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90話 邂逅

 


「……は?」

「釣れないですか?」


 唐突な問い掛けに思考が追いつかない。それよりも、様々な音と感情が重ねられた声に惹きつけられた。男性とか、女性とか、子供とか、老人とか、喜怒哀楽だとか。中には人間とは思えない金切り声もあった。


 悍ましくも強烈な魅力を感じる声だった。


「……なんだって?」

「ここは、釣りをするのは難しいだろうと思うか?」


 聞き返してみても、やはり思考は追いつかなかった。ただ、ピエロの仮面から視線を外すまいと躍起になっていた。

 ソイツは暫く黙ったままでいた。俺が答えるのを待っているのか、それともただ黙りたいのかは分からない。


「謝罪を。申し訳ありません。私はこちらの言葉に慣れていないんだ。それにかけるリソース不足を指摘されています。上手く聞き取ってくれと命令する」


 全身がひどく冷たかった。なされるがまま、とは違うが、ソイツの言葉をただ聞いていることしかできなかった。様々な声と感情が重ねられた言葉に惹きつけられるだけだった。


 釣りは難しいでしょう、とソイツは続けた。

 ターゲットは自由に動き、こちらは追いかけるのが楽じゃありません。しかし時々は楽しいのさ。

 糸の先には針があるよ。針は見事にターゲットを捕まえます。ええ、私はそう信じている。それが嫌なら早く逃げろと伝えてあげるべきだ。


 そんなことを、下手くそな言葉遣いで話したソイツは、糸を指差してカタカタと笑った。


「……こんな高い場所からじゃ、魚は釣れないと思うぜ」


 やっと捻り出した言葉は、我ながらとてもありきたりでつまらないものだった。


「サカナ?」


 ソイツはコトりと首を傾げた。あざといくらいコミカルに。しかし、上から垂れた糸を幻視するほど不自然な動きで。


「いいえ、私はそれをターゲットにしている事を否定します。人だよ、釣ろうと考えているのはな。邪魔するネズミなのさ。ええ、邪魔ですね。だがどういうわけか、すごいねと褒めるほど上手に隠れている」


 傾けられたままの首が、グルリ、とこちらに向いた。ソイツはゆっくりと、そしてやはり糸で操られているような動きでピエロの仮面に手をかけた。


「知らない? ネズミの存在を。与えられる情報には、ええ、相応しい報酬を用意しましょう。おまえに資格があることが証明されましたら、仲間に入れてやっても良いのだ。今であれば、ちょうど一席分の欠員が出たことをお知らせできます」


 言って、ソイツは、マリオネットそのものの動きで仮面を外した。

 そこには白だけがあった。のっぺりとした顔面には目も鼻も口もなかった。なのに見られていると感じるのは、恐怖心のせいなのだろうか。


「……きみは遊ぶ人の一員だな? なら、出会いの挨拶を。ひどく簡潔に、恐ろしいほど素早く」


 やあ、とソレは言った。相変わらず不気味な声で。

 こちらも、やあ、と返せば、ソレは暫く黙り、そうしてのっぺりとした白い顔を寄せて来た。


「なるほど。少し変わった匂いですね。おまえは知っているようだな? ネズミを」

「はあ? ――っ⁉︎」


 ガパリ、と白い顔が裂けた。開かれた口は、高粘度の液体がそうなるように、ところどころが繋がっていて、それが牙のように見えた。

 俺は何もできなかった。不気味な口が迫る光景をただ眺めているだけだった。


「言え、と命令する。貴様が知っている全てを渡してください。ネズミは駆除しなければいけない、必ずね」

「……知らないな。鼠、とは隠語のようなものだろう? 具体的に誰を、または何を探している?」


 精一杯の虚勢を張って言葉を捻り出す。奇妙に裂けた口が迫る。


「知らないと言い張るつもりなの?」


 口が迫る。


「もしくは本当に知らない?」


 口が迫る。


「ええ、良いだろう」


 口が迫る。


「ならば喰らって私の物にしてしまえ」


 口が迫る。口が迫る。口が迫る。


 そのまま、喰われる。


 ――刀を抜け!


