ロボット
工房へ戻ると、少年は戸惑った表情を見せた。
「ずいぶん増えたね……。あれ、でも減った?」
「一人減って、三人増えた」
俺の説明に、やや引いていた。
「減った? え、死んだの? 加護を受けた人間って、死なないんじゃ……」
「死んでない。他人のトラウマに巻き込まれて身動き取れなくなったから、置いてきただけだ」
「そうなの?」
さらに引いている。
仲間を置き去りにするなんて信じられない、といった顔だ。
まさかこの少年、まだ俺のことを善人だと思っているのか?
俺は面倒なことに遭遇すると、即座に効率厨になるぞ。
ユスフが茶の用意をしようとすると、すかさずヤスミンがとって代わった。手持ち無沙汰になった少年は、やむをえずといった様子でこちらへ向き直った。
「で、どうするの? こっちの二人は人間だよね? 液体金属入れる?」
「いやいやいやいや」
全力で拒否したのは伊東健作だ。
東雲藍も身をちぢこめている。
ここへ来る途中、すでに二人の意思は確認してある。いわく「人間やめたくない」とのこと。
すでに機械人間である俺に引いている様子さえあった。
そもそも俺には選択肢さえ与えられなかったのだが。
少年はガッカリしている。
「え、なんで? 強くなれるのに?」
「いや、俺ら、そこまではいいかなって」
バカみたいに強いのは、バカみたいに働く一人だけでいい、というワケだ。
そして進んで無償労働にいそしむ俺は、確実にバカと言えるだろう。
自分でもなぜそうするのか理解できない。
とにかく目の前の問題を解決したいという衝動に動かされているとしか思えない。
俺は深く考えるのをやめ、こう告げた。
「ちょっと出かけてくるよ。やることがあるんだ。みんなは談笑でもしててくれ」
*
かくして工房のある街を出た。
魔女の目を持ち帰らねばならない。
住民がどこかに埋めてなければ、すぐ見つかるはず。埋められていたら頑張って掘り返す。
それはいいとして、なぜかヤスミンまでついてきた。茶の準備を放棄してまで。おかげでみんな苦い茶を飲むハメになる。
「あなたって、なんなの? お節介? そのわりには飽きっぽいわね」
「ハッキリ言ってただのボンクラだよ。だけど、なぜだか張り切ってる。きっと強い力を手に入れて浮かれてるんだろう」
あとは究極に暇というのもある。
ここにはネットがない。
あればずっとゴロゴロしていられる。
ヤスミンはぐっと伸びをしながら、まるで散歩みたいな雰囲気でついてきた。
どんな動きをしても絵になる。視界に入るたび、つい見とれてしまう。被写体としては最高だ。
「トロッコ問題って知ってる?」
「はい?」
彼女は急に妙な話題を振ってきた。
もちろん知ってはいるが……。この話は、むやみにモメるから好きじゃない。
「暴走するトロッコがあって、その先に分岐点があって、そのままだと五人を轢いちゃうのね? でもレバーを切り替えたら一人を轢いちゃうの。あなたなら、レバーを引く?」
「引かないよ」
「なんで? ちゃんと考えた?」
「考えたよ。人間界じゃ飽きるほど繰り返されてる質問だ。いいかな? 一番の問題は、どこかでトロッコを暴走させたバカ野郎だ。全責任は、レバーを操作するヤツではなく、そいつにある。もしレバーを操作したいなら、そいつが全力ダッシュしてやればいい」
すると彼女はしゅんとしてしまった。
「そんなに怒らないでよ」
「ごめん。だけど、そうするほかないと思って」
「もし大事な人が被害にあうとしたらどうするの?」
「別途、優先度が設定されるなら、その優先度に従う。けど条件がイーブンなら? 俺ならこう考えるよ。たまたま居合わせた俺が、なにかしなくちゃいけない雰囲気になってる。けど、もし無人だったら? レバーはそのままだよ。俺が居合わせたからといって、なにかをする責任は生じない。さっきも言った通り、すべての責任は、暴走させたヤツにある」
俺はべつに「これでトロッコ問題は解決だ!」と言いたいわけじゃない。
あくまで「自分はそう選択する」というだけの話だ。
この問題に解決はない。あるのは「それっぽさ」だけ。そもそも誰も正しくない。正しさのない問題に対して「これが正しい」と言ってる人間が一番信用ならない。
ヤスミンは引いていた。
「凄いわね。バキバキに理論武装してるっていうか。毎日そういうこと考えて生きてそうね」
「毎日そういうこと考えて生きてるんだよ」
「なんで私がこういう質問をしたかは、気にならない?」
「気になるよ。教えて欲しいな」
正直、うるせーなと思わなくもない。が、一人でいたら会話もできないのだ。きっとそれよりはマシなんだろう。
彼女はぐっと顔を近づけてきた。
「あなたがどんな性格か知りたかったの。どう? かわいくない? 好きな男の人に、こういうの聞いちゃうのよね、私」
かわいいのはツラだけにして欲しいものだ。
俺はつい鼻で笑ってしまった。
「性的弱者をからかって楽しいのかな?」
「ほらすぐそういう反応する! 私はね、あなたに興味があるの! ホントよ? だって、なんの得もないのに、ユスフの言いなりになってるじゃない? お人好しなのか、それともおバカさんなのか、ちょっと気になっちゃって」
「その両方だな」
「だんだん分かってきたわ。面倒だからってそういうこと言うのよね、あなたって」
いったいなんなんだよ……。
俺は女と会話してると、だんだんその相手を好きになってくるんだよ。滅多に経験がないからな!
