家族
少年がなにかを操作すると、工房の棚だと思っていたものが左右に開き、隠し通路が現れた。
「こっちだよ」
なんとも言えない表情で歩き出す。
俺もそのあとを追う。
自動で明かりがついてゆく。
洞窟を鉄骨で補強しただけの道。
じめじめしている。
なんらかの壁画が描かれているが、苔などに侵食されてかなり薄くなっている。
最終的に、スクラップの転がっている空間に出た。
ゴミ捨て場だろうか?
まるで機械の墓場だ。
そのスクラップの合間に、巨大な人の頭部が置かれていた。
人?
いや、神だろう。
あまり長くない口髭と顎髭をはやした中年男性だ。髭にはだいぶ白いものが混じっている。目は力なくこちらを見つめている。
前情報なしで遭遇したら恐怖で腰を抜かしたかもしれない。
「父さん、人間を連れてきたよ」
「……」
その頭部は声を発しなかった。
ただ、目をつむったところから、意思の疎通はできているものと思われた。
少年は、今度はこちらへ向き直った。
「父さんだよ」
「初めまして。こちらでお世話になっている和田才蔵と申します」
俺が頭をさげると、彼はまたゆっくりとまぶたを閉じた。
受け入れてくれたと信じたい。
少年はひとつ呼吸をして、こう告げた。
「父さんは、原初の神の記憶を受け継いでるんだ。僕にもいろいろ教えてくれた」
「記憶を……」
こんなところにいたのか。
だが、なぜここに?
「原初の神は世界を作ったあと、もう役目を終えたと感じたんだ。だけど、自分で死ぬのは難しかったから、そのための機械を作った。それが箱の正体だよ」
「やはりそうか……」
「父さんは、原初の神から記憶を受け継いだ。そのせいで、すごく悩んだみたい。新たに生まれた神を殺すべきかどうか……。けど、それはできなかった。だから、判断を箱に委ねることにしたんだ」
「箱に? 判断を?」
機械が判断をするのか?
少年は静かにうなずいた。
「分かってると思うけど、ただの機械じゃないんだ。原初の神が作った特別な機械。それは善悪を判断しないから、たとえば善人だけを残して、悪人を消すなんてことはしない。問われるのは、ただ、生きたいのか、そうでないのかだけ」
試練を思い出す。
生きたいものは生き続け、あきらめたものはいつでも死を選択できる。
少年はいちど父の顔色をうかがってから、こう続けた。
「ある日、父さんは箱に身を投じることにした。神話に出てくる『箱を開けた職人』というのは、きっと父さんのことだと思う」
作った本人の記憶を受け継いでいるのだから、開け方も知っていて当然だ。
「なぜそんなことを……」
「原初の神と同じ意見だったから。もう神は必要ないと感じてた。そしてこの箱に挑んで、手足を失った。中は機械でいっぱいだった。機械は父さんの体を直した」
直した?
だったら、なぜいま首だけなのだ?
「父さんは長いこと一人だった。けど、その後、いろんな人が入ってきたんだ。中には僕の母さんもいた」
「そして君とお姉さんが生まれた」
「そう。けど、父さんは新しい誰かが入ってくるのを喜ばなかった。だって、それは傷つく人が増えるってことだから。矛盾してるかもしれないけど……。こんなこと、原初の神にも予想できないことだったんだ」
神であっても未来は見えない、か。
俺は父親の顔を見ないようにして、あえて少年にだけ尋ねた。
「ところで、直してもらったはずの手足は?」
「箱と戦ったときに、ダメになった……」
「戦う? 箱と?」
「この世界の法則を変えようとして、地下の最深部に挑んだんだ。もう誰のことも傷つけないようにね。だけど負けてしまって、胴体まで失った。一緒に行った母さんもそのとき死んじゃった。父さんの頭は、一緒に行った仲間がなんとか持って帰ってくれた」
それで首だけに……。
少年は、父親の後ろにある壁を指さした。
「そこ。壁でふさいであるけど、むかしはそこから最深部に行けたんだ。けど、父さんがこんな状態になって帰ってきたから、みんなショックを受けて、怖くなってふさいじゃったの」
「箱ってのはどんな存在なんだ?」
「機械仕掛けの人形だってさ。僕も見てないから詳しくは知らない」
戦闘ロボットみたいなヤツか。
もし仮に勝てるとしたら、それは原初の神だけなのかもしれない。
あるいは、いまいる神がみんなで協力するか。
まあ望みは薄いな。
少年は溜め息をついた。
「だからね、もう、流れに任せるしかないんだ。箱は外の世界を消そうとしてるんでしょ? 止められるなら止めればいいし、ムリなら消えるしかないと思う」
まあそうだな。
あきらめるなよ、などと俺が言うのも違うだろう。
誰もができる限りのことをやっている。
どうしようもないから、こうなっているのだ。
ある日どこかで英雄が誕生して、英雄的な活躍をしてくれることを願うしかない。
いや、皮肉で言ってるんじゃない。
お伽噺では、世界が滅びそうになると、お節介なヤツが救うことになっている。
滅んだ場合のことは知らない。そういう世界では、そもそも語り継ぐ人間が存在しない。
だから俺たちは、救われた話しか知ることができないのだ。皮肉なことに。
*
浮かない気持ちのまま数日を過ごした。
誰かが世界を救わなければ、滅びる。箱の中は大丈夫かもしれないが。少なくとも神の世界は遠からず滅びる。するとエネルギーのバランスが崩れて、人間界まで滅ぶのだという。クソみたいな巻き込み事故だ。
いや、そもそもの話、原初の神は、自分だけでなく、自分が作った世界さえ消し去るつもりだったのだろう。リセットしたかったのだ。ほかに説明がつかない。
