バス停
ロータリーに戻った俺は、またひとけのない場所で女神の「ご褒美」を頂戴した。なにもかもが空っぽになるまで。
俺はまたしても同じミスを繰り返した。
しかも、みずからそれを望んでいた。
*
すべてを終えて駅前に戻った俺は、山盛りの肉に手も付けず、ただベンチに寝転がった。
商店街のほうはまだ明るいまま。遠くでお祭りでもやっているみたいだ。
チームメイトは無言で腰をおろしていた。
元気なのは、ヘビのようにロータリーを泳いでいるグレイゴーストくらい。摩擦係数はどうなっているのだろうか。
ともあれ、俺はもう無気力だった。
ただ女神のご褒美を目当てに戦いを繰り返すだけのサルだ。いやサルに失礼かもしれない。いやそれほど失礼でもないかもしれない。分からない。
俺は戦いの役に立たない。
人類を勝利へ導かない。
街が燃えているせいで、星はよく見えなかった。
それだけの理由で舌打ちが出た。
女神が本気を出せば、俺のような人間など、簡単に隷従させることができるのだ。
結果、俺は命ぜられるまま動く機械となった。
所詮、格が違ったのだ。
勝負は成立しない。
ふと、気配を感じ、視線をやった。
頭からフードをかぶった占い師のような女が立っていた。
「ちょっといいですか?」
「なぜここへ?」
千里眼の神だ。
頬を膨らませて、怒ったような顔をしている。
「こないだのこと、抗議しに来ました」
「こないだ?」
「一回起きてください。失礼ですよ」
「ああ、ごめん……」
全身がダルい。
まさかこの身に赤ん坊が宿っているということはないだろうけど。
上体を起こすと、彼女は隣に腰をおろしてきた。
「あなた、この世界の事実が、何者かの力で捻じ曲げられてると言いましたよね」
「言ったっけ?」
「えっ? もしかして煽ってます? 言ったんですよ」
急だからか、なにも頭に入ってこない。
彼女はなにを言っている?
「えーと、それで?」
「長老会議に報告したところ、かなり厳しめに怒られてしまいました。人間にもてあそばれているうちは半人前である、と。あなた、私のことをもてあそんだんですか?」
「あー、なんか……適当なことを口走った気がするかも……。それより、ここって女神の領域でしょ? 勝手に入ってきて大丈夫なの?」
俺が話題を切り替えると、彼女はびくりと周囲を見回した。
「だから、バレないように静かにしてるんじゃないですか。脅かさないでくださいよ」
「脅かしてない。俺は善人だから、誰にも言わないよ」
心にもない言葉が出た。
俺は善人などではない。
善人の定義は知らないが、少なくとも自分が該当しないことだけは分かる。
千里眼の神は、声をひそめた。
「私、人間と対立するつもりはないんです。意地悪しないでください」
「もちろん。こっちも、いろいろ情報くれたことには感謝してますから」
「でしょ? これからもいい関係を続けていきましょう」
「それはいいけど、なぜ俺なんです? ここには俺以外の人間もいますよ」
俺にこだわる理由はない。
騙しやすいという意味なら正解かもしれないが。
すると彼女は、またキョロキョロしてからこう応じた。
「筋肉頭のチームに配属された唯一の人間だからですよ。もしかして、自分がイケメンだから選ばれたとでも思ってます?」
「思ってないですよ」
もしツラがよければ、もっと生きやすかったはずだ。
性格だってこんなにひねてない。
「それで、私の使徒になるという件ですが……」
「断ったはずだけど」
「いえ、事実が捻じ曲がっていない以上、私の予想が的中し、あなたは私の使徒になるのです。これは規定事項です。いつでもお待ちしています。できれば、何人か引き抜いて一緒に来てください」
「一人で行くのもハードルが高いのに、複数人なんて余計にムリだよ」
「それをなんとかするのがあなたの仕事ですよ! ちゃんと人間だけ連れて来てくださいね。雑種はお断りですから」
「なぜ雑種はダメなの?」
すると彼女は、グーにした両手をぶんぶん振りながらこう応じた。
「プライドが高すぎるんですよ! 自分たちが神の血を引いているからって、自分より下位の人間に対するあの態度! 言うなれば、トカゲがお魚にマウントとってるようなものですよ! ホントに見苦しいです! 私から見ればどちらも下等生物なのに!」
「君が一番見下してないか?」
「そんなことありません! 私は寛容です!」
声がデカい。
遠くに座っている女神も、気づかないフリをしてはいるが、たまに慈愛に満ちた表情で微笑んでいる。あきらかに気づいている態度だ。
「と、とにかく! この世界が滅んだら、人間界も滅ぶんですからね? もう古いチームにはなにも期待できません。偉大なる私が指導者となって人間たちを率いなければ……。あ、あと、実際に戦う相手は大きい箱です。箱を開ける訓練をしておいてください。それじゃあ私はこれで」
箱?