この世界はクソだ。
人間も神も、相手の弱点をえぐれるだけえぐる。
*
魔女の目はすぐに見つかった。
なにせ住民たちは、基本的に神の血を引いている。その眼球が特別なものだということはすぐに理解できた。
おかげで大事に保管されていたし、俺が尋ねたらすぐに譲渡してくれた。
情けは人のためならず。回り回って巡ってくるものだ。巡ってこないこともあるが。
街に一泊することにした。
床も壁も錆びついた狭い部屋だ。おそらく住民の善意で、二人とも同じ部屋にされた。
「なんだかどっと疲れた」
俺はベッドに腰をおろし、眼球の入った瓶を脇に置いた。
幸い、ベッドは二つある。
ヤスミンは向かいのベッドに腰をおろしていた。というかなかば寝そべっている。
「歩くのってダルいわね」
「家にいればよかったんだ」
「ユスフといるとケンカしちゃうから」
「あんたがからかうからだろ」
しかも、ガキだからナニが小さいとかいうことを平気で言う。
少年が可哀相だ。
彼女は急に身を起こした。
「ねえ、それなんだけど」
「どれ?」
「魔女の目よ。それ使ったら、過去が見えるんでしょ? あなたの過去、見せてよ」
「はい?」
ホントに俺に興味があるのか?
愚神が俺に優しかったのは、理由があるから理解できる。俺は彼女にとって都合のいい駒だった。だがヤスミンには理由がない。
まさか、モテているのか?
いや、面白い玩具と思われて遊ばれているだけかもしれない。
彼女は責めるような目でじっとこちらを見つめてきた。
「だってズルいじゃない? 私はあなたに過去を教えたのに、私はあなたの過去を知らないの」
「あれはビジネス上の取引だ」
「力づくで強引に言わされた」
「分かったよ。見ていい。ただ、引くと思うぜ」
「なんで? 悪いことでもしてきたの?」
「カタルシスがない。物語として最低だ」
自分でも引く。
あまりのつまらなさに。
*
数時間後、彼女はなんとも言えない顔になっていた。
「ねえ、あなたって……」
「たいした山場もなかっただろう」
「そうね。けど、いらないのよ、山場なんて」
ま、平和なのが一番だ。
平和ならな……。
俺が返事を渋っていると、ヤスミンは頭から布団をかぶてしまった。
「もう寝るわ。おやすみなさい」
「おやすみ」
過去など探られたくないものだが、知られたからには感想を聞きたかった気もする。
それも、自分に都合のいい感想を。
*
翌日、簡単な食事をとって街を出た。
パンと豆とタマゴ料理。こんな箱の中にさえ鶏はいる。
ヤスミンは笑顔だったが、ちょっとムリした様子だった。
俺の過去があまりにつまらなくて、話題の捻出に困ったか。あるいは一緒に歩きたくないような男だったか。
こういうときは話題を変えるに限る。
「ひとつ推理したんだが、聞いてもらえるかな?」
「ええ」
「本当はあんたじゃなく、少年に言ったほうがいいのかも」
「私でいいわ。言ってよ」
彼女はこちらも見ずに言った。
回りくどいのは俺の悪いところだな。
「なぜここの住民が、あえて人間に過剰な力を与えるのか。その答えを考えてみた。正解はこうだ。地下にいるとかいう、機械人形を倒して欲しいんだろう? そして箱の法則を変えたいんだ。違うかな?」
すると彼女は、まじまじとこちらを見た。
「え、なに? 箱の話?」
「そうだけど……」
「もっと、こう、ないの? 自分の過去に対するフォローとか! 主張したいこととか!」
「はい? 俺の人生がいかにクソつまらないかを、自分でフォローしろって? あんた、拷問官だったのか?」
この世界でも拷問を禁止したほうがいいな。
神々の倫理観は、人類より周回も遅れている。
彼女は「あーもー!」と手をぶんぶん振った。
「あなたは傷ついてないの? 心まで機械なの?」
