鯨みたいな龍
工房へは寄らず、そのまま人格矯正センターへ向かった。
魔女に目を届けるのだ。
他の仲間を救出するかどうかは、まだ決めていない。
塔の周辺を巡回していた機械たちは、すぐに道をあけてくれた。ヤスミンが同行していたからではない。彼女が認証を求める前に、機械のほうで勝手に判断した。
「生体認証確認……。ID、マスター。通行を許可します」
マスター、か。
おそらく魔女の目にでも反応したのだろう。
*
センターに入り、階段をあがっていく。
棒立ちだったエルザの姿はなかった。すでにどこかの部屋に収容されているのかもしれない。
錆びた床をひたすらに踏んで進む。
時の経過は残酷だ。
なにもかもが朽ちてゆく。
魔女はなかなか姿を見せない。
人に眼球を持って来させておいて、そのまま放置ってことはないと思うが。
「ちょっと待って! 疲れた!」
ヤスミンはぜえぜえと呼吸した。
体力がない、などと非難するつもりはない。
俺の身体が異常なのだ。液体金属だから、疲れにくくなっている。
「あんたはそこで休んでてくれ」
「ダメよ。待ちなさい」
「魔女が出てこないのは、きっとあんたに会いたくないからだ」
「なんでそんなこと言うの? 私と魔女と、どっちが大事なの?」
真顔でそんなことを聞いてくる。
俺はいまのところ、両者の大事さに優劣をつけていない。
たとえばトロッコの先に二人がいて、どちらかを選べるとしたら?
運に任せる。
手は出さず、ただ見ているだろう。
だが、それをそのまま伝えたら、彼女の気分を害するであろうことは分かる。
「分かった。少し休もう」
「で? どっちが大事なの?」
「そういう質問、するほうが悪いぜ。人の価値感を強制的に開示させようという行為だ。内心の問題に踏み込み過ぎている」
「で? どっち?」
こいつ、無敵か?
「あんたは質問されたらなんでも答えるのか?」
「そうね。聞いてくる相手にもよるけど」
「仮にあんたが個人的にそうだとして、それを全人類に布衍することはできないだろう」
「はい?」
威圧してくる。
もうこの会話を切り上げたい。
「あんたのほうが大事だよ」
「そうね」
にこりともしない。
この女はホントに……。
俺は鉄柵に寄りかかり、下を覗き込んだ。
だいぶのぼったせいか、円形の闇がどこまでも続いているように見える。
「イチャイチャしないで」
魔女が出てきた。
俺たちの会話にうんざりして、早めに出てきてくれた様子だ。
「やっと会えたな。ほら、目だ」
俺は瓶を差し出した。
一見するとただの眼球。
だが、透明な瓶の中で、たまに勝手に転がり回る。気持ち悪いようでいて、少しかわいい。いや、やっぱりただ気持ち悪いだけだな。
魔女はしかし近寄ってこなかった。毛玉を抱えたまま、なんとも言えない表情をしている。
「どうした? いらないのか? それともこの目じゃなかったか?」
「ううん。その目であってる。それで私のことを見てみて」
「二時間くらいのダイジェスト映像にまとまっているのかな?」
「いいから見て。本当は食べて欲しいけど、たぶんイヤだと思うから見てって言ってるの」
人の気持ちを理解できるいいサイコパスだな。
俺もこの眼球を食べるのは絶対にお断りだ。
*
ごく断片的で、短い夢を見ているようだった。
原初の神が死亡したとき、肉片が四散し、一部は箱の中へと転がり込んだ。
眼球だ。
それは、しかし順当に神として再生できたわけではなかった。
機械につかまり、解体され、分析され、人格矯正センターの生体部品として組み込まれた。つまり人格矯正センターは、神の肉体と機械の合わさったものなのだ。
塔はやがて意思を持ち始め、魔女と呼ばれる少女になった。
*
「えーと、つまり……君は、機械でもあり、神でもある、ということなのか?」
「そう」
魔女はこくりとうなずいた。
人間と神のハイブリッドは可能。
人間と機械も融合できた。
それならば、神と機械が混ざり合ったとて不思議はない、か……。
「終ったら返して」
「ああ」
少女に促され、俺は眼球を手渡した。
かと思うと、彼女はひとつも躊躇なく、抱えている毛玉に目玉を食わせてしまった。
まったくついていけないが……。なにも考えないことにしよう。
「で、このあとは?」
「あなたの仲間を部屋から出してあげる」
「ホントに?」
俺はつい聞き返してしまった。
彼女の思惑は読めない。どうしても目が欲しかったわけでもなさそうなのに、お礼として仲間を助けるという。ただの親切心とは考えにくい。
彼女は無表情のまま、かすかに溜め息をついた。
「なんで疑うの?」
「ずいぶんサービスがいいから」
「サービスじゃない。あなたにはこれからやって欲しいことが山ほどあるの」
「たとえば?」
「龍を殺すの」
「……」
この眼帯赤ずきんちゃんは、いったいなにを言っているのだろうか?
