ᛁᛗᚨᛞᛖᚺᚨᚾᚨᛁ ᛁᛏᚢᚲᚨ -『今デハナイ、イツカ』-
不老不死――それは、人間であれば誰しもが夢見た理想の一つ。
衰えることなく、最愛の人との離別もない、生命として最良の存在方式だと。
すぐそこにありながら、決して届くことのない禁忌の夢。
これは、一人の教師と一人の少女による、『不老不死』についての談義物語です。
どうして、人間はそれを追い求めるのか。
どうして、人間はそれを実現できないのか。
そして……それは果たして、理想なのか。
『――っ!――ゃんっ!――アナちゃんっ!』
(んっ……んんっ?なに……?)
『――ねぇってば!まずいって――あっ』
「わぷっ!」
意識がまだ朦朧としてる間に、顔面が何かが柔らかいものと激突……いや、もっと正確に言うと、顔面に向けて何かが柔らかいものが飛んできた。おかげさまで意識がはっきりになり、その瞬間目に映ったのは、隣に座り、顔色が真っ青な友達と、ただならぬ殺気を放ってる教師。
「私の授業中に白昼夢とは、いい度胸だ、アナスタシア・ネイラフティ。喜びたまえ、そのクッションは私が長年使ってきた、ありとあらゆるストレスを積りに積もった至高の一品だ、ここで君にくれてやろう」
「ほっ……えっ!?ケーネル先生!?」
「そうだ、私だ。そして只今授業中である……ここまで言えば、もうわかっているのだろうな?何か言い残しはないかね?」
「ひぃっ!」
窓際に座り、授業中であるにも関わらず、陽射しを浴びてその心地良さに釣られ、ついぼーっとしてしまった少女が、今まさに絶体絶命の危機に晒されている。
「あわわ……ええと、あぁの……白昼夢ではないです!その、考え事をしてたんです!」
「ほう?考え事とは、珍しい、君とは無縁な言葉と思っていたがね」
くすくすと、教室の中に笑え声が聞こえてくる。
「ぐぬぬ……あたしだって――」
「それで?考え事とは、どのような事を?」
「――へっ?」
「『考え事』というのは、核心となる『テーマ』を基に思考を巡らせる行為だ。脳を動かして、想像する……それが、考え事だ。もし、そこに思考という部分が抜けていれば、それは白昼夢だという。さぁ、君のテーマを教えてくれたまえ、アナスタシア君」
「あっ、あはは……そうなんですね~ええ……」
先生の殺気がまさに秒単位で強くなっていき、少女は直感した、今ここでなんとかしなければ、この後の昼休みがとんでもないことになるのを。
「あ、あたし達人間って…不老不死には、なれないかなぁ、なんて……」
もちろん、嘘である。ケーネルは生徒一人一人の名前、長所短所、得意不得意などをしっかり記憶しており、生徒のことをちゃんと見てる真面目な教師だった。そんな彼が生徒に対しての評価を間違えるはずもなく、アナスタシアがこんな複雑な事を考える訳がないことも、もちろん知っている、が……
「ほう、不老不死とは、君もそういう年頃になった訳だな?」
「はい?」
「ふっ、何も恥じることはない、君達のような歳では極く普通な現像だ。むしろ『厨二』になったぐらいで、誰も君のことを変だとは思わない、安心するといい」
「ちょっ、はあ!?」
『あはははは!』
教室内に響き渡った生徒達の笑え声、そして顔が真っ赤になったアナスタシア、いつものこととは言え、さすがにこれは恥ずかしい。
「だが、ふむ、せっかくだ。例えそれが場凌ぎのための嘘であっても、君は数多なる選択肢の中に、わざわざこのテーマを選んだ、それは思考の末の行動か、それとも直感か、どっちかね?」
「いやぁ~あはは、嘘だなんて……えっ!?」
「ちょっバカっ!せっかくケーネル先生がそこを見逃してやったのに拾わないで~!」
アナスタシアの友達が普段、いったいどれだけ苦労していたのかよく伝える一幕である。
「あっ!ゴッホン!ええっと…別に最近身内でそういうことなってる人がいる訳じゃないけど……ちょっと、寂しいなぁって……だって、離れていっても、電話したりメールしたり、連絡は取れる、でも、もし死んちゃったら、もう、どうやっても会えないじゃない?そういうの、ちょっと嫌だなぁと思って……あはは……」
今度こそ、場凌ぎのための嘘ではなかった。それを言い出したアナスタシアの顔に、どこか寂しげな雰囲気が溢れ、その眼差しもまるで、ここではない、どこか虚しい彼方に向けるような。そのすべても、ケーネルの目に映った。
