休日
ぬるい空気に満ちている。
女神が竪琴を奏でている。
細い指が弦を弾くたび、心地よい音の波が広がり、そして消える。
街からは丘が見える。
巨大な金色のタマゴが鎮座している。
それがなんなのかは分からない。聞いても教えてくれない。
戦いが終わると、少なくとも六日間は自由に過ごすことができる。
とはいえ、ずっと休んでいるわけにはいかない。俺は鉄パイプを改造して銃砲にしている。メンテナンスもしないといけないし、使ったぶんの弾も補充しないといけない。
幸い、ここはどこかの街を模したものになっている。
雑貨屋もある。花火から火薬を集めることもできる。工具も使える。できることは意外と多い。
俺がチームを兼任するというアイデアは、女神によって却下されてしまった。
もっとも、女神と戦の神が対立しているのだとしたら、そんなのは当然の反応だろう。
ただ、どうも聞いた感じでは、完全に移籍するのなら、俺と戦の神さえ合意すれば成立するのだという。
なぜそうなのかは分からないが、きっと神の間で合意されたルールなんだろう。
油で加工した紙を干していると、女神が近づいてきた。
「人間ちゃん、いつも忙しそうね」
今日はコスプレではない。純白の布に体を包んだだけのシンプルな格好だ。あふれんばかりの肉体を、やわらかな布が包み込んでいる。
いや、これもコスプレなのか?
「その通り。忙しいんです。雑談だったら、よそ当たってください」
「えーっ」
どこからどう見ても大人なのに、ガキみたいなリアクションをする。
いったいどうすればいいんだ。
女神はすねてしまった。
「私、不安なの。人間ちゃんがどこか遠くへ行っちゃうんじゃないかって……」
「……」
たまに直感だけで正解を言い当てる。
そう。
じつは移籍を考えていた。
プランはこうだ。
俺と戦の神による合意で、まずは完全移籍する。その後、戦の神を説得し、両チームに所属できるようにする。
戦の神は拒まないだろう。なぜなら、兼任を進めてきたのは彼なのだ。自分だけそれを拒むのは筋が通らない。
女神も俺を受け入れるだろう。
たぶん。
あくまで「すべてがうまくいけば」だが。
歯車がひとつでも噛み合わなければ、ただ移籍して終わる。
となると、俺も女神に根回ししておいたほうがいいか……。あんまり冷たくしていると、最後の最後で拒否されかねない。
「女神さま、お気持ちは嬉しいんですよ。いろいろよくしてもらってるとは思います。ただね、俺にも俺の考えがあって……」
「どんな考えなの?」
「一緒に戦ってた仲間が死んでくの、もう耐えられないんです。だから俺は、できるだけ多くの人間を救いたい。どうすれば可能なんだろうって、ずっと思ってて……」
まあそんなのはウソだ。
ただウマいことこの状況を切り抜けられればなんでもいい。そのために情報がいる。
女神はぐっと近づいてきた。
「まあ! 人間ちゃんって、とっても慈愛に満ちているのね……。思えば、あなたはずっとそうだった。たまにひどいことを言ったりもするけれど、決して私を傷つけたりしなかったわね。きっと心が清らかで優しいからなんだって信じてた」
近すぎる。
谷間しか見えない。
だが、俺がこいつを傷つけないのには理由がある。
たとえば、いますぐこいつの腕をハンマーでへし折ったとしよう。すると数分後、なぜか俺の腕が折れる。
勢いあまってぶっ殺せば、死ぬことになるのは俺のほうだ。
やったことがそのまま返ってくる。
これが非常に厄介なのだ。
その効果は、優しくした場合でも同じ。
優しく、というか、気持ちよくなるような行為をしても、それは自分に返ってくる。
最高じゃねーか!
