撤退
布をかぶせただけの簡易テントが、いくつも並んでいた。
ここがレジスタンスの避難所であるようだ。
いや、避難所というよりスラムだな。
風呂さえロクに入れないらしく、誰も彼もが薄汚れていた。
「ここが俺らの新しい街だ。あの市長に追い出されたせいでな」
「……」
境遇には同情するが、まさかこれを見せるためにここへ?
協力して欲しいなら、泣き落としではなく、なぜ追放されたのかを教えて欲しいものだな。
「ほら、そこの先だ。テントの上に赤いリボンがついてるだろ。ヤスミンはそこにいる」
「赤いリボンにはどんな意味が?」
「本人に聞いてくれ」
不快そうに吐き捨てると、男たちは行ってしまった。
なにかよろしくない理由でもあるのか?
俺とエルザはテントへ近づいていった。
すると足音で察したのか、中から女が顔を出した。
「あら、お客さま? それも二人一緒に?」
まっしろい女が微笑を浮かべた。
髪も肌も白い。
なんとか笑みを浮かべているが、表情には疲れがにじんでいた。
俺はうかつなことを口走らないよう、瞬時に言葉を選び、こう応じた。
「じつは客じゃないんだ」
「そうなの? なら、なんのご用?」
「ユスフが探してる」
俺がそう告げた途端、彼女は本当に、なんとも言えない表情を見せた。
「ユスフ? 誰かしら?」
「弟だ」
「私に家族はいないわ」
「お父上にも会ったよ」
「……」
これはいい印象を与えなかったかもしれない。
だが、なぜだか告げずにはいられなかった。
「まだ死んでなかったの……?」
「かろうじてね」
「教えてくれてありがとう。もう用は済んだかしら?」
おいおい。
ずいぶん冷たいな。
これにはエルザも興がさめたらしい。
「そうね。もう行きましょう」
構いたくないとばかりに、一人で行ってしまった。
だが、俺は残った。
話は終わっていない。
「彼はあなたに会いたがってる。こっちもそれなりに付き合わされて、だいぶ苦労した。手ぶらで帰るわけにはいかない」
「そう。なら私を抱いていけば? タダでいいわ」
「は?」
「上のリボンが見えない? ここ娼館なのよ。館っていうほど立派じゃないけどね」
「……」
ホントにタダで!?
いや、そうじゃない。
こういうのに乗せられたらどうなるか、俺はもう知っているはずだ。
「帰る家があるのに、なぜ?」
「好きでやってるの。悪い?」
「悪かないけど……」
「だったらほっといて」
「待ってくれ。そんなこと言ってると、弟をここへ連れて来るぞ」
俺がそう告げた瞬間、彼女の表情が変わった。
ぐっと眉をひそめ、怒りを浮かべた。
「余計な事しないで。せっかく商売しやすい場所を見つけたのに。このスラムを見た? 貧しいわよね? なのに、男たちはなけなしの金を握りしめて私のところへ来るの。中には結婚してる男もいるわ。需要があるのよ。私はそれでご飯を食べてる」
本人が望んでその仕事をしているのだとしたら、俺からやめろとは言えない。
だが……。
「なぜこうなったのか聞いても? いや、えーと、あなたの弟は、俺の雇い主でね。顛末を報告しないといけないから」
「私を抱いてくれたらその途中で話すわ」
「やらない。話しだけ聞かせてくれ」
「やめて。そんなの営業妨害よ」
営業妨害?
