みんな死んでしまった
また性懲りもなく太陽が姿を現して、埃っぽい街に黄ばんだ光をまき散らし始めた。世界が黄色い霧に包まれたかのようだ。
俺はただ立ち尽くし、街が染められるのを眺めていた。
いつかの俺なら、この光景を美しいと感じたかもしれない。
だがいまは、単に空が発光しているとしか思えなかった。「感動」のためにいちいちエネルギーを使いたくない。生存に関すること以外、ここではすべてが価値を失っていた。
仲間はみんな死んでしまった。
より正確に言えば、死を受け入れてしまった。
この「試練」からリタイアしたのだ。
試練――。
俺たちは無作為に選別され、このふざけた空間に閉じ込められた。
「堕落し切った人間ちゃんを鍛え直します」
女神を名乗る女からの説明はそれだけ。
ほかにはなんらの補足もナシ。
かくして俺たちは、七日に一度、この「殺戮の広場」での殺戮ごっこを強制されることとなった。
好ましい人物も、そうでない人物も、等しく殺され続けた。
殺されるたびに生き返った。
このループを抜け出す方法は二つ。
試練に合格するか、リタイアするか。
舞台は無人の街。
夜になるたび獣が解き放たれる。
丘の上には、巨大な金色のタマゴ。あれがなんなのかは分からない。質問しても「人間ちゃんは知らなくていいの」の一点張りだ。
俺は乾燥した空気を肺いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐いた。
なぜ自分がまだリタイアしていないのか、よく分からない。
生き延びたところで、明るい未来が待っているわけでもない。夢も希望もない。いや、あったような気もするが、すべて壊れた。この試練をクリアしても、閉塞した日常が待っているだけ。
なのに……まだ生きている。
女子高生の制服を着た女が、こちらへ近づいてきた。
例の女神だ。
短いスカートからウマそうな生足をさらしている。胸もデカい。しかし顔はあきらかに十代ではないから、コスプレにしか見えない。
連日の殺戮で消耗しているせいか、俺は獣のような価値観でしかこいつを見ることができなかった。ただ犯してやりたいという気分にしかなれない。
俺たちは身体だけでなく、心まで殺されている。
「一人になってしまったわね」
「……」
なにか返事をしようと思ったのだが、口からは空気しかでなかった。
一人になってしまった――。
まるで他人事だ。
最後まで生き延びた相棒は、もうこれ以上は耐えられないと判断し、女神にリタイアを申し出た。それくらい追い込まれていた。そして追い込んだのはこいつ。
一人になってしまった――。
バカにしている。
だが俺は、あらためて激昂することさえできなかった。
もうずっと怒りっぱなしだったから、あらためて怒るということができなかったのだ。二十四時間イライラしていると、人間は壊れる。
女神は慈愛に満ちた麗しい笑みを浮かべている。
俺だけに向けられた笑みではない。
こいつは基本的にこの顔だ。
「あなたには、別のチームに入ってもらうことにするわね」
「……」
「それとも一人のままがいい? お返事は?」
「それでいい」
俺がそう答えると、彼女はすっと表情を消し、肩をすくめてみせた。
「人間ちゃん、かわいくない。私、女神さまよ? 頭が高くない?」
「お願いします」
もはやプライドもなにもなかったし、土下座したって構わなかったが、体を動かすのは億劫だった。喋るのでいっぱいいっぱいだ。
こっちは最後の仲間を失ったばかりなのだ。
少しくらい感傷にひたらせて欲しい。
彼女は微笑を浮かべた。
「ええ、いいでしょう。あなたは見所があるから、精鋭チームに加わってもらうわね」
「……」
「お返事は?」
「分かった」
呼吸に集中するせいで、つい返事を忘れる。
ずっと息が苦しいのだ。呼吸を繰り返しても、なお苦しい。酸素が薄いのだろうか。いや、体がおかしくなっているのかもしれない。
しかし精鋭とは?