「っ!」


 考えての行動ではなかった。しかし、肉体は最適解に向かって動いた。刀を抜き、刃を己へと向けていた。

 自らの首にあてた“伴冴”は、いとも容易く筋繊維と骨を分離させていく。刃を振り切れば死に戻るが、しかし喰われてしまえば終わりなのだと理解していた。


 だから、思い切り、振り抜け。


「危ないよ? 痛くない? 危険な行為は控えるべきだとアドバイス」


 ソレが刀を掴む。いや、指の先で摘む。自殺を防ぐつもりか。


 渾身の力を込める。だが、刀の位置は変わらない。

 ソレは特に力を込めた様子もなく、刃を避けるように刀身を指先で摘み、なのに刀はピクリとも動かず、ただ、不気味な口が迫る。


 恐ろしい力で刀が押し返され始めた。そして信じられないことに、首の傷が癒やされていった。

 ソレは例の奇妙な声で、ダメ、ダメと繰り返し呟いている。そうして刀が完全に首から排出された時、俺の頭は、ソレの口の中にあった。真っ白いナニカに包まれていた。


「さあ、行きましょう。私と一つになぁれ――」


 終わったな、という実感があった。


「――などというのは、ジョークだからお開きだとそろそろ伝えることにするよ、ははは」


 言われた瞬間、既に視界には空が映っていた。

 ソレはこちらに背を向け、顔にはピエロの仮面がはめられ、真っ直ぐに垂れる糸へと向けられていた。


「……そんな細い糸じゃ、針が掛かっても切れると思うけど?」


 再びつまらない事を言えば、ソレはケタケタと笑った。


「この糸は切れないのだよ。よほど幸運であれば別でしょう」


 ああ、そうかいと言って、刀を、ゆっくりと収める。そうして称号“違背者”に意識を傾け、ソレには見えないように“幸運のナイフ”を抜く。“空間掌握”を頼りに、ほんの僅かに動かし、また収める。


「親愛なる遊ぶ人。あなたは期待できるでしょう、とても強いから。きっとここを出ても上手く混乱を招いてくれるだろう。だからご褒美をあげるのさ」

「……ご褒美?」


 何でも良いよ、とソレは糸を見つめたまま言った。


「もっと切れるソード? は、十分なようだ。ではもっと硬い鎧? もっとタフな能力? お前に相応しいペット? きみが強くなれば私と我々の願いにも近づくのさ」


 ピエロ面がこちらを向く。やはり視線は外せない。


「さあ、何が喜ばしい?」

「……じゃあ、情報を」

「情報?」


 コトリとあざとく首を傾けるピエロ。


「何でも良いんだろ? なら、情報をくれ」


 首を傾けたまま考える素振りを見せて、ソレの首が元の位置に戻される。


「……この先には進まない方がいいでしょう」


 そう言いながらソレは上を指差した。それは、まさしく俺が進もうとする方向だった。こっちはダメだよ、と腕でバツ印を作り、下を指差す。


「正しいルートはあちらだと伝える。こっちは、君たち遊ぶ人が関わるべき場所じゃないと教えておくべきです。止める権利はないけれど、お前は行くような気もするけれど、それでも考え直すべきだと強く強く推奨しよう」

「そうかい。じゃあ、俺からも情報をあげよう」


 言って、ソレが持つ棒を指差す。先端から力なく垂れ下がり、風になびくだけになった糸を。


「切れてるぜ」

「あら?」

「かかった鼠は、どうやら凄く大きいらしい」

「……失敗したようですね。こんな事は初めての経験だと言わざるを得ない。針を奪われちゃった」


 ソレはマリオネットじみた動きで肩を竦めると、棒を放り投げてこちらを見つめてきた。


「では、親愛なる遊ぶ人よ。私は行きます。別れの挨拶を。ひどく簡潔に、恐ろしいほど素早く」


 じゃあね、とソレは言った。相変わらず不気味な声で。

 こちらも、じゃあね、と返せば、ソレは暫く黙り、そうして階段を降りるようにして下へと歩き始めた。


「……そこ、何も無いけどな」


 ソレが歩く場所は正真正銘の空だった。俺のように不可視の足場に立っているわけでも、何かの力を使っているわけでもなく、ただ空を歩いていた。


「アレには勝てないな、まだ」


 ソレが遠去かり、見えなくなって、さらに待ち、辺りが暗くなり始めてから、そっと、首の後ろを撫でる。

 正確には、首に刺さった物を。肉を深く深く抉る釣り針を。

 手のひらにやっと収まるほどに大きなそれを抜き、大きく息を吐く。


「感謝するよ、デーメ」


 加護【ΔΗΜΗΤΗΡ】。あれは、ピエロ野朗から俺を隠すための力だったのだ。だって説明文にはこう書かれていた。

 ――貴方を秘匿する手助けになりましょう。

 ――上手く隠れなさい。

 ――息をひそめ、存在を薄め、暴かれぬよう控えめで居なさい。

 ――突き止められた時、貴方は真の意味で世界から消されてしまうのだから。


 世界から消される。それが誇張でも何でもない事を、今の俺は理解してしまっている。


 陽が昇るまでそのままでいた。奴の存在感など何処にもありはしないが、それでも心は怯えたままだった。

 近くにいるような気がする。釣り針の存在から俺を突き止めるかもしれない。そう考えると恐ろしい。


 とは言えずっと立ち止まっているわけにはいかない。重くのしかかる恐怖心を引き摺るようにして上へと掛けていく。当然、奴が進むなと指差し、俺が進むと決めていた方向へだ。


「――おっと?」


 違和感あり。先の踊り場に存在を感知。だが何も見えない。


 その踊り場にたどり着いた時、違和感はさらに大きくなった。異変、と言っても良い。


 空間がひび割れ、何者かの存在が現れる。


 焼け爛れた灰色の翼。血が流れる黒一色の目。唾液を垂らして笑む口元。異様に白く、所々が発疹のように赤く腫れ、蛆が這う肌。そして、根元から切断された生殖器の名残り。

 門を護っていた堕天使だ。



──────


ダズ・ナーガ:堕天使Lv.32

???/???/???