龍?
彼女の頭の中にだけいるクリーチャーか?
だが、ヤスミンがすこぶる渋い顔をしたところを見ると、どこかに実在するらしい。
俺は皮肉のひとつでも飛ばしたい気持ちをおさえ、こう尋ねた。
「詳しく教えてくれ」
「あなたは、箱の外で黄金の卵を見たはず。あれは龍の卵なの。世界がどうにもならなくなったときのために、長老会議が用意していた最終手段」
「そいつが出てくるとどうなるんだ?」
「なにもかもが壊される」
そんなものがあるなら、最初から使えばよかったのでは?
俺がそう思ったところ、魔女は先んじてこうつぶやいた。
「壊されるのは箱の中だけじゃない。外も壊されるの。全部壊されちゃう。だから、最終手段なの」
「なるほど。つまり、連中は自分だけが滅ぶのはイヤだから、こっちまで道連れにしようってのか?」
するとヤスミンが補足した。
「人間に機械の力を与えてるのは、本当は龍を殺すためよ。もっとも、世界を壊すような龍なんて、その程度の力じゃ倒せないと思うけどね」
本命はそっちか。
確かに地下の機械人形より重要だ。
魔女もうなずいた。
「いまのままじゃムリ。でも、機械人間に、神の力も与えれば、たぶん可能性はある」
「えっ?」
三つとも混ぜ合わせると?
そもそも可能なのか?
「神と機械は、水と油みたいなものなの。だから普通は混ざり合わない」
「いや、けど君は?」
「そう。私は存在を保ててる。でも、かなり強引に組み合わされてるから、存在が不安定なの。この塔から出た瞬間、存在の崩壊が始まる」
やはり神と機械は相性がよくないか。
だが先ほどの口ぶりからすると、なにか策があるみたいだな。
「ではどうすれば?」
「機械人間のあなたが、神の肉を食べるの。それで三つの素質が手に入る」
「はい?」
「一部でいいわ。もし望むなら、私の目でもいいし」
彼女は猫モドキの口に手をつっこみ、眼球を取り出して見せた。べとべとだ。使い魔をポーチみたいに使うんじゃない。
「いや、それはちょっと」
「神の力を得れば、酸にも強くなる。龍は酸を吐いてくるから、普通に戦ったらすぐ負けると思う」
「当たらなければどうということもないのでは?」
「それは非現実的な提案ね。却下するわ」
真顔で却下されてしまった。
しかし龍とはな。
いきなり出てきてデカいツラし出したかと思ったが、じつは最初からいたんだな。あんなに目立つ場所に。
「なあ、魔女よ。君の力で箱を止められないのか? そもそも箱による侵略が止まれば、龍の出番だってなくなるはずだろ?」
「私の力ではムリ。ルールを変えたいなら地下に入って。たぶん機械人形には勝てないと思うけど。どっちにしろ神の力は必要よ」
「かといって、龍が出てきたら、ホントのホントにおしまいなんだろ? どちらかと戦う必要があるなら、俺は機械人形を選ぶよ。ただ、神の肉は……」
さすがにそこまで悪食じゃない。
あのラード女の足は、確かにうまそうだと思ったが。
魔女は表情を変えなかったが、沈黙の長さから、困惑しているのが伝わってきた。
「じゃあ……そうね……。ほかの機械人間に頼むしかないわ」
「えっ?」
「あなたが頑張ったおかげで、ここには六人の機械人間が収容されてる。そのうちの誰かに頼むわ」
いや、待ってくれ。
ただでさえ力をコントロールできないクソ野郎に、さらに力を与えて自由にさせるのか?
ルビィ・ザ・ファイナル、アイアン・ガイ、剥製師、エグゼキューショナー、スクラッパー、デヴィルズ・タン……。
どいつも性格に難がある。
連中に力を与えるわけにはいかない。
プレジデンテならどうだろう?
いや、手放しでは推薦できまい。
彼の街における秩序は、対立を排除した上でしか成立しない。対立が生じるたび排除が起こる。先細りはまぬかれない。
そういうプレジデンテが、神をも超える力を身につけたら?