尋ねようと思ったときには、彼女は転移門でさっと姿を消してしまった。
本当に自分勝手だ。
どっと疲れが来た。
だが、横になることはできなかった。
両手にチキンを持った東雲藍が、明後日の方向を見ながら、こちらへ近づいてきたからだ。二刀流のブーメランにも見える。いったいなんだ……。
「あ、あの、ごめんなさい。いま、大丈夫ですか?」
「はい、どうぞ」
俺は手でベンチを勧めたが、彼女は座らなかった。
代わりに、チキンをくれた。
「これ、どうぞ。あ、とってきたばっかりだから安心してください。落としたりしてませんから」
「ありがとう……」
誰かと富を分かち合えるのは素晴らしいことだ。
ちっとも食欲がないという問題に目をつむれば。
彼女もまた周囲をキョロキョロしてから、こう続けた。
「あの、さっきの人、誰ですか?」
なにかを探りに来たのか?
まさか大杉一の差し金ではなかろうな。
「ああ、えーと……向こうのチームの補助の人。いや人じゃなくて神かな。ちょっとした業務連絡っていうか……」
普段なら、もっとマシな言い訳ができたかもしれない。
だが、頭の回らないところへ、こうも立て続けにやってこられては、言葉も出てこなくなる。
東雲藍は、しきりに周囲を気にしている。
「あ、いえ、本題はその件じゃないんです。じつはさっきちょっと聞いてしまって……。あ、ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったんです。でも、けっこう重要な話かと思ったので……」
「はい?」
どの件だ?
なにか失言しただろうか?
彼女はまた周囲を確認した。
「グレイゴーストさんって、人間じゃないんですか?」
「あっ……」
言った。
そう。
暇つぶしに会話したとき、いきおいで彼女の素性に触れてしまった。人間でもなく神でもない、と。それを近くで聞かれていたのだ。
「あー、えっと……それは……」
「私、ずっと気になってたんです。ここでは、神さまと人間の間に子供ができて……。でも、そのあとどうなってるのかなって。もしグレイゴーストさんがそういう人なら、点と点がつながるんです」
いかんな。
彼女は推測だけで事実に到達している。
隠し通すのは難しい。
女神は微笑んでいる。
ただこちらを見守っているだけで、動く気配を見せない。
俺が言わないという確証があるのか?
あるいは言ったところでノーダメージなのか?