スキル:???/???/???

種属スキル:???/???/???

称号:???/???/???


──────



「おいおい」


 門を護っていた彼より強いじゃないか。しかも天使のくせに刀なんて使いにくい武器を持っているし。まあ、人のことを言えた立場ではないのだが。


 見た目は門を護っていた彼と変わらない。血を流す黒一色の目でこちらを睨み付ける理性と知性を捨て去った狂気の怪物。そんな様相だ。


「……だけど、きみ、なんか変だ」


 正確には“空間掌握”が違うと言っている。あの彼とは違うのだと。この彼は()()なのだと。


「■■■■■ッ!」


 鋭く発される詠唱。あの羽が来る。


「さあ、どうする?」


 これまた大きな違和感だ。だったら解消しなきゃね。


「てことで、天使さん」


 武装解除をお願いしたいのですが。そう言った瞬間に攻撃が開始される。またもやレーザー地獄だ。

 まあ、確認と復習になるし良いか。しばらく遊んで、飽きたら気絶してもらいましょう。


 光線を躱しながら考えるのは不気味なピエロの事だった。

 アレは、手に負えない存在だ。何人もの人間が同時に喋っているような声を発し、何もない空間を歩き、“空間掌握”でも感知できない速度で背後へと移動してみせた。

 だからきっと勝てない。へパスやデーメ、“始哮”とも比べ物にならない絶対的な存在感があった。


 存在そのものがオカルトだ。まあ、随分と前からオカルトに塗れているし、亜凛とルナさんに語って聞かせた仮説だってオカルトそのものだけれど。

 だとしたら、ピエロ野朗は神側だろう。またもや仮説に仮説を塗りたくるような予想になるが、味方だとは考えられない。


 アレと戦うなんてゾッとするね。


「――カッ、――アガ」


 天使の首を絞めつつ、釣り針を取り出す。手のひらにギリギリ乗せられる大きなそれは、“空間掌握”をショートさせるほどの力を秘めていた。翡翠色と水色、黒の三色が複雑に絡み合い、小さな小さな文字がビッシリと彫られている。あの時に糸を切らなければ、きっと俺は終わっていたのだろう。


 アレが何かは分からない。だがどうやら標的は俺らしい。

 だとしたら強くなる必要がある。今よりも、ずっと。戦う者としての純度を上げなければならない。


「刀は十分、か」


 そうあいつは言っていた。切れるソードは十分だと。そして、刃を避けるように刀身を指先で摘んでいた。

 当たり前と言えばそれまでだ。刃先に触れれば傷を負うのだから。しかし別の理由があるのだとしたら?


 たとえば、“伴冴”の能力である“生気切断”を嫌ったのだとしたら?


「……怪異にも、通用する能力がある」


 実際にへパスはどうだったのか。余裕たっぷりに振る舞っていたが、実のところ何らかのダメージを受けていたのではないか。

 実際には疲弊してはいなかったか? だってあれだけの速度で回復していたのだから。無理やりに繋げて考えるのなら、回復する必要があったと読み解けるのではないか。


 記憶を辿る。情けなくも殺意に呑まれていたが、“空間掌握”は何と言っていた? 


「存在感が薄れていた……少し……ほんの僅かに」


 しかし確実に。


 通用するのだ、“生気切断”は。神などというふざけた存在にも。

 だがあまりにも小さなダメージだ。消滅させるとなればどれだけの時間が必要か想像もできない。


 やはりフラッシュメモリーが要る。それは理解しているが、使い方が分からない。どのような効果が得られるのかすら判明していない。

 どうにか岩谷さんと会う方法はないだろうか。彼なら使い方を知っている筈だ。早く理解しなければ、次は俺が消されてしまう。もしくは大切な誰かが消されるかもしれない。このフラッシュメモリーだけは失っちゃいけない。


 あの、ピエロ野朗に気付かれたら……何もできずに殺される。今のままではへパスにすら。


「まあ良い。やるべき事は変わらない」


 そう強がってみても、心は恐怖したままだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] ぐぬぅ・・・情報が多い!しかもどの情報も繋がりはあるのにそこに至らなければ理解出来ないタイプの情報! 分かるのはピエロは神側でピエロのターゲットはヘラ、ピエロ側とデーメ側は敵対していてピエ…
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