神の事情
だが俺は、すぐに女神に話をつけることはできなかった。
女神は?偽りなく人間を愛している。慈愛に満ちた笑みで、なんでも受け入れてくれる。こちらも無限に幸福を味わえる。関係を断つことはできなかった。
特に進展もないまま、ズルズルと同じことを続けた。
どうせしばらくは同じような日々が続くと思っていた。
*
某日、戦の神の領域――。
けだるい春の気配はずっと続いていた。
基本的に、戦闘にさえ間に合えばいいのだが、その日は昼から呼び出された。
戦の神は、仁王立ちで満面の笑みを浮かべていた。
「名誉だぞ、諸君! 君たちには、いよいよ『箱』に挑戦してもらうことになった」
みんな特に反応しなかった。
だから俺も聞き流そうとした。
が、ダメだ。
箱だ。
それがヤバいものだってことは、分かり切っているはず。
「あの、すみません。箱って? 実戦ってことですか?」
「そうだ。その通り。実戦だ。世界を救う使命を帯びて、誇らしく戦うことができる」
戦の神がそう説明したとき、ようやくみんなも事態を理解し始めた。
俺だって気を抜いていたが、きっとみんなもそうだったのだろう。まだまだ演習が続くと思っていた。だが、そんなことはない。いずれ実戦に投入される。その日が来たのだ。ほぼなんらの準備もないままに。
ジョニーが酒瓶から一口やり、溜め息をついた。
「じゃ、なにか。俺ら、もうお役御免ってことか?」
「そう悲観するな。勝利すればいいのだ」
戦の神はそう言うが、ジョニーは納得していなかった。
「過去の誰も、その勝利とやらをつかんだことはねぇ」
「だが子孫を残すチャンスはある。今日は演習はないぞ。これから七日にわたって宴をする。箱に挑むのはその後だ」
宴、か。
またしてもいかがわしいお店が開店するのだろう。
あとはラード女が妨害に来なければ、俺もエンジョイできるというわけだ。
エルザが舌打ちした。
「分かってはいたけれど、気分が悪いわね。戦士として死ぬか、人間の子を産まされるか。私たちの未来は二つに一つなんだから」
戦の神は、しかし動じていない。
「そして君は戦士となることを選んだ」
「当然でしょ? 戦争のために、好きでもない男と寝るなんて、ヘドが出るわ」
「そうせねば世界が滅ぶのだから仕方あるまい。我々とて、望んでしているわけではないのだからな」
「気持ち悪いから喋らないで」
辛辣だ。
だが、彼女の話が本当だとすれば、「雑種」として生まれた人たちは、戦士として戦うか、人間の子供を産むか、そのどちらかしか選択肢がないのであろう。ムカつく気持ちも分からなくはない。
戦の神はさすがに消沈した様子を見せた。
「子が産まれねば、滅びが早まるぞ。子は宝だ。そんなことも分からぬとは、最近の若者は……」
「……」
彼も見た目は若いが、ここの誰よりも年上なのだろう。
とはいえ、最近の若者どうこう以前に、彼らのやり方は酷い。あまりに原始的だ。子供を増やして戦う。それしか考えていない。
*
駅前のロータリーに宴の用意が始まった。
小間使いのような人々が、テーブルに料理を並べている。そして見た目のいい薄着の男女がやってきて、ベンチに腰をおろす。好きなのを選べ、というわけだ。
「さあ、宴の始まりだ。盛大にやろう」
元気なのは戦の神だけ。
だが、俺のテンションはあがらなかった。
酒だけもらい、一人で縁石に腰をおろした。
高潔な精神で誘惑を断ち切っているわけではない。このところ女神に空っぽにされているから、いまさら楽しむ気力がわかなかっただけだ。
いままでどこにいたのか、千里眼の神が近づいてきた。
「あなたには失望しましたよ」
「なんですか急に」
人が静かに飲んでいるというのに。
これから死ぬ人間に対して、あまり優しい態度とは思えない。
彼女は隣に腰をおろした。
「けど、安心してください。人間は、死んでも終わりではありませんから」
「死ぬのは一回で十分ですよ」