「なるほど、そういうことであれば、仕方ない」
ふっと、手中にある教本を閉じて。
「諸君、すまない、今日の授業はここまでにする。ここからは、せっかく頭を動かしてくれたアナスタシア君のために、このテーマについて、少し語ろうと思ってね」
「えっ?いやいやいや!そこまでしなくてもっ!」
さすがにこれはまずい、と思ったアナスタシア。まさかただの嘘がここまで発展してしまうとは、想像すら出来なかったでしょう。
「なに、そう深くまで触るつもりはない、軽く語る程度でね。なぜなら、君達が卒業しこのまま高等学院にまで入るとなれば、そういうテーマには嫌ほど触ることになる。もっとも……アナスタシア君の場合、果たして何年ぐらい私の教え子のままにいるのかはまだ未知数だがね?」
「んなっ!?」
「否定できないから怖いよぉ……アナちゃん本当毎回ギリギリなんだから……」
『あはははは!』
このように、ケーネルは厳しい先生ではあるが、決して四面四角の堅物という訳ではない。教室の雰囲気を把握し、適度なジョークを放ち生徒達の集中力を維持するような柔らかい対応も出来る。その上、生徒達のことを自分とは対等な人間のように接し、決して上からの目線で扱わない。授業も簡単明瞭でわかりやすいため、その厳しさからは想像できないほど、生徒達の間には絶大な人気を誇る。
「だが、始まる前に、まずは君の疑問そのものに関して、一つ説明する必要がある、その上で君の疑問に答えよう。アナスタシア君、君は、『自分はそのクッションになれるか』と、考えたことあるかね?」
「……は?」
あまりにも唐突で、意味不明な質問に、アナスタシアだけじゃなく、クラスの生徒達もみんな、不思議そうな顔をした。
「そう難しく考えなくていい、言葉通りの意味だ。対象物はなんでも良い、クッションでもいい、君の今座ってる椅子でもいい、なんなら君の大好きな昼ご飯でも良い。どうあれ、君はたったの一度でも、『そういうものになれないか』と考えたことあるか?アナスタシア君だけではない、他のみんなも、そんな風に考えたことあるか?」
『えっ……そう言われても……』
『ないよね、普通』
『うん、ないよ、そんな風には考えないな』
「ほう、では、その理由とは?なぜかな?」
「なぜって……なれないに決まってるじゃない?そんなの、考えるまでもなく」
さすがのアナスタシアでも、これぐらいはわかる。
「その通り。『なれないだと知っている』、だから疑問に感じることはない。では、もしアナスタシア君みたいに、疑問を感じで、それを一つの問いとして口に出した場合は、どういう意味になるかね?」
「えっ……ええっと……?もしかしたら出来るってこと?」
「ふむ、そういう見方もあるだろう、だが、違う。諸君、よく覚えるといい、我々人間はそういう風に問い掛ける時、そこには『願い』が込めている。出来る可能性があるから問い掛けるのではなく、そうしたい、そうなりたい、そこに向けて走り出したい、だから問い掛けた」
「おっ、おおぉ……?」
目が白くなり、脳天から白い煙をあげているアナスタシア……だが、今回ばかりは彼女を責めてはならない、なぜかと言うと、クラスの生徒みんな、似たような状態だからである。
「ふむ、魂が宇宙の彼方に旅立ったのだな?では仕方ない、君を、厳しい現実に引き戻すするとしよう。アナスタシア君、残念ながら、人間は不老不死に、なれないのだ」
「だよね~あはは……」
「それで満足かね?なれないだと知って、答えを得て、君のソレは、これで終わりかな?」
「っ……な訳ないよ……どうしてなの?先生、どうして、あたし達は……!」
「ステップ バイ ステップだ、アナスタシア君」
パネルを操作し、その次の瞬間、教室中に色んな映像が出現した、時代も年分もわからないほど、古いの。
「諸君、ここからは、私は君達にあることを要求する。君達が生まれてから今日まで、16年間学んできた知識を、フル活用したまえ。そして、問おう、君達にとっての『不老不死』とはなんだ?」
『えっと、年取らない、かな?』
『うん、一番メジャー的ね』
『事故とかで死んちゃうことはあるでしょうけど、年さえ取らなければね』
「では、その『年取らない』という表現をどう実現する?」
『え……それは……』
『どうって言われても……』
『時間を、停止させるとか……?』
