試練の終わり 一
女神は大股で俺のところへやってきた。
「ほら、人間ちゃん! 行きましょう!」
今日はコスプレしていない。艶のあるみずみずしい身体に白い布を巻いている。
「話はついたんですか?」
「最初からそういう約束だから」
どういう約束だ?
俺はいちおう、戦の神に確認をとった。
「いいんですか?」
もちろん彼は不満顔だ。
「やむをえまい。グレイゴーストとの交換みたいなものだったからな。なんとか君をうちのチームに引き入れたかったが、残念だな」
そういえばそうだった。
グレイゴーストがすーっと仰向けのまま近づいてきた。
「先に地獄で待ってるわ」
「ああ。すぐ追いつくよ」
妖怪が滑り込んで来たようにしか見えない。
どうやって動いているのか分からずじまいだったな。
*
転移門を抜けると、そこはひとけのないオフィスだった。
戦ってもいないのにご褒美をくれるつもりか。
「もうやめよう」
「えっ?」
俺の言葉に、女神は目をぱちくりさせた。
ここで彼女に反論させてはダメだ。もし交渉になれば、俺は簡単に丸め込まれる自信がある。
「これまで見聞きしたことを、みんなに喋る」
「本気なの?」
「本気ですよ。俺は自分のなすべきことを思い出したんだ。だから、もうあんたの思い通りにはならない」
「こっちはやる気まんまんだったのにぃ!」
ぷんぷんしている。
怒った拍子に体を上下にゆするものだから、ついでにたぷんたぷんと大きく揺れた。やはり重力は悪……。
「その代わりと言ってはなんだが、あんたの使徒として箱に挑むよ」
「あら、まぁ。その言葉が聞けただけでも嬉しいわ」
嬉しい、か。
自分の都合で人間を死なせることが、そんなに嬉しいか。
思わず溜め息が出た。
「ま、死ぬ瞬間、あんたのことを恨むかもしれないが」
「死なないわ。人間ちゃんは私が鍛えたもの」
「そうだな」
鍛えた――。
よく分からない動物をけしかけて、殺し続けただけだろう。
いったいどんな成長があったのかまったく分からない。得るものがあったとすれば、他人はアテにならないということだけ。
*
戻った俺は、チキンをかじりながらみんなに状況を伝えた。
神の語った歴史、謎の箱、機械、世界の危機――。
みんな沈黙していた。
なにをどうすればいいのか、余計に分からなくなったことだろう。
今日は、珍しく女神も会話に参加していた。
「そんなに深刻な顔をしないで。あなたたちには神の祝福があるもの。死んでも終わりじゃないわ。生き返るもの」
お気楽なものだ。
箱の向こう側が宇宙空間だったらどうする?
生き返るたびに死ぬぞ。
大杉一もやや苦い笑みを浮かべた。
「過去にどんな戦績があるのか聞いても?」
「もー。そんなの、私が把握してると思う?」
「印象的なものだけでいい。なにか思い出せないか?」
俺だったら「なら黙っててくれ」と返したところだが、さすがに彼は粘り強かった。
女神も小首をひねって思い出そうとしている。
「なかにいっぱい機械がつまってて、それが襲ってくるってことは知ってるけど……」
俺は脇から口を挟んだ。
「虚無を流し込んでくるらしいですよ」
意味はよく分からないが、千里眼の神はそう言っていた。
すると女神は、当然のようにこう応じた。
「まあ、人間ちゃんは殺しても生き返っちゃうから。心を殺そうとしてるんだと思うわ。いやらしい攻撃よね」
最悪だな。
生きたまま苦痛を味わい続けることになるのか。
だが、ヒントにはなった。
「なんか明確な『意思』を感じるんだよなぁ。例の箱だって、誰の手もかりず自然と組み上がったわけじゃなさそうだし。誰が作ったんです?」
女神が知らなくとも、別の誰かは調査しているはずだ。
だが、ラード頭は大袈裟に肩をすくめた。
「分かるわけないでしょ。原初の神が生まれたときにはもうあったんだから」
「そうなってくると、その神さまってのも、ホントに原初かどうか怪しいモンだな。もっと前に誰かいたんじゃないんですかね?」
「人間ちゃん、さすがに不敬よ!」
頬をふくらませて怒ってしまった。
だが、普通に考えておかしい。神が作ってもいないものがそこにあったのだ。別の誰かが作ったに決まっている。
ま、この女の前でそれを言っても、火に油を注ぐだけだが。
女神は、すると当然のようにこう続けた。
「でも、事情を知ってる神がひとりはいるはずなのよね」
「はい?」
「原初の神が分裂したとき、記憶を受け継いだ神がいるはずなの。その誰かが事情を把握してるはずなんだけど……。不思議なことに、ひとりも名乗り出ないのよね」
「それだって事実なんですか? 記憶を受け継いだはず、という根拠は?」
「それは簡単よ。みんなそれぞれなにかを受け継いでるんだから」
ということは、この女は原初の神から脂肪を受け継いだのかもしれない。
大杉一がふむとうなった。
「なぜその神は名乗り出ないと思う?」
「知らない。きっと大いなるお考えがあるのよ」
クソみたいな神秘主義だ。
俺はいちど席を立ち、葡萄酒をとって戻った。
遠からず俺たちも箱に挑むことになる。
あとどれくらい飲んでいられるのか分からない。
俺は縁石に腰をおろし、こう尋ねた。
