけど、それとこれとは別だろ。なんか様子もおかしいしさ」
休むことが増えた職員、会わなきゃいけない人がいる、それから様子がおかしい……か。
今のまま何の目的もなくブラつくよりずっといいな。その休みがちな職員について調べてみるとしよう。
「様子がおかしいって、どんな風に?」
「なんだろうなあ……なんか焦ってるっつーか、急いでるっつーか? よっぽどその誰かに早く会いたいんじゃないかって思ってるわ」
「恋愛ってやつ? 変なものに気を取られてるんだね、彼女」
「やっぱりそう思う? さっきもやたら時間気にしててさ。約束でもしてたのかもしれねえけど」
急いでいる誰か、か。中層部の、それも外で急いでいる様子の人なんてそういないから見かけたら分かりそうだな。
さて、そろそろいいだろう。早速その職員を探してみることにしよう。
何か新しいことが分かるかもしれない。
俺は早足で辺りを歩き回った。急いでいる様子の人というか、そもそも人通りが少ない。時間が時間だから家と職場のどちらかにいるんだろう。
ちらほらと視界に映る人達は皆急いでいる様子はない。落ち着いて、普通に歩いているだけだ。
誰かと一緒にいる人物もいない。
もうその会わなきゃいけない人とやらのところに行ってるのかもしれないな。屋内だったら探しようがないし、そもそも今日見つけられるとも思ってはいない。これで見つけられたらよっぽど運がいいと思う。
今日もあまり良い成果を持って帰ることはできなさそうだ。とはいえ依頼人から急かされているわけでもない。今日が駄目でも明日があることだし、ゆっくりでも進めていけばお咎めはないはず……多分。
「……でもやっぱり早めの方がいいよなあ」
はあ、と深いため息をつく。そりゃ早いに越したことはないだろうけど、そう簡単にいくものでもないし。
毎日毎日こうやってぶらつくわけにもいかないし。二日に一回は通常任務をこなさないと。それでも評価はやや右肩下がりになってしまってるんだから。
「けど、ある程度範囲を狭められたのは幸いかな」
元々の地図の範囲はそれなりに広かった。でも、管理施設の付近を重点的に探すのならかなり狭まる。
これでいつまでも見つからなければ不運ということで。
そうして辺りに目を配りながら角を曲がると、挙動不審な女性を見つけた。
明らかに周囲を警戒していると分かる。見るからに怪しい彼女に近づき、声をかけようと口を開いた。
「ひっ」
俺に気づいた女性は短く声を上げてビクリと体を固まらせた。しかし、俺の顔を見た彼女はホッと息をつく。
ただ単に驚いただけか? いや、違うな。
「少しいいですか?」
「え? あ、その……私、急いでるから……」
女性は相変わらず周りを警戒しているようで少し目が泳いでいる。ここまで見るからに怪しいのもそうそうないだろう。
せっかく見つけたんだ、ここで逃すわけがない。
「そんなに時間はとらせませんから」
道を急ごうとする彼女の前に立ち塞がる。女性は少し怯えたような表情で俺を見上げた。俺の考えが正しければ、ああ言えば気を引けるはずだ。
「あ、あの、どいてください」
「貴方の行先、貴方の同僚達に伝えてもいいんですよ?」
女性は体を強張らせ、口をつぐんだ。
少しの敵意を瞳に滲ませた彼女は、一歩後ずさる。
「……何がしたいんですか」
「そう怖がらないで、ただ聞きたいことがあるだけですよ」
さて、素直に教えてくれるだろうか。同僚の目を気にして遠回りしているっぽい彼女がそう簡単に情報を吐くとは思わないが、何か一つでも落としてくれればいい。
「貴方は誰に会いに行こうとしてるんですか?」
「……どうしてそれを? も、もしかしてアイツの指示で探りにきたの? そうなんでしょ……!?」
彼女は急に噛み付くかのように声を荒げた。相当警戒していたんだな……一体誰に会うつもりなんだ?
「いや、違いますよ。噂を聞いて気になっただけですって」
「う、噂……? 噂になってるの……?」
「ええ、それはもう」
本当は彼女の同僚からしか聞いていないけど。まあ、あの様子じゃ施設内では噂になっていてもおかしくないだろう。
「どうです? 俺に教えてくれれば、隠す手伝いができるかもしれませんよ?」
女性は目を泳がせて、服の裾をぎゅっと掴む。
静寂が広がる。彼女は少し唇を噛んで、それから口を開いた。
「……孤独な人よ」
「孤独な人?」
「もういいでしょ。私、本当に急いでるの」
女性は俺を避けて走って行った。角を曲がっていく彼女の背を見送る。
よし、後をつけさせてもらおう。歩き出した時、バタンと扉を閉じるような音が聞こえた。今の音は一体……?
まあいいか。彼女を追いかけて角を曲がる。
「……は?」
そこに彼女の姿はなかった。誰もいない、ただの路地が続いている。ただほんのりと甘い香りがするだけだ。
どこに行った? あの速度で走って、俺がこっちに来るまでに行けそうな場所なんてない。
「いや、たしかにこっちに……」
彼女は間違いなくこっちに曲がっていったはずだ。見間違えたなんてことは絶対にない。そもそも他に道なんてなかったのだから。
でもいくらそうだったとして、彼女を見失ったという結果に変わりはない。
怪しいとすれば……彼女が曲がってから聞こえた、扉の音。でも、目の届く場所に扉なんてない。ここは裏路地にあたる場所だ。裏口の類もない。
辺りを見渡しながら路地を走る。次の角まで行っても、彼女の姿はどこにもなかった。
「……くそ」
やっと見つけた手掛かりだったのに。次にいつ見つけられるかは分からない。
そもそも本当に彼女が次のターゲットなのかも分からないが……もし前のターゲットも彼女のように『孤独な人』とやらへ会いに行っていたのだとしたら、可能性は高いはずだ。
暫く辺りを走り回って、どこにも彼女の姿が見つからないことをもう一度確認する。完全にまかれてしまったようだ。
こうなったら次の機会にかけるしかない。この付近に絞って、朝から探して回ればいつか見つかるだろう。唯一の懸念は次に見つける前に彼女が失踪してしまうことだが……。
……今日が彼女の失踪日になっていないことを願おう。失踪の瞬間をあと一歩で逃しましたなんて報告、できるはずがない。
あーあ、次にあの上層部の人間が来る前にもう一度会わないとな。
今日はこれ以上の成果を見込めそうにない。まだ時間はあるから通常任務をこなしてから帰ることにしよう。
端末を開いて、任務一覧を見る。……ロステッドの逃走ではないが、農園の警備任務があるな。
今日はこれを受けることにしよう。たまにはロステッドを追うんじゃなく見張る側になるのも悪くない。
……ロステッドを追う任務がないことに少し安堵している。そんな自分から、そっと目を背けた。




