ケンカしないで
ずっと空気がぬるい。
常にぬるま湯の中で暮らしているようだ。
*
六日間、俺はチームを改善しようと奔走した。
投石で攻撃するなら、ビルの一階からではなく上階から投げたほうが位置エネルギーも利用できていいこと。あるいは布や紐でスリングショットを作れば、簡単に威力をあげられること。
敵の侵攻ルートはいつも同じなのだから、あらかじめ罠を設置しておくべきこと。
味方を巻き込むおそれがあるので、できるだけ火は使わぬこと。
各所にラジオを配置しておき、そこから音声を流せるようにしておくこと。これは味方に指示を出しやすくなるだけでなく、敵を混乱させるのにも役立つ。
結果、チームは格段に効率的になった。
と、言いたいところだが……メリットよりもデメリットが上回ったかもしれない。
特に伊東健作からは、「は? なんだよ急に。あとから来たヤツが指図すんなよ」と露骨なコメントを頂戴してしまった。
のみならず、大杉一さえも「一度にあれこれ提案されてもみんな困るよ」などと言われてしまった。もっと柔軟な人だと思っていたのに。
あとから入ってきた人間が、先にいた人間のやり方を変えようとするのは、だいたい嫌われる。
いや、そんなこと俺だって分かっていた。ただ、彼らなら理解してくれると思ってしまった。
五味綺羅星も、俺には失望したようだった。
俺は火薬の扱いが難しいことを力説し、デモンストレーションを通してなんとかあきらめるよう促した。すると彼の表情はみるみる曇っていった。
まあ俺の言い方もマズかったかもしれない。
「まず、物が燃えるためには、三つの条件が揃っていないといけない。それは可燃物、酸素、そして温度。まあこれは分かるか」
「えっ? たぶん……」
「可燃物が発火点に達すると、酸素と反応し始める。火薬には酸素が含まれているから、必ずしも空気に触れている必要はないけど。大きな反応を得ようと思ったら、空気はあったほうがいい。まあ無酸素で戦闘することはないと思うから、そこは考慮しなくていいけど」
「一回撃ってみたい」
「いや待った。まず基礎を理解してからでないと、火薬を扱わせるわけにはいかない。先に仕組みを教えるから」
「でも僕、難しいこと言われても分からないから」
「大丈夫。図解する。えーと、まずこれが断面図。ここが雷管になってる。これを強く叩くと、熱エネルギーで小さな爆発が起きて……」
彼は火薬の使用をあきらめてくれた。
きっと彼にとって必要だったのは、知識ではなく、スイッチを入れたら敵が死ぬ装置だけ。
だが、本来それだけでよかったのだ。
俺は余計なことをした。
*
また七日目がやって来た。
伊東健作はもう完全に俺のことを嫌ってしまったし、五味綺羅星は目も合わせてくれなくなった。
大杉一は、いつもなら気さくに話しかけてくれるのだが、露骨に会話の機会が減ってしまった。
なにも変わらないのは東雲藍だけ。この人はなにを考えているのか分からない。
いや、いいのだ。
どうやら今日は、それどころではない。
まだ昼だというのに、俺たちは女神に集められた。
今日はスクール水着を着ている。布がはち切れそうだ。
「それじゃあ紹介するわね。この子は、今日からチームに参加してくれることになった人間ちゃんよ」
彼女はにこにこ笑顔でそんなことを言った。
だが、その人間ちゃんが不気味すぎた。
長い黒髪を伸ばし放題にした幽霊のような女だ。なぜか地べたに横たわっている。のみならず、釣り上げられた魚のように、たまにビチビチする。ずっと独り言を言っている。
「この重力が! 重力が私を拘束する! いつまでもあると思うな親と重力!」
ビチビチ。
怖い。
しかし女神は慈愛に満ちた表情で、こう告げた。
「ほら、人間ちゃん。自己紹介して」
するとビチビチしていた女が、ピタリと動きを止めた。
「は?」
「自己紹介して」
「その前。あなた、なんて言ったの?」
「人間ちゃん?」
「そう! それ! 私は人間なのかしら? 人間として認めてくれるのかしら? でもごめんだわ。私はね、人間という種を見限ったの! 私を人間と呼ばないで!」
「困ったわね……」
だが言葉とは裏腹に、女神はとても嬉しそうだった。まるでワガママなペットに翻弄されて喜ぶ飼い主のようだ。
誰も口を開かなかったので、俺は溜め息のついでにこう尋ねた。
「またどこぞの生き残りですか? この精鋭揃いのチームに来るってことは、よほど優秀なんでしょうね」
女神への皮肉のつもりだったのだが、伊東健作から舌打ちが聞こえた。
本当に嫌われている。
女神はしゃがみ込み、女の頭をなで始めた。
「あのムキムキマンのとここから派遣されてきた子なの。でも完全な遺跡ではなく、両チームの兼任ね」
「戦の神……」
いったいどういうつもりだ?
