人格矯正センター 三
「ご、ごめんなさい。私、ちょっとびっくりしちゃって……」
「大丈夫。俺もちょっと雑だった。謝るよ」
「いえ、大丈夫ですよ? ありがとうございます」
今回は挨拶よりも先に鈍器が炸裂した。
東雲藍の問題は、本人が戻りたがっていたこともあり、簡単にケリがついた。
金属バット方式はじつに有効だった。
いや、本来、有効であってはいけないのだが。なにせ暴力で解決できる問題が多すぎる。もし法が適切に機能していれば、暴力など使わずに済むのに……。
「みんなはここで待っててくれ。あとの二人を探してくる」
俺はひとつ呼吸をすると、階段をのぼり始めた。
*
部屋を出るのは簡単、というのは、たぶん本当なんだろう。
本人が出たいと思えば、出られる。
だが、出たくないという気持ちのほうが強ければ、出られない。
イヤな思いをしているのに「出たくない」というのはおかしな話かもしれない。
だがこの世界は、「あのときああしていれば」の「あのとき」でもある。俺たちはふとした瞬間、そこへ戻りたがってしまう。
いっそ自力救済を放棄し、「あのとき誰かが助けてくれれば」を期待した場合、誰かが来れば抜け出せる。
その誰かは、誰でもいい。
助けたいという意思を持ったお節介なヤツなら、誰でも。
*
途中、イヤなものを見つけてしまった。
そこはスクラッパーの部屋だった。
モニターの映像によれば、彼女は幼いころ、お爺ちゃん子だったらしい。そしてそのお爺ちゃんは車椅子だった。スクラッパーは頑張って機械の脚を作り、お爺ちゃんが寝ている間に取り付けようとした。結果、お爺ちゃんの脚は取り返しがつかないことになった。
スクラッパーは泣きもせずその光景を眺めていた。
自分は失敗していない。
そう思い込もうとしているようだった。
ま、サイコパスにも哀しき過去というヤツだ。
もちろん、こんなヤバいヤツを外に出すわけにはいかないから、助けたりしない。助けるつもりはないのだが、なにかしたくなってしまう。
いや、見なかったことにしよう。
情にほだされたところで、被害が拡大するだけだ。
*
またイヤなものを見つけた。
大杉一の部屋。
誕生日ケーキに五本のロウソク。吹き消しているのは娘であろう。隣には奥さんもいる。じつに幸福そうだ。
だがこの幸福が、何度でも破壊されてしまう。
マンションの隣室でガス爆発が起きて、火災が延焼し、逃げ遅れてしまう。
最終的に助かるのは、大杉一だけ。
こんなクソみたいなループ、とっとと抜け出せばいい。なのに大杉一は、何度でも家族と会おうとしてそこに留まってしまう。
俺はモニターに触れることができなかった。
こんなの、ムリだ。
俺の都合で外に連れ出すことはできない。
どっと疲れがきた。
俺はいったい、なにをしているのだろうか。
先の展望もないのに、仲間だけを集めている。みんな内心ではここで夢を繰り返していたいのに、俺は自分勝手に外へ連れ出している。
こんなの、正しいか?
*
何度も深呼吸をして、よくよく考えた結果、大杉一への介入は先送りすることにした。
先にもう一人の様子を見よう。
五味綺羅星の映像は……。
いや、こっちもムリだな。
彼はみずからの手で母親を殺している。いや、先に母親が彼を殺そうとしたのだ。母親はもともと幻覚症状があるようだった。それで揉み合っているうちに……。
こんなループ、とっとと抜ければいい。
そう思ってしまう。
だが彼は、自分の意思で留まっている。
俺にどうこうできる問題じゃない。
なんだかこういうのを見ると、ちょっと山にドライブに出かけて、数時間で戻ってきた自分が、とんでもなく恵まれているように思えてしまう。
「助けないの?」
知らない声がした。
見ると、薄暗い通路の奥に、毛玉を抱えた少女が立っていた。
赤ずきんちゃんみたいな格好をしている。そして顔の半分を覆うくらいの眼帯。そういうファッションの子だろうか? というか誰だ?
「君は?」
「魔女だよ。みんなそう呼ぶの」
「その猫モドキには見覚えがあるな」
「これ? 私の使い魔」
少女はガラス玉のような眼球でこちらを見つめてくる。
亡霊ではないよな?
「君の使い魔は、人の血をすすったりするのかな?」
「うん。でも機械人間の血はすすらないから安心して」
「機械人間、か」
俺はもう、人間ではなくなってしまったのかもしれない。
まあどう考えても普通の身体ではない。
そこは早く踏ん切りをつけて諦めたほうがいい。
少女は近づいてきた。
「ね、私の目、返してくれる?」
「は?」
なんだ急に?
ホラーか?
「私の目、悪い人間にとられちゃった。過去が見えるの。使い魔に探させてるけど、見つからないの。この子、とんでもなくバカだから」
すると猫モドキは「にうにう」鳴いた。
目か……。
そういえば、自称ルビィ・サ・ファイナル容疑者が他人の目を持っていたな。行けば誰か保管してるかもしれない。
「過去が見える目? それなら心当たりはある」
「いま持ってないの?」
「ごめんな。持ってないんだ」
眼球を持ち歩いてたらサイコパスだろう。
もっとも、鉄パイプの爆風に巻き込まれて木っ端微塵になった可能性もあるが……。そのときはそのときだ。
「どこにあるの?」
「街だよ。道順を教える」
「やだ」
「はい?」
いま、かなり忙しい。
他人の眼球探しを手伝っている余裕はないのだが。
「あなたが持ってきて」
「俺が? まあ、見つけたら持ってくるよ」
「言っておくけど、私にも哀しい過去あるの。聞く?」
「聞かない」
これ以上、情報をぶっ込んでこないで欲しい。
ただでさえどうにかなりそうなのに。
少女はまた近づいてきた。
猫モドキをバウンドさせて、ドリブルをしている。
「暇なら一緒に遊ぼ?」
「暇じゃない。遊ばない。というかその動物、よく跳ねるな」
「たまにボールにするの」
「しないほうがいいんじゃないかな」
「違うの。この子、喜ぶの」
本当か?
