格闘技の試合を終えて
12月4日に漢気という格闘技団体に参戦しました。
結果は判定負け。
ポイント的にも相手の圧勝という内容でした。
俺は昔から格闘技を齧っていて、柔道と拳法をベースに総合格闘技のジムに行きながら練習をしていました。
なぜ、格闘技を始めたかという理由については割愛しますが、MMAの試合は今回が初となりました。
俺は今年、30歳になりました。
30になるこの年は、言葉では言っていたけれど、何一つ実現していなかったことを全てやっていこうと決意しました。
格闘技の試合に出る、ラノベを書く、ノベルゲームを作る、そして映画を作る。
何故20代のうちにやらなかったか、これについても割愛します。
何故ならその葛藤は他人からしたら滑稽なもので、仮にそれを見せるのであれば作品に昇華しないと耳を傾けないでしょうし、語る価値がないものだからです。
さて、目標であった格闘技の初の試合を終えて抱いた感想は、晴れやかな気持と、いい知れぬ悔しさでした。
俺はあれもやる、これもやると興味があるものにグダグダ言っていましたが、本当にやりたいことはただ一つ。
文学に邁進すること。
これが俺の根幹です。
俺はこれに集中する為に全てを自分の中から消し去る必要があったのです。
だからこびりついていた格闘技という執着に、試合に出たこと、負けたことによってスッキリしたような感覚を抱きました。
後は趣味で、楽しく格闘技をやればいいかと考えていました。
でも、試合が終わって、寝て起きて、痛みも少し引いてきた時に溢れてきた感情は、ただただ悔しいという気持ちでした。
悔しくて、悔しくて、あまりにも悔しかった。
何故、悔しいかと考えた時にそれは自分がやり切っていないからだと気づきました。
おっさんが何をのたうち回っているのかと、冷笑的な自分がいるけれど、35歳まで格闘技に関して、しっかり走り切ってみようと思いました。
そうして、自分が確かにやり切ったのだと思えるようにしたい。
そして、他のこともそうです。
この悔しさを忘れぬよう、本気で取り組んでいきたい。
ふと、俺は文学のことを思った。
俺の渇望はここから起因する。
俺はこれを表現する為に生命を使い果たしたい。
俺は文学で何をするか。
それは人を正しく見て、人を正しく書きたいということ。
どのような人でも、それを色眼鏡なしに対峙すること。
人を正しく書くとは何か
それは、上からでも下からでも近くでも遠くでもなく、その人間の発言や思想に惑わされることなく、その人の魂をその通りにあらわし、その人と同じ地点で書く。
三諦の境地で人の魂を書く。
俺自身から利己を消し去る。
これが俺の目指すべき文学であると思い至った。
俺は坊主の文学がしたいのだ。
だからこそ、あらゆる雑念を行動によって滅ぼしたいと考えたのだなと、得心がいったのです。
てな感じ。
とりあえず来年は
アマチュアパンクラスに出る
映画を作る
文学賞に応募する作品を書く
この3つでお届けします!!!!
ラノベも12/7から更新再開すんで!
色々お願いしゃす!
PSこの雑記は、今後勉強していく書物の研究用備忘録になる気がする