強い仲間が増えるのはいい。だが、敵まで強くなるのは勘弁して欲しい。
*
堕落した人間を鍛える。
それは分かる。
暇さえあればゴロゴロできる生活に比べれば、確かに強くはなるだろう。少なくとも度胸はつく。死に対する恐怖も減る。
だが、それだけだ。
試練が終われば、人間社会に適さない野蛮人が完成する。
それでどうなる?
俺はここから解放されたのち、社会不適合者として世に放たれるのか?
苦しみに耐えた結果、新たな苦しみを得ることになるのか?
女神は本当に、そんな結果を望むのか?
違う目的があるのでは?
「はい、人間ちゃんたち。新しい仲間よ。ほら、自己紹介して」
ある日、俺は女神に連れられて、駅前で新しい「仲間」と顔を合わせた。
みんな死んだような目でこちらを見ている。
疲れ切っているのだ。
きっと俺も同じ目をしていることだろう。
しかし「自己紹介」とは、いったいなんだったろうか?
この俺に、紹介すべき自己があるとでも?
戦いは得意じゃない。
逃げ足も速くない。
どの分野でも一番になれなかった。
単にリタイアを選択しなかったからここにいる。
女神が溜め息をついた。
「もぉ、照れ屋さんね。お名前は言えるかしら?」
「キアヌ・リーブス」
「違うでしょ?」
「和田才蔵」
なぜいま俺は違う名前を名乗ったのだろうか。
もしかすると、まだかすかに残っている人間性が、場を和ませようとジョークを言わせたのかもしれない。
もちろん誰も笑わない。
いや、最初からずっとニタニタ笑っているのが一人いるが、こいつはノーカウントでいいだろう。たぶん死の瞬間も笑っているタイプだ。
さっきからずっと過呼吸だった体育座りの女が、急に甲高い声をあげた。
「わっ、わたしっ、東雲藍ですっ! はいっ!」
誰かに脅されているかのような態度だ。
いったいなにに怯えているのやら。
壁に寄りかかっていたヒゲヅラの中年男性が、溜め息をついた。
「いま俺たちが一斉に自己紹介したって、覚えきれないでしょ。覚えても明日にはいなくなってるかもしれないし。必要になったら聞いて欲しい。名前はそのとき教えるよ」
悪意あっての発言ではなかろう。
ただの事実だ。
女神はしかし不満そうだ。
「えーっ。もうやめちゃうの? 人間ちゃんたちの自己紹介シーン好きなのに」
「……」
東雲藍だけが小さな声で「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っているほかは、みんなスルーだった。
女神の扱いなどこんなものだ。
なにせこの女は、俺たちを苦しめている元凶だ。愛想よく対応しろというほうがムリな話。許されるなら、とっくに八つ裂きにしている。
遠方から電車がやってきて、駅にとまった。
この電車に乗って逃げることはできない。
乗ってもいいが、必ずどこかで脱線することになっている。
その後、電車が走り去るまで、俺たちは無言だった。
全員シャイなのかもしれない。
いや、仮にそうでなかったとして、きっと談笑はしなかっただろう。それくらい誰もが疲れていた。
俺はもう輪に加わったかのように、適当なところへ腰をおろした。
みんな一定間隔でリラックスしていたから、俺も居場所を見つけやすかった。誰も誰とも仲良くないのだろう。言い換えれば、派閥がないということだ。気楽でいい。
今日も制服姿の女神は、頬を膨らませてすねてしまった。
「ふーん、じゃ、もういいのね? 私、帰るからね? なにも質問とかないのね?」
「……」
聞くだけムダだ。
質問したところで「人間ちゃんは知らなくていいの」としか返ってこない。
「じゃ、ホントに帰るから。帰りのご挨拶だけはしよ? ね? ほら、みんな立って」
まるで幼稚園の先生だ。
それでも俺たちは、言われるままに立ち上がった。
「はい、それじゃあ、さぁーよぉーならぁーっ」
ガキ向けのねっとりした挨拶。