なるほど。
俺は腕を鞭のようにしならせ、リボンをズタズタに切り裂いた。
「おっと手が滑った。本当に営業妨害をしてしまったみたいだな」
「最低ね……」
「俺は趣味で他人の過去を探ってるんじゃない。ビジネスで来てるんだ。目的を達成しないといけない」
彼女は物憂げな表情を見せた。
「力づくでも喋らせるってわけ?」
「喋ってくれたら素直に退散する。二度と来ないと誓うし、弟にもこの場所を教えない」
「中に入ってよ。人に聞かれたら評判悪くなるから」
「分かった」
*
テントの中は狭かった。
二人が座るくらいのスペースしかない。
彼女は手で髪を手入れし始めた。つやつやの髪だ。そこへ細い指を絡めていると、上質なシルクを編んでいるように見えた。
「やっぱりヤりたいんでしょ?」
「そうじゃない。いつ話が始まるかと思って待ってたんだ」
そういうことにしていただきたい。
彼女は溜め息をついた。
「分かった。言うわ。全部ね。けど、弟に話すときは、刺激的な部分は省略しておいてね。あの子、純粋だから」
「そうするよ」
*
ヤスミンが父親とケンカしたのは、思い出せないほど昔の出来事らしい。
ただし理由はハッキリしている。
最深部で母親を死なせたのが許せなかったのだ。そもそも誰も最深部になど行く必要はなかったとヤスミンは考えていた。
口論の末、家を出た。
ほとぼりがさめたら戻るつもりでいた。
だが、新しく住んだ街で、新しい友人ができた。
新しい生活を楽しいと感じた。
あるとき、その友人は、親のいる街へ帰省することになった。
ほんの数日で帰ってくるはずだった。
だが、デヴィルズ・タンがやってきた。彼は街を支配し、住民を残らず奴隷にしてしまった。
ヤスミンは、友人を助けるべく街へ向かった。
無謀な挑戦だった。
結果、デヴィルズ・タンに捕まり、奴隷にされてしまった。
しかも彼女が街についたときには、絶望した友人はこの世からいなくなっていた。
数年後、ヤスミンは隙を見つけ、街からの脱走に成功。
脱走はできたが、もう、完全に気力を失っていた。
各地を転々としながら、身を売って糊口をしのいだ。
光の街の外にスラムがあると知り、ここへ流れ着いた。
*
テントを出た俺は、なんとも言えない気持ちになっていた。
誰かの欲望のせいで、別の誰かの人生はあっけなく壊されてしまう。
経緯があまりにクソだし、少年にどう説明すべきかも分からない。
男たちが近づいてきた。
「話は終わったか? じゃあ、次は俺たちの話を聞いてくれ」
「ああ」
気を紛らわせたい。
エルザも来た。ようやく仕事の話になる。
「まず、プレジデンテが来る前から話そう。俺たちは、俺たちの街で自由に暮らしていた。なにか揉め事が起きたときも、自分たちで解決した。ずっとそういう生き方をしてきたんだ」
住民による自治。
どこの街でもたいていはそうだろう。
男は深く呼吸をし、こう続けた。
「ところがヤツが現れた。まず力で全員を支配したあと、俺たちに向かってこう言ったんだ。これから理想的な街を作る。理想的な街には、理想的な人物しか住めない。相応しくないと思う人物がいれば、その名前を書くように、と」
不快なやり口だ。
敵意を住民に向かわせている。
しかも住民の意思でやらせている。
男はこちらを見た。
「それで、どうなったと思う? 追放されたのは、名前を書かれたヤツではなく、誰かの名前を書いたヤツだった。みんな騙されたんだ」
「ほう」
つい声がもれた。
面白いやり方をするものだ。
追放された側にとっては面白くないだろうけれど。
彼は怒りに任せてこう続けた。
「街で問題が起こるたび、ヤツは住民の意思を確認した。次の大きな質問はこうだ。生存権は、誰にでも無条件で与えられるべきか、否か。つまり生産性のない住民にも、生存権の保証をするかどうかという問いだ。言ってみれば、働いてるヤツの上前をハネて、働いてないヤツを生かすのかって話だ。これはモメた」
「結果は?」
「与えられると答えたものには生存権を与え、そうでないものには与えなかった。これで住民の不満は一気に膨らんだ」
なるほど。
プレジデンテは、こうして住民を選別していったわけだ。
「こうなってくると、俺たちは選択を迫られるたびビクビクするようになった。自分の意見を述べるのではなく、できるだけ損しないほうを選ぶようになった。みんな、プレジデンテの顔色だけをうかがうようになったんだ」
「そういう質問を繰り返して、だんだん住民を排除していったと?」
「そう。街に残ってる連中は、いまは幸せかもしれない。だが、次に選択を迫られたとき、どうなるかは分からない」
しかも選択しているのはあくまで住民なのだから、責任は住民にあると思わせることができる。
