宴
さて、戦いが終わると宴が待っている。
これは皮肉でも比喩でもなく、本当に宴だ。勝っても負けても大量の食い物と酒が振る舞われる。
「あらあら、もう終わらせちゃったの? 人間ちゃんてばとっても早いのね。褒めてあげる。よちよち」
コスプレクソ女神が俺たちを出迎えてくれた。
大きなテーブルには皿が並べられている。盛られているのは、ほとんど肉だ。それもこの世界特有の謎肉とかではなく、俺たちになじみのある牛肉や山羊肉など。鶏肉もある。いや七面鳥だろうか。どうせ違いは分からないが。
ピザもある。
テーブルの脇には酒樽も並んでいる。赤ワイン。いくらでも飲み放題だ。
俺はまったく戦っていないのだが、構わず酒樽から酒を汲み、カップからごくごく飲んだ。思いっきりこぼしてしまったが、ここではそれくらい雑に飲んだほうがいい。浴びるほど飲むということだ。
「はぁ、まったく、飴と鞭とはこのことだな」
俺は空になったカップを持ったまま、バス停のベンチに腰をおろした。
空になったのだからまた汲んできたいところだが、いちど座ってしまうと立ち上がる気が起きない。
本当はいろいろ思案したいことがあったのだが……。
どう考えても酒の優先順序が一番で、その他は二番になる。
「もう、人間ちゃん、ご飯も食べないでお酒なんて、体によくないよ?」
女神が体をゆさゆさ揺らしながら近づいてきた。
こいつは本当に、たわわが過ぎる。漫画かゲームにでも出てきそうなコスプレ用の巫女服を着て、巨大なナニカをこぼれんばかりにしている。どこもかしこもムチムチしていて、かじりつきたくなる。
だが――。
「死ね」
俺に言えるのはそれだけだ。
レディーに対して不適切な言葉かもしれない。いや、相手の性別がどうあれ、「死ね」は不適切だ。好ましい言葉ではない。だが、どれほど礼儀を払おうとしても、こいつに対してはほかの言葉が出てこなかった。
クソ女神はわざとらしく「えっ」と傷ついたような顔を見せた。
この演技に騙されてはいけない。
いや、仮に演技でなくとも、こいつとは仲良くすべきじゃない。
じつは、ヤろうと思えばいくらでもヤらせてくれる。
こいつの体でストレスを発散することもできる。
だが、もしそんなことをすれば、あとで重大な問題が待ち構えている。
決して手を出してはいけない。
「女神さんよ、機械ってのはなんなんです?」
「んー? なんのこと?」
彼女はアゴに指をあてて、首をかしげて見せた。
そこそこかわいいのがまたイラつく。イラつくが、例のムキムキ男に同じリアクションをされるよりは確実にマシだ。ここに残るという選択は正解だった。
正解したとき、俺は自分を褒めることにしている。
凄いぞ、俺。その調子だ。
「はて、じゃねーんだよ。あの筋肉野郎が言ってたぜ。神は機械に関するなにかで困っていて、俺たち人間の力を借りたがってるって」
「んー? でも私、難しいことは分からないのよね」
「ふざけんなよ、メス豚。頭の中までラードまみれか? だったらなんで俺たちにこんなことをさせる? まさか、その理由さえ分からないとは言わないよな?」
だが俺は、言ってるそばから虚しくなってきた。
こいつに理詰めは通じない。
女はにこりと慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「理由ならいつも言ってるじゃない? 私、人間ちゃんが大好きなの。だから強くなって欲しいの。ダメ?」
「いや、いい」
時間のムダだ。
俺はあっちへ行けとばかりに手を振った。
すると女も気分を害したのか、頬をふくらませて向こうへ行ってしまった。次は誰をからかうつもりやら。
盛大な溜め息が出た。
空気がぬるい。
否応なく春だ。
体が高揚している。酒を飲むと特に。
もう一口飲もうとして、俺はカップが空であることに気づいた。
やむをえず腰をあげ、テーブルへ。
みんな思い思いに食事をとっている。談笑している様子はない。互いに干渉しないようにしているのだ。じつにお行儀がいい。いや、行儀というよりは、なかば病気だな。現代病だ。
テーブルの近くでは、東雲藍が肉をむさぼっていた。
さっきまで獣を殺していたナイフとフォークを使っている。
ちょっと共感しがたい感性だ。
「東雲さん」
「は、はいっ!? はい! あ、ごめんなさい」
彼女はあわてて手で口を拭き始めた。
脅かすつもりはなかったのだが。
「いや、こっちこそごめん。さっき、戦いの前に、いろいろ教えてくれたのに、ロクに返事できなくて」
「えっ? いえ、全然! 全然です! 気にしないでください! わた、私、ちょっとお節介なところがあって、それでいっつも人に迷惑かけてて、だから、その、ごめんなさい」
「いや、あの……とにかく、ありがとう。それだけ言いたかったんだ」
会話が噛み合わない。
彼女もぽかーんとしていた。
いいのだ。
俺もそこそこコミュニケーションには難がある。意思なんて通じなくて当たり前。
とにかく俺は、彼女の助言に感謝したかったのだ。
俺はメシも取らず、また酒だけ汲んでさっきのベンチに戻った。
今度は大杉一が近づいてきた。
「隣、いいかな?」
「どうぞ」
ずっと穏やかな態度だったが、いまは少し緊張しているようにも見えた。
深刻な話だろうか。
「機械について、俺なりに調べたことがある。その情報を共有しておこうと思って」
「ああ、助かります」
