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間話 黒の話

 暗い暗い夜道を一人とぼとぼと歩く。

 とっくに消灯時間は過ぎていて、空は真っ暗だ。


 私はしがない一般職員。中層の人間ではあるものの、下っ端もいいところだ。

 毎日毎日、上司に怒られながら日々の業務をこなしている。


 私の仕事はロステッド達の世話だ。餌やりとか、体の洗浄とか、簡単な健康チェックとか……その辺り。それから監視の役目も与えられている。

 自分なりに相応の努力はしているつもりだ。だけども、いつもどこかで小さなミスをして、それで怒られている。

 ミスしたのは私だから仕方ないとは思うけど、それでも毎日こうも怒られていると中々にこたえるものだ。


「あーあ、なんでよりによって私の担当分から出ちゃうんだろう」


 しかも今日はよりによって脱走者が出てきてしまった。

 そのせいでいつも以上の怒られが発生したのだ。まあ、私が悪いんだけど。


 でも仕方ないと思う。一人で何十匹も管理するなんて無理があるもの。他の世話に手間取っている時にふらっと一匹がどこかに行っても気付けやしない。


 せめて監視カメラの一つでもつければいいのに、何度か言ってみても費用の問題だなんだで受け入れられることはなかった。たしかにあれだけ広い施設のあちこちに設置するってなったら大変だろうけど、それでも他にどうにかならないのかな。


「疲れたなあ……」


 また明日も同じように働かなくちゃいけない。そう考えると、家に向かう足が重たくなる。

 世界の魔力濃度がどうのこうのと、上の人は難しい話をしているけど。いっそ明日、本当に世界が終わってしまえばいいのに。


 ふと、足を止める。今、甘い匂いがしたような。

 くんくんと匂いをかいでみる。少し酸っぱくて、そして甘い香り。一体どこからするんだろう。


 私の足は自然とその香りに引き寄せられていく。家までの道を逸れて、入ったこともない路地を通って、その先へ。

 そんなに強い香りではないのに、どうしてここまで匂いが届くんだろう。そんな疑問を抱きながらも足は止まらない。


「……ここから?」


 そこにあったのは、木製の扉だった。暗い中でもはっきりと分かる色彩。どこに繋がっているわけでもない、ただぽつんと立っているだけの花の模様が彫られた扉。

 その異質さに少し背筋が冷たくなる。でも、私の手は扉へと伸ばされていた。


 扉は思っていたよりも簡単に開く。

 一見、何の意味もないように見える扉。どこかに繋がっているわけでもないそれを開ける理由もない。


 なのに、その扉の向こうには部屋が広がっていた。


「……え?」


 一度扉を閉めて、扉の裏を見る。そこには何もない。

 もう一度扉を開ける。やっぱり部屋が繋がっている。


 目を擦って、改めて見てみる。何度見ても、あるはずのない空間がそこにあった。


「え……何? どうなってるの……?」


 香りもより強まってクラクラしそうなほどだ。ぼたり、ぼたりと何かが滴る音がする。現実にいるのかどうかも曖昧になっていく。もしかしたら私は夢でも見ているのかもしれない。


 続く部屋を覗く。白と黒が入り混じったような部屋だ。どこまでも白く、どこまでも黒い。他の色を許さない、そんな部屋。

 家具も何もない部屋はあまりにも殺風景で、薄暗い。


「入ってもいいのかな……」


 いや、そもそも勝手に開けてる時点で問題なんだけど。

 そう思い直したところで、部屋の黒い模様がもぞりと動いた。


「えっ?」


 いや、違う。最初からそこにいたんだ。

 黒い服を着た……いや、あれは服なんだろうか? 分からない。

 とにかく、黒い体に白い頭の何かがそこにいる。


 ゆっくりと頭をもたげたそれは、こちらを振り向こうとしていた。

 足が動かない。それだけじゃなかった。目が吸い寄せられているかのように動かせなくて、息が詰まって。

 白い肌が、黒い眼球が、赤い瞳が。

 ゆっくりと、こっちを向いた。


 顔の半分がどろりと溶けたような白い髪に覆われている。モノクロの端正な顔が私をじっと見つめていた。

 明らかに人じゃない。でも、美しい。白い肌をぼうっと見つめていると、その人型はゆるりと首を傾げた。


「迷子ですか」


 少し掠れたような、大人びた声。男の人?