「ふむ、いい案は出なかったようだな?だが無理もない、もし君達のような歳でも簡単に思い付くようなものだったら、我々はとうの昔にすでに不老不死を達した。しかし、出来る方法がわからなくても、出来ない原因は、もうわかってるじゃないかね?勉強をサボっていなければ、の話だが」
「あっ……代謝!」
「そうだ。我々人間は、生きて行くためにまず一番必要なのは、エネルギーだ。そして我々の体は、エネルギーを摂取する度に、代謝という化学反応が起こし、取り込んだエネルギーを糧として体を成長させる……つまり、我々の人体は、年を取らないようには出来ていない。生きていれば必ず成長し、成長というプロセスが発生すれば我々は老化する、この過程は避けられない」
『マジかよ……』
『夢ないなぁこの世界……』
「ふっ、老化という現像は止められない、だが、それを遅延させることは可能だ。現に我々は、旧世代の人間よりも遥かに長寿である……遥か昔、100歳まで生きていれば、それはそれで長命と言える時代があった」
「うそ…100歳で?」
「そうだ、我々から見れば、100歳など、まだ人生の3分の2しか経っていない。むしろ100歳になってから初めて、老後のことを考え出すだろう」
「じゃ……もしこのまま寿命を延ばせば……!」
思わず希望を見出したかのように、少し興奮になってきたアナスタシア。ただ、教師という職業は、『知識』を伝授するもの、例えその知識が、相手の希望を奪うことになっても、相手に伝えなければならない。
「ふむ、完全なる不老は実現できないが、擬似的な不老なら、理論上は可能なのだろう……だが、ここに来て新たな問題点を産んだ。君達が求めているのは、不老か?不死か?」
「えっ……それ、どういう……」
ケーネルが再びパネルを操作し、映像を出現させた、今回は何らかの統計図表のような映像だった。
「これは、我々人類の平均寿命が120歳まで達してからの、世間の平均自殺率だ」
『えっ!?』
『じっ……!?』
「えっ……待って……?おかしい、なんで……?」
意外なことに、ケーネルが問題を提出するより先に、アナスタシアが反応した。
(ほう……)
「アナスタシア君、どこかおかしいかね?」
「だって……せっかく120歳まで普通に生きていけるのに、どうしてみんな、100歳辺りで、急に、自殺してしまうの?しかも集中的にあの年齢前後で……」
『あっ本当だ!』
『確か100歳辺りから急に、増えてる!』
『えぇなんで!?』
「少し話題を変えよう。諸君、『ゾンビ』、『アンデッド』、もしくは『リビングデッド』、これらの名前、聞いたことあるかな?」
「そりゃ……ホラー映画とかで散々」
「ふむ、では、諸君に質問だ。あれらは……『生きてる』と言えるかな?」
『言えない……じゃないかな』
『うん……だってあれ、死んでるし』
『意思もないしね』
「ほほう?創作とは言え、これらの人体は間違いなく、代謝による成長と老化の問題を解決したと思うが……それでは不老不死にはならないかね?」
「あっいや、不老でしょうけどさ……アレ、どう見ても死んでるし……」
「ふむ。つまり、仮に永遠に不滅な肉体を手に入れても、そこに意思がなければ、生きてるとはいえない、そういうことかな?」
「そういうことかなって、実際そういうことじゃないの?」
「では、先ほどの自殺率の話に戻るとしよう。なぜ、100歳辺りに自殺率が急に上がったのか……それは、精神の摩損によるものだ」
『せいしんのま……え?』
『な、なにそれ?』
アナスタシアどころか、他の生徒達もついに、オーバーヒットになり始めた、そして当のアナスタシアだが……
「ふむふむ!『せいしんのマゾ』だね!ふむ!」
「……」
『あっ、今一瞬、ケーネル先生が諦めた顔がしたね』
『うん…したわね』
『すげぇよアナスタシア……尊敬するぜ』
「……我々人間には、『精神状態』というパラメータがある。例えば、アナスタシア君、この後教員室に来るように、君に話がある」
「ふえっ!?っ……そんな……今日のメニューは、カレーなのに……」
「このように、落ち込んだり、悲しんだり、我々人間の精神はいつも何かに影響されて変動し続けている……我々、人間が人間であるためには、この精神がなくではならない。そして、この精神が、我々の肉体と同じように、稼働の限界がある」
『でも、精神って、アレだろう?エネルギー体とかなんとか……』