「いや、待ってくれ。あんたにとっては昨日見た景色かもしれないが、俺にとっては何年も前の景色なんだ。いまさらなにを言うんだよ。それに、人格矯正センターの仲間を見ただろ? 彼らに比べたら、ずいぶん恵まれてる。たった数時間の絶望だ。あとも引きずってない。いや、引きずってるかもしれないが……まあ、いまは別に」
トラウマといえばトラウマだが、そうでないとも言えた。
分からない。
深く考えようとすれば、何度でも傷つくことは可能だろう。だが、その段階はすでに終わっている。
もちろん当時は本気で悩んだ。子供の生存権は親が握っている。俺は死を覚悟した。
だが時は経ち、すでに大人になったいま、捨てられてもまったく問題がない。主要人物である父親もとっくに他界している。同じことは、しいて起こそうとしても、絶対に起こらない。
俺が自力で乗り越えたというよりは、状況が勝手に「再現不可能」になったというほうが正しい。
彼女は肩をすくめた。
「私、まだ父さんのこと許してないのよね。百年くらい経ってるけど、どうしても許せない」
「百年……。さすがに長くないか?」
「永遠に許さないの!」
そんなムキになって決意しなくてもよかろうに。
俺があきれて黙っていると、ヤスミンはまた顔を近づけてきた。
「なんでそんなにドライでいられるの? 家族の問題よ?」
「まあそうだけど。もっと泣いたり喚いたりしたほうがいいのか?」
「そうよ。しかもずっと引きずってなさいよ。なんだか私がバカみたいじゃない」
「バカとは思わないが、もっと別の楽しいことを見つけたほうがいいとは思うね」
だいたい、彼女の父親は、いまや頭ひとつで地下に転がっている状態だ。少しは許してやってもいいのではなかろうか。
「弟のことは嫌いになってないの?」
「なってないね」
「私、同じことされたら嫌いになる自信あるわ。だって頭のよさで愛情を変えられるなんて、おかしいもの。私たちのよさって、そこだけじゃないでしょ?」
「俺もそう思うよ」
彼女はあまりに鬱陶しいが、たぶんいい子なんだろう。
他人が傷つけられたのを見て、自分のことのように怒っている。
これこそが俺に足りない能力かもしれない。
だが、ぷりぷり怒っていたかと思うと、今度は笑いを堪えるように口元をゆがめ始めた。
「なにかおかしいか?」
「いえ、あの、ごめん。違う話なんだけど。余計なものも見ちゃったから」
「……」
どの件だ?
いや、好きに笑うがいい。人生は近くで見れば悲劇だが、遠くで見れば喜劇である、と、チャップリンも言っていた。
彼女はケタケタ笑い始めた。
「違うの! ごめんなさい!」
「いいよ。笑うと健康になるらしいからな」
普通なら怒るところかもしれない。
だが、なんだか、怒れないのだ。
以前からそうだ。
自分以外の誰かが笑われているように感じてしまう。
もちろん、ちゃんとムカつくときはムカつくが。そうでないケースもわりとある。
ヤスミンは笑っていたかと思うと、今度は急に怒り始めた。
「ちょっと待って! 違うの! なんでそうなの? 私のこと、じゃれついてる犬かなにかだと思ってる? イヤなことしちゃったんだから、少しは怒ったら?」
「ワンワン」
つい棒読みしてしまった。
おかげで彼女はむくれた子供みたいな表情だ。
ヤスミンはいったいなにがしたいのやら。
まさかとは思うが、博愛の精神で、この機械人間にヒューマニズムを説こうとでもいうのだろうか?
生命に直結することなら、俺だって怒ったり舞い上がったりもする。
だが、言葉だけでは、あまり深刻に受け止められない。
いつの間にか、俺は俺のことさえ見捨てていたのだろうか?
だが、そこに不都合を感じることができない場合は、どうすれば?
いや、どうもしなくていい。
人間界では、人間性を捨てたヤツから出世する。
犯罪にさえ手を染めなければ、ロボットとして最高のゴールを迎えることができる。俺たち人類は、そのゴールを目指して駆動している。
みんなロボットになってから死にたいのだ。
俺だけ特に冷淡というわけじゃない。
(続く)