 またぼうっとしてしまった。ハッとして首を横に振る。


「ま、迷子じゃないです。その、甘い匂いがしたから気になって……」


 人型は白い手を差し出した。不定形の腕は黒くどろりと溶け、ぼたりぼたりと床に落ちる。

 もしかして部屋の黒い部分は、彼の黒い体が溶けたものなのだろうか。そういえば壁の上の方や天井は白かった。


「外は暗いでしょう。中へどうぞ」


 人型はゆるやかな動きで手招きした。

 こんな奇妙なところ、入っていいわけがない。あの綺麗な人だって危険に決まってる。

 入っちゃいけない。そう思っているのに、私の体は吸い寄せられるように部屋の中へと踏み出していた。


 一歩、また一歩と踏み入る度に匂いが強くなる。甘い香りが体を包んで、ぼうっとする。

 ぼんやりとしたまま近づく私を、人型は黙ったままじっと見つめていた。


「ゆっくり休んでいきなさい」

「貴方は……?」

「私は……ずっとここに囚われている、ただの罪人ですよ」


 人型は薄く微笑んで、目を伏せた。どこか寂しそうな、悲しそうな、そんな顔。

 私はまた一歩近づいた。


「どうしてここにいるの?」

「ずっと昔に大きな過ちを犯しました。ここは牢獄のようなものです」


 牢獄? 自分のことを罪人と呼ぶこの人は一体何の罪を犯したのだろう。

 更に一歩近づく。また、甘い匂いが濃くなる。そうか、この人からしているのか、この匂いは。


「ずっと……一人なんですか」

「ええ」

「寂しくはないんですか」


 人型……罪人さんは、そっと目を閉じた。黒い涙が頬を伝う。

 あまりに整った顔は作り物のようで、私はただただ見惚れていた。


「……どうでしょう。それすらも、もう分かりません」


 ああ。きっとこの人は寂しいんだ。

 寂しいのに、それすらも分からないほど、ずっとここに一人でいるんだ。

 頬を伝う涙をすくう。白い肌は冷たい。甘い匂いがした。


「私がいます」


 言ってからハッとする。私、何を口走ってるんだろう。

 そんないきなり会ったばかりの人間に私がいるなんて言われても困るに決まってる。

 慌てて言葉を取り消そうとしたところで、彼が小さく笑っていることに気づいた。


「そうですね。今は貴方がいるので、寂しくないと思います」


 手をとられ、そのまま頬に添えられる。ひんやりと冷たい、なめらかな肌。

 とくん、とくんと自分の鼓動が聞こえる。


「来てくれてありがとうございました」


 微笑む彼から目を離せない。彼の手から滴った黒い液体が手首を伝う。

 肌はこんなにも冷たいのに、その液体はほのかに温かい。


「そ、そんな……私、偶然ここに辿り着いただけで……」

「貴方さえよければ、また来てくれませんか」


 縋るような赤い目が私を見つめる。

 こくりと唾をのみ、震える唇に言葉を乗せる。なんで私、こんなにドキドキしているんだろう。


「えっと、その……はい……」

「……よかった」


 ふ、と微笑んだ彼が手を離す。

 彼に触れられたところが少し冷たい。手をさすりながら、少し気恥ずかしくなって目を逸らした。


「さあ、もう遅い時間です」

「あっ、ほんとだ……わ、私もう帰りますね」

「お気をつけて」


 ゆるりと笑う彼はじっと私を見つめている。

 どこか後ろ髪を引かれる思いを感じながら部屋を出た。扉に手をかけ、閉める前に一言だけと口を開く。


「また、来ます」


 少しキョトンとした彼は、柔らかく目を細めた。それがとても嬉しそうに見えて、またとくん、とくんと心臓が高鳴る。


「待っています。いつまでも」




 それから私は彼の元へ通うようになった。

 仕事終わりに寄って、少し話をして、帰る。


 部屋の中はいつも少し寒くて、こんな中にずっといるからあんなに肌が冷たいんじゃないかって思うくらい。

 何度も通って話をする内に、彼のことも少しずつだけど教えてもらった。


 なんと、彼は千年前の人間だったらしい。

 その年数も驚きだけど、なにより元は普通の人間だったというからびっくりした。てっきり初めから人の理解を超えた存在なんだと思っていたから。


 私は彼の話を聞いて、ただただ寄り添っていた。大切な友人がいたこと、長い旅をしたこと、友人を信じきれなかったこと。たくさんの話を聞いた。


「いつも私ばかり話してしまいますね」

「いいんです。だって、聞かせてってお願いしたのはこっちなんですから」


 もっと話を聞きたい。そして彼の孤独を埋めたい。

 いつからか、そう思うようになっていた。


「貴方に会えてよかったと思います。こうして誰かに話していないと、いつかこの記憶さえ曖昧になってしまいそうで……ッ」


 彼が頭を押さえ、うずくまる。私は彼の背を撫でながら、彼が落ち着くまで待った。

 度々彼に訪れる発作のようなもの。聞けば『別世界の自分』が彼に統合される時に表れるものなんだとか。


 難しい話は私には理解できなかったけど、彼をここに閉じ込めた人物が彼に残したものなんだそうだ。

 ここではないどこかの世界で、彼が死んだ時。その魂と記憶が彼に統合される。


 別の世界なんて考えたこともなかったけど、彼が言うならきっとあるんだろう。だって彼は私とは違う、千年を生きた特別な人だ。


「大丈夫、大丈夫だから……」


 苦しむ彼の背を撫で続ける。出会った時よりも少し小さくなった不定形な体に手が沈む。


「……死が恐ろしいんです」


 ぽつりと、掠れた声が落とされた。

 顔を覆った彼の指の隙間から黒い液体が滴る。


「それを恐れるがあまり、私は道を違えたというのに……それでもまだ、恐ろしくてたまらないんです。私じゃない私が何度も、何度も何度も死んでいく感覚が、ずっと頭にこびりついて」

「モノさん……」


 私がつけた名で呼ぶ。顔から手を離した彼は、黒い涙を流しながら私を見た。


「……怖いんです。いつか私が、他の私に塗り替えられてしまいそうで」

「大丈夫です。大丈夫ですよ。私がここにいます」


 ああ、甘い香りがする。彼を支えられるのは私しかいない。彼の手を両手で包み、微笑みかける。


 きっと私は貴方のことが好きなんだ。

 どこまでも孤独で、怖がりなこの人が。


 貴方と過ごす時間を思えば、私はどんなことも頑張れる。そう思えた。

 不定形な体を抱きしめて囁く。


「私がずっと一緒にいるからね……」

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