もしかしてこれで女神に恩を売っておいて、俺の兼任を認めさせるつもりか?
いや、それならそれで話は早い。
いっそ完全トレードでもいいくらいだ。俺は早くもこのチームでの居場所を失ってしまった。まさに「口はわざわいの元」だ。分かっていたのに対処できなかった。俺は愚かだ。
「ほら、人間ちゃん。自己紹介して」
女神は女をゆすっている。
どれだけ自己紹介好きなんだ。
すると女は顔だけこちらへ向けた。
「そうね。私のことはグレイゴーストとでも呼んで頂戴。人間としての名前は捨てたわ、人間をやめたときにね」
「きゃあ。かわいいわね。よちよち」
女神は大はしゃぎ。
かわいいか?
すると伊東健作が、ニヤニヤしながらこう言った。
「じゃあ、こっちも自己紹介してやろうぜ。なあ、リーダーさんよ?」
「……」
このチームにリーダーはいない。
だがヤツは明らかに俺を見ている。
煽られている。
「俺はリーダーじゃない」
「あんたに言ったんじゃねぇよ。それとも自分をリーダーだとでも思ってんの? 道理でいちいち指図してくるわけだ」
「指図じゃない。ただの提案だよ」
「チョーシ乗ってんじゃねーよ」
確かに彼の気分を害したかもしれない。
だが、ここまで言わる筋合いもあるまい。もしかして、序列に厳しいタイプなのだろうか? ここは野球部かなにかで、俺は後輩という設定なのか? まるで学生気分だな。
大杉一もさすがに「やめるんだ」と口を挟んだ。
が、俺は聞かなかった。
「もし俺がリーダーなら、提案の拒否はさせない」
「あ?」
「だけど伊東さんは俺の提案を拒否しただろ。それはあくまで、ただの提案だったからだ」
「こっちは上から提案してんじゃねーって言ってんの。お前、新入りだろ? 立場をわきまえろよ」
入った順番と能力の優劣は異なる。
だいたい、ただの寄せ集めチームに序列もなにもあったもんじゃない。特に、リーダーはいないと最初に説明があったはずだ。俺は俺の才能を活かすだけ。ベストを尽くしてなにが悪い。
大杉一はパンパンと手を叩いた。
「ほら、やめやめ。今日は戦いの日なんだ。余計なエネルギーを使うべきじゃない」
俺はもっと言い返してやりたかったが、たしかに不毛だと思い、口をつぐんだ。
伊東健作も黙った。
たぶん、大杉一のほうが「序列が上」なのだろう。
サル山じゃあるまいしとは思うが。「なにを言ったか」ではなく「誰が言ったか」が重要になってしまうのは……まあどこでもよくあることだ。ここは違うと思っていたが、それは俺の勘違いだった。どこも同じだ。
女神は今度という今度こそ困惑していた。
「え、待って。ケンカしないで? ねっ? 仲良くしてね?」
今日も頭の中はラードで満杯だ。
仲良くしろと言われてできるなら、世界中がとっくにどうにかなっている。
俺はガキのころからこの手の言い回しが嫌いだった。なにが問題かを聞きもせず、ただ表面的に終わらせようとする。この時点で、子供たちは「なあなあ」で済ませるよう刷り込まれる。
あるいはそれも「知恵」なのかもしれない。だが他人の知恵だ。本人の解決能力は育たない。むしろ大人という権威の前では、子供の理由など無意味と思わされるだけだ。
