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第94話 外郭

 エデン中央付近のベンチに腰掛け、じっと端末を見つめる。

 掃除屋は待ちの時間が長い。そう都合よくロステッドの逃走が起きるとも限らず、任務発生の通知が来るまでひたすら端末を見つめるのだ。


 退屈といえば退屈だが、気を抜けば他の掃除屋に仕事を奪われる。長期間任務せずにいると評価が下がるから皆必死に端末にかじりつく。

 とはいえ生きるだけなら評価なんて高かろうが低かろうが誤差のようなものだから、ここまで積極的な掃除屋はそういないだろう。ケインとエイベルにもよく言われたものだ。お前ほど熱心な掃除屋はそういないだろうって。


「んー……こないな」


 毎日そう都合良く逃走者が現れるわけじゃない。今日は待ちぼうけになるかもしれないな。そう思いつつ空を見上げる。

 灰色の空に巨大なランプが取り付けられている。エデン全体を照らす明かりだ。遠い昔の空は青い色が一面に広がり、夕方になればオレンジに染まっていたというが……俺はそれを見たことがないから、どんな景色なのか分からない。


 天へと伸びる塔を見る。上層部の人間が集まる施設だ。俺達みたいな一般人は立ち入りを禁止されている。

 いつかあの中にエポルが入る未来も来るのだろうか。少しぼんやりしていると、通知音が鳴った。

 まずい、ぼうっとし過ぎた。慌てて端末を見る。


「指名依頼……?」


 詳細をタップする。どうやらロステッドが外郭まで逃げ延びたようだ。その調査を依頼されてしまった。


「外郭。外郭かあ……え、外郭? そんな任務存在するんだ」


 指名依頼はありがたい。理由は勿論、指名依頼を多く受けて成功を収めれば評価が上がるから。しかし、外郭に行けとなると話は変わってくる。


「今日の魔力濃度は平常って言ってたけど」


 はあ、と深くため息をつく。

 魔力濃度が保たれているのは、あくまでエデンの中だけ。旧エデン……今の外壁の外、外郭と呼ばれている区域は魔力濃度の調整がされていないから、かなり過酷な環境になっている。だから基本的に外に出ることは許されていない。

 俺だって偶然一回だけ外を見たことがあるくらいだ。かつてエデンごと外郭を覆っていたであろう天井は所々が崩れ、形を保てていない建物が立ち並ぶ光景は今でも忘れられない。


 つまり何が言いたいかというとかなり危険なエリアってことだ。指名された以上、何の理由もなく断ることはできない。

 危険だからっていうのは理由にカウントされないし。


「行くかあ」


 受諾のボタンをタップし、座標を確認する。

 正直、外郭まで逃げた奴なんて放っておいても死ぬだろうし、こっちに何の影響もないと思うけど。こうして任務になっているってことは何かしらの不都合があるんだろう。

 でも、そんなものは俺には何の関係もない。仕事だからやる、それだけだ。


 外郭との境になっている門まで駆ける。厳重に警備されているその門はよっぽどのことがない限り誰だろうと通れないはずなんだけど……ロステッドは一体どうやって通り抜けたんだ?


「何用だ」


 案の定、近づくだけで警備の機械人形に行手を阻まれる。量産型の一般機体だけど、それでも俺達掃除屋にとっては上司だ。

 機械人形特有のメカメカしい目に見つめられながら端末を取り出す。

 毎日放送してる機械人形のアルファとベータもそうだけど、肌の質感もそこまで違和感ないし、独特の服装と目、それから胸元のガラス玉みたいな……たしかコアって呼ばれてるんだったな。それがなければ人間だと勘違いしそうだ。


「指名任務で外郭に出る必要があります」


 任務の受諾画面を見せると、機械人形は数秒の沈黙の後に道をあけた。話が早くて助かる。

 機械人形が柱にある認証装置に手をかざす。わずかに砂埃を巻き上げて、ゆっくりと門が上がっていった。


「早く通れ」


 言われるがままに開かれた門を抜けると、ガラリと景色が変わった。

 昼だというのに薄暗い景色。所々が分解されたかのように崩れ果てた建物の群れ、床に散らばった瓦礫達。空を見れば所々剥がれたドーム状の天井から日光が差し込んでいる。

 急激に魔力が薄まった空気を肌で感じた。ガムを口に放り込む。背後では門が閉じる音がする。


(さて、どこに逃げたかな)


 そう遠くには逃げられないはずだ。エデンから遠のけば遠のくほど魔力濃度の乱れも大きくなるから。

 魔力が極端に薄いところに行けば、生物は体内外の魔力濃度の差に耐え切れず破裂する。とはいえロステッドはそれを知らないだろうから逃げこむかもしれないが……もしそうなっていたら、目標が死亡したことを報告して任務終了だ。


 ガムのおかげでヒリつくような体の痛みが消える。体内の魔力バランスが整えられている証拠だ。これさえあれば外郭の探索も短時間なら問題ないだろう。


 誰もいない廃墟群の中を走る。早いところ見つけて任務を終わらせないと、いくらガムを噛んでいるとはいえ魔力濃度の影響を受けるかもしれない。

 エポルに心配をかけるわけにはいかないからな。怪我なく帰らないと、また泣かせてしまう。


 暫くの間外周を回るように駆け回っていると、咳き込む声が聞こえた。走っていた足を止め、声が聞こえた方へゆっくりと近づく。

 聞こえてきたのは、あの大きな瓦礫の向こうだ。瓦礫に身を潜めて、向こうの様子を覗き見る。


 ……見つけた。ロステッドに配られている灰色の服を着た女。

 さっさと処分して……流石に外郭じゃケイン達は呼べそうにないな。ああ、でも外郭なら掃除する必要もないか。


 ロステッドの女は何かを探すようにキョロキョロと見回している。俺がいることを勘付かれた?

