世界平和
簡単なようで難しい
「平和」という言葉にどれほどの意味があるのだろうか。モニターの前に広がる光景に、頬杖をついたまま私は息を吐く。机の上に置かれた珈琲はとっくに冷めきっていたが今はいれなおす気にならない。以前の珈琲というものは植物の実から種のみ取り出し、乾燥させ、砕いたのちに、熱い湯を通して作っていたらしい。今やボタン1つで、そんな風な色と味がつけられたものが出てくるのだから昔に比べてだいぶ進化したのだろう。
「なのに人は変わらない…どころか、これは退化といっても差し支えないのでは 」
壁一面に組み込まれているたくさんのモニターに映し出されているのは宇宙にある中立衛星から送られてくる各国の光景。災害・飢餓・戦争・流行病…どこの国も悲惨な有様で、人間たちが苦しむ様が数秒ごとに切り替わる。それをただ眺めているのが私の日課であり使命だ。
「平和ねぇ」
キャスターつきの椅子を滑らせてキッチンサーバーの前に移動する。少し悩んだ後にメニューを決めれば、間もなくカロリーブロックが出てくる。チキンサンドと名付けられたそれは、以前は穀物と動物から時間をかけて作られていた味らしい。モニターで植物や動物を見たことはあるが、あれらがこんな味になるとは到底想像がつかない。パサパサのそれを口に含み、冷えた珈琲で流し込む。食事をとらなくてもどうにでも解決できるが、なんとなく1日3回食べる習慣をつけている。
世界が崩壊へカウントダウンを始めた頃に作られたここは“中立機関”。永久機関により衣食住が保証され、権力や政治のいらない、労働を必要とされない場所。偉い人たちによって(名目上)ランダムで選ばれた者たちが世界と隔離されてここに入れられる。一度入れば出ることは叶わないため、拒否することも可能だ。だが当時、崩れゆく世界に絶望しかなかった我々にはとても魅力的な選択肢に見えた。
「平和ねぇ」
確かに最初は平和だった。その日の食事に悩むこともなくなったし、仕事に煩わされることもなかったし、好きな人間関係を築くことができた。でも時間経過は人をダメにする。結局人間自体が変わらないことには何も変わらないのだ。
派閥が出来、格差が出来、差別が出来。
結局ここも世界と変わらなくなってしまった。
「平和ねぇ」
聞き慣れたアラーム音に、慣れた様子でモニターの切り替えボタンを押す。機関内の地図が映し出されて、第3モジュールの一室が赤く点滅しているのがわかる。確かそこの住人は数ヶ月前からここにいることを苦痛に感じ始めていると機関のA Iドクターが言っていた。飲み薬やカウンセリングの提案をされていたようだが、この様子では功を奏さなかったようだ。じきに清掃ロボットが彼女を片付けるのだろう。このモジュールの住人たちも少しずつ確実に減っていく。これではここも崩壊していくのだろう。
「平和ねぇ」
平和になりたかった
「平和ねぇ」
なれないなら作れば良いと思った
「平和ねぇ」
それでも世界は壊れていってしまう
「ままならないなぁ」
だからこそ世界は美しい
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お題
「簡単なようで難しい」で始まり、「だからこそ世界は美しい」で終わる物語を書いて欲しいです。
作成:酒