代案
「いい空気だ。本当にな。まさに春宵一刻値千金。ああ、だが……この世界では、永遠に春が続いてしまう。永遠に、だ。永遠に続くものに価値はあるのか? たとえば月だ。いつでも頭上に現れる。そして人は、誰もそいつに目を向けない。見上げるのは、特別な名前のついた月のときだけ。ありふれているものは価値を失う。価値は特別なものにしか宿らない。もし特別でなければ……誰もがそれを空気のようなものとみなす。いや、空気でさえ、供給が断たれた途端、高い価値を得るだろう。ところが……この春というものは、無限に続いたとして、ひたすら人類を翻弄してしまう。この常春の世界で、俺たちの身体は、精神は、無限に高揚し続ける。なぜなら動物は、春に高揚するようにできているからだ。人間だからといってなにも特別じゃない。どうしようもなく動物の身体をしている。ここは地獄だ。価値を失っているのは春それ自体じゃない。俺たち自身だ。俺たちの存在そのものだ。動物が動物であるということの限界を、言外に証明されている」
大杉一が、周囲を指さし確認しながら一人で演説を始めた。
急にポエムでも始まったのかと思った。
東雲藍が近づいてきて、いきなり「ごめんなさい」と謝ってきた。
「大杉さん、いつもこうなんです。でも大丈夫ですから気にしないでください」
「はい」
「あ、ごめんなさい……」
余計なことを言ったと思ったのか、彼女は申し訳なさそうに謝りながら後ずさった。
せっかく教えてくれたのに、きちんと返事をできなかった。他人とまともにコミュニケーションを取るのは久しぶりだ。
あとでこちらからも謝っておかなくては。
七日に一度、夜になると、街に獣が放たれる。
鋭い爪と牙をもった獣だ。
小さなものと、大きなものがいる。
ただの獣ではない。装甲がほどこされている。ただでさえ厄介な獣が、鋼鉄のアーマーで強化されているのだ。
きっと女神がやっているのだろう。本当に余計なことをしやがる……。人間を苦しめる以外に、いったいどんな理由があるのやら。
大杉一はこちらへ近づいてきた。
「ひとまず和田さんは見学でいい。その代わり、俺たちがどんな戦いをするのかよく見ていてくれ。接近戦は五味くんと東雲さんがやるし、遠距離は俺と伊藤くんがやる。自分が参加できそうな場所があれば、次回から貢献してくれ」
この「五味くん」というのは、脳内の母親と会話しているイケメンのことだろう。消去法だとそうなる。ほかの誰かだったら怖い。
「次回から? まあ、それでいいなら」
俺はそう返事してから、ふと疑問に思った。
いま彼は「接近戦は五味くんと東雲さんがやる」と言った。
五味くんも怪しいが、東雲さん?
ずっとペコペコ謝っている東雲藍が、接近戦をやるのか?
気になって視線をやると、彼女は半笑いで斜め下を見ていた。
いま名前が出たから、俺がそちらを向くと察して、あらかじめ視線を外しておいたのだろう。俺も人のことは言えないが、かなりのコミュ障みたいだ。
いや、問題はそこじゃない。
なぜか手にナイフとフォークを持っている。
まさか、そんなもので戦うつもりなのか?