『実体を持ってないのに、体みたいに老化するの?』
「もちろんだ。実体を持たないからって、不滅という訳ではない。この世界に対しての興味、そしてその興味によって体感出来る刺激、その欲求……つまり、まだ死ねないという意思だ。我々人間の精神構造はやや自虐的でね、『何かを得たい』というポジティブな欲望より、『何かを失いたくない』というネガティブな恐怖の方から、力がみなぎる場合が多い、君達にも、経験したことあるじゃないかね?」
「そうなの?あたしはご褒美がある方がやる気出るけどなぁ……」
「アナスタシア君、もし次のテストに70点以上を出せれば、この私から君に、一週間分のカレーメニューを奢ろう」
「えっ本当!?やった~!あっでも、先生のテストで70点かぁ……むずくない?出来るかな……」
「逆に、もし50点以上取れなかったら、君には一週間カレー禁止の罰を与えよう」
「はぁ!?ちょっと!それってあたしに『死ね』って言うものよっ!?」
「ふっ、嫌なら、50点出すのだな」
「出してやる……絶対に……!」
(目がガチだ……)
(あいつどんだけカレー好きなんだ……)
(ってかまんまと先生にハメられたんだね……)
「これで君達にも理解出来るであろう、人間は何かを失い掛ける時こそが、一番力がみなぎる、逆説的に、人間は何かを守ろうとする時こそ、一番輝くものだ。では、もしそこに、『失う物』がなくなったら、どうなる?」
「えっ、なくなるって……どういうこと……?」
「言葉通りの意味だよ。本来、人間は平均的に70歳までしか生きていけない、そして、70年という時は多くの人間の一生にとって、やや不足だった……だからこそ、昔の人間は精一杯生きてきた。だが……」
またもや映像が変わり、今度映されてる画像は、『退廃的』としか言いようのない、無気力的な人々の映像だった。
「70年から120年……いや、70年から100年、たったの30年、この30年の増加分は、多くの人にとって、やや『多過ぎた』、100年の人生、科学の進歩もあって、この世界の全てを楽しむのに、あまりにも充分過ぎる時間だ。全てを体験尽くし、新たな刺激もなく、もはや『やることない』人々が最後に感じ取ったのは、虚無だ」
「虚無……」
「そうだ、なにをする気がなければ、なにかを追い求める気もない、そしてもちろん、失うものもない……ただ、そこに存在し続けるだけの何かになったのだ。精神の波が起伏せず、どこまでも常に一定の波形しか示ず、やがて、それが『意思の停滞』になる。肉体と同じなのだよ、諸君。刺激というエネルギーを失い、糧を生産出来なくなった精神は代謝が出来なくなり、そして活動停止にまで追い込まれる、そこにあるのは、虚無だ。そしてソレには、我々の精神は耐えられない……となれば、唯一残された『未知』、即ち『死』が、そうなった人への最後の救い手だ」
『うそ……』
『俺達も、あんな風になるのか……』
「なるか、ならないかは、君達次第だがね。現に、110歳まで生きている我が校の校長が毎日、楽しそうに我々教師陣を困らせているのだからな。だが、よく考えてほしい。もし、仮に摩損することなく、不滅の精神と不滅の肉体を手に入れたなら、それは何千何万何億年をも生き続けるという意味だ。君達は……想像出来るかね?」
「うっ……」
さすがのアナスタシアでも、そう何億年も生き続けられる気がしない。『存在出来るか』の意味ではない、ケーネルの話に聞いて初めて理解出来た、『生きる』とは、『存在する』と違うと。
『じゃ……やっぱり私達、不老不死にはなれないですよね……』
『いやそもそも、今の話を聞いて不老不死ってのもろくなもんじゃないというか……』
『うぅ~……』
『知識』を伝授するのは教師の仕事だ、例えその知識が、相手の希望を奪うことになっても。だがしかし、同時に、現実に打ちのめされた生徒を励ましするのもまた、教師の仕事である。
「少し、昔の話をするとしよう。遥か昔、数千年前の出来事である。とある兄弟が居た。その兄弟は、『どうにかして、人間を空に飛ばせないのか』と、問い掛けて、そして努力した。だが、残念ながら……その『願い』は、未だに実現出来ずにいる」
「え?でも……あたし達普通に、空とか行けるじゃない?車とかで……」
