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第92話 失踪者達

 当初の予定通り交換所に寄った俺は、屋台に並べられた商品を見て悩んでいた。

 いつも通りリンゴがいいだろうか。それともブドウ? 酒はまだ彼女には早い。やはりいつも通りのリンゴでいいだろう。

 ガムや飴はこの前の交換分で間に合っている。


 二十ポイントで一つのリンゴと交換した俺は、そのまま家へと真っ直ぐに帰った。ポイントの余剰はあるが、今はいざという時のために取っておきたい。


 自分の区に向かい、自分の番号が書かれた扉を開ける。細い廊下を抜ければリビングだ。どうやらリビングに彼女はいないらしい。

 バールを流し台に置いて、彼女の部屋に向かう。名札がぶら下げられた扉をノックしても返事がなかった。


「エポル? 入るぞ」


 ガチャリと音を立てて扉が開く。薄暗い部屋の中、机に突っ伏して眠る妹の姿があった。

 ツインテールにした金髪が机の上に広がっている。いくつかの金属部品が髪の下敷きになっていた。大きく広げた図面に頬をくっつけて眠っている。


「……まったく」


 あまり夜更かしするなと言ってあるのに、またこの子は夜遅くまで図面とにらめっこしていたのだろう。握りしめられた手からペンを取り上げる。


「よい、しょっと……」


 力が入っていない体を抱き上げ、ベッドまで運ぶ。幼い寝顔に少し心がほっこりする。ベッドに寝かせた後は、結んでいる髪ゴムを外してベッド横の机に置いた。……下げられている胸元のファスナーをある程度まで上げておくことも忘れない。


 さて、ひとまず自分で目を覚ますまでは寝させてあげよう。

 相当疲れているはずだ。


 その間に俺はリストの確認をすることにした。リビングのテーブルに広げた資料は中々の量だ。ざっと千人近くいるらしい。ざっくり見た限りでも、確かに男女問わず若い者が選ばれているように感じる。

 俺はとりあえず失踪した年代毎に色分けして地図に印をつけてみることにした。


 ひたすらリストとにらめっこして、地図にマーカーで点を打っていく。気が遠くなりそうな作業だ。しかも千年分ともなれば、エデンが縮小される前の地区に住んでいた人もいるから……わざわざ古い地図を探すことになった。

 ただ、打ち続けていくにつれて分かってきたことがある。近い年代の失踪者を示す点の群れは円を描くように密集しているということだ。

 そして次の年代に移るにつれ、失踪者の円も移動していく。

 つまり、次の失踪者を探るなら……最も今に近い失踪者の円の範囲内を探せばいいということになる。


 ここまでは簡単だった。だが、問題はここからだろう。こんな簡単な整理だけで情報とは言えない。きっと要するに、こうして整理した後の地図に沿って調査しろということなのだろう。


