第93話 調査開始
この世界には二種類の人間がいる。
片方は普通の人間。魂持ちとも呼ばれる、俺達のような人間だ。
もう片方は正確には人間とは扱われない。魂無し……ロステッドと呼ばれる者達。
この内、世界に必要とされているのは魂持ち。つまり普通の人間だ。
『おはよ〜、恵まれた者共〜!』
『今日の魔力濃度はやや薄めです。ちゃんと対策しましょうね』
昨日整理した座標に向かっていると、巨大モニターに映し出された機械人形が朝の放送を始めた。胸元のガラス玉がきらりと光を反射している。
赤髪のアルファは今日も元気一杯だ。俺は青髪のベータの方が好みだが。
……アルファの声は、夜の緊急任務を受けた翌日なんかは頭に響くんだよ。
「噛んどくか……」
ポーチからガムを取り出して口に放り込む。
魔力濃度が低いと体が痛みを感じることがある。でも、このガムを噛んでいれば痛みとはオサラバだ。体内の魔力バランスを整えるとかなんとか。
他にも飴タイプ、煙草タイプがある。ちなみにエポルは飴タイプを好んでる。付け加えておくと最後まで噛み砕かない派だ。
噛むたびにケミカルな甘みが広がる。貴重な甘味だが、交換するにもポイントが必要だから平常時は口にできない。
多く持っているとついつい欲しくなるから、最低限の数しか交換しないんだけど。
『今日もオレらのライブで昂ってけよ〜』
『ボクも一生懸命歌うので、魔力生産にご協力お願いしますね』
――世界は深刻な魔力不足に陥っている。
人間は生きているだけで魔力を生産するけど、感情に動きがあるとそれだけ多く生産するんだと。
そして魂を持たない、つまり感情に乏しいロステッドはそれに向かない。ただ、単純な労働力や食糧、実験体として飼育されているのが現状だ。
ロステッドは大した知能も持たない。言葉を介さず、痛みによる条件付けで物事を覚える。そんな奴らでも一丁前に逃げ出す個体が出てくる。
それを片付けるのが俺達掃除屋の仕事ってわけだ。数が多いからかポロポロと逃げ出す個体も多い。それ以上に掃除屋は多いから仕事の取り合いが発生するんだけど。
でも、今日はそんな通常業務はお休み。あの赤髪のお偉いさんのために失踪者の調査をしないといけないから。
暫し歩けば、景色が少しずつ変わってくる。昨日用意した地図によれば、この辺りから近頃の失踪者が出ているらしいんだけど……ここはロステッドの飼育場が近いからか、あまり人はいない。とりあえず歩いて回るか。
地図に記された範囲に住んでいるのは大体が中層部の人間だ。
俺達みたいな掃除屋じゃなく、配給だけで暮らしている一般市民でもなく、各施設で働いている人達だ。
……そんな人達が年に一人ペースでいなくなるって、かなりまずいんじゃないか?
それからあちこちを歩き回ってみたものの、特に異常は感じられなかった。
「んー……この辺りも異常なし、と」
地図を見ながら頭を掻く。こうなったら見回りだけじゃ意味がなさそうだな。いっそ、直近の失踪者に関係ある人に話を聞いた方がいいか?
そう簡単に話を聞けるとは思わないけど何もしないわけにもいかない。というわけで、去年失踪したという男の住所を尋ねた。
チャイムを鳴らすと、面倒だという感情を隠そうともしない顔をした男が出てきた。
「前にここに住んでた人? ああ、なんか急にいなくなったらしいな」
「何でもいいので、詳細を教えてくれますか?」
「そうは言われてもなあ……ただいなくなったから後任に選ばれたってだけだし。他の人に聞いてくれよ」
バタンと扉が閉じられる。
うん。まあ、少し予想はついてた。あの人、なんでそんなこと聞くんだって顔してたな。
さて、こうなったら周辺の家々を訪ねて情報収集だ。トコトン集めて整理しないと。
今日休んだ通常任務分の働きはしなきゃだからな。
「え? そうね、いなくなる前はやたら外で見かけたわ」
「帰ってくれ、こっちは眠いんだ」
「さあ? 気にしたことなかったし。っていうかそんな人いたっけ?」
ある程度回ってみても返ってくる答えはこんなものだ。比較的有益な情報は、やたら外で見かけたというものだけ。
どうもその男は、何かに引っ張られるようにどこかへと向かっていたらしい。
どこに向かったのか聞こうとしても、皆口を揃えて知らないと言うばかりだった。
これ以上の情報は見込めそうにない。こうなれば次の失踪者になり得る人を探した方がいいかもしれないが……そんな人どうやって探せばいいっていうんだ?