そう思うだろう。
だが、ダメだ。
こいつはアリジゴクのような女だ。
ズルズルと引き込まれる。
もしなんらかの行為を貫徹し、結果、赤ちゃんができたとしよう。
そのとき、赤ん坊を産むことになるのはこの女ではない。
男の側だ。
次第に体の一部が膨張し、そこから赤ん坊が飛び出してくる。この時点で、男はまず一回死ぬ。
で、生き返ってからも大変だ。赤ん坊のぶんの生命力が差し引かれた状態での蘇生となる。つまり能力が低下するから、格段に生存が難しくなる。のみならず、赤ん坊は父親の血を欲しがる。ずっと付きまとわれて、血を吸われ続けることになる。殺してもお構いなしに生き返る。逃げられない。
つまり、この女に手を出して赤ん坊をこさえてしまった日には、もうずっと死に続けるしかない。
もし男がリタイアした場合、赤ん坊はどこかへ引き取られる。詳しくは知らない。いちおう、ちゃんと育てられるらしい。
いま、女神は目の前でにこにこしている。
本当に俺を聖人君子かなにかだと思っている様子だ。
「女神さま、その評価は過大ですよ。俺はたしかに同胞を救いたいと思ってます。けど、これとて考えようによってはエゴなのです。人間を救うためなら、獣の命を奪うことにも躊躇はない。俺は利己的な人間です。もし本当に立派な人間なら、あの獣たちをこそ救いたいと思うはず。そう思えない俺は、まだまだ未熟です……」
「まあ! 優しくて強いだけでなく、とっても謙虚なのね。そんな人間ちゃんを手駒にできるなんて……。私、とっても幸せよ!」
おいメス豚、いまなんて言った?
手駒?
少しは言葉を選べよ、ラード女……。
やっぱりゲーム感覚じゃねーか。
だが、ここでキレてはダメだ。心証をよくしておかなくては。
「麗しき女神よ、あなたのもとで戦えて幸せです。できれば、もっと多くの人間を救えればよかったのですが……」
「ううん。人間ちゃんは立派よ。みんな自分のことで精一杯なのに、みんなのことまで考えて」
こいつ、誰のせいで精一杯になっているのか理解していないようだな。
いますぐジャイアントスイングで窓からぶん投げてやりたいよ。
女神はさらに距離を詰めてきた。
「ねえ、人間ちゃん! ムードもよくなってきたところで、二人の赤ちゃんを作りましょう! 愛を確かめ合うの!」
「はい?」
「あなたとはまだしてなかったわよね? 誰も見てないから大丈夫!」
「……」
大丈夫じゃねーんだよ、メス豚がよ。
いたるところをむちむちさせがって……。
じつは過去に、何度かそうなりかけたことはある。
この女は誰でもウェルカムなのだから、当然、俺であっても拒絶されないわけである。
しかし賢明なことに、俺は事前に確認したのだ。もし赤ちゃんができたらどうなるのか、と。そしたら女神は素直に教えてくれた。
そして愚かなことに、確認もせずに手を出した男たちは、結局のところ死ぬハメになった。
俺は咳払いをし、こう応じた。
「身に余る光栄ですが……。しかし俺は、自分だけいい思いをするわけにはいきません。ですからどうか、仲間たちのために竪琴を奏でてください。あなたの演奏は、いつでも心が癒されます」
「あら、そうなの? 残念ね。愛を確かめたくなったら、いつでも言って? 私、大好きな人間ちゃんをいっぱい愛したいの」
「ではそのときに改めて」
「うん。またね」
女神は去った。
演奏の腕がいいのは事実だ。それしか取り柄がない。これで演奏までクソだったら、人に害をなすだけの存在となる。どんなラードにも使い道はあるものだ。
俺は盛大に溜め息をついた。
いまのやり取りで精神が摩耗した。イライラする。どこかでエロ本でも拾ってストレスを解消しなければならない。精神衛生のコントロールも、ここでの生存には重要なことだ。幸い、エロ本なら赤ちゃんもできない。
いや、本来、新しい生命が誕生するのは喜ばしいことなのだ。
それをまるで処罰のように……。
俺はいつからこんな感情を抱くようになったのだろう。
*
作業を終えて駅前に戻ると、仲間たちが珍しく会話をしていた。
というか普段から会話しろと思わなくもないが。
実践していない俺にはなにも言えない。
「ああ、来たな」
大杉一がこちらを見てそんなことを言った。
俺になにか用だろうか?
