世界が滅ぶ
許可がおりたのは突然だった。
いや突然というか、グレイゴーストが兼任になった時点で、取引は成立していたのだろう。
俺は戦の神のチームへ兼任することが許された。
*
というわけで、まだ七日も経っていないのに戦いに駆り出された。
案内された街の景色は、愚神の管理下と同じだった。つまり俺たちの日常の景色が、そのままコピーされたもの。駅があり、ロータリーがあり、商店街がある。
それはいいとして、チームメイトがヤバい。
地面でビチビチ跳ねているグレイゴーストのほか、コスプレとしか思えない赤い忍者装束の者、酒瓶を手に酔っ払っているおじさんなど。
まともそうなのは、マニッシュなショートヘアの女性だけ。
いや、外見だけで判断してはいけない。おかしそうなヤツは見た目通りおかしいとして、まともそうに見えてもまともとは限らない。
「よし、自己紹介してくれ」
戦の神は今日も筋肉でムキムキだ。
お前が戦え。
「ジョニー・デップです。よろしくお願いします」
返事はなかった。
笑いも起きなかった。
俺としても、スルーしてもらえてよかった。ここでツッコミを食らったら傷を負う。というか、そもそも、なぜ俺はこんな寒いことを言ったのか。
戦の神が、渋い表情でこちらを見た。
「すまん。聞き間違えか? 俺の記憶にある名前と違うようだが」
「和田才蔵です」
「いま違う名前を言わなかったか?」
「いえ、ちゃんと和田才蔵って言いました」
「そうか」
頼むから掘り下げないでくれ。
大人だろ。
すると酔っ払いが極めて薄い前頭部を掻きながら言った。
「おい。ジョニーは俺の愛称だ。かぶってるぞ」
こいつもジョニーなのか?
ジョニーって顔じゃないが。
俺は意固地になってこう応じた。
「いえ、和田です」
「そうだ。お前はジョニーじゃない。俺だけがジョニーだ。通称、早撃ちのジョニーだ。理由は分かるよな? へへへ」
知りたくないな。
すると忍者がぼそりとつぶやいた。
「才蔵だと、私とかぶるんですけど」
覆面で顔は見えなかったが、声からすると女のようだ。
才蔵――。
まあ確かに忍者っぽい名前だ。学校でもよくいじられた。ガキは一度面白いと思うと、何億回でもこすり続ける。我が家では代々、長男の名前に「才」の字を入れる。それで俺は才蔵になった。もっと平凡な名前がよかった。
「すみません、本名なんで」
俺がそう告げると、忍者は「いえ、こっちも、なんか、ごめんなさい」としゅんとしてしまった。
もう自己紹介だけでめんどくさい。
原因の半分は俺のジョークのせいだが。
ショートヘアの女性が微笑を浮かべた。
「私はエルザ。みんなと違って私は本名だから」
エルザという名前から連想する歌を一節歌ってやりたかったが、俺は思いとどまった。彼女は笑顔ながら「いじったら殺す」という目をしていた。
まあ歌は権利関係も面倒だし、歌わないに越したことはない。こんな世界であろうと使用料は徴収される。
しかしマネキンみたいな女だ。顔が整いすぎている。
床で幽霊のような女がビチビチ跳ねた。
「そして私がグレイゴースト。重力と戦う女。私を落としたければ、人間をやめることね」
大丈夫だ。特に落としたくない。
*
チームの雰囲気は悪くなかった。
余裕があるのか、みんな気さくに談笑している。
ギリギリで生き延びている状態では、世間話さえ発生しない。口を開いても深刻な話題ばかり。もうやめたい。つらい。苦しい。死にたくない。リタイアしたい。以下繰り返し。
会話をするにもエネルギーを使う。
疲れ果てると、最終的に誰もなにも言わなくなる。
地面を見つめる以外、することがなくなる。
ただ殺されるのを待つ人生になる。
「ねえ、ちょっと行ってきなよ」
「え、イヤですよ」
「大丈夫。サイちゃんなら楽勝だって」
「いえ、別に勝ちたくないんですけど」
エルザと忍者がなにか言い合っている。
こちらを見ているから、俺になにか用なのかもしれない。
するとグレイゴーストが蛇のように這い寄ってきた。
「気をつけなさい。あの女たちは危険よ」
「いや、どっちかっていうと危険なのは……」
いまどうやって動いたんだ?
まるで地面を滑るような動きだった。
グレイゴーストは「気をつけ」の姿勢のまま仰向けになった。
「空が青いわね」
「ええ、まあ」
世間話でもしたいのだろうか?
俺が困惑していると、彼女は渋い表情を見せた。
「私の話、聞いてた?」
「聞いてますよ」
「じゃあ警戒しなさい。あの女たちは危険よ。男をいじめるのが趣味なんだから。ジョニーもプライドをズタズタにされたわ」
酔っ払いのおじさんをいじめたのか?