俺たちも口々に「さようなら」となんとか返す。元気がいいのは東雲藍だけ。しかも彼女は挨拶したあと、誰からもなにも言われていないのにまた「ごめんなさい」を繰り返した。
女神はなんとも言えない顔で帰っていった。
帰るというか、魔法で転移門を作り出し、そこから消えてしまった。
女神が消えると、しんと静かになった。
建物だけはあるのに、誰も住んでいない無人の街。
かすかに空が鳴っている。雷鳴ではない。ごうごうという風の音だ。どこかで飛行機でも飛んでいるのだろうか。
ずっとニヤニヤしていた男が、こちらへ向き直った。
「ねえ、強いの?」
「いや、特には」
二十代前半だろうか。小柄な若い男だ。サルっぽい顔をしている。
強そうではない。
「俺、伊東健作。あんた、なんだっけ?」
「和田才蔵」
「和田さんか。俺、すぐ死ぬけど……。まあよろしく」
「よろしく」
俺の記憶によれば、こういう調子のよさそうなヤツはすぐに死ぬ。だがここは精鋭チームだ。生き延びているということは、他の連中とはどこか違うのかもしれない。
まだ会話していないのはあと一人。
ずっとぶつぶつ言っている若い男だ。こいつは爽やかそうなイケメンだが……。心はすでに壊れているらしい。深入りしないほうがいいだろう。
おどおどした東雲藍、ヒゲの中年男性、サル顔の伊東健作、そして独り言のイケメン。あとは俺。
この五名で、試練を続けることになる。
*
日が暮れるまで、俺たちは特に会話らしい会話も交わさなかった。
腹が減ったら無人の店で勝手にメシを食い、それぞれ過ごしたいように過ごす。それだけだ。余計な干渉はしない。
ここはずっと春みたいなぬるい空気に包まれている。
身体の高揚だけが続く。
高揚の中で神経が消耗し続け、やがてあらゆる感情が鈍磨してゆく。
夜が近づいてくると、みんな自発的に準備を開始した。
「また夜が来るよ、母さん……」
イケメンがさみしそうにそうつぶやいた。
盗み聞きするつもりはないのだが、どうしても漏れ聞こえるところによると、この男はずっと「母さん」と会話しているらしかった。
邪魔しないほうがいいだろう。
俺はイケメンの横を通り過ぎ、ヒゲの中年男に近づいた。
「お名前、うかがっても?」
「大杉一だ。忘れたらまた聞いてくれ。ご用は?」
日常生活においては、名前を覚えるのはマナーだったかもしれない。だが、ここでは重要なことじゃない。
俺は暮れかけた空へ視線をやり、こう尋ねた。
「なにか作戦は?」
「なぜ俺に聞く?」
「リーダーかと思って」
すると彼は苦い笑みを浮かべた。
「リーダー、か。イヤな響きだ。みんなその仕事を押し付け合う」
「もし失礼なことを言ったなら謝りますよ」
「いや、そうじゃない。謝らないでくれ。ただ、そいつは生き延びる上で重要なことなのに、みんな舵取りを他人に任せたがるからな」
「まあそうかもしれませんが、こっちは新入りなんで……」
皮肉を込めてそう言った。
会話を楽しむ余裕もないのだ。結論だけ言って欲しかった。
「悪かったよ。ただ、俺がリーダーじゃないってことだけはハッキリさせておきたかった。まあ作戦を考えたりはするが……」
「ならリーダーは? 誰なんです?」
「いないよ。驚くかもしれないが、それでもこのチームはうまくいってる。ま、ほかじゃ考えられない話だと思うが」
その通り。
人間は、サルより進化した動物ではある。しかしそれ以上のものではない。普通、形式的であれリーダーを必要とするものだ。
彼は人なつこく笑った。
「あんたもすぐ分かるよ。このチームは特別だ」
「はい」
少なくともメンバーのいくらかは「特別」なんだろう。「まともじゃない」という意味でしかないが。
しかしリーダー不要とは……。
それで狂暴な獣たちを相手に、どんな戦いをするのやら。
せいぜい見せてもらうとしよう。
女神いわく「精鋭」らしいからな。
(続く)