試練の終わり 二
ふと気がつくと、俺は木々の生い茂る山の中にいた。
もう箱の中に入ってしまったのだろうか?
いや、違う。
どちらを見ても木しかないのに、ここがどこなのかすぐに思い出した。
中学生のころ、俺が父親に置き去りにされた山だ。
その日、俺は一人で家にいた。
父も、母も、弟も、みんなどこかへ出かけていた。
俺は特にすることもなく、部屋でごろごろしていた。本当に退屈な毎日だった。受験を控えてはいたが、勉強する気にもなれないでいた。決まり切った手順を繰り返すだけの勉強がバカバカしかった。
ふと帰ってきた父が「ドライブに行くぞ」と言ってきた。
クソ田舎だから、特に娯楽がなかった。大人はパチンコかドライブ。子供は友達と遊ぶ。
自然は豊かだが、口うるさく危険性を言われていたから、自然で遊ぶことはまずなかった。実際、山も川も危ないだけで、特に楽しくない。
暇だった俺は、なにか買ってもらえるかもと思い、特に疑いもなく車に乗り込んだ。
見た目はともかく、だいぶ古い車だった。
エンジンのかかりが悪い。
車は山へ向かった。
自宅もだいぶ山なのだが、それよりさらに奥があるのだ。
会話はなかった。
カーラジオから流れる流行りの曲を聴くしかない。
「勉強はどうだ?」
父がぼそりとそう尋ねてきた。
「やってる」
「ちゃんとやってるのか?」
「やってる」
普段、ほとんど家におらず、たまに会話があると思えばこれだ。
俺はうんざりしていた。
弟は勉強熱心で、成績もよかった。
だから父は、弟にはなにも言わなかった。
我が家は、かつてはそこそこ有名な家だったらしい。
豪農というほどではないが、集落における中心的な家だった。盆や正月になるといろんな人が挨拶に来たものだった。
広大な田畑を所有していたが、自分たちではやらず、他人にやらせてその上前をハネていた。
ちょっとした名家気取りだ。
おそらく父は、長男の俺がヘタな高校に入ったら恥ずかしいと考えていたのだろう。
体裁が悪い。
偉そうにふんぞり返っているくせに、息子はバカじゃないかと言われる。
弟はちゃんとやっている。
そのことをしつこくに言われる。
俺は、だからといって親に反発して不良になるということもなかった。
ただ無気力になっただけだ。
バカらしいと。
ネットは好きで、ウィキペディアばかり見ていたから、雑学だけは吸収していた。学業には反映されなかったが。それも父には鬱陶しかったのであろう。学校の勉強もしないくせに、余計な知恵ばかりつけていると。
だいぶ山奥に来たところで「降りろ」と言われた。
俺は、てっきり親も一緒に降りると思っていたから、素直に降りた。
だが、ドアを閉めた途端、父は降りず、車を発進させてしまった。
唖然とした。
スマホは家に置いてきてしまった。
誰とも連絡がとれない。
もしかしたら戻ってくかると思い、しばらく待った。
が、その気配はなかった。
自然の音以外、なにも聞こえなかった。
そこでようやく受け入れた。
俺は捨てられたのだ、と。
まあいい。
感傷に浸っている場合ではない。
当時の俺は、そのうち自分の足で歩きだし、車道に出た。そして通りがかった軽トラのおじさんに拾われて、家まで送り届けられた。本当に親切なおじさんだった。
ともかく生き延びたのだ。
結果を知っているのだから、不安はなにもない。
これはあくまで箱のパズルだ。
なにか「正解」を見つけるのが目的。
しかし正解とはなんだろう?
俺の人生に正解?
それを箱がジャッジするのか?
傲慢じゃないか?