まあ、俺を除けば、ここは女三人、男一人のチームだ。おじさんに居場所はなさそうだ。グレイゴーストにもなさそうだが。
「男ってチョロいわよね。女の誘いにすぐ乗るんだから」
「そういう男もいるな」
「あなたは違うの?」
「いや、違わない。けど、本能で行動しないようにはしている」
真面目に答えたのに、彼女はうつ伏せになってぷるぷると震えた。笑いをこらえているようだ。失礼な。
かと思うと、うつ伏せのままズルズルと遠ざかっていった。
ホントにどうやって移動してるんだ……。
代わりに、赤い忍者がおずおずと近づいてきた。
「あの……少しいいですか?」
「どうぞ」
すると彼女は、俺の隣に腰をおろした。
椅子ではなく縁石だが。
「さっきはごめんなさい。私、霧隠才蔵って名乗ってて」
「忍者、好きなの?」
「はい。あ、でも忍術とかは使えないんですけど。剣道やってたんで」
覆面のせいで顔は見えないが、声の感じがかなり若い。まだ十代だろうか? それとも声が若いだけか?
いや、その前に、剣道をやってたから忍者とは……。剣道からも忍者からも怒られるのでは?
すると彼女は身をちぢこめてこう続けた。
「ところで、和田さんって、彼女とか募集してます?」
「してないです」
「えっ? じゃあ男の人が好きとか……?」
露骨に困惑した様子でそんなことを言ってきた。
論理はどうなってるんだ、論理は!
論理学では、「暑い」の否定は「寒い」ではなく「暑くない」となる。
もちろん「寒い」も含まれるが、それだけでなく「暑い」を除いたすべての要素が含まれる。
もっとも、彼女は、それらをふまえた上で推論をしたのかもしれないが。
「いや、そうじゃなくて。いまは生きることに集中してるんで」
「あ、ちょっとカッコいいかもですね」
「ありがとう」
お世辞かもしれないが、笑いを堪えてぷるぷるされるよりは何倍もマシだ。
あの蛇女、あとで覚えてろよ。
ずっとビルの屋上で街を眺めていた戦の神が、ふとビルから出てきた。
半裸でビルを出てくる姿は異様としか言いようがなかったが……。
俺は「ちょっとごめん」と告げて、忍者との会話を切り上げた。彼女は「えっ?」とびっくりした様子だったが、くだらない茶番に付き合っている暇はない。
「すみません、ちょっといいですか」
「む? なんだ? 戦の指南か?」
彼は嬉しそうにニッと笑みを浮かべた。
戦のことしか頭にないのかこいつは。
女神の頭がラードなら、こいつは脳筋といったところだな。
「約束してたでしょう。機械について教えてください」
そもそも、こいつは人に戦を指南できるほどの戦術家なのか? どうせ、攻めていればそのうち勝てるくらいに思ってるんだろう。
彼は急に消沈してしまった。
「なんだその話か……」
「その話ですよ。こっちにとっては重要なんですから」
「ああ、教えるよ。機械ってのは……まあ機械だ。今夜、君たちが戦う相手でもある」
「今夜? え、もう戦ってるんですか?」
俺のチームはまだ第二の試練に入ったばかりなのに?
すでに実践投入されていると?
「あー、といっても機械工が修理した小物だがな」
「機械工いるんですか?」
「ああ。だが我らの同胞ではない。君と同じ人間だ。ああいうのは人間に任せるに限る」
こいつらは機械アレルギーでも持ってるのか?
「なぜわざわざ修理して戦わせるんです?」
「模擬戦だからな」
「実践でも、機械と戦うことになるんですよね? さっき小物って言ったところをみると、最終的にはかなりデカいのと戦わせるつもりなのでは?」
「なんだなんだ。俺が答える前に、もう答えを言っているではないか」
推論だ。
というか普通、分かるだろう。わざわざ小物と言ったのだから、小物以外もいることになる。
戦の神はうんうんうなずき、こう続けた。
「そう。その通り。巨大な機械だ」
「神々では勝てないのですか?」
「そうなるな。我らの起こす奇跡は、機械には通じぬのだ。かといって壊そうにも仕組みが分からぬ。そこで、人間の出番というわけだ」
「……」
自分たちがケンカに勝てないから、奴隷を代わりに出動させているわけか。
端的に言ってクソだな。
俺は遠慮なく溜め息をついた。
「人間なら機械に勝てると?」
「いや、勝てるとは断言できん。だが、我らがやるよりはよい結果をあげている」
「人間を誘拐してきて、強制的に戦わせて、そして最終的に神は助かる、ということですか」
皮肉を口にしないわけにはいかなかった。
もっとも、本来なら人間が神にこんな口を聞くのは不敬かもしれない。だが不敬なのはお互いさまだ。こっちは何度も命を落としてきた。
彼も困り切った表情をしている。
「まあそう言うな。我らが滅んだら人間界も滅ぶし、人間界とも合意の上だ」
「いや、ちょ、えっ?」
重要な情報をいきなり並べるな。
人間界も滅ぶ?