ひとつだけ、対立のない小さな街ができあがるだろう。
一方で、街の外は、まったくの無法地帯となる。
そもそも、いきなり他人の街を支配して、勝手に政治ごっこをしている時点でどうかしているのだ。
どの街も支配していないのは、俺だけ……。
「えーと、仲間を解放してくれるって話だったな? なら、大杉さんや五味くんでも、その役目を負うことができるってことになるよな?」
「うん。本人が望めばね」
五味くんは怪しいが……。大杉さんならうまいことやってくれる気がする。認めたくはないが、彼は俺より頭がいい。
問題は、魔女が言う通り「本人が望めば」ということだ。
*
だが、実際は思い通りにはいかなかった。
大杉一、五味綺羅星、エルザ、霧隠才蔵の四名は、魔女の善意で解放された。だが、せっかく自由の身になれたのに、みんな表情が暗いままだった。
誰も喜んでいない。
「助けてくれたことには礼を言う。だが、できれば事前に俺の意思も確認して欲しかったな」
大杉一は、そんなことを言ってきた。
ずっと夢を見ていたかったのだろう。
他の面々も同じようなツラだった。
「けど、このままじゃ世界が滅ぶって……」
「そうだな」
「手伝ってもらえませんか?」
「手伝うのはいい。だが、俺は人間をやめるつもりはない」
ハッキリと断言されてしまった。
続いて五味綺羅星へ視線をやると、彼も哀しそうにうつむいてしまった。
「母さんのいない世界を救ったって……僕……」
症状が悪化している。
もうここは人格矯正センターなどと名乗らないで欲しい。
人格が悪いほうへ捻じ曲げられている。
しかし落胆だな。
神の肉を食うかどうか以前に、機械人間にすらなりたくないとは。
もっとも、俺だって、もし選択肢を与えられたなら……。だいぶ悩んだだろう。
だから例のパズルは、人間から選択肢を奪うためのものだったのかもしれない。俺には神の加護があるから、死ねば手足も回復するはずだったのだが……。
もう俺がやるしかないのだろうか?
サイコパスどもに力を与えることはできない。
あいつらは力をコントロールできない。
だが、俺は?
異常な力を手に入れて、冷静でいられるだろうか? 望めばなんでもできてしまうのに? 我慢する必要がないのに?
俺は魔女に尋ねた。
「もっと以前に、ここに来た人間は? 彼らは頼れないのかな?」
彼女はこくりとうなずいた。
「もう人格矯正が完了してる。完全な虚無だから、会話も成立しない。ただのお人形」
余計なことしやがって。
そういえばノイズだらけのモニターがいくつかあったが、まさかお人形の部屋だったとはな。鳥肌が立つ。
俺はいろいろ思案した結果、こう尋ねた。
「唐揚げみたいにして、なんの肉か分からなくして出してくれたら、食えなくもないかも」
「……」
誰か返事しろ。
「いや、ちょっと待ってくれ。生で食えってのか? 俺はそこまでイカレてない。いまのだって、ギリギリの妥協案なんだ」
自分でも忘れそうになるが、俺は勝手に強化されただけの普通の人間なのだ。
肉体が異常だからといって、精神まで異常になったと思わないで欲しい。いや、精神も異常になるほうがつり合いがとれているのかも。
そういう意味では、俺は肉体の変化に精神を置き去りにされている。
魔女はかくりと小首をかしげた。
「唐揚げって?」
「肉に小麦粉をまぶして油であげた料理だよ」
「おいしいの?」
「おいしいよ。ただ、普通は鶏の肉を使うんだ。鯨でもいいけど」
唐揚げがなにか分からなかっただけか。
すると魔女はすっと真顔になって目を細めた。
「鯨……」
「いや、いいから。流してくれ」
神の肉を食えと言ってくるくせに、鯨には難色を示すのか?
異文化交流というのは難しいな。
さっきから吐きそうになっていたヤスミンが、口を抑えながら言った。
「違うの。黄金の卵から産まれる龍って、鯨みたいだから」
「鯨? 龍が? というか、世界を滅ぼす龍なのに、なんで外見が分かるんだ?」
目撃者は死んでなきゃおかしいだろ。
また真偽不明な伝承がソースじゃないだろうな?
もしウィキペディアなら「要出典」がつくぞ。
「小さな龍ならそこらにいるから。卵も小さいけどね。ちゃんと金色をしてる」
「いる? 見たことないが」
「山の方にいるわ。この塔を上ったら見えるかも」
「いるのか……」
ま、ここは人間界じゃないんだ。
龍くらいいるだろう。
それも、鯨みたいな龍が……。
(続く)