 それにしたって初めからこの状態の地図をくれたら早いだろうに……それとも俺、軽く試されてるのかも。

 いや、きっと忙しくてこの処理も出来なかっただけだろう。リストを用意するだけで手一杯だったんだ。


 整理が終わった地図を眺めていると、カタリと物音がした。どうやらエポルが目を覚ましたらしい。

 折りたたんだ資料をポーチに入れて振り返る。眠たそうに目元を擦りながら扉を開けたエポルが立っていた。


「おかえり、兄貴」


 寝起き特有のふわふわした声だ。目がシパシパするのか、ぎゅっと目を閉じては開いてを繰り返している。つり目なこともあってか中々の人相の悪さになっていた。


「ただいま。今日はどうだった? エポル」

「順調。兄貴は?」

「こっちもまあまあってところだな」

「そっか。なら良かった」


 そう言い終えたエポルは、胸元のファスナーを下ろそうとした。


「エポル」

「……だって兄貴、こっちのが丁度いいんだって」


 エポルは俺のお下がりのパーカーを着ている。余った袖を折り返して腕を出し、ややオーバーサイズのズボンと、紫のカットスニーカーを合わせるのがいつもの格好だ。

 ただ一つ、パーカーのファスナーを下げて、胸だけを隠す黒いインナーが見える状態でいることが多い。それだけが悩みの種だった。

 彼女曰く、そうすることで丁度いい温度になるらしいが……そうなのだとしても、やめてもらいたいところだ。


「だとしてもだ」

「いいじゃん、兄貴以外誰もいないんだし」

「だとしてもだ!」


 エポルはムッと唇を尖らせた。

 嫌そうながらもファスナーを上げる。初めからそうしてくれていると助かるんだけどな、俺は。


「今日はお土産があるぞ」

「わっ、リンゴだ! ありがとう、兄貴」


 リンゴは少し萎びている。

 甘味は貴重だ。自然なものとなれば尚更。

 だから俺達に回ってくるのは上層部の人間が消費した余りだ。


「夕飯の後、一緒に食べよ」

「ああ」


 上機嫌にニコニコと笑うのが愛らしい。この笑顔のために一日を頑張っていると言っても過言じゃない。


 エポルがいない頃の俺は、最低限の仕事だけをこなし、怠惰に日々を生きていた。だが、そんな生活は彼女を引き取ってから一変したんだ。


 上からの命令で突然子供を渡された時は困惑したものだが……慕ってくれる小さな命に、俺の心は満たされていった。


「それじゃ、アタシは夕飯の準備してくるね」


 キッチンに向かったエポルはカチャカチャと音を立てて用意を始める。

 その間に俺は少し汚れたバールを洗うことにした。やはり仕事道具は日々の手入れが大事だ。


 洗い終えると同時にエポルがトレイを持って来る。

 栄養を摂るためのバーにキューブ、ゼリーとサプリメント。一式揃えて食べられるのも日々評価を上げるために頑張っているおかげだと思うと、これからも尽力しなければと思わせられる。

 しかも、今日はデザートにリンゴもある。日々頑張った甲斐があるというものだ。


「そういえば兄貴、検定の結果が返ってきたよ」

「お、どうだったんだ?」


 食事を摂りながらエポルの話に耳を傾ける。日中はあまり構ってやれない分、食事の時くらいはしっかり構ってやらないと。小さい頃、夜遅くまで帰ってこられなかった時……彼女が涙で枕を濡らしていた光景は未だに忘れられない。


「勿論合格!」

「凄いじゃないか。さすがエポルだ、普段の努力の成果だな」

「へへ……」


 キューブをかじっていたエポルが照れくさそうに笑う。

 エポルはこう見えてエンジニアの卵だ。俺には詳しいことは分からないが、機械を設計したり動かすためのプログラムを組んだりしているらしい。

 順調に資格を取得していっているのを見ると安心する。いずれ上層部にスカウトされれば将来安寧だ。


「これからも頑張るよ」

「無理はしすぎないようにな。倒れたら元も子もないんだから」

「分かってるって、もう。あれは自分の限界が分からなかっただけだから、もう倒れたりしないよ」


 エポルは努力家だけど、頑張りすぎるあまり倒れてしまったことがある。床に倒れ込んだ彼女を見た時は血の気が引いたものだ。

 食事を終えてリンゴに手をつける。二人揃って半分に切ったリンゴにかじりついた。

 わずかな甘みと酸味が口の中に広がる。

 とても贅沢な味だ。一口ずつ噛み締めるように味わう。

 エポルは大きくかじりついて、とろけるような笑顔で頬張った。


 食事を食べ終えた後は体を洗浄して眠るだけだ。早めに済ませないと暗闇の中で動かなければならなくなる。

 決められた時間になると強制的に明かりが消される。明かりをつけるにも魔石が必要になるから、節約しなければならないのは当然のことだ。


 ベッドに潜り込んで明かりを消す。明日から調査を始めよう。当然、通常の任務も請け負うつもりだ。

 そうしないと俺の評判が下がってしまう。あの特殊な任務だけで食い繋げるかもしれないが、いざ打ち切られたら困るのは俺だ。

 何があってもいいように備えておかないと。俺一人の命じゃない。俺の行動全てがエポルにも関わってくるんだから。


 その夜、俺は夢を見た。

 エポルを引き取った日の夢だ。

 同じ母親から生まれたから面倒を見るように。そんな言葉と共に連れてこられた金髪の子供。髪も紫色の目も俺と同じで、幼いながらに血の繋がりを感じていた。


 当然子育てなんてしたことがない俺は、何をするにもてんやわんやだった。ただこれも任務の一つだからと世話を続けていたのが、いつか家族として受け入れるようになって。


「にーに」


 ふにゃりと笑った笑顔が、とても眩しくて。

 服の裾を握る小さな手が、とても愛しくて。

 だから俺は、このとてもか弱くて小さな命を守らなくちゃって。


 でも女の子はいずれ子作りを義務化される。

 世界の魔力濃度を維持するために、そして人口を維持するために。それは必要なことなのだと幼い頃から教わった。

 『魂持ち』の数を増やすためには、とにかく子供を産んで人口を増やさないといけないからと。


 俺は男だから体液の提供だけで済む。でも、エポルはそうはいかない。母体にどれだけの負担がかかるか知った俺は、どうすればエポルのためになるのかを必死に考えた。


 そして上層部の重要なエンジニアになれば、ある程度免除されるという話を教えてもらった。だから俺はエポルに文字を教え、機械工学の本を与えたんだ。

 その本を手に入れるために膨大なポイントが必要になったけど。でも、俺はまったく後悔していない。


 エポルの幸せこそが、俺の幸せなんだ。

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