合意の上?
「うむ。君たちは売られたのだ。だが安心せよ。この俺が立派な戦士にして、必ずや世界を救う英雄にしてやるぞ。すべてを成し遂げたあかつきには、褒美も思いのままだ」
「悪魔が襲ってきたとかなら分かりますが、機械? それですべてが滅ぶと?」
「うーむ。それは話すと長くなるのだ。それに、俺は長い話が得意ではない。君だって、自分のなすべきことは理解できただろう? だから、もういいよな?」
もういいよな?
よくない場合はどうしたらいいんだ?
すると彼は「よし、話は終わりだ! また会おう人間!」と全力ダッシュで去ってしまった。
あまりにも速すぎる。
鍛えぬいた脚力をこんなことに使うな……。
*
日が暮れてきた。
駅前の様子は、ずっと変わらなかった。
女たちがお喋りし、おじさんが酒を飲み、グレイゴーストが床を這い回った。マジでどうやって移動してるんだ……。
俺は誰にともなく尋ねた。
「そういえば、さっき敵は機械だって聞いたんですが……」
この声はコンクリートに弾かれて消えた。
誰からも返事はなかった。
いちおうみんなこちらを見ている。
俺は談笑している女たちのところへ向かった。この二人はずっと会話をしていたから、参加しやすいと思ったのだ。
「あの、機械と戦うの初めてなんですが、どうすれば? なにかコツとかあります?」
するとエルザが微笑を浮かべ、こう応じた。
「ごめん、分かんない」
「はい?」
「自分で考えてよ。精鋭なんでしょ?」
すると忍者もくすくすと笑った。
まさか学校を卒業してから女子にいじめられるとは思わなかった。
俺はつい鼻で笑ってしまった。
「つまり皆さんは、戦術もナシに才能だけで乗り越えてきたと? このあとが楽しみだな」
「……」
険悪な空気になってしまった。
エルザが「行こう、サイちゃん」と言うと、忍者も「はい」と腰を上げ、二人で行ってしまった。
新人いびりが趣味とは。
じつに陰険だな。
今度はジョニーがふらふらと寄ってきた。
「な? だから言っただろ?」
「えっ? はい? なんです?」
名前がかぶってること以外、なにか会話しただろうか?
「あいつら、男を攻撃して、自分たちの優位性を確認してやがるんだ。ここでは男に人権はないぞ」
「ジョニーさんもなにかされたんですか?」
「ああ……」
彼はつらそうに目を伏せた。
あまり言いたくないのかもしれない。
うつむくと、薄くなった頭部がこちらへ向けられた。そうとう苦労してきたのかもしれない。いや、ここへ来る前からこうだった可能性もあるか。
彼は瓶から酒をぐっとあおり、こう続けた。
「お前もあんまり気にするな。生きてればいいこともある。特に、戦いが終わったあとはな。へへへ」
「はぁ……」
臨時のセクキャバでも開店してくれるのか?
男はいいが、女はどうするんだ?
きっと違う「なにか」なんだろう。
というか俺は、まっさきにセクキャバを思い浮かべる己の発想の貧困さを責めるべきかもしれない。反省しよう。
*
なんらの収穫もないまま夜を迎えてしまった。
手元に鉄パイプはある。実包もいくらかある。敵を撃つぶんと、自爆用くらいは。
だが、それだけだ。
準備も、情報も、戦術も、仲間たちとの信頼関係も、なにもかもが不十分。
駅からやや離れたビルの合間。
みんなベンチや縁石に腰をおろしていた。いや、一人だけ地面を転がっているが。とにかく全員距離が近い。
グレイゴーストが近づいてきた。
「今日は特に重力がキツいわね」
「えっ? そうかな? いつも通りだけど」
俺がそう応じると、彼女は顔をしかめてしまった。
「いまのはグラビティ・ジョークよ」
「グラビティ・ジョーク……」
「あなたは人間に固執してるからジョニー・デップとか言い出すのよ。人間を卒業して、私と同じステージに立ちなさい。そのとき初めてグラビティ・ジョークを理解するわ」
「えーと……」
理解したくない。
というかジョニー・デップの件はもう触れるな。滑ったんだから。
これから戦闘だってのに、士気をさげないで欲しい。
俺は月を見上げながら、大杉一の言っていた作戦を反芻した。
彼の作戦はこうだ。
神は、なんらかの理由で機械を苦手としている。一方、人間にそんな弱点はない。だから人間が機械を制圧し、それを使って神に反撃を試みる。
実際にやるかどうかはともかく、これが彼の計画だった。
今日聞いた戦の神の話とつなげると、そんなに無謀な計画でもないような気がしてくる。
ただ、それが成功すると世界は滅ぶらしい。
まあ、別に滅んだっていい。
リタイアすれば俺たちは命を失う。
どちらも結果は同じだ。少なくとも俺にとっては。
見ず知らずの人間たちは、俺たちを売ったのだ。
救ってやる義理もないだろう。
(続く)