「問題は、生き返ったところで、ここへは戻ってこられないということです」
「……」
不快な情報が出てきた。
まあ確かに、人間は殺されても生き返るのだから、そんなに悲観するような話でもないとは思っていた。だからこの歓待は大袈裟ではないかと。何回でも繰り返すのは演習と一緒だ。
「どういう意味か、教えてもらえますか?」
「あなたたちが挑むのは、巨大な箱です。開けるまではなんの危険はありません。ただ、中は異次元につながっています」
「だから戻ってこられないと?」
「入ってすぐなら戻れますが、時間が経つとムリみたいです」
地獄への片道切符じゃないか。
神が自分たちでやりたがらないわけだ。
「開けるまで危険がないのなら、開けなければいいだけの話では?」
俺がそう尋ねると、彼女は「はぁ」と溜め息をついた。
「お気楽ですね。現場を見たらそんなこと言ってられませんよ」
「そういうなら、事前に現場を見せて欲しかったな」
「月にひとつ、空から箱が降ってくるんです。それが五つ並ぶと、周囲を巻き込んで消滅します。おかげで私たちの都市はいくつも消滅しました」
「テトリスか?」
「なんです?」
「いや、なんでも。とにかく、神々はその箱をバラしたいってわけか……。けど、神にできないものを、人間にやらせるとは……」
まあ、その人間にもできていないからこのザマなのだとは思うが。
それでも神がやるよりはマシなのだという。
彼女はうつむいた。
「仕方ないでしょう。神は機械に勝てないのですから」
「けど、このチームを見てる限り、機械をひっくり返したりビームで撃ったりはできてるみたいですよ。奇跡は通じないなんて、大袈裟じゃありませんか?」
これにも彼女は溜め息をついた。
「もちろん物理的な攻撃は通じますよ。ただ、私たち神は、機械に傷つけられたら二度と回復しないのです」
「どういう理屈で?」
「知りませんよ! 学者にも分からないんですから! けど、これは呪いだと言われています。かつて存在した原初の神が、箱を開けてしまったばかりに……。あ、この説明長くなりますけど、興味あります? まあ、なくても話しますけど」
「はぁ」
勝手に喋っててくれ。
俺は酒を飲む。
*
彼女の話をまとめるとこうだ。
原初、世界にはたった一体の神だけがいた。
神は孤独だった。
海や山や木や花を作りながら、世界を渡り歩いた。
やがて箱を見つけた。開けてはならない箱だったが、神は誘惑に負けて開けてしまった。
すると、神の肉体は激しく切り裂かれ、四分五裂した。
神は死んだ。
だが、その後、原初の神は復活しなかったが、肉片からは新たな神々が誕生した。それがいまこの世界を仕切っている者たち。
しばらくは神々の時代が続いた。
そしていつしか箱に挑むものが現れたが、どうやっても箱は開かなかった。
神々は、暇をみつけては箱に挑み続けた。
力自慢が挑んでも、数学者が挑んでも、哲学者が挑んでもダメだった。
だが、ある職人が箱を開いた。
彼は箱に吸い込まれ、二度と戻ってくることはなかった。
やがて、空から箱が降ってくるようになった。
はじめ神々は楽観していた。
ただ邪魔なだけで意味などないと。
だが、箱は増え続け、やがて街ごと消滅した。
神々は本気になって箱に挑み始めた。
人間が巻き込まれ始めたのもこのころから。
箱は開いた。
あまたの戦士が乗り込んだが、帰還できたのは数名のみ。
彼らは口をそろえて言った。
「みんな機械に殺された」
これは機械の呪いであると。
*
事実かどうかはともかく、それが彼女たちの伝承だ。
ツッコミどころはいろいろあるが……。
俺は一度席を立ち、酒をとって戻ってきた。
「それで? もうオサラバする相手に、なぜそんな情報を?」
すると千里眼の神はキョロキョロしてからこう応じた。
「あなたはオサラバしないからです」
「助かるのか?」
「こっそり裏切るんですよ! そして私の下につく! これで助かります!」
助かる?