「そうだ。車だけじゃない、飛行機、ジェットブースター、フライトスーツ、そして数世紀前から台頭した、魔導力学の研究による飛空石という道具の出現……もはや空は、我々人間にとって憧憬ではなくなった。むしろ、すぐそこにあり、手を伸ばせば掴めるほどの日常である。だがそれでも、我々自身は、飛べてはいないのだ。不老不死と同じように、我々人間は、飛べるように出来てはいない」
教室のメインモニター、および生徒達のデスクに付いていた小型投影モニターが、次々と、まるで人間の、『空への到達』の歴史を伝えるように、次々と映像を映す。
「最初は飛行船、これはお世辞でも『飛べる』とは言えない、ただ『浮いてるだけ』の物だった。そこから、飛行機、我々の歴史の中でも初めて、『空での本格的な移動』であった」
『うわぁ……』
『へぇ……』
次々と変わる映像に、生徒達は惹きつけられた。先ほど落ち込んでいで、暗い雰囲気がまるで嘘のように。
「そこから、より速く、より高く、そして、より小さくと『願い』を込めた人々……我々が今使ってる車も、治安維持隊の使っていたフライトスーツも、その全てが、何百何千年を経って、何代もの改良研鑽を続けてきた成果だ、そして今……」
スーツのポケットから緑色の宝石を取り出し、たちまちケーネルの体が、浮遊し始めた。
『うそ!あれって!』
『飛空石だ!すげぇ!』
『実物だ!すごい!本当に浮いてる!』
生産こそはされたものの、その特性や製作難易度から、数が少なく、一部のほんのわずかの人間しか持っていないとされていた飛空石が、こうして目の前に見せられて、生徒達は大興奮になった。
「信じられるか?昔の飛行機は、今この石と同じように、極く一部の人間しか乗れないことを。信じられるか?昔は全長数百メートルもある飛行機にでも乗らないと、空にはいけないことを。よく覚えるといい、そして、忘れるな、今私がこうして出来るのは、全て、数千年前、『どうにかして、人間を空に飛ばせないのか』と問い掛けた兄弟と、彼らの後に続く、諦めずに『願い続けてきた』人々のお陰であることを」
「……すごいっ……」
他の生徒と同じように、アナスタシアもまだ、目の前の出来事に魅入られている。これと言って別にそう珍しいものでもない、普通に歴史の授業でも出てくる内容だが、ケーネルはそれを、生徒達の心を掴むような話にまで昇華させた。
「はっきり言おう、私は人間が不老不死になるビジョンがまったく見えない、そう、かつての、あの兄弟みたいに。だが、それがどうしたかね?見るといい、今、石一つで私は空へと飛べる、私本人の力ではないが、それでも、人間は、ステップ バイ ステップで、前へ進もうとしている」
『じゃあ!もしかしたら、いつか!』
『うん!人間は不老不死にだって!』
「そうだ、そしてそれは、君達の仕事である」
「あたし達の……?」
「いつの時代でも、君達みたいな若い世代は人類の希望だ。そんな君達に、知識を『授ける』という上からの目線ではなく、希望を、憧憬を、そして願いを、次代に託すという意味で知識を伝え、そして、蓄積され続けてきた先代達の知識を携えて、素晴らしき物を生み出すであろう君達を見守る守護者こそが、『教師』という職業だ。少なくとも、私はそう思っている」
『素敵……私、将来教師になりたいかも!』
『俺もなりてぇ!格好いい過ぎる!』
「ふっ、そう単純なものではないのだがね。しかし、そう言ってもらえるのなら、教師冥利に尽きると言うものだ。君もだ、アナスタシア君」
「えっ」
「確かに君は問題児ではあるが、愚かではない、人間として出来損ないでもない、君の中にちゃんとした才能が眠っている、それをどうするかは、君次第、私が出来るのは、せいぜい、君の手助けぐらいだ」
「あっ……うっ、うん……」
この時、この瞬間、アナスタシアの中で、才能とは別の何かが、確かに、それでいて小さく、アナスタシア自身ですらまだ気付けないほど、小さき『何か』が、咲けていた。
「アナちゃん大丈夫?なんか、顔が赤いよ……?」
「えっ!?あっううん!大丈夫大丈夫!なんでも――」
「ちなみに、テストの約束、忘れたとは言わせない、そのつもりでいるように、いいかね?」
「うぐっ……!ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ格好いいと思ったのに……やっぱ先生のこと大っ嫌い!!」