「あー、でもその件は、彼女のプライバシーにかかわることだから」
「そ、そうですよね。ごめんなさい。個人的なことに踏み込んでしまって……。ごめんなさい。あの、でも……」
いつも通り、おどおどしている。
だが、彼女の様子は、普段とどこか違った。
「でも?」
「和田さん、大杉さんと一緒になにかしようとしてますよね?」
「どうかな」
そこを怪しまれるのは当然のことだ。
俺と大杉一はよく二人でヒソヒソ話をしている。誰でも誰でも気づく。そこからさらに踏み込めるかどうかは人次第だが。
「私、気づいてますよ。大杉さん、自分はリーダーじゃないって口では言ってますけど、このチームを思い通りに動かしてますよね? 私だって、それくらい分かってます。分かってて従ってます。別に怒ってるとかじゃないんです。そうしたほうが、物事が円滑に進むって思ってるから」
「うん」
さすがにバレていたか。
いや、俺は彼女をナメていたわけではない。
ただ、なにを考えているか分からなかった。
彼女はいちど呼吸をし、こう続けた。
「私、バカだと思われるのはいいんです。そのほうがいい結果になるなら、黙って受け入れます。けど、そこに私も参加させて欲しいんです。大杉さん、きっと和田さんのこと認めてますよね? だから一緒になにか始めたんだと思います。二人とも、頭使うの得意だから……。ただ、今回は裏が見えなくて。私、ちゃんと分かった上で参加したいなって思って」
なんなら彼女が一番賢いだろう。
俺も大杉一も、チームを操っているつもりでいた。だが、気づいている人間の善意に救われていたに過ぎない。彼女は、王様は裸だと指摘できたのに、しいて黙っていたのだから。
ウソを見破るのは気持ちがいい。だが、気持ちよさと引き換えに、失うものがあるのだとしたら?
いや、指摘しないのが賢くて、その逆が愚かだと一概に決めつけたいわけじゃない。
大事なのは、自分の行動が、自分の望む結果につながるかを理解しているかどうか。「予想される結果」から「行動」を「逆算」できるかどうか。
もちろん、それ自体は誰だってやる。
しかし気を抜いていると、やらない場合がある。やらない時間が増えると、隙が常態化する。
たとえば俺だ。虚を突かれて女神に敗北した。もしきちんと警戒できていたなら、こんなことにはならなかった。
彼女はコミュニケーションに難があるかもしれない。だが、それ以外の素質は、おそらく人並み以上だ。状況をよく見ている。ウソだと分かった上で乗っかっている。目的と手段を使い分けている。
こういうタイプは、脳内で幾度も情報を反芻し、ロジックを組み立てている。
半端なウソは通じない。
俺はぬるいチキンをかじり、ベンチの背もたれにどっと身をあずけた。
「じつはまだ情報収集してる段階で、具体的なプランはないんだ」
「そのためにあっちのチームに行ったんですか?」
「そう。なにも固まってなくてね。けど、東雲さんの気持ちは分かったよ。もしなにか始めるときは、相談するって約束する」
「きっとですよ?」
「うん」
覚悟を決めてきたのだろう。
芯の強さが伝わってくる。
正直、もっと頼りない人間かと思っていた。ハードな作戦について来られるか分からなかった。だが、彼女は作戦に巻き込んでも大丈夫そうだ。
もっとも、俺が女神の支配下にあるうちは、このプランも進まないのだが。
街は燃え続けている。
そしてグレイゴーストは、ひたすらロータリーを泳ぎまくっている。
さめたチキンを食っていると、それでも体に栄養の満ちるのを感じた。
俺たちは命を食らっている。
戦いに負けたものは、敵に食い散らかされてしまう。
いや、俺はべつに「弱肉強食」こそが万物の理だとは思わない。鶏は人間との相性が悪すぎただけだ。
重要なのは「適者生存」。たとえば小動物は人間より弱いが、それでも地球上のいたるところで繁殖している。生存戦略にはいくつものバリエーションがある。
そもそも、肉体の強弱で言えば、人間など最強ではない。それでも好き放題に世界を切り取っている。人間は、そのために知恵を使っている。
いまの俺は、肝心の「知恵」で戦えているとは言いがたい。
ハッキリと敗北している。
女神と話をつける必要がある。
篭絡されたままでは、状況を変えられない。
(続く)