プレジデンテは、いま残っている住民にとっては、まあまあいい支配者なのだろう。
彼にとって、街が発展しようがしまいが、どちらでもいいのかもしれない。住民を使って遊んでいるのだ。飽きたら別の街に移動するのかもしれない。
ただ、実際のところ、選択したのは住民自身だという点は変わらない。
俺がプレジデンテを殺す理由にはならない。
なのだが、男はぐっとこちらへ距離をつめてきた。
「頼む! あいつを排除してくれ! 俺たちは、自分の生まれた街に戻りたいだけなんだ!」
「うーん……」
「なぜ悩む!? ヤスミンの居場所を探してやっただろう! 約束を破るつもりか?」
「まあ、そう言われると……」
こいつがウソをついて俺をハメたとかならともかく、ヤスミン本人を見つけて案内までしてくれたのだ。おかげで俺は、必要な情報を手に入れることができた。ここで断ったら、俺は詐欺師だ。
だが、俺が返事をするより先に、エルザがうなずいた。
「やるわ。そのために来たんだもの」
「本当か!? 助かるよ! 俺たちじゃ手も足もでなくて……」
話が決まってしまった。
どうしても戦いは避けられないのか。
*
街に足を踏み入れると、雰囲気がピリピリしているのに気づいた。
住民が歩いていない。
その代わり、武装した役人が遠巻きに睨みつけてくる。
レジスタンスと接触していたことがバレたのだろう。
だが、足止めを食うこともなく、庁舎へ行きつくことができた。
プレジデンテもそこで待っていた。
細身のスーツを着こなした立派な紳士だ。少なくとも見た目は。短い口髭もよく整えられている。
「残念ですね、もっと賢い人だと思っていたのですが」
彼はにこりともせずそんなことを言った。
「誤解しないでください。戦いに来たわけじゃない。プレジデンテ、あなたに市長の座を明け渡して欲しい」
俺がそう告げると、彼はようやく笑みを浮かべた。
「なぜ?」
「約束してしまったから」
「約束? ヤスミンを探すという件ですか? 私たちも探しましたよ。次に来たら居場所を教えるつもりでした。人助けをしたのに、裏切られることになるとは……」
それがウソか本当かは分からない。
だが、俺は間違いなくそれを依頼した。彼らが一方的に勝手なことを言っているわけではない。
「すみませんでした!」
とにかく土下座した。
俺の頭など軽いものだが、ひとまず最大限の謝罪を伝えておきたかった。
彼は溜め息をついた。
「立ってください。それでは対等な交渉にはなりませんよ」
「はい」
逆に侮辱ととられたかもしれない。
俺がバカでなければ、こんなにこじれはしなかったのに。
エルザが首をかしげた。
「お喋りはもういいんじゃない? 始めましょ?」
「……」
こいつ戦闘民族かよ。
「やらないなら、私ひとりでやるわ」
「えっ?」
エルザはいきなり駆け出して、プレジデンテの身体に触れた。そして凄まじいエネルギーを炸裂させて、彼の身体を勢いよくぶっ飛ばした。
プレジデンテは庁舎の壁に激突し、地面に崩れ落ちた。
鳥たちが驚いて飛び立った。
これが人間と神のハイブリッド……。
地面を揺らすほどの力があるのだ。人体など簡単に吹っ飛んでしまうだろう。
だが、プレジデンテにダメージはなかったらしい。彼は倒れた姿勢のまま跳ね飛んで、もとの位置まで戻ってきた。すなわち、エルザの真正面へ。
「なるほど。いい暴力です。それだけの力を有していれば、簡単に振り回したくなるのも分かります」
「嘘……でしょ……? 効いてないの?」
「いえ、ちゃんと効いていますよ。あと十億回ほど同じことをされたら、さすがの私も無事では済まないでしょう」
「……」
エルザは恐怖に固まっている。
そういえば彼女は、このムチャクチャな力を見せつけられるのは初めてだったな。
俺はホールドアップしながら近づいた。
「待ってください。反撃は俺が受けます。だから、彼女を攻撃するのはやめてください」
「おや、殊勝ですね……。しかし安心してください。子供がじゃれてきたようなものです。この程度で応戦したりしませんよ。その代わり、庁舎の壁がヘコんでしまいましたね。修理をお願いできますか?」
「分かりました。壁を直したらすぐに出ていきます」
俺が必死で応じると、彼は笑って肩をすくめた。
「冗談ですよ。壁はこちらで直します。あなたがたは一刻も早くこの街から出て行ってください。好ましからざる人物、ペルソナ・ノン・グラータとして街への出入を禁じます。これは大変な不名誉ですから、深刻に受け止めるように」
「はい」
あらゆる面で敗北だ。
膝から崩れ落ちそうになったエルザを支えて、俺は撤退を決意した。
(続く)




