サリンジャーなら、どうなのだろう?
そんな事に自分が不安を抱くだなんて、その状況になってみなければ僕はまったく想像もしていなかった。
一度目は、「盲目の女と醜い男」という短編を小説投稿サイトに投稿した時だった。何の偶然かは分からないが、多くの読者が高ポイントを入れてくれて、日間ランキングのトップ10内にまで入ってしまった。
普通なら、そんな状態になれば、喜びを感じるものだろう。だがしかし、僕はむしろ不安になってしまったのだった。
世間に向けて、広く発表したくて投稿したのだから不安を抱くのも変な話なのだけど、僕はどうやらたくさんの人に自分の作品が読まれているという事実に恐怖をしているらしかった。
いつか、どっかの電子掲示板の記事か何かで「アクセス数が上がって、怖くなって小説を消した」というコメントを見た時は「どうして、そうなるの?」と、それを不思議に思ったものだけど、まさか自分自身も同じ心境になるだなんて。
ただ、僕は作品を消しはしなかった。その程度の覚悟ではなかったはずだ。自分が小説を書き続けるのは。
そんな風に自分に言い聞かせたのを覚えている。
それからしばらくが経って、また似たような現象が起こった。今度は「あのお嬢様は、確かに性格が悪いがよ」という短編だった。もっとも、この時はそれほど不安になりはしなかった。気が付いた時には、既に高ポイントが入っていて、恐怖を感じる暇がなかったからだと思う。
それに、その作品は1000ポイントを超えると、何故かほとんどポイントが増えなくなった。その奇妙な動きに、僕をぬか喜びさせる為に、誰かが何かをやったのじゃないかと変な想像をしてしまった。
ただ、僕はむしろそれに安心をしていたのだけど。
もしも、本当に僕をぬか喜びさせようとしている人達がいたとしても、まさか僕がポイントが伸びなくなって安心をしているだなんて思いもしないだろう。
因みに、その時に一時的に増えたアクセスを利用して役に立つ知識を広めようと考え、僕は「タバコがコロナ19の重症化リスクを上げる」という話を投稿した。あれが、少しでも世の中の役に立ってくれていれば、と思う。
そして、三度目。
いや、まだこれを書いている時点では、どれほどポイントが伸びるのかは分からないのだけど、「だから、“なろう”は嫌われる ~ビジネス戦略としてのなろうランキングの問題点と改善案」というエッセイを投稿したところ、随分とポイントを得ている。
それで僕はまた不安になってしまった。
本当に気が弱いと思う。
この不安に取り憑かれる度、僕はサリンジャーを思い出す。「ライ麦畑でつかまえて」で有名なあの作家のサリンジャーだ。
彼は何が原因かは分からないが、小説の執筆を止めてしまった。僕は彼の小説が好きで、学生時代に読んだ時には、登場人物の「自分は畸形だ」という言葉に共感したのをよく覚えている。
僕も畸形だ。
多分。
普通の人は悩まない事に悩み、自分と周りとの差に苦しんでいる。
今は随分と慣れてしまったけれど、きっと今でも悩み苦しんでいる。
だからだろう。ある時僕は、ふと気になって、サリンジャーについて、ウィキペディアで、彼が執筆を中断した後、何をやっているのかを調べてみたんだ。
すると、2メートルの塀で囲まれた屋敷の中で生活をするという、まるで世捨て人のような暮らしをしているとあるじゃないか。
ウィキペディアの情報だから、間違っているかもしれないけれど。
高ポイントを得た時に感じる不安は、或いはサリンジャーが逃げ出してしまった原因と同じなのじゃないかと僕は想像をした。だから、その不安に苛まれた時、彼を思い出すのだろうと思う。
僕は想像をする。
屋敷の中で、たった独りでいるサリンジャーを。彼は果たして仕合せなのだろうか? 暗い屋敷で頭を抱えるようにして苦しんでいる彼。もちろん、それに僕は自分の姿を重ね合わせていた。
大作家と自分を重ねるだなんておこがましいとは思ったのだけど、どうしてもそんな想像をしてしまう。
自分が投稿したエッセイのアクセス数が伸び続けるのに不安を覚えながら、僕は久しぶりに、サリンジャーをウィキペディアで調べてみた。何にもならないとは思いつつも、それでも世捨て人のようになってしまった彼に関する記述をもう一度読んでみたいと思ったんだ。
すると、そこには“世捨て人のようになった”という噂は嘘で、彼は地域社会に溶け込み、夕食会などにも参加していたと書かれているじゃないか。
僕はそれを読んだ瞬間、軽く涙ぐんでしまった。
“……良かった。彼は孤独なまま死んでいったんじゃなかったんだ”
そして、涙ぐむことで、僕は自分の苦しみがフッと楽になるのを感じていた。
もちろん僕は彼じゃない。彼のようにはなれないだろう。でも、それでも嬉しかった。それに、僕とサリンジャーとでは決定的に違う点が一つだけある。
それは「僕は絶対に小説やエッセイを書くのを止めないだろう」という点。
彼よりも圧倒的に拙く、注目もされないかもしれないけど、それでも僕は“世の中が少しでも良くなる為に書き続け、投稿をし続ける”というその行いを止めない。
彼は諦めてしまったのかもしれない。
けれど、僕は諦めない。
諦めないんだ。
早い話が、「訴えたいことはあるけど、目立つのは嫌い」なんだと思います。それはそれとして、小説を書くのが好きってのもあるし。