「来たよ」
イケメンがつぶやいた。
さっきまで虚ろな目で母親と会話していたのに、いまはまっすぐな目で遠方を見ている。
手には自作らしき槍。いかにも即席といった感じのみすぼらしいつくりだが、敵の血でドス黒く染まっていることから、あまたの命を奪ってきたことが分かる。
春の宵。
本当なら浮かれている時期だ。
仕事終わりに酒でも買って、家で一杯やっている。
まあこの世界にも酒はあるし、酒どころかメシも山盛りで提供されるので、そういう方向では手厚い保護を受けているのだが……。
伊東健作はビルの中に隠れていた。
よく見えないが、窓から狙撃でもするのだろうか。銃を手にしている様子はない。
夜とは言えまだ明るいから、景色を見渡すことはできた。
遠方からやってくる敵の影もうっすらと見えた。
二足歩行の小熊みたいなのがたくさん。こいつらは人間の半分くらいの背丈しかない。そして大ボスの親熊みたいなのが一匹。こいつは人間の倍くらいある。ただし賢くないから、建物に逃げ込んでしまえば一方的に殺せる場合もある。建物が壊されなければ。
俺はついこないだまで二人チームだったが、それでもなんとかなったこともあった。
こちらの工夫と、相手の気分次第では。
さて、お手並み拝見といこうか。
まずはイケメンが駆け出した。
そして彼が到達する前に、ヒュンと矢が飛んで、敵の大ボスの目を貫いた。仕掛けたのは大杉一だ。自作の弓矢を使っている。
敵陣が混乱したところへ、イケメンが入り込み、槍の石突のほうで獣をぶん殴った。
そう。
敵はアーマーを身に着けているから、刃よりも鈍器のほうが有効だったりする。といっても装甲はガバガバだから、よく狙えば斬撃も通じる。
カオスと化した敵勢は、バラバラになってこちらへ駆けこんで来た。
伊東健作が投石で迎撃。
投石機ではなく、自分の肩で投げている。かなりキレがあるから、野球経験者かもしれない。
いや、石をナメてはいけない。
拳ほどの大きさもあれば、人間を殺すことができる。
東雲藍は棒立ち。
だが、敵が接近した途端、さっと背後に回り込んでフォークを突き立て、ナイフで頸動脈を攻撃。
獣は血液を噴きながらその場に崩れ落ちた。
流れるような動きだ。
一連の攻撃を、彼女は淡々と繰り返す。
獣はみるみる倒れていった。
大ボスは怒りに任せて大暴れし、仲間を攻撃している。そこへ次から次へ矢が刺さる。
これはどう見ても勝つ。
「なるほど。いいチームだ。やはり獣では機械のようには動かんな」
「えっ?」
急に背後で声がしたので、俺は慌てて振り向いた。
立っていたのは見知らぬ男だ。
しかもなぜか半裸……。
腰に白布を巻いただけの筋骨隆々の身体で仁王立ち。
まさか、彼が五味くんか?
いや、だとしたら槍のイケメンはいったい……。
彼はニッと白い歯を見せて笑った。
「おいおい、忘れたのか? 俺だよ、俺」
「だ、誰です?」
「ああ、そうか。こちらからは見えていたが、そちらからは見えないのだったな。ハハハ。俺としたことが……」
なにが面白いんだ?
こんなマッチョ野郎が一方的にこっちを見てるなんて……。
「どなたです?」
「戦の神、といったところかな。だが、その名を名乗るのも恥ずかしい。なぜなら俺は、このところ戦で勝利をおさめていないのだからな。フフ。まあ笑ってくれ」
笑ってやってもいいが、ちょっと雰囲気がよろしくない。
ともあれ、こいつもあのクソ女神のお仲間ということだ。
いまとんでもなく立て込んでいるのだが、いったいなんの用なのだ?
彼は腰に手をあてて仁王立ちしたまま、こう告げた。
「ところで人間よ、うちのチームに入らないか?」
「はい?」
「君の力を貸して欲しい」
「……」
いやいや。
こいつ、いまの戦いを見ていなかったのか?
俺は見学しているだけで、活躍していたのは他の四人だ。なぜ彼らに声をかけない? それとも、声をかけて返事がもらえそうなのが俺だけだったのか?
チームがいくつも存在することは、なんとなく分かっていた。
今回、俺自身が編入されたばかりだし、かつて俺のいたチームにもよそから編入されてきた。
神を自称するこの連中は、人間たちをここへ集めて「俺の考えた最強のチーム」を作っている。まあ簡単に言えばクソだ。
「待遇はいいんですか?」
俺が皮肉でそう尋ねると、彼は笑顔のままかぶりを振った。
「いや、なにも変わらない。だが俺のチームには、君が必要だ」
「なんで俺なんです? みんな凄く強いですよ」
「知ってるよ。ずっと見てたからな。だが俺が必要としているのは頭脳だ。暴力じゃない」
「頭脳なら大杉さんにでも頼めばいいじゃないですか。たぶん頭いいですよ、あの人」
謎のポエムに我慢できるならオススメだ。
戦の神はフッと笑った。
「彼には何度も断られている」
「何度も?」
いっぺん断られた時点であきらめて欲しいものだな。
彼は神妙な表情でこう告げた。
「そもそも君たちは、戦いの目的を聞かされているのか?」
「聞かされてるわけないでしょう」
「だろうな。あの愚神はいつもそうだ。ただ人間を連れてきて争わせる。まるで統率するということを知らない」
統率、か。
こいつは統率力に自信があるのかもしれない。だがそのぶん、あれこれ口を挟んできそうではある。自分のチームをより強くするため、よそのチームで引き抜きまでやるくらいだ。
「あなたは教えてくれるんですか?」
「ああ。言える範囲でな。だが先に行っておく。妙な駆け引きは好まん。俺は人間を警戒しているんだ。なにせ頭がいいからな」
「知恵比べで神が人間に負けると? 神は全知全能なのでは?」
そんなはずないことは身に染みて分かっているのだが、俺はそう尋ねないわけにはいかなかった。
男も苦笑している。
「そんなわけないだろう! まったく、冗談がキツいな。もし俺たちが全知全能なら、人間の力など借りたりしない」
「ごもっとも。それで? 神はなぜ人間を必要とするのです?」
「それは機械が……いや、待て。喋らせるな。君が仲間になったら教える」
機械?