「ところで女神さんよ、こんなの、隠すような話でもなかったじゃねーか。なんで黙ってろなんて言ったんです?」
言い換えれば、俺が口止めされていたことを白状したようなものだが、おそらくみんな気づいているであろうからいい。
女神は力なく笑った。
「だって考えたって答えなんてでないでしょ? 頭を使うだけ損なの。こんなことで悩むのは、人間ちゃんのためにならないわ。それに、難しいことを考えさせると、人間ちゃんってすぐケンカするから。せっかくのチームが壊れちゃう」
一理ある。
考えても分からない。
エネルギーのムダ。
その上、ケンカのタネになる。
頭を使うと、それだけでストレスを感じる人間はいっぱいいる。そういう場合、なにも考えないのは正解かもしれない。
*
グレイゴーストたちは、いつまで経っても戻ってこなかった。
きっともう二度と会うこともないのだろう。
いまさらではあるが、自分たちの戦いが虚しいものであることを思い知らされた。
のみならず、まだ第二の試練も終わっていないのに、俺たちまで箱に挑戦することになってしまった。
「ごめんね、人間ちゃん。計画が前倒しになっちゃった」
報告は突然だった。
まあ俺はいい。
遅かれ早かれこうなると思って覚悟していた。
だが、東雲藍や伊東健作は激しく動揺していた。
「は? まだ試練の途中でしょ?」
「いつなんですか? すぐですか?」
二人して女神に詰め寄っている。
悪い夢ならさめて欲しい。
俺だってそう思わないことはない。
だが、そう思い続けて、いまだに一度も奇跡は起きていない。
いい加減、あがくだけムダ。楽に死ぬ方法を工夫したほうがいい。
女神は珍しく消沈している。
「ちょうど七日後よ。ごめんなさいね。決まったことだから。もっとちゃんと鍛えたかったんだけど」
ロータリーには普段より豪華な料理が運び込まれていた。豪華といっても盛られた肉の量が倍になっただけだが。
子作り用の男女もいる。
俺に言われたくないだろうが、あまりに下世話だ。
俺はまっさきに酒をとった。
「ってことは、今日は戦いはナシってことでしょ? じつに素晴らしいね」
「そうよ。前向きにとらえてね。これから戦いに備えて英気を養わなきゃいけないんだから」
女神は他人事だと思ってそんなことを言う。
もし自分が参戦する場合でも、同じことが言えるのだろうか。
伊東健作は頭を抱えてしまっている。
もうおしまいだ、というわけだ。
俺もできるならここにいたかった。
少なくとも肉と酒には不自由しない。
五味綺羅星が近づいてきた。
「和田さん、平気なの?」
「平気じゃないけど。どうしようもないことに抵抗するより、もっと別のことにエネルギーを使ったほうがいいと思って」
「別のことって?」
「酒だよ」
俺がカップを持ち上げると、彼は気の毒な人間を見るような目になってしまった。
地味に傷つくが、まあ、こっちももっと配慮すべきだったか。
彼は逃げるように大杉一のところへ行ってしまった。つまり話の通じない相手ではなく、話の通じる相手のほうへ。
弱り切った様子の女神が近づいてきた。
「人間ちゃんだけは、私のこと嫌いにならないでね」
「はい? 嫌いですよ。ずっとぶっ殺したいと思ってましたし」
おっとつい本音が出てしまった。
女神は恨みがましい目でこちらを見てくる。
「あのとき好きって言ってくれたじゃない」
「……」
下世話な行為を受けていたときに、口を滑らせてそんなことを言った気がする。
だが、そのときはそのときだ。
「私、人間ちゃんに嫌われたくない……」
「なら俺らと一緒に行きます? 箱の向こうがどうなってるのか、気になるでしょ?」
「それは上から禁じられているから……」
「ま、そういうことですよ。あんたはいままで通りここで暮らす。俺たちは地獄へ。これで嫌われないと思ってるほうがどうかしてる」
酒が進む。
いまは手っ取り早く酔っ払いたかった。
俺だって少しはショックを受けているのだ。
まだ先の話だと思ってたのに。
*
七日後――。
転移門で連れてこられたのは、果てしなく広がる荒野だった。
景色が黄色い。
草もない。ただ土がむき出しになっただけの平地。
そこへ青黒い巨大な箱がでんと置かれている。
数はひとつ。
材質は分からないが、表面は金属のようにつるつるしている。
先日、こいつにグレイゴーストたちが挑み、そのまま行方をくらませてしまった。
「人間ちゃん、頑張ってね。終わったら必ず迎えに来るから」
「……」
女神の言葉に、俺たちは返事をしなかった。
彼女はしばらく俺たちを見つめていたが、やがて転移門で去ってしまった。
東雲藍が崩れ落ちた。
もう帰ることはできない。
逃げてもいいが、見える限り、どこにもなにもない。
ただ土があり、かすかに砂ぼこりが舞い上がっているだけ。
ここはじつに天気がいい。
涼しい初夏のようだ。
空の青さが際立っている。
天国とも地獄ともつかない光景。
俺は箱に近づいた。
デカい。
サイズ感は二階建ての民家といったところか。
幾何学的な模様が描かれているが、特に意味がないことは分かっている。
これはパズルになっているが、物理的なパズルではない。
精神に同調して解錠される。
手を触れると、さっそく精神に干渉が来た。
(続く)