いや、違う。
遠方に、黄金の卵が見えた。
俺の田舎にはなかったものだ。
それだけじゃない。
よくよく見ると、当時存在しなかったものが散見された。
足元に落ちているのは銅鏡だろうか? 木々の間には小さな立方体の石もある。これは箱のミニチュアか? 木の上には、綿菓子みたいな猫もいる。いや、猫ではないな。頭にツノが生えている。そいつはじっとこちらを凝視している。
これら「異物」からなにかを導き出せ、ということだ。
もしかすると、過去の自分は関係ないかもしれない。
まず最初に思いついたのは、鏡で太陽光を反射させ、猫モドキを追い払うこと。
だが、おそらく正解ではあるまい。
俺は千里眼の神から聞いた神話を思い出していた。
力自慢、数学者、哲学者が挑んでも箱は開かなかった。
開くのに成功したのは職人だけ。
となると、職人の得意分野で勝負するのが正解だろう。
箱のミニチュアがキーかもしれない。他の情報はノイズだろう。たぶん。
さて、箱だ。
サッカーボールほどの大きさ。
色は青黒いだけで、模様はない。
重くもない。
カタくてバラせそうにない。
サイコロではないだろう。隣には、いかにもここにセットしてくれと言わんばかりの台座もある。箱の形にヘコんでいる。
セットしてもいいが、罠だったら困る。
猫モドキが「にうにう」言いながら、重たそうに銅鏡を引きずってきた。口ではなく、五本指でつかんでいる。子ザルみたいな手をしている。あまりかわいくない。
「なんだ? これを使うのか?」
「にう」
銅鏡の盤面をバンバン叩いた。
ヒントをくれるなんてずいぶん優しいんだな。罠かもしれないが。
鏡を覗き込んでみて、分かったことがある。
自分の顔が若い。
中学生くらいに見える。
なるほど。
この世界のことは、鏡を使って見ろということか。
試しに猫モドキを映して見ると、まったく姿が映らなかった。
こいつ、じつは存在しないのか?
いろんなものを鏡て見てみた。
猫モドキのほかにも、黄金の卵や、サイコロなども映らなかった。
少し進んで車道に出た。
めったに車の通らない道路だ。周囲に民家もないから、本当に用事のある人しか通らない。
遠くに、白い軽トラが停車しているのが見えた。
かつて俺を救ったおじさんだろうか。
なぜ停車しているのかは分からない。
もしかして、時間が止まっているのか?
ひとまず鏡で見てみると、そこにはなにも映らなかった。
意味が分からない。
あのおじさん、実在しなかったっていうのか?
そんなわけはないと思うが。
俺は車道を歩き続けた。
どこまで行けるだろうか。
だが、少し行っただけで、分厚いなにかに押し返される感覚があった。
これは壁……だろうか。
妙な圧力があって、向こう側へ行けない。
ついてきた猫モドキが、ズボンをつかんで引っ張ってきた。
「どうした? 戻れってことか?」
「にう」
かわいい猫モドキだな。
頭をなでると、いきなりひっくり返って腹を見せてきた。その腹もなでてやる。短い手足をバタつかせて喜んでいる。
さて、脇道へ戻ってきた。
山で育っておいてなんだが、俺は山が好きじゃない。トラウマだからとかではなく、虫や蛇、野良犬、熊などが出るからだ。植物の樹液に触れただけで、皮膚がかぶれることもある。キレイだと思って山の水を飲むと、寄生虫に感染する。特にいいことがない。
「なあ、猫モドキ。どう思う? サイコロでも振ったほうがいいのか?」
「ふわぁー」
あくびしやがった。
かわいいからなでてやると、また仰向けになって腹を出してきた。ずいぶん人なつこい。
サイコロのところへ戻ると、各面に映像が映り込んでいた。
中学生のころの俺、遠くに見える黄金の卵、白い軽トラ、猫モドキ……。残りの二面にはなにも映り込んでいない。
もっといろいろ鏡に映したほうがよさそうか。
さっきから明るい道路側ばかり映していたから、今度は暗い森のほうを映してみるとしよう。なにか起こるかもしれない。
などと軽い気持ちでいろいろ映してみたところ、ぎょっとする映像が映り込んでしまった。
木から人がぶらさがっている。
あんまり直視したくない……。
もちろん肉眼ではなにも見えない。いや、ロープだけはあるな。ということは、当時もロープだけはあったということか。
田舎では、なにか事件が起これば即座に伝播する。
もし山で人が首を吊ったなんてことになれば、集落全体が知ることになる。
だが、当時、山で人が死んだなんて話は聞いたことがない。だからこれは、実在しない情報に違いない。たぶん。俺が子供だったから情報が遮断されていただけかもしれないが。
さらに調べていると、鏡に映らない地蔵があることに気づいた。
この箱は、俺に間違い探しをさせたいのだろうか。親に捨てられた直後の中学生が、地蔵の有無など確認する余裕はないというのに。
さて、ともあれ六面すべてそろった。
あるはずなのにないもの。
ないはずなのにあるもの。
いろいろ見たが……。
この中で、いちばん違和感があるのは白の軽トラだ。あれは間違いなく存在した。だからこそ俺は助けられたのだ。鏡に映らなかったのは、あきらかに怪しい。
というわけで、俺は軽トラの面を上にして、箱をスロットにおさめた。
力自慢はともかく、これを数学者や哲学者が解けないとは思えないが。
しゃがみ込んでなにが起こるか眺めていた俺は、突然、体の支えを失って横ざまに転倒した。
いや、「失う」ってなにを……?