さっきも機械がどうだと言っていたな。
どういう意味だ?
人間の力を借りて、機械をどうにかしたいのか?
だったら「人間を鍛えたい」というお題目は、やはり真の目的ではなくなるな。人間を鍛えた上で、なにかやらせたいことがあるのだ。
「いま教えてくれたら、少しは心証がよくなるかも」
「駆け引きは好まぬと言った」
「目的も分からぬまま走らされる馬の身にもなってみてくださいよ」
「残念ながらそれはムリだ。いや、むしろ驚きだな。人間は馬の身になってモノを考えることがあるのか?」
「必要であれば」
俺がそう告げると、彼は勝ち誇ったように笑った。
「やはり人間はズルいな。俺は必要を感じないから喋らないぞ」
「どんな機械なんです?」
「言わぬ。もう君とは交渉したくない。帰るぞ」
「そうですか」
交渉決裂だ。
機械を壊したいなら、いくらか方法がある。
精密機器なら電磁波を使う。精密でなければ……塩水でもぶっかければいい。
だがもし、壊したいのではなく、直したいのだとしたら?
人間を誘拐して殺し合いを強要するのではなく、カネを払ってエンジニアでも雇ったほうがいいだろう。
カネを払うという最低限のマナーさえ身に着けているかは怪しいものだが。
帰ると言ったのに、男はまだ仁王立ちしていた。
「なあ、人間。本当に俺と来ないのか?」
「行きませんよ。行ったってどうせやることは同じなんでしょう?」
「賢いな。その通りだ」
待遇は変わらない、やることも同じ。
ならムキムキマッチョよりも、美人を眺めていたほうがいい。あの女はイカレているが、まあ、観賞用には悪くない。精神衛生の面からいっても、俺はここに残りたい。
男は口をへの字にしている。
「俺は交渉がヘタなのだろうか?」
「そうかもしれませんね。けど、都合のいいウソを言わないだけマシだとは思いますよ」
「ありがとう。君はいいヤツだな。ますますうちのチームに欲しくなった」
こいつはしつこそうだ。
執拗に男から言い寄られる女の気持ちは、ちょうどこんな感じなんだろうか。
キッパリ断らないと、お互いのためにならなそうだ。
だが俺がなにか言い出すより先に、男は「ではさらばだ、人間よ! また会おう!」と言ってしまった。
魔法で転移門を作り、さっと姿を消してしまう。
あまりに一方的だ。
こんな筋肉マンに言い寄られても、ひとつも嬉しくない。
それに、俺ごときの頭脳を欲しがるということは……彼のチームには致命的に頭脳が足りていないということだ。きっと動物園みたいなところなんだろう。絶対に行きたくない。
*
戦闘はとっくに終わっていた。
見学しろと言われていたのに、クソみたいな雑談に時間を割かれてしまった。
かつて俺が所属したチームでは、朝方まで戦いが続くのが普通だった。建物を利用して、奥へ引き込んで戦ったからだ。ところがこのチームは、夜が深くなる前に戦いを終えてしまった。
犠牲者も出ていない。
完勝だ。
大杉一が近づいてきた。
「災難だったな。彼はたまにやってきて、メンバーを引き抜こうとするんだ。あー、それとも、彼の提案に興味をもったクチかな?」
なんとも言えない表情をしている。
俺の心が動いたとでも思ったのか。
「断りましたよ。あまり魅力的な話とも思えなかったし」
「それはよかった。ここに残ることを強制する権利はないが……」
分かっている。
だいたい、彼自身、男の提案を断っているのだ。もし得だと思ったならすでにこのチームを去っているはず。
さすがに俺だって、初日にバックレるほど愚かではない。
敵であろうが味方であろうが、まずは中身を知らなければダメだ。
もしかしたらここが最高のチームかもしれない。
そうでない可能性もなくはないが。
とはいえ、代案が用意されているのは悪いことじゃない。
もしここがダメでも次がある。
手札が多くて困ることはない。
(続く)