箱に挑むのが先送りされるだけだろう。
カップから葡萄酒をあおり、俺は空を見上げた。
まだ昼過ぎだ。
こんな時間から酒を飲むなんて……最高だ。
「断る」
「なぜです!?」
「だって結局は箱に挑むんでしょ? ならこのチームのほうがいいですよ。みんな強そうだし」
「愚かな……」
その通り。愚かなのだ。冷静な判断をさせたいなら、もっとリラックスできる生活を送らせて欲しかったな。週一で殺し合いしてたら頭がおかしくなるに決まってるだろ。
すると彼女は、フードをとって俺の手をつかみ、まっすぐにこちらを見つめてきた。
「ウソついてたことは謝りますから!」
「え、なに? ウソ? どのこと?」
手をつかまれているせいで酒が飲めない。
「私、未来のことは分からないんです!」
「はい? じゃあ千里眼ってのは……」
「過去は見えます。でも全部じゃなくて……ある程度ですけど」
涙目になっている。
まるで俺が少女をいじめているみたいだ。
クソ提案を拒否しているだけなのに。
「過去? へえ、たとえばどんなのが?」
「あなたの人生とか……」
「……」
それはダメだろ。
彼女はぱっと手を離した。
「あの、怒らないで……」
「まだ怒ってない」
「でも顔が怒ってます……」
「……」
無闇にキレ散らかすのは大人のすることじゃない。
だが、超えてはいけない一線というものがあって、そこへ土足で踏み込まれたら、人はどんなに頑張っても冷静さを失う可能性がある。
俺は酒を一口やって、息を吐いた。
酒はいい。
いろいろごまかせる。少なくとも、ごまかした気分にはなれる。
「お行儀がよくないんじゃないかな、人の過去を覗くなんて」
「あの、でも、信用できる人かどうか……知りたかったので……」
「その情報は、誰かに喋ったのかな?」
「いえ、まだです……」
ならいい。
永遠に誰にも言うべきではない。
俺は子供のころ、親に捨てられたことがある。
だが、当日のうちに回収された。
たまたま通りがかった人が、一人で歩いている俺を不審に思い、家まで届けてくれたのだ。
そしてその事件は、家族の間では、なぜか「なかったこと」になっている。
トラウマといえばトラウマだが、捨てられたことよりも、親が話題にすら出さないことのほうがショックだった。俺は親を信用できないまま大人になった。
だが、それだけだ。
ほんの数時間の出来事であったし、社会的には事件でさえない。俺がいつまでも気にし続けているだけ。忘れれば済む。
「鬱屈を抱えた人間でも探してたのかな?」
皮肉を飛ばしたつもりであったが、彼女はうなずいた。
「そうです。けど、作戦と無関係じゃありません! あの箱の中には虚無が詰まっていると言われています。機械に捕まって、虚無を流し込まれるのだと……。けど、あなたは負の感情を攻撃に転嫁するでもなく、強く抑えつけるでもなく、うまくコントロールできていると思います。そこに可能性を感じました」
本当にコントロールできているだろうか?
怖いから正面から受け止めないようにしているだけなのだが。
「俺、そんなに虚無っぽい?」
「虚無っぽいっていうか……まあ、適性があるっていうか……。空疎だし、希薄だし、いろいろと、その……。だから、虚無にも負けないんじゃないかって」
結構だ。あえて褒められたと思っておこう。
凄いぞ、俺。
「酒、持っていっていいのかな?」
「気付け薬として持っていくのはいいと思います。でも、今回行くことはありませんよ。私と一緒に頑張りましょう?」
いや、どうせやるなら、女神のチームとして参加したい。
さんざんいい思いをさせてもらったわけだし。
くだらない理由だが……。
やや暮れ始めた空を眺めながら酒を飲んでいると、ロータリーに転移門が現れ、そこから女神が登場した。
仁王立ちしている戦の神の前に立ち、同じく仁王立ちでなにかを言い始めた。
きっと俺を連れ戻しに来たのだろう。
俺もカップを置いて、立ち上がった。
帰る時間だ。
(続く)