激痛が来た。
右足が、スパッと切断されている。
誰かにやられたわけでもないのに、自然に切り離されてしまった。
まさか、俺は間違ったのか?
そのペナルティとして足を奪われた?
神話では、神は箱に触れて四分五裂した。
俺もそうなるのか?
激痛にうめきながら、俺は思考をめぐらした。
軽トラが正解でないなら、いったいなにが正解なんだ?
消去法が許されるなら、あと五回のチャレンジで成功できる。だが、四肢は文字通り四つしかない。手がなければ箱は扱えない。
俺は地べたを這い回りながら、箱を取り出した。
傷口をかばったせいで手は血まみれだったが、その手で触れても箱はよごれなかった。いや、そんなことに感心している場合じゃない。正解しなければ。
軽トラ。当時はいた。いまもいた。なのに鏡に映らなかった。
猫モドキ。当時はいない。いまはいる。鏡に映らず。
黄金の卵。もちろんない。いまはある。鏡にも映らず。
首吊り男。記憶にない。いまはいない。鏡にだけ映る。
地蔵。記憶にない。いまはある。鏡に映らず。
中学時代の俺。いた。いまもいる。鏡にも映った。
どれだ?
六面体をぐりぐり回転させてみるが、足が痛くて集中できない。
猫モドキはじゅるじゅると血をすすっている。こいつ、所詮は畜生だったな。
俺はうつ伏せになりながら、なんとか自分の顔を上面にして、ふたたびセットした。
「あぐあッ」
左足が切断された。
なんでダメなんだ?
すべての情報が一致しているのは「俺」だけじゃないのか?
「おい、クソ猫! どうなってんだ! どうすればいいんだよ!」
痛すぎて丁寧な対応ができない。
猫は血をすするのに必死でこちらを見ようともしない。
次に失敗したら片腕が飛ぶ。
だがもう意味が分からない。
ヤケクソだ。
猫を上にしてセットした。
その途端、左腕が千切れた。
びっくりするほどあっけなく行動不能になった。
動くのは右腕だけ。
箱は、口でくわえられるサイズじゃない。
とっかかりもない。
だから次に失敗したら、箱はつかめなくなる。
チャンスはあと一度きり。
なのに、まったく正解が分からない。
俺は震える手でなんとか箱を取り出し、脇へおいた。
そして近くの猫モドキをわしづかみにし、スロットに叩き込んだ。
が、なにも起きない。
猫モドキは苦しそうに「にうにう」鳴いている。うまくハマってしまい、自力では出られないようだ。
俺は仰向けになった。
いい天気だ。
当時、俺は運よく助かってしまった。
だが実際には、こんな感じになっていてもおかしくはなかった。
激しく出血したせいか、意識が遠のいてゆく。
俺は猫モドキを取り出し、代わりに、面も確認せずに箱をつかんだ。とにかくこいつをスロットに叩き込まなくては。
*
気がつくと、俺は椅子に座らされていた。
強烈なライトを浴びせられているから、いま自分がどうなっているのかは分からない。
なんとか見えるのは、正面の大きな円形の機械だけ。円形のフレームに無数のアームが接続されており、アームの先端にはドリルやペンチなどがついていた。
左右にも誰かいるが、首を動かせないからよく見えない。
「ドクター、彼が目を覚ましたようです」
「騒がれたら面倒です。眠らせなさい」
「はい」
フレームが回転して、注射器のついた金属アームが正面に来た。かと思うと、その注射針が容赦なく身体へ突き立てられ、ぐいぐいと薬品を注入された。
意識が遠のいてゆく。
*
「そう。お前さんは捨てられたんだ。人間からも、神からも」
老婆のしわがれた声が聞こえた。
聞き覚えのない声だ。
俺は朦朧とする意識のまま、感覚だけで身を起こそうとした。
が、うまく動けなかった。
手足がないせいだろうか。
「まるで芋虫だね。けど、悲観することはないよ。じき元通りになる。お前さんは運がいい。その治療法は、まじりっけなしの『人間』にしか使えないんだから。ま、その結果、人間をやめることになるけどね……。治るんだからいいだろ? ほら、スープだよ。さめないうちに飲みな」
老婆は床にコトリと食器を置き、どこかへ行ってしまった。
ここは牢獄だろうか?
俺はうつ伏せで金属の床に転がされている。
腹は減っていない。
だが、ほかにすることもなかったので、においのするほうへなんとか体を動かした。
頑張ってスープに近づいて、器に顔を突っ込む。器が傾いて盛大に中身がこぼれてしまったが、俺は構わず床のスープをなめた。
コーンスープだろうか。かなり味が薄い。ほぼお湯だ。
少し動いただけで体力を消耗する。
また意識が遠のいてきた。
(続く)