とはいえ、原初の神の思惑が外れたところを見ると、本人の意思に反して「希望」らしきものが残ってしまった。
あるいは神自身が、しいてそれを残した可能性もあるが。
*
救貧院に来た。
監獄としか思えないクソ施設だ。
「なんだい? 工房を追い出されてタダメシでも食らいに来たのかい? なら空いてる檻に入りな」
不愛想な老婆がしわだらけの顔をさらにしかめた。
そんな顔をしなくてもいいと思うが。
「面会に来たんですよ」
「誰に?」
「エルザさん。いるんでしょ?」
*
彼女は部屋の中でうずくまって泣いていた。
老婆の話では、完全に無気力になって心を閉ざしているという。
手足が生えているところを見ると、一回死んだのかもしれない。
彼女は神の血も引いているが、人間の血も引いているから、死ねば傷をリセットできる。ただし人間ほど簡単にポンポン生き返ることはできない。苦痛を引きずることもあるらしい。
俺はやや乱暴に鋼鉄のドアをノックした。
「エルザさん。俺です。和田才蔵です。それとも、ジョニー・デップの方が通じるかな? そろそろ出てこないか? いま、世界を救う仲間を集めてるところなんだ」
「……」
返事はない。
だが、すすり泣きもやんだ。
「まあ正直、世界を救うってのは本気じゃありませんけどね。でも俺ら、ほかにすることもないでしょう?」
「ほっといて……」
かすれたような声がした。
会話してくれるとは思わなかった。
「俺はねぇ、一回でも女に断られたら、もう誘わない主義なんですよ。しつこい男だって思われたくないですからね。ただでさえ基本的に好かれねぇってのによ。まあとにかく、来るって言ってくださいよ。そうしないとあんた、永遠にそのままだぜ」
「もう断ったでしょ……帰って……」
「帰ったら二度と来ませんけど?」
「いいから帰って……」
「クソだな、あんた。自分の仲間がどうなってるかも知らねぇでよ」
もぞ、と、中で動く音がした。
さすがに気になったか。
「みんな……どうしてるの……?」
「人格矯正センターってところに監禁されてますよ。ま、そこでなにが起きてるかは、具体的には分かりませんけどね。俺、いま仲間を救うためにいろいろやってる最中でして。あんたがやらねぇってんなら、俺が救っておきますよ。いや、礼なら言わなくて結構。俺のチームメイトとしてよろしくやらせてもらいますんで」
「サイちゃん……」
おやおや。
俺と名前がかぶっている霧隠才蔵ちゃんのご心配か?
そういえば二人はかなりの仲良しだったな。
あとはグレイゴーストもいるので、余裕があれば彼女の心配もしてやって欲しい。
「やって後悔するのか、やらねぇで後悔するのかは、あんたの判断に任せますよ。俺はどっちがいいとか言いませんから。だいたい、どっちがいいかなんて、当人の気分でしかないわけだし。おっと」
余裕カマして喋っていたら、彼女は鉄格子にしがみついてこちらを見つめていた。目が血走っている。いや、泣いていたせいか。
「どこなの? 案内して」
「じつはまだ場所が分からなくてね。いまそれを知るために奔走してるところです」
すると彼女はドアを開けてこちらへ出てきた。
「やるわ。みんなを助けなきゃ」
「オーケー。こっちで世話してくれる人がいるんだ。案内するよ」
*
俺がエルザを連れて帰ると、少年は目を丸くした。
「えっ? 来てくれたの?」
「エルザよ。お世話になるわ」
まだ万全とは言えないが、エルザは急速に調子を取り戻しつつあった。本当はきっかけを探していただけなのかもしれない。
少年は大はしゃぎだ。
「わ、すごい。あんたは最後の人間、殺してくれるの?」
「最後の人間?」
「悪いヤツだよ。こっちの人間に頼んだんだけど、やってくれないんだ」
こっちの人間こと和田才蔵です。
たぶんこいつ、俺の名前おぼえてないな。
俺も少年の名前を知らないままだけど。
すると少年は満面の笑みで告げた。
「僕、ユスフっていうんだ。よろしくね」
おい。
俺には自己紹介しなかっただろ。
こいつ、女にだけ……。
エルザは怪訝そうに目を細め、こちらを見た。
「なんで最後の人間を殺さないの? 殺そうと思えば殺せるんでしょ?」
「それは行ってみれば分かる」
「善人でも気取ってるつもり?」
「おそらくね」
俺の回答に、彼女はのけぞってしまった。
引いたのだろう。
こんなに分かりやすく引かれるとは思わなかった。
ま、好きにすればいい。
やりたいヤツがやればいいのだ。
こちらには止める義理もない。
*
かくして二倍の軍勢となった俺たちは、ふたたび光の街を目指した。
だが、街の手前で、また例のレジスタンスに待ち伏せされた。
「見つかったぜ」
第一声がそれだった。
はじめ、理解できなかったこともあり、俺はつい二度見してしまった。
「見つかった? えっ? なにが?」
「ヤスミンだろ。ほかになにがあるんだ? けど、期待しないでくれ。望んだ結果とは違うかもしれない」
「別人の可能性があると?」
「そうじゃない。おそらく本人だ。だが……。いや、いい。来てくれ。とにかく会わせる」
事実ならもう問題は解決だ。
人を殺したくてうずうずしているヤツには悪いが、これでプレジデンテを殺す理由はなくなった。
とはいえ、レジスタンスの思わせぶりな態度は気になる。
じつはもう死んでて、墓が見つかったとかいうオチか?
あるいはプレジデンテの愛人になっているとか?
なんにせよ、面倒なことになっていなければいいが……。
(続く)