するとイケメンがこちらへ駆け寄ってきた。手に槍を持っている。だが、こちらは素手のまま。刺されたら死ぬ。
だが刺してくるような顔でもなかった。
「僕のこと、弟子にして欲しい」
「えっ?」
槍をよけようとしてのけぞっていたから、用件に集中できなかった。
なんて言った?
弟子?
「僕も必殺技使いたい」
「必殺技とは……?」
「棒の先からドカーンてするやつ」
「ああ、あれか……」
散弾のことだろう。
まあ必殺技と言えなくもない。
だが、本当に大丈夫だろうか?
安全に火薬を扱えそうなタイプには見えないが……。
「僕、強くなりたいんだ。悪いヤツ倒したいの」
目がキラキラしている。
よく見ると顔立ちもやや幼い。
「あれはちょっと扱いが難しいんだけど……」
「頑張る」
「その槍を改造して欲しいの?」
「うん」
顔もいいし、身体能力も高い。性格も素直なんだろう。だが、それ以外の点については、やや問題がありそうだった。
じつは俺の武器は、万能ではない。
パイプごと破裂することもあるし、不発に終わることもある。接近戦で頑張り過ぎると、鉄パイプが曲がって壊れることもある。
最初のころは、よく自爆したものだった。それで死ぬならまだいいが、指だけ飛んだりすると最悪だった。
この世界では挽回できるからいいようなものの、現実世界で使ったら被害のほうが大きくなるだろう。
「分かった。じゃあ、あとで俺のを貸すから、ちょっと練習してみよう」
「ホント!?」
「それで使いこなせそうだったら、その槍を改造できるか考えるよ。ええと、五味くん……下の名前はなんだったっけ?」
「綺羅星」
「そう……。ええと、俺は和田才蔵」
「知ってる」
五味綺羅星――。ご両親は、なかなか思い切ったネーミングをしたな。
散弾は扱いが難しい。
いや、一般的な散弾のことは知らないが、少なくとも俺が自作したものはとにかく難しい。指が何本かぶっ飛ぶ経験をしたら、もう二度とやりたいとは思わないだろう。
彼はぐっと近づいてきた。
「ね、あの技なんていうの?」
「いや、特に名前は……」
「なんかないの? カッコいいやつ」
「ええと、まあ、今度考えておこう、かな」
謎の横文字を並べればいいんだったか。あるいは漢字か。いや、漢字に横文字のルビだ。そうに違いない。
しかしここにはネット環境がないから、新しい言葉は調べられない。
こんなことなら、その手の情報をもっと積極的に仕入れておくんだった。
それはいいとして、槍に銃砲をつけるのか……。
パーティー用のクラッカーを改造して雷管代わりにして、そこから火薬への誘爆を狙う手がある……。これなら紐を引っ張るだけで弾が出る。
あるいは回路を組んで電池式にするか。ただし回路の知識はない。まあオンとオフを切り替えるだけならなんとかいけるか。
しかし先端付近にアタッチメントをつけるとなると、遠心力がかかったときにとんでもない重さになるだろう。槍としての機能は落ちる。あるいはイチから槍を作り直して、銃剣みたいに改造するか。
ちなみに、ただ火力が欲しいだけなら、そこらの車からガソリンを抜いて火炎瓶にするという手もある。モロトフ・カクテルだ。せっかく人として産まれたからには、やはり火を使わないとな。
ただし、獣は火だるまになると無軌道に走り回る。人間にも突っ込んでくる。なにもかもが燃える。あまり好んで見たい光景ではない。
火は手っ取り早くていい。
だが、いちど火がついてしまえば、もう手に負えなくなる。
人類は、火を起こすことはおぼえたが、消すほうはいまいち得意ではない。よくよく考えて使わなくては、みずからを焼くことになる。これは警句とかではなく、ただの一般論としてそうだ。
(続く)