毛玉は無反応だ。
少女はドリブルをやめて、猫モドキを抱え、またじっとこちらを見てきた。なんだか責めるような目だ。
「あなた、きっとあとで私の力を借りたくなる」
「君の力? なにができるんだ?」
「たぶん教えたらダメなんだけど、特別に教えておいてあげるね。私、箱の外に出られるの。みんなのことも連れ出せるわ」
「……」
急に……か?
目下の問題を差し置いて、本当の本当に重要なものと遭遇してしまったのか?
いま自分がなにを悩んでいたのか忘れるくらいの衝撃だ。
「ええと、君は」
「箱の外に出られるの」
「それは……」
「本当。だから私の目を持ってきて欲しいの」
「本当に?」
「しつこいよ……」
そうだな。
しつこかった。
だが、本当に?
「ごめん。でも、確認したくて。君は、どういう素性の子なんだ?」
「魔女」
「神とは違うのか?」
「それは説明するのが難しいかな」
雑種ってことか?
あまり深く探らないでおくか。
俺は話題を変えることにした。
「分かったよ。ところでその動物だけど」
「遊ぶ?」
「人の夢に介入できるのか?」
「夢……ではないわ。肉体と精神の中間状態。でも……ややこしいから夢でいいわ。この子は、みんなの夢をお手伝いしてるの。上手に遊べない子たちがいるから」
俺の夢にだけ介入してきたわけではなく、すべての夢に介入していたのか。
などと感心していると、バチィと電気が爆ぜた。
静電気……にしてはデカすぎる。
どこからか放電があって、魔女がバリアで防いだようにも見えた。
後ろからヤスミンがやって来た。
「まさか実在するとは思わなかったわ、塔の魔女」
少女は無表情のまま。
「いきなり暴力?」
「この人間を使ってなにかさせる気でしょう?」
「なにも」
「消えなさい。内臓まで焼き払うわ」
ヤスミンは手からバチバチと放電させている。
ただの無気力な女かと思ったら、バキバキに戦闘能力が高い。
魔女はかすかに溜め息をついた。
「消えることなんてできないわ。私はこの塔そのものだもの」
幼い顔立ちに似合わず、心底疲れた表情だ。
それでもヤスミンは容赦しない。
「だったら可能な限り隠れてなさい。私たちの視界に入らないで」
「あなた、嫌い」
ぷいとむくれて背を向けた。かと思うと、すっと透明になって姿を消してしまった。
この塔そのもの――。
意味が分からない。
「ちょっと、あなた。なんで魔女との取引に応じようとしたの?」
ヤスミンは怒った様子でこちらへ迫ってきた。
「この箱から出られるって」
「そんなのウソに決まってるでしょ? 騙されないで」
「なぜウソだと分かる?」
「……」
反論してこなかった。
根拠もなく追い払ったのか?
彼女は右を見て、左を見て、それからこっちを見た。
「ホントだったらどうしよう?」
「謝るしかない。けど大丈夫だ。謝罪の手段はある。彼女の目を持ち帰ることだ。悪い人間に奪われたらしい」
「目?」
引いている。
まあ、落とし物にしては物騒すぎるな。
「場所は分かってる。だから、ちょっと探してくるよ」
「えっ? まだ助けてない仲間がいるんじゃないの?」
「モニターを見てくれよ。ムリだろあんなの。誰が救えるって言うんだ」
「試してもないのに?」
「試さなくても分かる」
夢の中で、彼らは何度でも大事なものを失う。
だが、そのたびに、何度でも再会してしまう。
ヤスミンはふっと笑った。
「弱い男ね」
「ああ、その通りだな。事実を確認できて満足かな?」
「皮肉はやめてよ」
「こう見えて忙しいんだよ。魔女の目を拾ってこないといけない」
なぜ彼女は俺を挑発してくるのだろうか?
イラっとするほどではないが、理由が気になる。
まあ、たまに他人の耐久力試験を趣味にしているヤツがいるからな。そういう手合いなのかもしれない。
*
しかし俺たちは、そのまま塔を出ることはできなかった。
誰かに妨害されたわけじゃない。
エルザが、忍者のモニターの前で固まっていたからだ。
なんとかモニターを覗き込むと、彼女は完全に夢に取り込まれているようだった。霧隠才蔵をかばうのに必死で、一歩も動けなくなっていた。
俺が三人を救ってる間に、ずっとこうしていたのか?
グレイゴーストも苦い笑みだ。
「居心地がよすぎたのね。守りたいナイトと、守られたいお姫さま。二人にお似合いじゃない」
あまりにも皮肉がキツ過ぎるが、きっと事実なんだろう。
このままにしておいたほうが、二人にとっては幸福なのかもしれない。
いずれエルザも収容されて、同じ夢を見続けることになるんだろう。
俺は構わず歩を進めた。
「行こう。優先すべきことができた」
「面白いわよ? もっと見ないの?」
「時間をムダにしたくない」
本当にムダだろ。
ピクリとも動かない人間を眺めているだけなんて。
(続く)