問題が起きたとき、詳細を知るのはめんどくさい。
それは分かる。
だが、そうやって先送りしたら、永遠に解決しない。ケンカしないで欲しいなら、争いの種を取り除かねばならない。なのにそんなことしない。
この点において、人間も神も違いはないようだった。彼女が愚神だからかもしれないが。
*
特に会話もないまま夜を迎えた。
みんなそれぞれ配置についている。伊東健作は俺の「提案」を無視して、ビルの一階に身をひそめている。
まあ好きにするといい。どうせ勝てるんだから。
俺が鉄パイプの素振りをしていると、ビチビチという音が近づいてきた。
自称グレイゴーストだ。
「なんなの? 工事でもするの?」
「似たようなものだな……」
俺は工事用のヘルメットに鉄パイプという格好だ。揶揄したい気持ちは分かる。だがそれを言うなら、こいつも魚だ。いや魚というか蛇だな。
女は溜め息をついた。
「この世界にも月が出るのね」
「ちょっと欠けてるな」
「お煎餅みたいよね。食べたいわ」
「そろそろ始まるから、どこかに退避していてくれ。そんなところで寝てたら踏まれるぞ」
俺がそう告げると、彼女は「ひーっ」と声をあげた。
なにかと思ったら、どうやら笑っているらしい。愉快そうにビチビチしている。
思わず溜め息が出た。
「笑いごとじゃないぜ。ホントに危ないんだ。どうなっても責任取れないからな」
「今日は人が死ぬわ……」
「はっ?」
見ると、もう笑ってはいなかった。
その代わり、うつ伏せになっているから顔は見えなかった。
「人が死ぬわ……」
「不吉なこと言わないでくれ。このチームは精鋭だ。いつもうまく戦ってる」
「あなたたちがケンカしてたせいで、あの愚神、説明を忘れたのよ。今日の敵は、いつものと比較にならないのが来るわ」
「えっ?」
すると道端に設置しておいたラジオから、五味綺羅星の声がした。
『気を付けて、いつものと違うのが来るよ』
彼は目がいい。
事実なのだろう。
大杉一が緊張した声で応じた。
『どうした? 詳しく説明してくれ』
『もう来る』
夕闇の向こうからは、敵のシルエットが見える。
小さな群れを引き連れた大きなヤツ。
いつも通りに見えるが……。
グレイゴーストがぬるりと立ち上がった。
「試練は第二段階に入ったというわけ。ところで、あなたがリーダーなんでしょ? 名前を聞いてなかったわね」
「和田才蔵。リーダーじゃない」
「人間の名前をしているわね……」
「あいにく、まだ人間をやめてない」
すると彼女は、ジャキンと鉄の爪を伸ばした。袖の内側に隠していたらしい。
「なんでもいいわ。指示を出して。私、指示がないとみんな殺しちゃうから」
「みんな……?」
「敵も仲間も関係ないの。だって、どっちも動く肉じゃない?」
この手のタイプは、ここに来て壊れたんじゃない。
元から壊れているのだ。
俺はひとつ呼吸をしてから告げた。
「人間は殺さないように頼む」
「もっと詳細な指示がいいわ」
「獣だけ殺してくれ」
「分かった」
にぃ、と、不気味な笑みを浮かべた。
本当に指示に従ってくれるのかは不安だが……。いまは味方を疑っている場合じゃない。敵に集中しなければ。
(続く)