酒を飲む前ならもっと助かったが……。いや、それは言うまい。そんな機会は誰にもなかったのだ。俺はここへ来て、まっさきに酒を飲んだわけだからな。俺は俺自身を叱るべきかもしれない。
彼はまず肩をすくめた。
「とはいえ、たいした情報は持ってない。獣たち、武装してるだろう? あれはどうやら、機械ごっこのつもりらしい」
「機械ごっこ?」
「とはいえ、自発的にやってるわけじゃないだろう。ここらを仕切ってる神々が、あの獣にムリヤリ鎧を着せて、機械を演じさせているんだ」
「なぜ?」
「そこまでは分からない。手掛かりもない。獣は言葉も通じないし、俺たちの女神サマもあの調子だ」
「確かに」
そういう意味では、獣と女神にはなんらの違いもない。
もし違いがあるとすれば、殺さねばならない相手なのか、殺したら面倒なことになる相手なのか、それだけだ。
俺はカップから酒を一口やり、こう続けた。
「じつは俺、ここで二チーム目なんです。でもほかにチームがあるのは知ってました。よそからメンバーが入って来たりしてたんで」
「俺も似たようなものだ」
「うちの女神も、あの筋肉野郎も、いくつかチームを抱えてるみたいだし……。そんなことして、俺たちをどうしたいんですかね?」
答えなんて誰も知らない。
それでも、つい聞きたくなってしまう。
大杉一は遠くを見ながら、短いあごヒゲをなでた。
「相場はだいたい決まってる。仲間になるか、敵になるか。二つに一つだ」
「人間同士で争わせるって言うんですか? なんの意味が?」
「意味は不明だ。だが、予想ならできる。まず、うちの女神サマと、例の筋肉マンは、特に協力関係にない」
「……」
そう。
もうこの時点で答えは出ているのだ。
あいつらは協力していない。なぜかは不明だが。
「俺たちは七日に一度、獣と戦わされているな? だが真の敵は獣ではなく、機械だと予想できる。つまり今日みたいな戦いは、ただの予行演習の可能性がある」
「予行演習……。まあ、鍛えるとか言ってたし、本番じゃない気はしてました」
「そしてチームが複数あるということは……。もしかしたら神々は、人間を使って対抗戦でもしているのかもしれない」
「つまりゲームの駒だと?」
しかし彼は、なんとも言えない表情で首をひねった。
「あくまで仮説のひとつだ。本当にやりたいのは対抗戦ではなく、最高のチームを選出することかもしれない。そうして最終的に、勝ったチームを機械と戦わせるつもりなのかも」
「いかにも神話じみてますね……。けど、人間たちで潰し合うより、協力して機械と戦ったほうが効率的な気がしますけど……」
「同感だな。だが、ここの神々が、そういう合理的な判断をできるのか、少々怪しいと思っている」
否定できない。
少なくともここの神々は、頭を使うのがあまり得意ではないようだ。
ちっとも合理的じゃない。
俺はワインを飲み干して、大きく息を吐いた。
酔いが回ってきた。まだ大丈夫と思っていても、いつの間にか酔っ払っている。いつまで経っても加減が分からない。自分が本当に大人なのか怪しく思えてくる。
「ホントに意味が分かりませんよ。シンプルに強さだけが必要なら、神が直接やってもいいはずなのに。あえて俺たちを鍛えて機械と戦わせようとしてる。あいつら、やっぱりバカなんですかね」
「残念ながら、その可能性は低くない」
まあそうだろう。
ひとつだけ理解できるのは、もし機械をいじるなら、神よりも人間のほうが適任であろうということだ。
そういう意味では、人間に任せてもらったほうがいい。もちろん、ちゃんと訓練を受けた人間に、だ。
連中は方法を間違えている。
俺みたいなトーシロを誘拐してサバイバルさせたところで、機械のエキスパートになるわけではない。
いや、考えるだけムダだろう。
気分屋がなにを考えているのかは、合理的に考えても分からない。
大杉一は、それでも神妙な表情を浮かべていた。
「だが、仮に愚かだとしても限度を超えている。裏になにか深刻な事情があるのかもしれない。さっきから言ってる機械の正体も分からないわけだしな」
「ま、そうですね」
せっかく重要な話をしているのに、だんだん眠くなってきた。
人間、神、獣、機械……。
なにかを予想するにしたって、あまりに情報が少なすぎる。
もしあのムキムキ野郎のチームに参加すれば、いくらか情報を提供してくれるだろう。しかし、このままコスプレ女神のもとにいても、いずれ知ることになる。
考える意味があるのかは怪しい。
「さて、難しい話はここまでにしておこう。休憩中に悪かったな。ゆっくり休んでくれ」
「すいません」
露骨に眠そうにしていたせいか、大杉一は行ってしまった。
戦ってもいないのに、ひどい倦怠感だ。
戦場に立っただけでも体は緊張してしまう。
頭でどう考えていようと、本能は、大きな音や、血の匂いに反応してしまう。理性ですべてをコントロールするのは不可能だ。そんなの当たり前かもしれないが……。理性と本能のズレを何度も経験していると、本当にこの体をコントロールしているのが自分なのか自信がなくなってくる。
危機に直面すると、体は勝手に動く。
俺自身が混乱していても、体だけが最適な行動をとったりする。最適じゃない場合もある。とにかく意思とは無関係に動く。
この身体は、大杉一が言うように、どうしようもなく動物なのかもしれない。
たかが春ごときで高揚する。
電球に影響されて卵を産んでしまうブロイラーとなにも変わらない。
酒を飲むと眠くなる。
できればこのふわふわした気分のまま、永遠に眠っていたい。
(続く)