 こうなったらもう出ていくことにしよう。そう思い、立とうとしたところで男の声が聞こえた。


「ようこそ」


 赤髪の男だ。黒い服を着ている。ということは、ロステッドではない……?

 いや、よく見れば色が違うだけで服の形状は女が着ているものと同じだ。布を腰に巻き付けたりとアレンジされているが、彼もロステッドの一人なのだろう。


 でも、おかしい。

 逃げ出したというロステッドは一匹だけのはずだ。他にもいるなんて聞いていない。


「オレ、みんな、ここにいる。もう大丈夫」


 男は女の肩に手をおいて語りかける。

 ロステッドが、喋っている……? そんなところ初めてみる。あの男は本当にロステッドなのか……?


「こっち。みんなの……家。安全」


 男は女の手を引いて廃墟の一つへと入っていった。

 みんな? 他にもまだいるということか?

 ……どうやらあの廃墟の中で暮らしているようだ。二人の後をついていく。バレないように、こっそりと。


 壁に背をつけて、ちらりと覗く。中には十数人の人間がいた。

 誰も彼も灰色の服を着ている……ロステッドの群れか。中には子供もいる。

 どうやって手に入れたのか、煙草を吸っている個体もいた。盗みでもしたのか?


 とにかく、あれだけの数だ。一網打尽にできれば……俺の評判も上がるかもしれない。

 バールを握りしめる。ロステッド達は新入りの女を囲んで、ぎこちない笑顔を向けていた。


 ……ロステッドが、笑う? 感情に乏しいロステッドは笑ったりなんかしない。

 俺は一体、何を見ているんだ?

 いや、今はとにかく仕事だ。任務の達成を優先しなければ。


「……見つけたぞ」


 バールを手に、ロステッド達の前へと出る。ビクリと体を跳ねさせたロステッド達は、赤髪の黒服の後ろへと隠れた。赤髪のロステッドは険しい顔つきで俺を見つめ、他のロステッド達を庇う。


 やっぱり今までに見たどのロステッド達よりも、なんというか……情緒が発達している?

 いや、そんなはずはない。いくらロステッドの間に生まれた子供でも、魂持ちならばすくい上げられる。だからこいつらは全員、魂を持たないロステッド達なんだ。


「だれ?」


 赤髪の男が声を上げる。たどたどしい喋り方だ。まるで言葉を覚えたばかりの子供のような……そんな声色。


「任務でやってきた掃除屋だ」

「そうじや……」


 バールを担いだまま歩み寄る。ロステッド達は身を寄せ合い、怯えているように見えた。

 さて、どいつから手をつけよう。やっぱり一番厄介そうな、この赤髪から処分するべきだろうか? それとも任務として指定されていたあの女からにするべきか。


 うん、あの女からにしよう。バールを振り上げた瞬間。ガランと金属が床に落ちる音がした。


「ぐっ……」


 突然、耐え難い痛みが全身を襲った。俺の手から落ちたバールは床に転がっている。

 胸元を押さえ、浅い呼吸をする。肌を刺すような……それも皮膚の内側から外側へ向かって刺されているかのような痛み。


 俺だけじゃない。ロステッド達も苦しみ始めている。

 魔力濃度が急激に下がったんだ……!


 立っていられなくなり床に座り込んだ。ガムだけじゃバランスを保ちきれなかったらしい。ああ、どうすればいい? とにかく、バールを拾わないと。

 バールへと伸ばした手を掴まれる。顔を上げると、しゃがみこんだ赤髪の男が目の前にあった。その口には煙草を咥え、手にはもう一本持っている。


「な、なんだ……?」


 開いた口に煙草を押し込まれる。そのまま火をつけられ、煙が立ち昇った。


「吸って」


 息が苦しい。男の声に従う意思はなくても、自然と息を吸い込んでいた。煙が口内を通り過ぎて肺に充満する。

 初めての煙草にむせた俺の口に、男は煙草を押し込む。


「吸って」


 再び煙が充満する。それと同時に、体の痛みが薄まった。

 男は立ち上がると、俺の手を引っ張る。


「こっち」


 体がふらつく。よろついた俺の体を男が支えた。

 廃墟の中、地下への階段を降りていく。一体どこに行こうというんだろう。

 煙を吸っていると体の痛みがマシになった。深く息を吸い込んで、吐き出す。


 やがて辿り着いた部屋には、キラキラと輝く魔石がこれでもかと壁に埋め込まれていた。

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