リストを見た限り、近年の失踪者は中層の人ばかりだった。妙な言動をしている中層の人を探す?
何人いると思ってるんだ。そんなの無理に決まってる。
……あの人が百ポイントも支払った意味がようやく分かった気がした。これは中々に骨を折ることになりそうだ。
だが、受けてしまったものはしょうがない。そもそも拒否権はあってないようなものだったけど、それは一旦置いといて……ここで投げ出してしまっては、それこそ俺の評価に関わる。
今でこそ一つの任務で一ポイントを得られるようになったが、これも俺の評価が高いからこそだ。評価が下がったら何回も任務をこなさないとポイントを得られなくなってしまう。
パンと頬を両手で叩いて、息を吐く。こんなところでつまずいていられない。駆けずり回ってでも手掛かりを探すんだ。
まず、任務を受けない日はこの辺りを見回ることにしよう。何もしないよりはマシだろう。
『恵まれた者共〜、仕事は終わったか〜?』
『お疲れ様です。家に帰ってゆっくり休んでくださいね』
『オレらの歌を聞けば疲れなんて吹っ飛ぶだろ? 明日も身を粉にして働けよ〜』
モニターからは夕方を知らせる放送が流れている。歌って踊る機械人形を見上げて肩を落とした。
今日はもう帰ろう。エポルを待たせるわけにもいかないし。
「ただいま」
「おかえり、兄貴」
リビングでくつろいでいたエポルが顔を向ける。……またファスナー下げてるな。
「エポル?」
「……だって」
「だってじゃない。ほら、上げて」
エポルは不満げに唇を尖らせながらファスナーを上げた。
俺しかいないからいいものの、もし俺がケインとエイベルを連れてきてたりしたらどうするんだ。
まあ、あの二人はエポルをそういう目では見ないだろうけど。いやでもやっぱりダメだ。
「これでいいんでしょ、これで」
「拗ねない拗ねない」
エポルの頭をくしゃりと撫でる。へらっと笑ったエポルのツインテールが揺れた。
今日も一緒に夕食を摂る。エポルはゼリーをぷるぷると揺らしながら口を開いた。
「兄貴ー」
「ん?」
「アタシさ、次の定期試験受けようかと思うんだ」
定期試験。一年に二回行われるそれは、一般市民の中から優秀な者を探し出すためのものだ。この試験で好成績を残せば、上層部にスカウトされると言われている。
今までエポルは定期試験は受けずに資格取得に力を入れていた。
「いいのか? かなり難しいぞ」
「うん、分かってる。でも兄貴すごく頑張ってるしさ。アタシももっと頑張らなきゃって」
「エポル……」
自然と口角が上がる。なんて立派な子に育ったんだろう。
定期試験は狭き門だ。だけど、それでもきっと。
「エポルならきっと良い成績を残せるよ」
「そ、そうかな? へへ……」
ふにゃりと笑ったエポルは、そのままゼリーを口に含んだ。
明日からまた勉学に励むのだろう。定期試験は選択式の特殊技能試験と共通試験の二つをこなす必要があるから、機械工学以外にも目を向けなくちゃいけない。
上機嫌で食事を終えたエポルは、ささっと体の洗浄を終えて自室に戻っていった。明日と言わず、今日から本腰を入れて勉強するらしい。
「消灯時間ギリギリまでやるの!」
「そうか。あまり無理はするんじゃないぞ」
「はーい」
パタパタと足音を立てて部屋に入っていくエポルを見送って、俺も自室に戻る。ベッドに寝っ転がって目を閉じた。
明日は端末とにらめっこすることになるだろうな。早い者勝ちだから、どの座標を指定されても行けるように中央付近で待機して……それから……。
そんなことを考えているうちに、自然と意識が遠のいていった。




